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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
『汚濁』
しおりを挟む十九時。九月に入り短くなった日はもうすっかり暮れて、《和菓子屋たぬきつね》も閉店の時間を迎えていた……が、店主は相変わらず不在で、いつもは最後の客を見送った後に吉備ちよこが行っている店の戸締り等々も、今日はひづりと天井花イナリで済ませる事になった。
片付けその他はもう定休日である明日姉夫婦に任せるとして、和鼓たぬこには閉店と同時にすぐ三階の寝室で休んでもらう事にした。急に増えた客足で朝から営業再開日と同じくらい忙しかったであろうに、今日は営業再開日と違って補佐のサトオが居なかったのだ。ひづりが出勤した時点ですでに和鼓たぬこは疲れた様子で体もふらふらしていて、天井花イナリは勤務中平静を装ってはいたが、けれど閉店作業が終わればすぐに彼女を背負って階段をのぼっていった。
閉店三十分ほど前にアサカ達が帰った後、ひづりの携帯に凍原坂から連絡があって、急な仕事が出来て《火庫》と《フラウ》の迎えが少々遅くなりそうだという旨を、実に申し訳なさそうに報告された。姉はどうしてこういうちゃんと謝れる大人になれなかったのだろう、とひづりは悔しくなった。
「ひづりちゃんお疲れさま。大変だったねぇ。紅葉お姉さんとハグしようね。よしよし」
ひづりが三角巾とエプロンを外して畳部屋に入ると、待ち構えていたのだろう目の前に紅葉が立っていて、いきなり抱きしめられてついでに頭も撫でられた。本日三回目である。
「……お酒は呑んでないみたいですね。酔っ払いを背負って帰るのはごめんですからね。偉いですね。よしよし」
畳部屋の長机には没収した酒瓶が置いてあったが、その中身はどうやらあれから減っていないようだったので、ひづりは紅葉の頭を撫で返した。
「そりゃもうものすごい耐えたからね。本気で耐えたよ。紅葉お姉さんはもうお酒に負けない強い紅葉お姉さんだからね。それにお仕事疲れたひづりちゃんを癒してあげられるのは紅葉お姉さんしかいないし、シラフでちゃんと待っていたんだよえへへへへ」
本当にこれ酔ってないんだろうかというくらい紅葉はそのままべたべたとくっついて来た。勤務前に二人きりで話した際、彼女の雰囲気がどうも以前より少し大人っぽくなったようにひづりは感じていたが、こっそりお酒を舐めようとしていたのと同じく、こういった部分は据え置きらしい。
「でもリコちゃん本当にすぐ帰っちゃったね? 初日なんだし、もう少し残って話でもするのかと思ったのに」
ふと紅葉は部屋の隅に眼をやった。ひづりも見ると、やたら布面積の少ないメイド服がそこへ綺麗に畳んで置いてあった。
夜不寝リコには閉店後、ひづりから言ってすぐに帰ってもらっていた。
「働いてみた具合とか、今後の事とか、そういう話をするその肝心の店主が不在だからね。いつ帰って来るとも全然言ってこないし、電話は繋がらないし。本当にふざけてる。紅葉さん、怒る側の怒りは当日より翌日の方が薄れるものだ、って言ってましたけど、私は明日でも明後日でも、全力で姉さんを叱りますよ」
紅葉の腕をやんわりと解き、ひづりは座布団の一つに座り込んでエプロンと三角巾をトートバッグにしまいこみながら姉への怨嗟を呟いた。いや、今日の事は本当にひどい。七月に凍原坂家の事で叱り飛ばした時と同じくらいの説教が、今日の姉には必要だとひづりは感じていた。
「ふふふ。ちよこちゃんはホント、良い妹を持ったよねぇ」
紅葉も向かいの座布団にすとんと腰を下ろしてにこにこと笑ったが、しかしひづりは何も返せなかった。姉に好き放題やらせてしまっている現状、果たして自分がその『良い妹』をやれているのかどうか、心境としては複雑だった。
「ひづり。今日はどうする。疲れたであろう。店に泊まって行くか」
和鼓たぬこを寝かしつけて来たらしい、天井花イナリが襖を開けてひづりに訊ねた。仕事用のメイドエプロンはもう外してあったが、けれど襷掛けはまだしたままだった。ひづりははっと我に返って背筋を伸ばした。
「いえ、父さんも心配してると思うので、今日は紅葉さんを連れて帰ります。天井花さんと和鼓さんもお疲れでしょうし、やっかいには」
ひづりが答えると、彼女もやはり疲れているのだろう、ふむ、と肩を少しだけ下げた。
「そうか。……しかしすまぬが、凍原坂が来るまでで良い、ここに居って《フラウロス》の様子を見ていてはくれんか」
それから天井花イナリは畳部屋の一番奥で丸くなっている《フラウ》を見て、そうだまだ一番疲れる仕事が残っていたのだ、という如何にも嫌そうな顔をした。ふふ、と笑ってひづりは頷いた。
「大丈夫ですよ。紅葉さんもお酒、まだ我慢できるみたいですから」
ひづりがちらりと横目に見ると、紅葉は得意げに鼻を高くした。調子が良いのだ。
「すまぬな。む、そういえば《火庫》はどうした」
「はい、なんでしょうか、白狐様」
ひづりと紅葉のやりとりに微笑んだのも束の間、天井花イナリがふと思い出した様に休憩室の方を振り返ると、にわかにすっと《火庫》がその背後に現れて返事をした。
まさか真後ろに居るとは思わなかったらしい、天井花イナリは眼を大きく開いてぱちりと瞬きした。しかしどちらかと言うとひづりと紅葉の方が驚いていて、二人揃って肩をびくりと揺らしてしまっていた。アサカと《フラウ》が挨拶した時もだったが、《火庫》はたまにこんな風に全く気配が無い瞬間があって、それはこの通り天井花イナリですら真後ろに居ても気づかないほどだった。
「……聞いておったか」
「はい……。《フラウ》が起きたら、ひづりさん、紅葉さんと一緒に、わっちが相手をしておけば良いのですね……。問題ありません……」
そう言って彼女は頷きこそしたが、しかしやはり今日の激務にやられたのだろう、頻繁にぱちぱちと瞬きをしてずいぶん眠たそうにしていた。しょっちゅう眠そうにして実際よく寝ている《フラウ》と違って、《火庫》がこうした顔を見せるのはなかなか珍しく、ひづりは可愛そうに思いながらも正直に可愛いと思ってしまった。
「あの……それで、ちよこさんは何時頃お戻りになられるのでしょう……? 今日は朝に一度お会いしたきりなのですが……」
天井花イナリに促されて畳部屋に上がった《火庫》はまだちょっと眼を丸くしている紅葉の隣へ静かに腰を下ろすとひづりに訊ねた。
「いえ、それがまだ連絡がつかなくて……」
申し訳なさにひづりは肩を竦めた。サイズぴったりに作られたと聞いてはいたが、それでもちゃんとしたメイド服というのはあんな風に一日中慌しく走り回るようには出来ていないのではないか。それに《フラウ》ちゃんも《火庫》ちゃんもあまり体力が続かない事は、姉さんだって知っているだろうに……。
「もう一度、電話掛けてみます」
改めてふつふつと姉への怒りが湧いて来て、ひづりは鞄から携帯電話を取り出すと手早く姉の番号に掛けた。
しかしひづりのスマートフォンへ集まった畳部屋の視線も虚しく、数時間前からまるで変わらない「呼び出し先の端末の電源が入っていない」という音声案内が淡々と流れただけだった。
「母親と同じで元々勝手な女ではあるが、今日は少々露骨が過ぎるな。よい、ひづり。わしもいよいよ興が乗った。今日のちよこの行動、皆で《見る》としよう」
ひづりががっくりと肩を落としていると徐に天井花イナリが傍らへ来てそんな事を言った。見ると、微かではあるが勇み立つような色が彼女の瞳にはあって、ひづりはそのまま天井花イナリの形の良い横顔を眺めてしまった。
「《見る》って……」
まさか、とひづりが思った直後、俄に天井花イナリの足元から紫色の《魔方陣》が拡がって、それは畳部屋の四隅まで覆うと、次にゆっくりと上昇してそのまま天井まですっぽりと包み込んでしまった。
その《魔方陣》の形には見覚えがあった。八月の暮れにあの多摩動物公園の山奥でラウラが《未来と過去を知る力》と併せて用い、千登勢や甘夏たちの過去をひづり達に映像として上映したあの《共感性魔方陣術式》と呼ばれる《魔術》のそれと同じものだった。出し抜けに暗転した視界の中、ひづりは向かいに座る紅葉とばったり眼が合い、お互い息を呑んだ。
それから周囲がぱっと白んだかと思うと、次第に赤い色が射して行き、広く開けた野原の様な場所を映した。どうやら高地の様で、彼方には綺麗な夕陽が穏やかな海原へ沈みかけており、見渡すと数え切れないほどの羊がその白い毛を朱色に染めながらそこらをのんびりと歩いていた。ひづりは前後左右と探したが、ちよこの姿はどこにも無かった。というよりそもそも場所からしてどうも日本のようには思えず、漠然とした印象ではあるが、写真や映像などで見るヨーロッパの海といった風情がそこにはあった。
「《火庫》、動くなよ。どこかへ《転移》した訳ではない。場所は店の畳部屋のまま、お主らの眼にわしの《能力》で見える景色を投影しておるだけじゃ。そのまま座っておれ」
いきなり見知らぬ光景の中に放り込まれ一体何事かと眼を丸くした《火庫》に天井花イナリはそれだけ言うと、正面に現れた、やはりラウラが扱っていたのと同じ年月日等を表したものらしい数字の並ぶ文字盤に触れた。
「では《再生》する」
これは天井花さんにとって……というより《ボティス王》にとって思い出の場所なのだろうか、とか、羊好きなんだろうか、とかぼんやり考えていると視界は再び暗転して、今度はひづりもよく見知った光景が映し出された。
空の色からおそらく九時頃と思われる、徐々に人通りが増え始めた商店街の一角。まだ改装が行われておらず、変な看板も天井花イナリたちの顔写真も掲げられていない時の、《和菓子屋たぬきつね》の姿。
ちよこが戸を開けて通りに出て来た。店の受話器を突っ込んでいるのだろう、提げた鞄がやけに膨らんでいる。
「ここからちよこは真っ直ぐ駅へ向かい、池袋駅で降りる。この時は店もまだ準備中で手も空いておったゆえ、わしもそこまでは《見て》おった。省略するぞ」
天井花イナリが文字盤を操作すると数字が一気に動いて、ちよこと周囲の景色も目まぐるしく流れ、変わった。
通勤ラッシュで賑わう池袋駅の東口。降り立ったちよこはそこでスマートフォンを取り出すと鷲掴むようにして横のボタンを押し、すぐにまた鞄に突っ込んだ。どうやらここで電源を切ったらしい。
そのままちよこは誰かと合流するでもなく一人歩き始め、やがて人気の無い薄暗い通りまで来たところでぴたりと立ち止まり、前後左右を確認して、それから俄にすばやく自身の足元へ《魔方陣》を描いた。《認識阻害魔術》のものだった。
「己の姿を他者から知覚出来んようにする、そういう類の《認識阻害》を使ったようじゃの。しかしちよこ程度の術者の《魔術》であればわしは看破出来る。故にこの《映像》でも引き続きお主らの眼にはちよこの姿が見える」
天井花イナリの言ったまさにその通りらしく、ちよこはそれから大通りの方へ出ると、掛けたばかりの《術》の確認のためか、道行く人に手当たり次第ぶんぶん手を振ってみたり、肩をぽんぽん叩いたりしていたが、誰もちよこのその奇行に反応しなかった。きっと財布を抜いたり暴行を加えたとしても気づかれないのだろう。ひづりは思わず苦虫を噛んだ様な顔になった。姉の様な人間が唯一完璧に使いこなせる《魔術》がこの《認識阻害魔術》だというのだから、実の妹としてはたまったものではない。
「うわ~……いかにも、これから悪い事します、って感じだね……」
紅葉が他人事みたいに言った。何ちょっと楽しそうな顔してるんですか。
「ここが目的地らしいな」
隠密状態のちよこが再び足を止めたのは、金持ちが住んでいそうなマンションだとか、銀行だとか、意外にもそういったところではなく、そこそこ人通りがあり八百屋やドラッグストアも並ぶ、至って普通の、それこそ《和菓子屋たぬきつね》の在る商店街と似たような通りに建てられた、一軒のメイド喫茶だった。
……メイド喫茶だった。
「まさか仕事サボって一日メイド喫茶に入り浸ってたとか、そんな馬鹿な話ではないですよね……」
ひづりは、むしろそんな馬鹿な話程度だったら良いのだが、と思いながら独り言を零した。
看板には《めいどぱにっく☆る~む》と書かれており、店は四階建てのビルの二階に構えているらしく、ちよこはそのままふらりと階段を上り始めた。
冷たい感じのビルの外観とは打って変わって、《めいどぱにっく☆る~む》の店内は今日の《和菓子屋たぬきつね》のように明々とした照明で照らされており、夜不寝リコが着させられている様な肌の露出の多いメイド服を着た女性が二人、てきぱきと開店準備を進めていた。ちよこがドアベルのついた扉を開けて入って来ても、やはり彼女たちは反応しなかった。
しかし普段メイドに対してよく分からない執着を見せるちよこはそんな二人を無視してそのまま店の奥、どうやら従業員室らしいところへとずんずん進んで行って、また躊躇いも無く扉をがちゃりと開けた。
従業員室には三十代前半くらいだろうか、ショートヘアの男性が一人、革張りの椅子にどっかりと深く掛けてタバコをふかしながらスマートフォンを片手でいじっていた。座っているため少々分かりにくいが、そのすらりと長い足を見るにどうやら身長は凍原坂くらいありそうで、また顔立ちもなかなか整って見えた。この店の経営者だろうか。
ちよこは男性の傍らまで来ると間髪を容れず堂々と机の引き出しをがこがこと次々に開けては中を物色し始めた。嘘だろこれで気づかれないなんてあるのかよ、とひづりの方がはらはらした。
「ちよこちゃんはこの男前と知り合い、ってことなのかな? それで、持ち物を盗み出したい、って感じ?」
紅葉は正座をして顎に手を当てながら如何にも興味深そうな顔をした。
「同じメイド喫茶というなら、リコを店で働かせ始めた事とも無関係ではないかもしれん。《火庫》、この男に見覚えはあるか?」
不思議そうにじっと無言で映像を眺めていた《火庫》は俄に訊ねられてぴくりと肩を震わせた。
「いえ……。凍原坂さまの大学のお知り合いなどでしたら、わっちも憶えていますが……。おそらく知らない方だと思います」
「ふむ……」
当てが外れたらしく天井花イナリは眉根を寄せ、従業員室を荒らし続けるちよこに再び視線を戻した。
それからまた数分ちよこは部屋中を探し回っていたがどうやら目的の物は見つけられなかったようで腰に手を当てて溜め息を吐いた。お、手詰まりのようじゃ、と天井花イナリが俄に嬉しそうな声を上げた。
ちよこはしばらく考え込むようにした後、男性の方に向き直って、それから部屋の隅に置いてあったパイプ椅子の一つに腰を下ろした。
…………。
…………。
「動かぬな。少し進めるか」
ちよこは男性の方を見つめたままじっと動かなくなった。天井花イナリが文字盤をいじって三十分ほどが過ぎると、そこでようやく男性が立ち上がった。ちよこも椅子から離れ、彼の後をついて従業員室を出た。
男性はやはり経営者らしい。開店準備を終えた様子のフロアの女性店員二人と何やら話し始めた。しかし会話内容は聞こえない。
この天井花イナリの《映像》に音声が伴っていないのは、最初に映った夕焼けを歩く羊の景色の時からそうだった。彼女の《未来と現在と過去が見える力》は、映像に加えて音声とまたその気になれば映し出される人々の思考すら見通す事が出来るという《グラシャ・ラボラス》の《未来と過去を知る力》と違って、映像しか閲覧出来ないのだ。だからラウラが行った《上映会》と違って、完全な無音のまま映像が流れ続けている。また映像の明瞭さも、こちらは言うなれば少々画質が荒かった。以前天井花イナリ本人から『わしのは《グラシャ・ラボラス》のやつのそれより燃費は良いが、その分音声は無いし、映像としての質も落ちる』と聞いていたため、ひづりは、なるほどこういう事なのか、と尊敬する《悪魔》の見えているその不思議な世界を実体験する感動に内心震えていた。
しかしそれと同時に、音声が聞こえないためたまに歯がゆい思いをする、と語っていた彼女の気持ちもまた理解出来ていた。登場人物の唇の動きから一応、あいうえお、の母音は辛うじて判別出来たが、しかし画質の悪さ故に子音はまるで判別出来なかった。これでは仮に読唇術が出来ても会話内容を読み解くのは難しいだろう。
男性が店を出た。ちよこは引き続き彼の後を追うが、しかし男性はコンビニに立ち寄ったり、昼間から洒落たバーで酒を飲みながら知人らしい店員と長々話し込んだり、パチンコ店に数時間根を張ったりと、どうも彼にとっての休日らしきものをただただ謳歌するばかりで、ちよこも段々と疲れた顔をし始めた。
やがて日が落ちてくると男性は《めいどぱにっく☆る~む》に戻って来た。店内はかなり賑わっていて、メイド服姿の女性店員も六人に増えていた。男性は常連らしい客らと親しげに話し始めた。
「通して見たが、どうもやはりちよこと同じタイプの人間らしいな?」
天井花イナリは先ほどから疲れ顔のちよこにずいぶん機嫌を良くしている様子だった。ひづりとしても同感ではあった。目的が何であれ、自分勝手な人間に振り回される気分というものを、姉もこうして少しは味わえば良いのだ。
ひづりはふとその店内に飾られている時計を見て、あ、と気づいた。今からたった三十分ほど前の時刻だったのだ。ちよこは近くの空いている席に腰掛けて、客と話し込む男性をつまらなさそうな顔で眺めていた。
「直に今の時間とぶつかるな。《未来》になるが、そちらも見ておくか」
天井花イナリはさすがに飽きて来たか、崩した座布団の山の中で少々丸くなってまた映像の早送りを始めた。
と、その時だった。
ぶつん、と出し抜けに映像が途絶え、真っ暗になった。
「……え?」
ひづりが瞬きして天井花イナリの方を振り返ると、彼女も何が起こったのか分からないという様子でおもむろにその体を起こした。
「何じゃ……? 《未来視》が出来ん……?」
天井花イナリは片手を、つい先ほどまで目の前にあった文字盤の辺りに彷徨わせたが、手応えらしいものがあるようには見えなかった。
「…………」
ひづりや紅葉らの視線が集まる中、天井花イナリはしばらく口元に手を当てて考え込んで居たが、やがて周囲はゆるやかに光を持って、ひづり達の眼は《和菓子屋たぬきつね》の畳部屋を映した。
「天井花さん、大丈夫ですか……?」
あまりに無言の天井花イナリにひづりがちょっと怖くなって訊ねると、彼女は険しい表情のまま振り返った。
「わからん。急に《未来視》が出来んようになった。巻き戻して《過去視》を試したが、今度はそちらも出来んようになった。《現在視》もじゃ。何が起こった……?」
天井花イナリは部屋の中を見回したり、確認するように自身の《角》に触れたり、思い出したように傍らの《フラウ》を見たが、しかしその難しい顔が晴れる事はなかった。
ひづりは益々不安になった。先ほど突然《映像》が止まった時、天井花イナリは明らかにうろたえていた。千年も生きている《悪魔の王様》だからだろう、その見識の広さでもって大抵どんな物事にも淡々と受け答えをする、そんな彼女が今、困惑していたのだ。そしてそれはどうも、『突然未来視や過去視が出来なくなるのはこれが初めてである』という風で、酷く気がかりに思えてしまうのだった。
「お疲れだからでは、ないですか……?」
すると恐る恐る《火庫》が言った。そこでひづりもハッとして、内心手を打った。
「そうですよ。天井花さん、最近働き詰めなうえに、今日の事でしたから、それで……」
「そんなはずはない。わしの《魔性》がこの程度で──」
天井花イナリは首を横に振って呟いたが途中で止め、顔を上げてひづりを見た。
「……いや、そうかもしれん。心配を掛けたか。すまぬな。……して、目的の確認まではし損ねたが、とにかくちよこの次の標的はあの男と見て間違いなさそうじゃ。《眼》が回復し次第、わしはまたちよこやあの男を《見る》としよう。しかしちよこめ、退院してまだ二週間と言うのに、全く元気な事じゃな」
そんな風に言いながら天井花イナリはまた座布団の山に体をもぞもぞと潜り込ませた。《上映会》はこれできっぱりおしまいらしく、そうして言われてしまうとひづりもそれ以上指摘したり食い下がったりするのは憚られるようだった。
「……あの、白狐様、ひづりさん。少し……よろしいでしょうか」
もうすっかり気持ちを切り替えた様子で天井花イナリが如何にも「凍原坂のやつはまだか、遅いな」という顔で壁掛け時計を見たところで、徐に《火庫》が鈴の様な声を転がした。
「なんじゃ」
「なんでしょう?」
天井花イナリとひづりが訊ねると、《火庫》はやけに緊張した様子で始めた。
「ちよこさんは……あれから、本当にもう、お体は良いのですか……? ひづりさんも、あの時のお怪我の具合は……?」
何を訊かれるだろうと思っていたひづりはその問いにちょっと呆気にとられて、つい隣の天井花イナリと眼など合わせてしまった。けれど『なんと私はあれから火庫ちゃんに心配してもらえていたのか』と思うと、ひづりはどうにも嬉しくて顔がにやけるのを抑えられなかった。
「ええ、大丈夫ですよ。私も姉さんも、すっかり」
明るく答えたひづりに、しかし《火庫》は俄にその顔色を暗くした。
「……わっちも、凍原坂さまも、一つ、皆様に黙っていたことがあります。あの、七月の岩国旅行での事なのです……」
浮かれていたひづりの頭は急速に冷えていって、喉からはまるで声が出なくなってしまった。
……まさか。
「先日、リコさんが言ったこと……凍原坂さまが急にやつれた、と……。あれは、本当なのです。あの岩国旅行の後からずっと、凍原坂さまは体調を悪くしていらっしゃるのです……」
やはりそれは夜不寝リコが月曜日に訴えた例の話だった。七月、岩国市へ旅行に訪れていたひづり達が《ベリアル》による襲撃で負傷し、追い詰められたあの一件。疑っていた訳ではないが、凍原坂はあれから本当に具合を悪くしていたらしい。
しかし理解すると同時に、どういうことだろう、とひづりは記憶を辿った。あの時たしか凍原坂は怪我を負ってはいなかったはずだった。念のためひづりたちと同じく彼も後で病院へ行ったそうだが、特に何も問題は無かったとひづりは教えられていた。
彼は嘘の報告をしていた、ということなのだろうか……?
「あれはとても楽しい旅行でした。凍原坂さまは、いつもわっちたちに気を遣って、わっちたちを楽しませようとしてくださるのですが……あの時は凍原坂さま自身、まるで子供の様にはしゃいでいらっしゃいました……。ひづりさん達の手前、喜んで見せなくてはと思っていたのかもしれませんが……そればかりではきっとなかった様にわっちは思います。凍原坂さまが、もう何年も何年も長らく見せてくださらなかった、無邪気なお顔が見られて……。それがわっちは嬉しくて……嬉しくて……」
語りながら当時の幸福を噛み締めるように《火庫》は微笑んだが、しかしすぐにまた表情を暗くした。
「それを……あの《陰陽の鳥》が、邪魔を……」
静かに、けれど烈しく、彼女の《角》の先で燃える緋色の炎はめらめらと大きく揺らいだ。
「あれからなのです……。凍原坂さまは、あの時お怪我などは無いと、お医者様にも診てもらったのに……どうしてかずっと毎日疲れた様子でいらして……。ときどき、急に苦しげに顔をしかめたりして……。この間なんて、取り落とした眼鏡を拾おうとして、うっかりご自分で踏んで壊してしまったり……。もうわっちは気が気ではなくて……」
《火庫》はうつむいた顔の前で両手を震わせ、追い詰められたように呟いた。……凍原坂のあの眼鏡。もしかして身なりを細やかに気にする必要があるお相手が見つかったのでは、とか、そして《火庫》が《和菓子屋たぬきつね》で働きたいと言い出したのは新たな春を迎えようという父に親離れをしてみせるためだったのでは、とか、これまでそんな、どうやら完全に的外れだった想像をしていたひづりは申し訳なくなってたまらず視線を逸らした。
《火庫》はそれから自身を落ち着けるように一つ震える息で深呼吸をすると、また静かな声で話し始めた。
「ですから、あの時、《ベリアル》に襲われた時の後遺症のようなものが、ちよこさんやひづりさんにもあって……そしてその対処療法か何かが、たとえばお話に聞きます《レメゲトン》なる書等にあるのでしたら……。どうかお願いします白狐様、ひづりさん。わっちに、凍原坂様の病を治す方法を教えてくださいませんか」
長机へ体を乗り出すようにして《火庫》はひづり達に懇願した。
ひづりは胸が裂けるようだった。全くその通りだ。凍原坂さんがあれから体を壊してしまったというなら、自分にも旅行へ誘った責任がある。実際、《レメゲトン》は現在ひづりの手元にあるし、力になれるなら是非とも解決のために尽力したい。
思えば、彼女が先週の土曜日に《和菓子屋たぬきつね》で働きたいと言い出したのも、きっとこうした理由からなのだろう。人手の足りない《和菓子屋たぬきつね》へ労働力として、また《天界》への抑止力として助太刀する代わりに、ひづりたちから凍原坂の病気を治す手段を聞き出したい……《火庫》の考えはきっとそうしたものだったのだ。ここ数日の色々な出来事にひづりは一度に納得がいったようだった。
しかしひづりは即座に返事が出来なかった。というのも、ひづりは姉より譲り受けた《レメゲトン》をすでに一通り読み終えていたが、その五冊の中に『悪魔との接触によって体調を崩してしまった人間のために施す魔術』などという項が果たしてあったかどうか、どうにも思い当たらなかったのだ。
加えて今の事情を聞いた上で、ひづりの頭には一つ新たな疑問が浮かんでいた。
「《火庫》さんに頼って頂けるのは嬉しいですし、もちろん私も力になりたいのですが……でも、《治癒魔術》でしたら、《フラウ》さんにお願いするのでは駄目だったのですか?」
そこなのだ。ひづりは以前天井花イナリから、『フラウロスもわしと同程度の治癒魔術が扱える』というような話を聞いていた。だからわざわざひづりたちに頼まなくても、一心同体の《悪魔》である《フラウ》に《治癒魔術》をお願いすれば、それで済む話なのではないだろうか。
すると《火庫》は表情を暗くして首を横に振った。
「それは真っ先に試したのです。ですが、上手くいったのか、いっていないのか、まるで効果は見られなくて……」
効果が無かった……? そこでひづりは自分が馬鹿な事を言ったと気づいてまた閉口した。
あの時、白蛇神社の境内では《シロヘビの神様》となっていた天井花イナリによる広範囲の《治癒魔術》が行われていた。おかげでひづりの怪我はその場で完治して、ちよこの容態もずいぶん安定したのだ。だったら、あの時点で凍原坂のその症状も良くなっていなくてはおかしい。
では、凍原坂の病は《治癒魔術》では解決しない問題ということなのだろうか……?
「凍原坂さまには、症状の事を白狐様やちよこさんには黙っている様に言われていましたが……ですがあれからまるで治る気配も無くて……。お怪我をされたひづりさんやちよこさんは快方に向かわれたのに……どうして凍原坂さまは……」
《火庫》は今にも泣き出しそうな顔になって、《角》の先の炎もまるで蝋燭の火ほどまで小さくなってしまっていた。
「ふふ、ふふふふふふ……」
その時だった。にわかにひづりの隣から這いずる様な低い笑い声が始まった。
え? と思ってひづりが見ると、天井花イナリは眼を細め、唇は三日月に歪めてニタリと笑っていた。向かいの《火庫》と紅葉も一体何事かと眼を丸くしていた。
天井花イナリは一旦ゆっくりと背筋を伸ばすと、山の空気でも吸うかのように気持ち良さそうな深呼吸をしてから、また妖しく微笑んだ。
「《火庫》……。ああ《火庫》よ……。よぅ打ち明けてくれたな。つまるところ、お主がここ数日陰鬱な顔をしてどうにも何か思い詰めたようにしておったのは、その凍原坂の体調不良とやらが原因で、そして己と《フラウロス》を店員として《和菓子屋たぬきつね》に常駐させるという提案を思いついたのもまた、わしらに恩を売る事で凍原坂の回復手段を聞き出そう、という腹づもりからだったわけじゃな」
不気味なくらい笑顔の天井花イナリに、《火庫》は殺されると思ったのか顔を真っ青にした。
「よい。わしを利用しようとした事はこの際水に流そう。何せお主の提案は、ここへ来て実にわしらにとって都合が良いと分かったからのう。……はじめに言うておく。凍原坂の体は治る。そしてその解決法に、わしとひづりは当てがある」
そこで一区切りとばかりに彼女は頬杖をついて口を閉じたが、しかしひづりはその解決法なるものにさっぱり心当たりが無かった。
「そうなのですかひづりさん……!?」
「え、いや……っ。そ、そうなんですか、天井花さん……!?」
にわかに向けられた《火庫》の熱烈な眼差しから逃れるようにひづりは天井花イナリを振り返った。
彼女は声を高めて、もったいぶる様にして語り始めた。
「当てがある、と言うたのじゃ。まず《フラウロス》の《治癒魔術》が何故凍原坂に効かんかったのか。理由は二つじゃ。七月の旅行の前、懲りもせずわしに突っ掛かって来た時、《フラウロス》は些か肘を怪我した。自身しばらくは血が出ておるのにも気づかんでおったが、飽きて凍原坂の膝に戻ったところで流血に気づき、舌を出して舐めようとしたのじゃが、すぐに届かんと分かったのじゃろう、《治癒魔術の魔方陣》を出したのじゃ。……あの《魔方陣》の雑さと言ったら無かった。凍原坂の《治癒魔術》の方がまだいくらかマシに思えたわ」
どうやらそれは当時ひづりが見ていなかったか、または出勤していなかった時の話らしい。
「ええと……つまり今の《フラウ》さんの《治癒魔術》では、凍原坂さんの傷を治すには少し力が足りない、ってことですか……?」
「それもある。しかし本質的には、もう一つの問題の方が重要じゃ。間違えておるのじゃ。用いる《治癒魔術》の種類をな。こやつは凍原坂の体のどこが悪いのか、何故悪いのか、どう悪いのか、全く分かっておらんのであろう。じゃから見当違いな《治癒魔術》をしてみせて、《火庫》を落胆させたのじゃ」
天井花イナリはまるで起きる気配の無い《フラウ》を横目に見下ろして淡々とその推察を述べた。
「じゃからひづり、お主に、凍原坂の体を治すための《治癒魔術》を教える」
「……え?」
突然ぴたりと白羽の矢が立ち、ひづりは咄嗟に間抜けな声を出してしまった。しかし天井花イナリはまるで構う様子も無く続けた。
「お主の《防衛魔方陣術式》もこの一ヶ月で随分安定した。そろそろ次の《魔術》を覚えさせても良いと思うておったのじゃ。各種《魔方陣》の描画練習は十分にこなしておるし、問題はなかろう。そして《火庫》。治す手段を知っているならすぐにでもやってくれ、という顔じゃな。分からんとは言わん。お主としては一刻も早く凍原坂の体の不調を治してやりたいじゃろうからな。しかしこれはお主にとっても聞いておくべき話じゃ。よいか。お主の頼みを聞いてわしが凍原坂を治してやるのは容易い。しかしそれではお主はわしにしか借りが出来ん。先に見たとおり、ちよこは何やら何人も人を繋いで悪さをしようとしておる。わしとひづりはそれを止める気でおるが、現状後手に回り続けておる。そして既にちよこの手駒に組み込まれておるであろうお主は今後もちよこの言うままされるがままじゃ。お主も聞いておろう。七月に初めて店へ来た際、あやつは凍原坂の財産を根こそぎ奪う算段を立てておった。分かりやすく言えば、今回は更に悪い状況なのじゃ。お主にとっても、凍原坂にとっても、ついでにリコにとってもな。お主は従業員じゃ。そしてちよこは経営者。その上お主は凍原坂が律儀にも望む万里子への恩返しとして、今後も常駐しこの店を護らねばならん。じゃがそうした中でわしとひづりに借りを作っておけば、お主がこの店の事で今後ちよこから無茶な要求をされても、『天井花イナリとひづりには恩があるから、そんな頼みは聞けない』と断る事が出来る。あやつは代案なぞいくらでも用意しておろうが、少なくともお主というこれまで使い放題だった手駒が急に動かしづらくなるのは確かじゃ。そしてお主がちよこにとって扱いづらい駒になるということは、ひいてはちよこから凍原坂の身を守ることにも繋がる。じゃからお主はわしとひづり、両方に借りを作っておくべき、という話なのじゃ。分かるか」
傍らで聞きながらひづりは、なるほどそういう事か、と話を受け止めた。天井花イナリの話は、奇しくも今日の紅葉の話と同じ種類のものなのだ。
凍原坂は官舎万里子への恩返しだと言って、今回《火庫》と《フラウ》を《和菓子屋たぬきつね》に預けてくれた。《火庫》は愛する凍原坂の願いであれば、と承知するに際して、ついでに店で不足していた労働力として名乗り出る事で店に恩を売り、時機を見てひづり達から凍原坂の病を治す手段を聞きだそうと考えていた。
こうした状況でちよこよりも先にその《火庫》の要求を聞く事が出来たのは、ひづり達にとってとても大きなチャンスだった。
天井花イナリから《治癒魔術》を学んだひづりが凍原坂の病を治す事に成功すれば、《火庫》はもう《和菓子屋たぬきつね》の従業員である必要が無くなる。それはつまり、経営者吉備ちよこの支配下から少なくとも《火庫》と《フラウ》は解放されるという事だった。
「お主と《フラウロス》を《天界》に対する戦力としてこの店に駐在させるにしても、その後は以前のようにただ客として店に居れば良い。何なら《フラウロス》と一緒にここで寝ておるのも良かろう。それに対してちよこが口を出すなら、近所の店で働くという手もある。お主ほど気が利けば、向かいの本屋だの煎餅屋だの、すぐに雇うてもらえようからのう」
人徳とはきっとこういう事を言うのではないか、とひづりは考えていた。同じフロアを受け持つ従業員として苦楽を共にする天井花イナリとひづり。対してこの忙しい時に店を留守にする店主。《火庫》ちゃんが姉さんではなく私たちにこの相談をしてくれた事は、きっと気まぐれなどではない。
「……つまり、白狐様とひづりさんは、ちよこさんと今、敵対している……ということなのですか。それで、凍原坂さまのためを想うならば、わっちと《フラウ》も、白狐様とひづりさんの側につくべき……という、そういうことでしょうか……?」
《和菓子屋たぬきつね》内の現在と今後の力関係等について徐々に話が呑み込めて来たらしく、《火庫》は天井花イナリに訊ねた。
「悪い話ではなかろう。それと《火庫》、今日わしらに打ち明けた事を、決してちよこに話してはならんぞ。知られればあやつはおそらく、自分ならすぐに治してやれる、とかなんとか適当を言うはずじゃ。しかしあやつこそ、今凍原坂が必要としておる種類の《治癒》を、八月中に誰より欲しかったはずなのじゃ。騙されるな。あやつは《認識阻害魔術》が人より多少得手なだけで、《治癒魔術》に関しては決して堪能ではない。それに《火庫》、お主がこの店で働く理由が凍原坂の治癒であるとちよこが知れば、あやつはお主を今後も店に拘束するために、凍原坂に死なぬ程度の毒を盛る可能性がある。あやつはひづりにだけは妙に甘いが、それ以外の人間には情の欠片も抱きはせん。あの女を人間と思うておったら、一族纏めて骨の髄まで啜られるぞ」
休みも給与もなく稲荷寿司だけで働かされていた被害者の言葉は重く、《火庫》はまた別の意味で顔を青ざめさせた。
「……《火庫》さん」
少々急展開だったが、ここ数日の事を思えばひづりはもう慣れてしまったようだった。こちらを向いた《火庫》の顔をひづりは真っ直ぐに見据えた。
「私、凍原坂さんを治します。そして《火庫》さんも凍原坂さんも、みんな絶対に姉さんから護ってみせます」
そんな言葉がどれだけ説得力を持つかは分からなかったが、ひづりは少しでも《火庫》の気持ちがこちら側を向いてくれれば、と切実だった。
「わっちは……」
《火庫》はまたうつむいて視線を泳がせた。ちよこを敵に回すのを恐れてか、まだ何か悩んでいる風だった。しかしやがてぎゅっと目を瞑ると、にわかにはっきりと顔を上げ、ひづりと天井花イナリの眼を交互に見て、言った。
「……お願いしても、よろしいでしょうか、ひづりさん。凍原坂さまの事を……」
ひづりは胸の奥で何かがぎゅうと締め付けられてそれがそのまま暖かい熱を持つのを感じた。
「はい! 頑張ります!」
改めて決意するようにひづりはまたその想いを強く言葉にした。
《火庫》ちゃんの協力が得られた。これで姉の企てはもう順風満帆とはいかなくなるはずだ。必ず守ってみせる。凍原坂さんも、《火庫》ちゃんも、《フラウ》ちゃんも、ついでに夜不寝さんも。誰も絶対に姉さんの被害者になんてさせない。
姉が悪い事をしたら、それを叱るのがひづりの役目だった。成長して周りの様々な事が移り変わっても、それだけは幼い頃から変わらない。
だから。
「天井花さん、私やります。凍原坂さんを治せるその《治癒魔術》を、教えてください」
ひづりは天井花イナリに向き直って姿勢を正し、改めてお願いした。
座布団の山の中、彼女は実に嬉しそうな顔になって、それからそっと腕を伸ばすとひづりの頬に指を這わせた。
「近頃沈んだ顔ばかりであったが、やはりお主はそうした眼がよぅ似合うな。宝石の類であってもその様に輝く事はあるまい。《期待》をさせてくれるではないか、我が《契約者(ひづり)》よ」
そして彼女は畳部屋の四人の顔を順番に眺めるとまたニヤリと笑った。
「反撃といこう。ちよこの奴に、目に物を見せてやろうではないか」
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