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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
『懐かしい匂い』
しおりを挟むメイド喫茶を謳い大幅な改装こそすれ、しかしちよこは「メイド喫茶のメイドさんのような振る舞いをしろ」といった言付けの類を一切していなかったため、フロアの業務自体は至って普段通り和菓子屋店員のそれであり、一時間半もすれば滞っていた注文だとか順番待ちといった問題はある程度解消され、繁忙時間も過ぎた十八時には、どうにかいつもの落ち着きを《和菓子屋たぬきつね》は取り戻していた。
「おつかれひづりん!」
「ひぃちゃん、大変だったね」
学友と叔母が座る四人席へ行くと、真っ先にハナとアサカが嬉しそうに迎えてくれた。一時間ほど前に運ばれた二人分の和菓子の皿はとっくに空になっていたが、夏祭で一緒だった百合川と紅葉という話相手がいたからか、幸い二人ともそれほど退屈にしている様子も無く、席へ通すなりそれきりまるで相手が出来ていなかったひづりとしては少々救われるようだった。
「まだ上がりではないけどね。天井花さんが、ちょっと話して来たら、って言ってくれたんだ。悪いね、二人とも。百合川と紅葉さんも、今日は色々と」
ひづりが謝ると、ハナは急に良い声になって答えた。
「良いんだぜ。ひづりんが謝ることじゃないさ。事情もわかったし、ちよこさんなら仕方ない。それにおかげで一時間半、じっくりねっとりひづりんの働くふとももを見られたしな。美味しかったぜ」
最後にハナは右手の親指をグッと立てて見せた。なんでこいつはいつも出入り禁止になるギリギリのラインを攻めようとするんだろうか。
「私も、紅葉さんや百合川くんと和菓子屋たぬきつねでお話するの、楽しかったよ」
アサカは屈託の無い笑顔で言うと、徐に自身の膝の上をぽんぽんと叩いて見せた。……いや、座らないから。まだ勤務中だから。
「おつかれ官舎。今更だけど、本当に何も手伝わなくてよかったのか? すごい忙しそうだったけど……」
百合川は女三人の席で少々肩身が狭そうにしていた。店に着いてからの一時間半、自分の代わりにアサカたちの相手をしてもらったし、それでもって姉の口車に乗せられた件は許してやろう、とひづりは今日働きながら思っていた。
「いいよ。もう怒ってないし。それにそもそもお前従業員じゃないし、お客さんに何か言われても対応出来ないだろ」
ひづりが言うと百合川ははにかみながら、それでいて胸の痞えが取れたような顔をした。
「しっかし百合川よぉー。ラウラさんが居なくなった途端、学校サボってひづりんのお店で紅葉さんと内緒のアルバイトとは、ずいぶん見境が無いじゃないか。悪い事は言わないよひづりん、こいつ一回シメといた方がいいぜ」
百合川の安堵した顔が鼻にでもついたのか、ハナがにわかに百合川を指差してやや人聞きの悪いアドバイスをした。
百合川はちらとひづりの顔を見て、それから徐に胸を張って腕を組み得意げな顔をした。
「ははは、残念だったな奈三野。俺は先月、既に一回官舎にシメられたんだ。官舎も俺を殴って手と心が痛かったはずだ……。あと半年は、二回目の機会に巡り合う事は無いと思うね」
お前は何を威張ってるんだ。っていうか言うんじゃないよ、私が殴ったこと。そこは一応内緒の部分だろ。
「……先月何やったのか知らないけど、ひぃちゃんの手が痛いなら、私が代わりに百合川くんを殴るよ。いくらでも」
「えっ……」
アサカが静かに冷たい声で言うと、百合川はにわかに顔を青くした。
気味が良かったがしかしこういう時アサカはかなり本気だったりするので、ひづりはアサカの頬を両手で左右から軽く押さえ、百合川から視線を逸らさせた。
「ハナ、百合川、余計な煽りをするな。アサカも真に受けないの。あと紅葉さん、さっきから何こそこそしてるんですか。それ何隠してるんですか?」
フロアを駆け回る最中に気づいていた事をいよいよひづりが問い詰めると、紅葉は肩をぴくりと揺らして視線を泳がせた。
「……何も隠してないよ」
「嘘おっしゃい」
ひづりが紅葉の背中と椅子の間に手を突っ込むと、日本酒が一瓶、出て来た。
ため息を零しながらひづりは叔母の顔をじっと見た。
「……これ、和鼓さんのですか? 盗んだんですか」
「ぬ、盗んでないよー!? ちゃんと、改装が終わった後ちょっとだけ貰ってもいいですか? って和鼓さんに許可とったもんー!!」
「だからって和菓子屋の店内で飲む人がありますか。お客さんびっくりするでしょ。没収です」
「うああああ……紅葉お姉さん朝からお仕事がんばったのに……がんばったのに……あんまりだよお……」
高校生のテーブルに混じりながらまるで違和感の無い三十八歳に、しかし残念ながらそれはいつも通りの叔母の姿で、つい一時間ほど前に見せたかっこよさは一体なんだったのだろう、とひづりは呆れてしまうようだった。
「ところでひづりん。そろそろあたし、あそこのメイドさんとお話したいんだけど……いいかね?」
ひづりが紅葉から酒瓶を取り上げていると、ハナが急に、しかし頃合だろうというひそめた声で訊ねた。
ハナの言う「あそこのメイドさん」というのがほぼ確実に《火庫》や天井花イナリの事でないのはひづりも分かっていて、そのため気乗りはしなかったが、しかしいつまでも引き伸ばせる問題でもないので諦めて店の戸口の方を振り返った。
「ありがとうございましたぁ~! また来てくださいね、待ってまぁ~す!」
やりすぎじゃないかというくらい明るく高い声で客を見送るメイド服姿の夜不寝リコに、ひづりたち五人の視線が集まった。
「いやぁ驚いたね。メイド服とはね。ちよこさん全く良い趣味をしているぜ。ネコが頑なに俺に店には来るなって言ってたのはこういう訳か。来て良かったぜ」
百合川が早口に語った。ちなみに『ネコ』というのは、百合川たち友人間での夜不寝リコの愛称である。よネずりコ、という事らしい。しかしひづりは内心「本当は猫かぶりから来ているのでは……?」と今日の彼女の接客態度を見て改めてそんな風に疑っていた。
「……ぁー、夜不寝さん。その、ハナと百合川が呼んでるから、少し話してきなよ。レジは私が見てるから」
話しかけるのはどうも未だ慣れないが、しかしそれは夜不寝リコの方も同じらしく、ひづりに言われるなり顔から表情を消して、それから肩を竦めて百合川たちの居るテーブルの方を振り返った。百合川はなんとも嬉しそうに、そしてハナは姑みたいな顔でこちらを見ていた。なんだあの顔。
「落ち着きの無い娘であるな」
夜不寝リコを見送ってひづりがレジ周りの作業を始めると、徐に天井花イナリが給湯室から出て来てぽつりと言った。そのやけに退屈そうな声音と表情は月曜日に《火庫》を評した際とは対比のようだった。
天井花イナリの視線の先、百合川たちのテーブルにひづりも眼を向ける。四人席のテーブルの傍ら、夜不寝リコはやけに背筋をきっちりと伸ばして、硬い表情で何やら言葉を交わしていた。……いや、気持ちはわかる。勤務初日に、来るはずが無かったクラスメイトが来て、更には不仲のクラスメイトのヤンキーっぽい叔母までセットというのだから、借りてきた猫のようになったって何も不思議ではない。ひづりももし自分があの立場だったらと思うと肝が冷えるようだった。
「接客のアレはちょっとやりすぎにも思いますけど……でもお客さんには評判良いみたいですね。仕事の方も、正直不安でしたが、結構ちゃんとしてますし」
気持ちとしては今でも夜不寝リコの就労には反対であるが、極端に問題があるというのでないなら、ひづりとしては何も言うつもりはなかった。
天井花イナリはちらりとひづりの顔を見て、それからまた夜不寝リコらの方を眠そうに細めた眼で眺めて、ふうと溜め息を吐いた。
「……まぁ、お主や《火庫》と比べるのは贅沢なのであろう。よい。ちよこが二人になったと思うて諦めるとするわ」
彼女のその声のトーンはこれまでの付き合いからどうもかなり興味が無い物に対する時のそれに思え、ひづりはちょっとドキリとした。《火庫》と天井花イナリより、どちらかというと夜不寝リコと天井花イナリの関係の方こそ自分は気を揉むのかもしれない、とそんな事を思った。
「む。アサカじゃ。なんであろう?」
するとにわかに天井花イナリは顔色を良くして言った。ひづりも振り返ると、アサカがテーブルを離れ、こちらへ歩いて来るのが見えた。
「どうしたの?」
何かあっただろうか、とちらちら四人席の方を気にしつつひづりが訊ねると、アサカはそっと顔を近づけて来て気まずそうにしながら小さな声で言った。
「……ひぃちゃん、お手洗い、借りていい……?」
なんだ、トイレか。妙に張り詰めた顔でこっちに来るから何かと思ったじゃないか。
「どうぞごゆっくり。……あれ?」
「む?」
《和菓子屋たぬきつね》の厠は給湯室のすぐ横にあって、そちらへひづりが促したところ、ふとその通路の先に小さな紫色の光が揺れているのが見え、ひづりと天井花イナリは同時に一つ瞬きをした。
《フラウ》だった。どうやら昼寝に飽きたらしい、彼女は何か探すようにきょろきょろと店内を見渡していた。
「あ……もしかして、あの子が《火庫》さんのお姉さんの……?」
《魔術》に関わりの無いアサカには《フラウ》の紫色の肌だとか炎だとかは見えていないはずだったが、その背丈や顔立ちがそっくりだからだろう、すぐに《火庫》の姉妹──という事になっている──《フラウ》だと気づいたようだった。
すると《フラウ》の方もこちらに気づいて、その眼をにまりと細めると得意げな顔になってパーカーの裾を揺らしながらのしのしと歩いて来た。
「にゃはん。寝覚めに貴様の顔が見られるのは気分が良いな《ボティス》。実に良い。ふにゃっはにゃはふん」
そして笑ってるのか舌がもつれているのかよく分からない声を上げた。世の中にはこんなにも可愛い生き物がいるのだな、とひづりは一人噛み締めた。
「初めまして、味醂座アサカです。ひづりさんの幼馴染です」
アサカは店に来て間も無く《火庫》にしていたのと同じ挨拶をした。トイレ、大丈夫なんだろうか、とひづりはちょっと気にした。
「むふん? ひづりのな。なるほど良い体をしているではないか…………む? ……むう?」
いつもの調子で胸を張った《フラウ》は、しかしそれからにわかに何か気づいたという風に体を屈め、アサカに二歩三歩と近づき、そしてすんすんと匂いを嗅ぎ始めた。
「おい、何をやっておるのか。それは凍原坂ではないぞ。寝ぼけるなら奥の部屋でやれ」
天井花イナリが呆れた声を上げた。しかし《フラウ》はそのままで返事をした。
「分かっておるわ。とーげんざかはもっとすっぱい匂いがするからな。違うのだ、何か……むうん……? ……おい貴様、名前をなんと言ったか、もう一度名乗れ」
「み、味醂座……アサカです……」
一体何事だろう、とアサカは困惑した様子で眼を丸くして《フラウ》と、それから助けを求めるようにひづりとを交互に見た。
「すんすん……。みりんざ……あさか……。なんであったかな、懐かしい匂いがするな。前に会ったか? とーげんざかの知り合いか? ……いや、それよりもっと前であろうかな。……むう、思い出せんな」
眼を閉じ、前から後ろからアサカの匂いを嗅ぎながら、《フラウ》は何度も首を傾げた。
「《フラウ》。アサカさん困っているでしょう。やめなさい」
するといきなりひづりの横から《火庫》が出て来て《フラウ》をアサカから引き剥がした。いつの間にこんな近くに居たのか気づかず、ひづりは驚いてちょっと飛び上がった。
「んあっ、《火庫》。おお《火庫》! 貴様その装い、似合っているではないか!」
「……あなた、朝も見たでしょう。寝ぼけているのね。凍原坂さまがいらっしゃるまでまだ時間はあるのだから、もう少し寝ていたら良いのよ。白狐様、ひづりさん、アサカさん、大変失礼を致しました」
そう言って《火庫》はそのまま《フラウ》の手をぐいぐい引いて従業員室の暖簾をくぐって行った。
「……ああっそうだアサカ、良いよトイレ行って」
「あ、うん、ありがとう」
妙な空気を残して去った《フラウ》にひづりはしばらく呆気にとられていたが、はたと思い出してすぐアサカにトイレの扉を開けてあげた。
「……天井花さん?」
先ほどから眉根をひそめて黙りこくっている天井花イナリにひづりは声を掛けた。彼女は《火庫》と《フラウ》が去っていった先をじっと睨んでいた。
「ああ、なんじゃひづり」
「いえ……あの、大丈夫、ですか……?」
《フラウ》があんな風に人の体臭を気にするのを見たのは、少なくともひづりはこれが初めてだった。《彼女達》はどちらかというと普段聴覚で人を見分けているようにひづりは捉えていたため、珍しいな、と、それから今の天井花イナリの表情を見て少々気になったのだ。
しかし天井花イナリは短く鼻で笑った。
「何も無いわ。《火庫》の言う通り、《フラウロス》のやつめ、寝ぼけておったのであろう。どうせアサカからお主の匂いでもしたのを、他の誰かの匂いと思い込んだのであろう。幼馴染なのじゃ、そういうこともあろう。気にするでない。しかし確かにここ数日慌しく、わしも少々疲れが溜まったのやもしれん。じきに終わりではあるが、客も減ったし、ここらで少しばかり休憩をとらせてもらおうかの」
そう言って彼女は襷の紐を解いて首をこきんと鳴らした。
「そう……ですか。わかりました。表は私たちで見ておきます」
「うむ任せる」
天井花イナリはそのまま従業員室の方へすたすたと歩いて行った。
「…………」
ひづりはふと腕を顔の辺りまで上げてすんすんと匂いを嗅いでみた。特に何か思うような感じはしない。
『──どうせアサカからお主の匂いでも──』
天井花イナリは何気なく言ったが、ひづりはその一言がやけに頭に残っていた。
アサカから、私の匂いが……? ……もしそれが本当なら、気がつかないだけで、逆に私からもアサカの匂いがしているのだろうか。
そう考えたところでひづりはにわかに燃えるように顔が熱くなって思わずレジの奥に引っ込み両手で顔を扇いだ。どきんどきんと心臓が鳴って治まらず、この後トイレから出てきたアサカに自分は一体どんな顔をすれば良いのかまるで分からなくなってしまった。
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