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《第2期》 ‐その願いは、琴座の埠頭に贈られた一通の手紙。‐

14話 『彼の願望』

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 14話『彼の願望』



 百合川臨は《百合》が好きだ。一応補足をしておくとここで言う《百合》は植物の百合の花のことではないし、またクラスメイトに百合という名前の女子が居るという話でもない。
 女性同士の恋愛、あるいはそこに至らないまでも恋愛感情から零れ出た心の揺らぎが織り成す儚くも尊い人間模様の一瞬であり永遠。そしてそれは歳若い少女だけに限ったものでなはく、妙齢、中年、老齢と関係なく世界中で唯一無二の一輪を咲かせ続ける無形文化遺産。これを《百合》と呼ぶ。
 当然、男性である百合川がそこに介在する意味は無い。むしろ自分は《百合》に於いて不要な存在であり、故に《彼女達》からは常に十歩以上離れたところで眺めるくらいが正しい立ち居地だと百合川は捉えていた。
 そう、得てして百合川の持論に於いて《百合》とは《結婚式》そのものであった。
 二人の女性が触れ合う様を、我々《百合好き》は決して主張する事無く遠くより祝福することで心に温かみを得る。それが《百合好き》の正しいありようだと信じて、百合川臨はこの十七年を生きて来た。そしてそれは今後も決して揺らぐことはない。
 ちなみに、十代の少年相応にヘテロセクシュアルを基盤とした恋愛感情を百合川も持っている。女性に恋をしたことも当然ある。しかし意中の女性が知人の女性に恋をしていると知れば、そこに上質な《百合》の気配を感じたならば、百合川は迷わず彼女達の関係を支える役回りに徹し、自分の恋愛感情には是非も無く蓋をする事が出来た。
 学生である百合川にとって最も多い《百合》の供給源は往々にしてクラスメイトの女生徒たちであったが、創作の《百合》もまた愛好していた。歳の近い女の子や街中で見かける女性同士の《百合》も当然素晴らしいものだが、漫画や小説のそれらが現実に劣るという事は無く、むしろ好きなタイミングで《百合》を補給出来る分、書物媒体は百合川にとって非常にありがたいものだった。
 ただ当然、そういった趣味嗜好を周囲に知られるという事は自分という人間の社会的立場を危うくする事を百合川は承知していたので、教室で女子達がイチャついていても平常心を保ち、彼女達のやり取りを変に見つめたりしないよう日々努めていたし、《百合》ジャンルの書籍を購入する際も知人と出会う危険性のある本屋は避け、いつもネット通販で済ませていた。恐らく百合川臨の《百合趣味》を知る人間は両親くらいのものだった。
 百合川にとって《百合》は心の支えであった。どんなに悲しい事があっても《百合》さえ摂取出来れば明日を生きる事が出来た。《百合》は心と体の養分であり、その心臓は《百合》で動いていた。
 まさに《百合》さえあれば他に何も要らない、それが百合川臨という男であった。
 しかしこの夏だ。そんな百合川の人生が一つの大きな転機を迎えた。
 百合川は《百合》にその魂を捧げていたが、それ以外は至って一般的な十代男子であり、よって特に珍しくもなく、伝記ものや大河ドラマの原作といった史実を元にした小説なども愛読していた。
 だからかつてイェルサレムを巡って行われた聖戦についての歴史小説も読んだし、ひいては古代イスラエルに於ける伝説の王とその悪魔、《ソロモン王の七二柱の悪魔》について初めて触れた十四歳当時、いわゆる厨二病をわずかながらも患っていた身にあってそれらを丸暗記するくらいの事は特別おかしな事でもなかった。
 だからだろう。今年、高校二年生の夏。その《七二柱の悪魔》の一柱が、ある日突然目の前に現れた時、百合川の心の半分は恐怖に、そしてもう半分は興奮に持っていかれてしまっていた。
『ほ、本物!? 本物の《グラシャ・ラボラス》!? すっげぇ美人!! か、かっけぇええ!!』
 ……初対面の際に思わず口から滑らせたその感想はあまりに子供じみており、思い出すたびに顔が熱くなるようだった。また相手も悪く、美人だのかっこいいだのと言われた事を喜びつつも、以降はよくそれをダシにして百合川を弄った。
 百合川が知る限り、家族や親類に《魔術》を扱える人間など当然居なかった。たしかに一時期は「あればいいな」と思い、《ソロモン王の七二柱の悪魔》や《魔術》について図書館で熱心に調べたりもした。だが現実にそれらが存在するとはさすがに信じていなかった。そもそも《魔術》とか《悪魔》なんてものが実在するなどと本気で信じている日本人の方が異常なのである。
 しかし、実際にその存在感と圧倒的な迫力を伴って現れた、まさしく本物であるとしか受け止め様がない禍々しい雰囲気を纏う《黒翼の悪魔》を前に、百合川はそれが現実であることを認めるほかなかった。
 その《悪魔》は百合川に語った。

『――正式なものではない、異端なる出逢いではありますが……この際どちらでも構いません。あなたの望みを言ってください、百合川臨。あなたの魂を頂く代わり、あなたの抱くあらゆる極上の《願望》をこの私が叶えてあげます――』

 曰く、非常に高い知能を持つとされている《グラシャ・ラボラス》は、その理知的な眼差しで以って百合川を誘惑した。
 彼女から教えられた《悪魔との契約》については、図書館に並んでいる本で得たものと大差はないようだった。《悪魔》はやはり、魂を差し出せば人間のどんな願いでも叶えてくれる。しかもそれが名立たる《ソロモン王の七二柱の悪魔》ともなれば、実現不可能な願いなどそうは無いだろう。
 《魔術》などまるで知らないただの一般人である自分の許に何故こんな著名な《悪魔》が現れたのか、とても理解には及ばなかったが、けれど『あらゆる願望を叶える』というその一言は、そんな疑問も、人間としての倫理感も、全て百合川の頭の中から追い出してしまった。
 もしどんな願いでも叶うとしたら百合川臨は何を願うのか? そんなものただ一つしかありえなかった。
 百合川は、数多くの女性同士の関係というものを見て来た。それらはいずれも何にも代えがたい輝きを持っていて、一度として物足りないなどと感じたことはない。
 けれど、想像しなかった訳ではないのだ。想いを馳せなかったと言えば嘘になる。
 この世で最も尊く、美しく、そして何より愛に満たされた《百合》、というものの存在を。
 それが果たして本当にあるのかどうか分からない。自身が今も享受している、周囲で生まれ続ける《百合》に不満がある訳でもない。時折、本当に時折思い出す程度に空想するだけのことなのだ。
 だが、《悪魔》は百合川の前に現れた。そしてその未だ見ぬ《最上級の百合》をこの《悪魔》が見せてくれるかもしれない、というのであれば。
 そのために百合川臨、この心臓、この命、この魂、どうして惜しいなどと思えるだろう。
 何より百合川には予感があった。《グラシャ・ラボラス》より《契約》を持ちかけられた際、百合川の思考には同じ高校に通う一人の女子生徒の顔が浮かび上がっていた。
 そう、彼女だ。官舎ひづりという少し変わった名前の少女。目立って華やかなタイプではなかったが、しかし入学当初、彼女が教室で親しげに女生徒と話す姿を見て百合川は気づいたのだ。
 彼女には類稀なる《百合ハーレム》の素質がある、と。
 出会いから数日後に行われた一学期の委員会決め、官舎ひづりが図書委員に立候補したのを見て百合川もすかさず手を上げた。すでにクラス内で立ち位置が徐々に確立していっていた中でのそのキャラに似合わない委員会への立候補に教室は少々笑い声に包まれたが、かといって否定する者も居なかったため、百合川は無事官舎ひづりと言葉を交わす絶好の機会を手に入れることに成功した。
 そうして委員会活動をする傍ら彼女の言動を観察し続けた結果、百合川は自身の目算が間違いではなかった事を知った。
 最初は、校則を絵に描いた様な出で立ちをした眼鏡の黒髪少女……後に官舎ひづりの幼馴染だと判明した、味醂座アサカだった。
 官舎は決して人付き合いを拒むタイプではなかったが、それでもその堂々とした物言いやかなり強めの眼力は彼女にどこか普通の女子高生とは違う、言うなればアウトローな雰囲気を纏わせていた。そんな官舎ひづりのそばに大抵いつも背筋を伸ばした格好で佇む優等生然とした美少女、味醂座アサカ。その組み合わせは非常に絵になっており、そして中でも特に何が憎いとするなら、傍目にも分かるほど味醂座アサカは官舎ひづりの事が大好きである、という事だった。それに対し官舎ひづりも、見ているこっちが赤面してしまいそうになるくらい、味醂座を大事に扱うのだ。その態度の端々には容姿端麗な味醂座に対する憧れの様なものが窺え、そこがまた百合川の琴線を掻き鳴らしてくれた。
 加えて翌月、梅雨入りの頃だ。1年B組には入学直後から常にとげとげしい雰囲気を放って孤立していた奈三野ハナという女子生徒が居た。彼女は味醂座アサカとは正反対で、ピアスはするわ制服は着崩すわ髪は染めるわ、という分かりやすいくらいの不良女子高生だった。お調子者キャラで通していた百合川でさえちょっとビビって話しかけられない程だったのだが、しかし誰も知らない間に二人の間で何かがあったらしく、奈三野ハナが官舎ひづりに話しかける、という光景が、以来教室でたびたび見られるようになった。しかも最初は奈三野に敵対心を剥き出しにしていた味醂座さえ、気づけば彼女と普通に話をして、今ではすっかり三人が一緒に昼食を摂る姿が当たり前になっていた。
 奈三野もまた味醂座と同じく官舎にベタ惚れの様子だったが、しかしこちらはかなりいかがわしい手つきで触るものだから、官舎によく容赦の無い反撃をされていた。ただ、官舎や味醂座に心を開くようになった奈三野だったが依然として不良っぽい雰囲気は変わっておらず、彼女は官舎とはまた違った怖さを持つ女子生徒のままだった。しかしその『不良少女はクラスの女子生徒二人にだけ心を許している』という状況もまた、百合川を静かに滾らせるロマンの形なのであった。
 授業参観の際には官舎のお姉さんが教室に現れた。すらりとした体型に、おおらかな笑みを湛えた糸目が色っぽい、落ち着いた大人な雰囲気の女性。その顔の作りなどから確かに姉妹だと分かるが、立ち居振る舞いなどは……別に官舎ひづりがガサツという訳では決してないが、その端々から真逆の育ちとも言うべきものが感じられた。そしてその姉もまた官舎ひづりを溺愛しているようで、百合川は人知れずガッツポーズを決めた。
 その頃にはもう、百合川の胸のうちには疑いようも無い信頼が深く根を張っていた。やはり自分の高校生活に良質な《百合》を魅せ続けてくれるのは、この官舎ひづりというクラスメイトなのだ、と。
 故に、もしこの世に《究極の百合》という概念が存在するなら、百合川臨の目の前で成立させ得る者が居るとするなら、それは彼女を措いて他には居ない。
 出会いから一年と半年。積み上げられた信頼と確信が百合川の口を動かしていた。紡がれた言葉は一筋の揺らぎも躊躇いも無く、紫色の《魔方陣》で埋め尽くされた百合川の自室で真っ直ぐに響き、轟いた。

『――《グラシャ・ラボラス》様!! この俺に、この世で最も美しく尊い、最上級の《百合》を見せてください!! 俺は、その可能性を秘めた女の子を知っています!!――』

 ……かつて、こんな願いを《悪魔》に請うた者が居ただろうか。一ヶ月前、当時の百合川はおよそ冷静ではなかった。
 けれど後悔は無かった。まだ十七歳、親しい友達が居て、恋人は居なかったが仲の良い女子生徒はそれなりに居て、家族仲はあまり良いとは言えないながらもまぁ目を当てられないほどではなく、勉強もどうにか置いていかれず頑張っていて、バイトではそこそこ評価もされていて、続きがとても楽しみな百合漫画があった。だから、死に対する恐怖が無いといえば嘘になってしまうが、それでも、暗い話しかないこの現代の日本で自分の人生の使い道を自分で決められた事だけは、そう悪い話ではないと百合川は捉えていた。
 人生とは、何かを求め、そして誰かと出逢うためにあるものだ。
 数多くの書物に描かれ、今なお語り継がれている世界各国の偉人達。夢を追う彼ら彼女らの傍らにはいつも、その人生を劇的なものへと進ませる要因となった運命の強敵が、破滅の恋人が、最高の相棒が居た。
 そしてそれは偉人だけに限ったことでなく、自分達の様なただの一般人も例外ではないはずなのだ。歴史に名が遺る遺らないに関わらず、それぞれが求める何かのために出逢うべくして出逢う天運の誰かが、誰にでも必ず居る。
 百合川臨にとってのそれはきっと官舎ひづりだった。彼女との出会いが、この自分の人生を意味有るものにした。
 故に悔いは無い。その結末が、たとえ遠くない未来に訪れる己の死であったとしても。
 それでも。
 百合川臨は、《百合》に満たされたその人生を願っていたかった――。


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