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《第2期》 ‐その願いは、琴座の埠頭に贈られた一通の手紙。‐
『最後』
しおりを挟む「まずは北側へ行きましょう。ひづり、猫科の動物、好きでしょう?」
入場門を抜けて少し歩くと道は大まかに北、西、南に分岐する。ラウラの言う通り北側にはライオンやチーターの居るエリアが在る。
「好きだけど……良いの?」
「ええ。ひづり、小学生の頃に遠足で来た時はあまりゆっくり見られなかったでしょう? 今日はゆっくり見て回りましょう」
彼女はくるりと背を向けて歩きながらひづりに微笑んで見せた。
「……敵わないな。……うん、じゃあお言葉に甘えようかな」
子供の頃も何もかもお見通しなのだ。ひづりは少し調子の狂う思いだったが、しかし同時に安心感のようなものも覚えていた。
ラウラは《グラシャ・ラボラス》であることを打ち明けながら、今日をやはりラウラ・グラーシャとして過ごそうとしている。
この一月弱の期間で築いて来た官舎ひづりとラウラ・グラーシャの距離感というものをそのままにして欲しいと思っている。それが今のではっきりと分かった。
ただ、彼女は今日きっと何かをするつもりでいる。それも確かだ。彼女は今まで一度もひづりを二人きりの外出には誘わなかった。おそらくだが、互いに知覚している《悪魔》、天井花イナリの警戒レベルが上がり、今日という日が早まってしまうことを避けたかったのだろう。
彼女はこれまで、一昨日まで、可能な限りその活動を控えめにしていた。そうしないと天井花イナリが出て来てしまい、《グラシャ・ラボラス》であることが官舎ひづりに知られてしまうから。けれど逆に派手なことさえしなければ、天井花イナリは知己である故に静観を決め込むものと確信していた。実際天井花イナリはそう行動した。
だから、ひづりは今日を受け入れた。彼女を信じることにした。
多摩動物公園は広く、また山中にあるため勾配も強い。ラウラと交わした通りゆっくりと歩いていると一番近い檻でも着くまでにずいぶんと掛かった。ただその分、二人は到着した猫科エリアをのんびりと眺めた。
けれど道中も、目的地に着いても、あまり会話は無かった。
「……ラウラは、出来るだけ長く私達と一緒に居たいって、そう思ってくれてたんでしょ……?」
チーターの檻の前でひづりはラウラに訊ねてみた。
彼女はひづりの顔を振り返ると、それから困ったように笑った。
「分かりますか。ひづりは鋭いですね。……ええ、ずいぶんと気をつけていましたよ。《ボティス》をあまり刺激出来ませんし、幸辰に顔が割れれば、すぐにバレてしまいますから」
「……そっか。じゃあ、夏祭の時点でもうこうなることは分かっていたんだね」
紅葉が保護者として現れ、写真を撮る未来を彼女は知っていた。今回はひづり経由で先に発覚したが、兄のことが大好きな紅葉は当然あの後幸辰にも写真を送って来ていた。
どれだけラウラが時間を引き伸ばそうとしても、楓屋紅葉が早めの誕生日プレゼントとしてひづりとその友人たちのために浴衣を仕立てるという未来がある以上、夏祭の日がどうしても決定的な基準の一日になる。
「ええ。でもひづり、さっきの言葉は少しだけ間違いですね。ただ長い間一緒に居たかった訳ではありません。たくさんの事を見極める時間が欲しかった……それが正しいです。……でも、ええ、そうする内にやっぱり、惜しい気持ちにはなりました。……ずっと一緒に居たい。そんな気持ちがあったのは確かですし、今もそうですよ」
ひづりは思わず眼の奥が熱くなって視線を逸らしうつむいた。
「……今日で、やっぱり最後なんだね?」
可愛らしいチーターの子供達がじゃれあっている。
「ええ、今日が最後です。ラウラ・グラーシャは今日で、さようならですよ」
眼の前に迫った九月に、東京は徐々に涼しくなっていた。檻の周囲の木々をさらさらと鳴らしてひづりたちの肌を撫でて行った風も心地良い爽涼さを持っていた。
さようなら。その言葉を受け止めることになるであろう予感はあった。ほぼ確信でもあった。けれど。
「……寂しいよ」
ぽつり、と口を衝いて言葉が漏れた。
ひづりの頭の中でこの一ヶ月の出来事が思い出されていた。転校初日にとんでもない美人が来たと思って驚いたのも束の間、抱きつかれたこと。話し合ってラウラと上手くやっていこうとしたこと。図書室で彼女の英邁さに憧れたこと。夏祭で浴衣を着て、一緒に星座の話をしたこと。
彼女が《グラシャ・ラボラス》であることや、母とどんな《契約》をしたのか、とか、百合川とどんな《契約》をしたのか、とか、そういったことを抜きにして、ただ、寂しい。ラウラとお別れすることが寂しい。
ひづりはうつむいたまま手すりを握り締めて泣いた。ラウラは黙って、何も言ってはくれなかった。
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