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《第2期》 ‐その願いは、琴座の埠頭に贈られた一通の手紙。‐
『ベガ』
しおりを挟む「ようやく見つけたぞ官舎ぁ……」
アサカと『一回だけやろう』と金魚すくいをしていたところ、背後からおもむろに怨念たっぷりの声が降って来た。
「うおっ!? ゆ、百合川……? な、なんで来たのさ?」
ひづりは驚いてポイに穴を開けてしまうと、そのまま振り返って訊ねた。
「何でもクソもあるか! ラウラと二人きりにしやがって! 元気いっぱいラウラちゃんのお世話するのは俺とお前と味醂座と奈三野、そう話し合って決まっただろ!? 何で今日俺ばっかなの!? おふざけじゃないぞ!?」
ビシッ、とその人差し指をひづりに突きつけて百合川は怒鳴りつけた。気迫に押されてひづりは少々身を引いたままゆっくりと立ち上がった。
……あれ? 本当に余計なことした? 百合川めっちゃ怒ってるっぽい……。もしかして私たち、盛大な勘違いしてた……?
「え、あ、わ、悪い。じゃあちょっと、ラウラ、今から私が預かる……よ?」
「ああ是非ともそうしてくれ。ラウラ、今日だけは官舎がくっついても良いってよ。はい、バトンタッチ!」
そう言って百合川は腕を解くとラウラをひづりに押し付けた。
ぐいと顔も体も近づけられたラウラはひづりと眼が合うなりニッコリと笑顔を浮かべて素早く腕を絡めて来た。……おお、のっけから力が強い。絶対に離さないという強い意思を感じる。転校当初の、背筋の凍る懐かしさがそこにあった。
「金魚なら俺と味醂座で取っておいてやる! 花火までまだ二十分くらいあるだろ! 交代交代! ラウラ、官舎とちょっと遊んで来い!!」
「わっかりましたー!! ひづり!! 今度はひづりが遊んでくれるんですね!! 私、あっちの出店の方に行ってみたいです!! 行きましょーう!!」
遊んでくれる、って言う表現、何だか怖いんですが、と思った矢先、ひづりはとんでもない力で引っ張られてラウラの思うまま気の向くまま、人ごみの中を駆けずりまわされ始めた。
……ああ、これはごめんなさいだ。本当ごめん百合川。これは本当にごめんなさいだわ……。
ぐいんぐいんと信じられないような力で振り回されながら、ひづりは人垣に隠れて見えなくなっていく百合川とアサカにどうにか小さく敬礼した。
やはり山だけあって永山公園グラウンドにもハイキングコースというものはあるらしく、屋台の途切れ目の部分からそちらへ自由に出入りする事が出来た。ただハイキングコースと言っても本格的に山の奥の方へ行くものと、公園グラウンドの外縁をぐるりと回るだけのものがあり、ラウラは気に入ったのか綿飴を再び、今度はひづりの分も合わせて買うと、その外縁ルートを時間まで少し散歩しようと言い出した。
公園グラウンドと外縁のハイキングコースとの間には当然葉をつけた木々が立ち並んで居たが、本来その半分は野球場として使われているだけあって広場からの照明はかなり明るく、ほぼもう夜天の時刻になっていてもその足元がまるで見えないということは無かった。加えてひづりたちの他にもその外縁を歩いている来場客は複数人居り、どうやら少し登ったところにも小さいが休憩所があり、そこから花火を見ようと考えている人たちが行き来しているようだった。
「ラウラ、あのさ……」
しばらく進んだところでひづりは意を決し、先ほどの百合川の剣幕を思い出しながら、先頭を歩くラウラに声を掛けた。彼女は少し歩調を緩めて振り返った。
「どうしましたか?」
「あー……その、私たち、余計なことしてた、かな。出来ればはっきり言ってくれると嬉しい。私、その、そっちのことにはどうにも疎くてさ……」
肩を竦めて視線を逸らしつつ、ひづりは歯切れ悪くお願いした。
ひづりは、ラウラが百合川の事を好きなのだと思っていた。今日だってずっと腕を組んでいたし、加えて本当なら隅田川の夏祭りに行くはずだった彼を、ラウラは無理やり誘拐して来た。アプローチしていると捉えてしまうのも仕方ないと言えば仕方ないが、しかし実際のところ百合川は……。
「余計なこと、ですか?」
器用に背を向けて歩きながらラウラは再び首を傾げた。その顔には『何の話をしているのか分からない』という色があり、ひづりはついやきもきした。
「だから、その、私たちはさ、ラウラと百合川は付き合ってるんじゃないか、好き合ってるんじゃないか、って思っててさ……。だから、ラウラと百合川を二人きりにしよう、って思ったんだけど……。どうもさっきの百合川の反応を見るに、なんか、あいつはその気じゃない、みたいな感じで……。……ラウラはどうなの? 百合川のこと……」
二人の関係はまだラウラの片想いで、それを勘違いした自分達がおせっかいにも無理やり二人きりにしたせいで百合川が先ほどのように不機嫌になってしまって、それで二人の間が良くない雰囲気になってしまったのだとしたら……。ひづりの胸には申し訳なさが広がっていた。
「百合川ですか? 私はもちろん好きですよ」
ラウラは何のことは無い調子で答えた。
「ひづりのことも、アサカのことも、ハナのことも。私は好きですよ」
そしてそのように続けた。
「いや、あぁ、それは嬉しい、うん、嬉しいんだけど。でも今聞いたのは、恋愛的な話であってね?」
ひづりが補足を入れると、ラウラは「うふふ」と笑った。
「ええ、恋愛の好きではないですね。……四人は、私が日本で暮らしていくために、たくさんのことを手伝うよ、って言ってくれました。それはとっても嬉しかったです。だから好きです。でも、現時点では四人の誰に対しても、私は恋愛感情を抱いてはいないですよ」
そうして彼女はまたくすくすと笑いながら正面を向き、軽い足取りで歩き続けた。
なんということだろう。ということは、百合川もラウラも、お互い別に恋愛意識は無かった、ってことなのだろうか。二人のスキンシップはあまりに多かったし、その上でそちらの方面に鋭いハナが言い出したものだから、てっきり自分も『そうなのか』と思い込んでしまっていたのだが……。
自分たちは、完全に余計なことをしていたわけだ。
「……ごめん、ラウラ。何かほんと、自分の鈍さが嫌になるや……」
ひづりは彼女の後ろを歩きながら肩を落とし、明るい公園グラウンドの方をぼんやりと眺めた。
「いいえ、いいですよ。百合川を引っ張りまわすのが楽しいのは本当ですし」
彼女は振り返ると、にまり、と笑顔を浮かべた。……今回余計なことしたのはこっちだけど、君もなかなかに悪い子だよね、と思いつつ、後で百合川にも話してちゃんと謝ろう、とひづりは今頃アサカと休んでいるであろう図書室の相棒を想った。
「あ、ここ、良いですね」
ラウラがにわかに道の曲がり角で立ち止まって空を見上げた。ひづりも横に立って顔を上げる。
「おお、ほんとだ。星が見える」
伐採されたばかりなのか二人が立ち止まった周囲の木々は少しばかり背が低く、それこそ公園グラウンドには及ばないながらも、その枝葉の隙間には少し低めの位置に煌めく三つの星が見えるだけの星空が切り取られていた。
それなりに天体の知識があるひづりには、時刻、季節、方角的に、すぐそれが夏の大三角だと分かった。
「鷲座のアルタイル。琴座のベガ。白鳥座のデネブ。夏の大三角と呼ばれているものですね。……知っていますか、ひづり? 琴座って、昔はハゲワシとして考えられていたんですよ」
ラウラはひづりをちらりと振り返ってそう語った。
「あ、それ知ってるかも。たしか琴座の一等星のベガは、どこの言葉か忘れたけど、ハゲワシを意味してるんだよね? タカと、ハゲワシと、白鳥。その三羽の鳥で、昔は夏の大三角形だった、って。何だったかなこれ。誰に聞いたんだっけかな?」
「……ひづりは、鳥が好きですか?」
ひづりが一人、自身の曖昧な記憶を辿っていると、ラウラはその整った顔を傾げて出し抜けに眼を覗き込むようにして訊ねて来た。急なことに気後れしたひづりは思わず少し体を引いた。
「え? あ、うん。猛禽類は、とてもかっこいいと思うよ。前に一度ハナとアサカに誘われて、フクロウやタカと触れ合えるカフェに行ったことがあってね。おさわりタイムがあって、ちょっと接し方に困ったけど……でもかっこよくて、可愛かった」
「そうですか! ひづりは、鳥、好きですかぁ~!」
フクロウカフェでの感想を述べると、ラウラはにわかに何やらまるで自分が褒められたかのような顔をしてひづりの腕や肩にその頭を体をこすりつけて来た。なんだなんだ一体。どうした急に。
そこで不意に、一瞬だったが、彼女の浴衣の首元に金色のネックレスの鎖が覗いたのを認めてひづりは思い出した。
琴座と言えば、ハープ……竪琴の事だ。ひづりは再びラウラの胸元を見た。チェーンが見えたという事は、今もその象牙色の浴衣の下にはあの金色の竪琴をデザインしたペンダントトップもぶら下がっているということだった。
昔、友人から貰った、と言っていたその竪琴の首飾り。何か、今の話と関係があるのだろうか?
竪琴。琴座は昔、ハゲワシとして考えられていた。鳥が好きだと語ると、急にデレデレと喜んだラウラ。
何か繋がりがありそうだったが、かといってそれだけの情報で分かりそうな事は何も無かった。
と、その時にわかにひづりのスマートフォンが振動した。
画面を見るとアサカからで、同時に時計を確認したひづりは「あ」と声を漏らした。
『ひぃちゃんどこ!? 花火始まるよ! もう皆集まってるよー!』
「悪いアサカ! すぐ向かうから!」
ひづりは通話を切って巾着袋につっこむとラウラの手を引いて少し早足に駆け出した。
「急ごうラウラ! 皆もう集まって待ってるって!!」
「オウ! いよいよ始まるんですね打ち上げ花火! ええ、ええ! 急ぎましょう! ヤーハー!」
先に走り出したはずのひづりを即座に追い抜くなり彼女は再び腕を掴み、引きずるように走り出した。……急ごう、って言わない方が良かったな、と気づくのがあまりに遅かったなぁ、とひづりは自身のうかつさを悔いた。
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