和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第2期》 ‐その願いは、琴座の埠頭に贈られた一通の手紙。‐

   『王さまの失態』

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「《願望契約者(がんぼうけいやくしゃ)》……。いや、聞いたことが無いのぅ……」
 病院の帰り道、ひづりはふと思い出した事を天井花イナリに訊ねてみたが、返答はそれだった。
「そうですか……。すみません、ちょっとあやふやな記憶なので、言葉そのものを憶え違えているかもしれません」
 三日前。岩国神社の境内で《契約》の関係にあったらしい藤山という例の緑の上着の中年女に対し、《ベリアル》は確かそう言っていた、とひづりは記憶していたのだが……聞き違い、記憶違いだったのだろう。《悪魔》である天井花イナリが知らないと言うなら、ひづりは素直に自身の聴覚と記憶力の非を認めた。
「……いや、そう決め付けるものでもないぞ。おかしな点は確かにある。そもそも、あの藤山とかいう女からは魔術の気配が感じられんかった。それこそひづり、あの時点でのお主と同じ程度にの。味覚を引っこ抜いてやった時にあやつの体を見たが、《防衛魔方陣術式》も《治癒魔術》も使えはせん、やはりただの人間であった。神社の下に押し込められていた者共のために救急車が来たためにあのまま放って来たが……しかしそれでも魔術のことを知らぬあの女に聞いても無駄であったじゃろう。どちらかと言えば、《ベリアル》に問い詰めておくべきじゃった。惜しいことをしたのぅ」
 《悪魔》を召喚するなら、まず《召喚魔術》の基礎、《防衛魔方陣術式》を持っていなくてはならない。藤山はそれすら持たず、しかし《ベリアル》の《契約者》となっていた。もし藤山に《ベリアル》を召喚出来るだけの供物が用意出来るだけの資産があったとして、身を守る《盾》がなくてはその場で殺されているはずなのだ。《契約》にまで決して取り付けないはずなのだ。
 だが実際に《ベリアル》は彼女を《契約者》と呼び、前線から遠ざけた。彼女が死に、その体の《契約印》が消滅すれば、この《人間界》から消滅してしまうのは《ベリアル》も同じだったからだ。二人が人間と《悪魔》の《契約関係》にあったのは間違いないはず、なのだが……。
「しかし凍原坂や千登勢のような例外もあるしのぅ。そういった例外……と考えるのが順当かのぅ。じゃが……」
 天井花イナリは言ったが、すぐに自ら否定する言葉を付け加えた。
「どうも嫌な感じじゃな。あの《ベリアル》は《ベリアル》そのものであった。《フラウ》のように精神状態まで退化させられておる訳でもなかった。わしのように《魔性》を《神性》に捻じ曲げられた訳でもないようじゃった。完全な《ベリアル》の姿じゃった。それが分からぬ。《契約者》に対し何の躊躇いもなく攻撃しておったというなら、あやつが藤山に懐いておるという可能性もなかろう。あまりに妙じゃ。勘に過ぎぬが……やはり気に食わぬ。……ああ、やはり口惜しい」
 正面を見据えて歩きながら悔しげに天井花イナリは眉間に皺を寄せた。
 この質問は、二人きりになった際に姉のちよこにもしていた。しかしやはり《召喚魔術》の世界に《願望契約者》などという用語は無いとのことだった。
「あ」
 その時になってふと思い出してひづりは声を漏らした。天井花イナリが微かに首を傾げて隣のひづりを見上げた。
 しかしすぐに「……いや、良い案だと思ったが、これはちょっと言うまでもないことだったか」とひづりは思いなおして、けれど天井花イナリの視線は既にこちらに話を聞く姿勢で向けられてしまっていたため、少々肩を竦めて訊ねることになった。
「……その、天井花さん、確か、《未来と現在と過去が見える力》って持ってましたよね? あれ……あれでは、何か分からないんでしょうか?」
 そうなのだ。彼女は《未来と現在と過去が見える》。それをひづりは思い出して思わず「あ」などと言ってしまったのだが、しかしそれは千年以上生きているという彼女の、彼女本人の《能力》なのだ。有用であれば、当然ひづりより先に気づいているに決まっている。およそ訊ねるまでもないことだった。それでも一応、やはり一応にと、ひづりは訊ねてみたのだった。
 するとおもむろに天井花イナリは眉間に皺を寄せて「あー……」と何やら考え込む顔をした。
 気を悪くさせてしまったろうか、とひづりは思ったが、しかしどうもその顔は、これまでの付き合いで見て来た感じ、「怒っている」というより、「何か話しづらい内容がある」時の顔だ、と判別出来た。
 実際そうだったらしい。天井花イナリは珍しく歯切れ悪く語り始めた。
「その《能力》は、確かに既に先ほど、お主に訊ねられた時に使うてみたのじゃが……んん……分かることは無かった、というのが答えられるところかのぅ……」
 その煮え切らない答え。それほどに何か不都合のある質問だっただろうか、とひづりは少し心配になった。
 けれど彼女は思いのほかすぐに次の言葉を並べた。
「……同じ《七二柱の悪魔》の中にの、グリフォンの《悪魔》で、似た力を持つ者が居るのじゃが」
 グリフォン。それはひづりも聞いたことがあった。ファンタジー映画などで、確か犬かライオンのような体に、ワシの頭と翼を持った空想の生き物として見た。しかしどうやら実在するらしい。話の途中ではあったが、ひづりはつい「ちょっと見てみたいな」と思ってしまった。
「そやつの《能力》はの、《未来と過去を知る力》なのじゃ」
「……天井花さんのと比較すると、《現在》、の要素が無いですね?」
「む。あぁ、いや、今重要なのはそこではないのじゃ。違う。よいか? わしのは《見る力》。一方、そやつのは《知る力》じゃ。……分かりにくいとは思うが、その違い、ちと考えてみよ」
 《見る力》と、《知る力》……? 見る……映像……。知識……情報……。ひづりの中で様々な単語が流れてくっついては離れる。
「……《映像だけ》と、《映像と、その他の情報も含む》、っていう違い、ですか……?」
 当てをつけたところでひづりが答えてみると、天井花イナリは片眉を上げて「ほう」に感心するように呟いた。
「驚いたのぅ。ほぼ正解じゃ」
 彼女は笑みを浮かべ、また嬉しそうにその声を少し高めた。ひづりはちょっと顔が熱くなってしまった。
「如何にも。わしの《未来と現在と過去が見える力》とはの、言うてみれば、わしのこの両の眼だけが、未来と現在と過去の景色を見に行ける、そういう《能力》なのじゃ。眼だけであるから、お主の言うた通り、それ以外は《感知出来ぬ》のじゃ。望まれれば、『今より十年後のどこそこに、このような建物が建つぞ』という《未来》を見て《契約者》に語ることは出来るが、しかしその建物の足元で向かい合って口を動かしておる人間共がそこで一体何を語っておるのか? それらは聞こえぬ。何せ眼しかそこに無いからの、音が聞こえぬ。匂いも分からぬ。嗅覚の情報を得られぬ。故に、先ほど《ベリアル》と藤山の過去を見てはみたが、あやつらの会話内容はやはりわしには知覚出来なんだ。筆談でもしておってくれれば良かったが、残念ながらそういったやり取りはしておらなんだようじゃ。ただ確かなのは、あやつらが何か話し合いをして、《ベリアル》は《召喚魔術》を使えぬはずの藤山を殺さず、そのまま行動を共にした、ということじゃ。な? さっぱり分からぬであろう? ……して、もう一方の《知る力》の方じゃが。便利という点では、こちらの方が圧倒的に便利なのじゃ。特に、今のわしらにとってはまさしくあちらの《能力》が欲しい」
「と言うと、やっぱり……?」
「うむ。お主の想像通り、《未来と過去を知る力》は、視覚だけでなく聴覚も嗅覚もあり、そして何よりそこに住まう人間や《悪魔》などの思考さえも、《未来》と《過去》から情報を得る事が出来るのじゃ。まぁ、その情報量が多い分、わしの《能力》よりもかなり脳への疲労と負担は大きいようじゃがの。またお主が最初に指摘したように、そやつの《知る力》は《現在》を対象に出来ぬ。おそらく、記録である過去、干渉されない未来と違い、《現在》進み続けている物や人のあらゆる情報を処理するのはあまりに脳への負担が大きすぎる故じゃろう。一長一短、というところかの」
 二つの《能力》の性能についての説明も非常に参考になったが、それとはまた別に、ひづりはその《未来と過去を知る力》を持つというグリフォンの《悪魔》のことを天井花イナリがやけに親しげに語る事にも、強く興味が湧いていた。彼女の今の語り口は、度合いで言うと《フラウロス》の事を話していた時のものとなかなかに近いようにひづりには思えたのだ。
 《ソロモン王の七二柱の悪魔》。《悪魔の王達》。交友関係というものがまるで想像もつかないが、しかし天井花イナリには、《ボティス》には、少なくとも今の様な顔で語れる知己が居るらしい、というのは、ひづりとしても何となく嬉しい情報だった。
 またひづりは猫が一番好きだが、猛禽類も結構好きだった。眺める分には、だが。なので一度、もし今後、《フラウ》のような形であれ機会があるのなら、天井花イナリの知己であるというそのグリフォンの《悪魔》にも会ってみたいと思った。
 ただ、話題の主旨が頭の中で今そのように少々脱線しかけたところで、ひづりはハッと我に返って持ち直した。
 《未来と現在と過去が見える力》。それなのだ。実はひづりはこの天井花イナリの、《ボティス》の《能力》についてずっと気になっていた事があったのだ。先ほどの説明も欲しかった情報の一つではあったが、実にもう一つ、もっと重要な知りたい情報があった。
 なので、ついでを装ってひづりは訊ねてみることにした。
「天井花さん。《悪魔》の《能力》について、もっと詳しく聞かせてもらっても良いでしょうか?」
 彼女は顔を上げると、しかし今度はにわかに上機嫌な顔になった。
「何じゃ何じゃ。触発されたかの? 早速、《契約者》として《悪魔》の力に興味が湧いてきたか? これより《レメゲトン》を読めるというのに、ひづりは気が逸るか? ふふふ、よいぞ。そのくらい貪欲な方が《契約者》としてかくあるべきというもの。何なりと訊くがよい」
 嬉しそうな、実に嬉しそうな顔だった。それはおよそ《ウカノミタマの使い》ではなく、《悪魔(ボティス)》としての笑顔だった。ちょっとドキリと背筋が冷えつつ、ひづりは可と受け取って、質問を始めた。
「では、改めてになりますが……天井花さんの《未来と現在と過去が見える力》……。《過去》は映像のみ見られる、というのは分かりましたが、反対に《未来》が見える、って、具体的にはどういった力なんですか? 予知、みたいなものなのでしょうか。見えた《未来》を、天井花さんは変える事が出来るんですか?」
 今まで気になりつつも機会を逃していたそれを、ひづりはついに問うてみた。
 すると不意に天井花イナリのその顔から笑みが消え、一度瞬きして視線を逸らし、それからまた真剣な眼差しになってひづりの眼を見つめた。
「……やはり《ベリアル》の件でのことが気になったか?」
 鋭い。ひづりはまさにそこに質問を繋げようと思っていたため、面食らって少々気後れした。が、勇気を出して続けた。
「は、はい……そうです。姉さんからは、『天井花さんは《未来》が見えるから、店にとって絶対に悪くなるような行動はしない』って言う風にだけは聞いていました。けどそれがどの程度《見えて》いるのか、とか、それから岩国での《ベリアル》……あの時のような事態になる《未来》が《見えなかった》理由……。そういった部分が、やっぱり気になってしまって……」
 少々歯切れが悪くなってしまったが、ひづりは聞きたかったことを言葉に出来た。
 天井花イナリは難しそうな顔をしていた。ただそこにはただ説明が難しい、とか、面倒、とか、それだけではなくまだもっと複雑な理由があるように見えた。
「…………昨日、『失態を犯し、恥を晒したはわしの方である』と言ったのを憶えておるか」
 呟くように、彼女は重い口ぶりでそう語り始めた。あの時気が滅入っていたひづりはぼんやりとしか憶えていなかったが、そのように彼女が配慮の言葉を掛けてくれたのは何となく憶えていた。
「はい。でもあれは……」
「あれはの、確かにお主をなだめようという意図の言葉でもあったが、……むう、やはりはっきりと口にするのは悔しい気持ちでたまらんものがあるのぅ……。……あれは、事実じゃ。あの時、《ベリアル》の奴に好き勝手をやらせてしまったのは、大いにわしの失態であった」
 ……彼女は今、謝罪をしているのだろうか……? ひづりは少々量りかねつつ、とにかく真摯に天井花イナリの言葉の続きを待った。
「《未来が見える》というのはの……そうさな、テレビ欄、というものがあるじゃろう。新聞や雑誌やインターネットで見られる、あれに似ておる、と言えば分かりやすいやもしれぬ」
「テレビ欄、ですか?」
 意外な単語に、しかしそれは実にイメージしやすい喩えで、ひづりはすぐに彼女が言わんとしていることの当てがついた。
「然様。あの一日の放映内容が記されておるテレビ欄よ。あれが、《天界》、《人間界》、《魔界》の三つ、この世界にはある。要するに、三つのテレビ局の三つのテレビ欄がある、と考えよ」
 かなり噛み砕いて説明してくれているのを察し、ひづりは感謝の気持ちで頭が下がる想いだった。自分は今、《悪魔》の王様に「テレビ欄」とか言わせている。
「して、その《天界》、《人間界》、《魔界》の三つのテレビ欄であるが、基本的に《人間界》のテレビ欄というのは変わらないものなのじゃ」
「《人間界》だけが、変わらない、ですか?」
「うむ。逆に言えば、わしら《悪魔》から見れば、その自力で変わらぬ《人間界》の方が不思議なのじゃがの。……人間であるお主の立場で分かるよう説明に努める。よく聞け」
「は、はい」
 こういう風に彼女が前置きする時は必ず難しい話だと学んで来たので、ひづりはより話に身を入れた。
「《天界》と《魔界》にあるそのテレビ欄はの、より《上位》の存在が活動することによってたやすく、それこそめまぐるしく書き換えられ、そうして放映される番組内容……つまり《天界》と《魔界》の《未来》は、そのように簡単に変更されるのじゃ。一方で《人間界》ではどんな偉い人間がどのような活動をしようとも、わしのように《未来が見える者》からすれば、そのテレビ欄の書き換えは何もなされてはおらん。つまり、《人間界》だけが、そこを支配する人間によって変化させられない《未来》を持っておる」
 一度締めくくるように、天井花イナリは言った。
「人間には《未来を変える力》は無いのじゃ。よく『未来を変えた』と主張する人間が居るようじゃが、わしからすればそれは初めからそうなるべくあった《未来》に他ならぬ。人間にとっては、ただ個人が予想の出来ぬ《未来》が待っておるだけなのじゃ。様々な人間同士の不規則で、一個人では把握出来ないその連鎖によって、その者にとって想像もつかない明日を迎えておる、ただそれが都合が良いか悪いか、それだけなのじゃ」
 そして改めるように彼女はひづりを見上げて話を戻した。
「しかし、その《人間界》に上位の《天使》か《悪魔》が現れて行動を起こした時、各々の《能力》を用いた時、わしの見ていた《人間界の未来》は、《天界》や《魔界》と同じく、《未来》の書き換え現象が引き起こされる。つまり、《天界》と《魔界》が干渉しなければ、わしらのような《未来が見える者》からすれば《人間界》の未来は不変である、が、しかし上位の《天使》と《悪魔》の干渉によってのみ、《人間界の未来》……そのテレビ欄も番組内容も変化する、ということじゃ。……分かるかの?」
 少々自信無さげに彼女は言ったが、ひづりは十分に過ぎる説明だと思った。
「……つまり、天井花さんはいつでも《人間界》の未来が見えていて……そしてもしそれが変わったら、《天使》あるいは《悪魔》が干渉した証拠、っていうことですか?」
 天井花イナリはひづりを見上げたままかすかに顎を上げて、感心した顔……なのだろうか、少し安心したような表情になった。
「一度聞いただけでその理解力なら十分じゃ、ひづり。概ね合っておる」
 彼女は前を向くと袖を組んで眼を伏せ、ふふふ、と嬉しそうに笑った。よかった、正解だったらしい。
「ただ、まぁ言うておらんから仕方ないが、今のは一つだけ間違っておる。わしがいつでも《人間界》の未来が見えておるかどうか、そこじゃ。そこだけが違う」
 彼女は再び顔を上げ、ひづりの眼を見て補足をした。
「今のわしは《能力》を三つ持っておる。《人の争いを調停する力》、《未来と現在と過去が見える力》、そして《ウカノミタマの使い》としての、《周りの人間を少し幸せにする力》じゃ。そしてのぅ、このうち最も燃費が悪く《魔力》を消費しやすいのが、先も少々触れたが、この《未来と現在と過去が見える力》なのじゃ」
 ……ああ、だからなのか。ひづりは納得した。
「だから、常に《未来予知》が出来る訳じゃなくて……だから、《ベリアル》に襲われたのも……」
 ひづりがそこまで言うと天井花イナリはまたにわかに眉間に皺を寄せて視線を逸らし、ばつの悪そうな顔をしたが、じきに説明を足した。
「……然様。今後、そうそう《ベリアル》のような輩が出張ってくることは無いとは思うが……。とにかく、わしの《未来と現在と過去が見える力》は確かに人間にとって《人間界》に於いてはそれなりに便利ではあるが、《天使》か《悪魔》がこの《人間界》でその《能力》を何か使うたびにその《未来》は変わる……つまり、わしが《天使》、あるいは《悪魔》と戦う事になった時、《未来と現在と過去が見える力》はまるで意味を成さぬのじゃ。《見えた》そばから、互いの《能力》の影響でその世界の《未来》はめまぐるしく変わってしまう。その上、この《力》の行使には大量の《魔力》の消費が生じると来た。《人間界》の動物で言えば、すぐに息切れがする、と言えば分かりやすいか? 故に戦闘ではまず使い物にならぬ。ただし、事前に虫の知らせ、というのか? お主がどこかで、また何らかの瞬間をして《嫌なもの》を感じ取ったなら、先日の《ベリアル》のこともある。今後はすぐにでも一度まずわしの《未来視》で見てみるべきであろうな。戦闘が始まってしまえば意味はなくなるが、しかし《戦闘になる未来》を見ることが出来たなら、戦闘そのものを避けること、あるいはこちらの優位に戦闘を仕切りなおす事が可能になろうしの。…………しかし」
 ただ、そこまで言ったところで天井花イナリは不意にまた視線を逸らし、肩をすくめるようにした。
「……ああ、いや。今の説明は、厳密には少々違う。語弊があったと言える……。すまぬ。言い直そう。……そしてこの際じゃ。正直に言おう……」
 天井花イナリは一つ深呼吸をすると、諦念した表情で告白した。
「《ソロモン王の七二柱の悪魔》には、わしの他にも《未来が見える悪魔》はいくつか居るのじゃが……皆揃って、大体、《人間界》に来る際、使わぬのじゃ、それを。《未来を見る力》を」
 そうして珍しく恥ずかしそうな顔で締めくくった。
「……楽しみなのじゃ」
 ぽつり、と言った彼女に、ひづりは呆気に取られてすぐに反応が返せなかった。
「……ええと、楽しみ、というのは? ええと……?」
 聞きにくい質問だとわかっていたためにひづりの歯切れも悪く、そして天井花イナリは落ち着かない様子で、よく見ると少しばかりその頬は赤らんでいた。
 天井花イナリは沈めた声で打ち明けた。
「《魔界》にはな、基本的に殺し合う以外の娯楽が無いのじゃ。…………《ソロモン》が悪いのじゃ!! 三千年前、《ソロモン》が『人間界にはこういう面白いものがあって、こういう楽しいものがあって』と、わしら《悪魔》を誘惑しおったから! それゆえにわしらは《未来が見える》のにも関わらず、万里子のような召喚術者が召喚時に罠を仕掛けておるかもしれん危険に対してすら、その罠を一種の《娯楽》として考え、そういった《未来》を見ずに召喚されるのを、何とも情け無い事に《楽しい》と感じてしまっておるのじゃ!! あやつが悪い! 《ソロモン》が悪い!!」
 本当に珍しく、彼女は顔を赤らめて激昂した。それが露骨に、彼女自身自覚している八つ当たりであることが分かってしまって、ひづりは思わず頬がにやけてしまうのを抑えるのに必死だった。ひづりは岩国で彼女が『あやつは面白い奴じゃったからのう』と語っていたのを憶えていた。天井花さんは……《ボティス王》は、やっぱり《ソロモン王》と仲が良かったんですね。それが分かってひづりは余計にまた微笑ましくなってしまった。
「そ……それで、納得しました。それで、て、天井花さんは、ふふ、《ウカノミタマの使い》にされてしまう《未来》を見ないまま、母に召喚されて、け、《契約》してしまったん、ですね……」
 ひづりはもう可笑しくて顔にも口にも笑みを隠せなくなってしまっていた。ずっと分からずにいた二年前の天井花イナリ召喚の真相が、こんな可愛らしい理由だったとは思いもしなかったから。
 けれど天井花イナリはニコニコしてしまうひづりに怒るでもなく、相変わらずバツが悪そうに「《ソロモン》が悪い……あやつが悪い……」とまだ顔を少々赤らめたまま悪態をついていた。
「……ということは、その燃費の悪さと合わせて、つまり天井花さんも、きっと他の《未来が見える力》を持つ《悪魔》の方々も、普段はほぼその《未来視》をしていない、ってことなんですね?」
 これ以上その《悪魔》の娯楽意識についての追求は彼女への辱めに感じたので、ひづりは話を戻して確認した。
「うむ……。じゃが、あの日、怠けたつもりはなかったのじゃ。嘘ではない。油断もしておった訳ではない。あの岩国の神社の事はわしも気に掛けておったからの」
 にわかに彼女は真面目な顔に戻って語り始めた。
「《蛇の神社》、と聞いた時から意識はしておった。今のわしは日本という国の《神性》を持つ《ウカノミタマの使い》となっておる。じゃから、元が《蛇の悪魔》であるわしが、その日本の《神性》を持つ《蛇の神社》へ赴いた時、何かしらの変化があるやもしれぬ、と考えておった。……最終的にはこれが良い方向に働き、あやつを倒す結果に至り、死者も出んかった訳じゃが……しかし逆に、あのような事態を引き起こした原因でもあった」
「……と言いますと?」
 訊ねると天井花イナリは正面を向いたまま再び眉を少し下げた。
「先も言うたように、わしはあの白蛇神社の境内に入った瞬間、おそらく我が身に何かしらの変化が起こるじゃろう、と予測しておった。じゃから、《ベリアル》が見えぬよう境内に張っておった《結界》を通過した際にかすかに感じたものを、《それ》ではないかと思い違いをしたのじゃ。日本の《神性》のことはまだどうも分かりづらい故の……じゃから境内に入った瞬間に覚えた妙な違和感が、自身の《蛇》としての特性に何らかの干渉を起こした、ただそれだけじゃろうと思った。思い込んでしもうた。しかし数歩も歩いたところでどうやら先にちよこめが気づいたようじゃった。……その時にはもう遅かったのじゃがな」
 あ、とひづりは思い出す。あの時、姉はにわかに立ち止まって、ひづりたちに何かを言おうとして肩を撃ち抜かれ、天井花さんたちはそのまま《人間界》を退去させられてしまったのだ。
「……じゃから、あの時、《ベリアル》の罠に気づけなんだのは、《未来視》をせなんだのは、他でもないわしの失態なのじゃ……。……あと《ソロモン》が悪いのじゃ……」
 長いその狐耳が感情を表すようにへたりと倒れ、彼女は自責するように呟きつつ、しかしそれでも尚《ソロモン王》への非難は断固として続けた。
「し、仕方ありませんよ、そういう事情なら! それと一番悪いのは私の母と姉さんです! 天井花さんを未知の日本の《神性》なんてものに引きずり込んで、それからほぼ軟禁状態で店の中で働かせて、外の、他の神社ってものを見せたりしなかった二人が悪いです!! 天井花さんがそんなに気にすることじゃありません!! 日本ではこういう時、『罰が当たった』って言うんです! 今回の姉さんの怪我はそれです!! 天井花さんたちを無賃労働させて、休みも取らせず軟禁してた、その罰が当たったんですよ!! それに、結果的に誰も死なずに済んだんですから、ね。たぬこさんもそう思いますよね!! ね!!」
 自分一人ではフォローしきれないと判断し、ひづりは隣で静かに歩いていた和鼓たぬこに助けを求めた。彼女は急なことに驚いた様子だったが、すでに天井花イナリが少々落ち込んでいる事にはちゃんと気づいていたらしく、すぐにひづりに加勢してくれた。
「そ、そうだよ。イナリちゃんは、立派な王様として、《契約者》のひづりさんも、他のみんなも守れたんだから、すごいよ。すごいよ。イナリちゃんはすごかったよ」
 和鼓たぬこは一生懸命、幼馴染に励ましの声援を送った。
「…………そうかのぅ? ……うむ。……うむ、そうじゃな。そうじゃ。過程はどうあれ、ちよこめが必死こいて死に掛けた様は見られた。あやつにあった《契約印》はひづりへと移った。我が臣下は誰も死なんかった。そして《ベリアル》の奴もしっかり殺してやった! であらば、良いな! うむ! 結果良ければ全て良し、という言葉もあることじゃしのぅ!! わしは悪くないな!! ああ!! ふはは!!」
 少し無理をしている感じはあったが、彼女はそのように笑ってみせた。彼女は王様なのだ。《契約者》のひづりと幼馴染の和鼓たぬこに心配させ続けることを、その立場ゆえに許せなかったのだろう。形だけでも立ち直って見せたようだった。だからこそひづりも和鼓たぬこもそれに合わせることにした。
 ひづりは《和菓子屋たぬきつね》までの道すがら、駅前の店でちょっと高めの稲荷寿司を買って行こう、と思った。
 そして《和菓子屋たぬきつね》に着いたら、姉が譲ると言ってくれた、彼の《ソロモン王》に関わりのある五冊の魔導の書、《レメゲトン》の複写本を手に取り、《召喚魔術》の勉強を開始する。
 何も無く、《ベリアル》を前に何も出来なかった自分を、何か出来る自分にするために。
 天井花イナリと和鼓たぬこの《契約者》として相応しい人間になるために――。


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名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

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