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《第1期》 ‐餡の香りと夏の暮れ、彼岸に咲いた約束の花。‐
『ヒガンバナの花言葉』
しおりを挟む「――そうでした。一つ、気づいたことがあったのを、わたくし、思い出しましたわ、ひづりさん」
泣き疲れ、また二人で花壇のレンガに座り込んで自販機で買った飲み物を片手に寄り添っていたところ、千登勢がにわかにつぶやいた。
「ひづりさん、彼の手を見てください。ねぇ、《ヒガンバナ》」
千登勢が言うと、《ヒガンバナ》は片方の膝をついて、座り込んでいる二人の目の前にその大きな両方の掌を天に向けて開いてみせた。改めて目の前にするとやはり相当な迫力を持つサイズの掌だった。たぶんヒグマもこんな感じなのではないかとひづりは想像した。
彼の手は暗褐色だったが、その分厚い爪からは赤い線の様なものが走り、それがまるで模様のように掌を複雑に彩っていた。線は隆起しているが血管とも違うようで、そのまま腕の方にも繋がっているのか、お面の横から覗く頭部にも同じものが見られた。
ただ、その掌が和服の袖から天を仰いでいる様は、まるで――。
「あ……もしかして……?」
ひづりは気づいて顔を上げ、《ヒガンバナ》の白狐の面を見つめ、それから千登勢を振り返った。
「ええ、そうなんです。《ヒガンバナ》という名前は、彼のその天に向けた時の掌が、まるで彼岸花のように複雑で綺麗な赤の模様をしていたからなんですの。それから調べてみましたら、彼岸花は狐と縁のある花と知りましたので、ちょっぴり迫力がありすぎる彼の素顔に、恥ずかしながら、わたくしがどうにも驚いてしまうので、白狐の面をつけてもらいましたの」
「はい。ひづり様も、おそらくわたくしの面の下の顔は、なるべくご覧になられない方が良いかと。天井花イナリ様のようなお美しい方を基準に《悪魔》を見てこられたのであれば、尚更にございます」
千登勢の説明の後、《ヒガンバナ》は補足を入れた。ひづりは少々気後れしつつも頷いた。確かに《悪魔》というと、この《ヒガンバナ》の方がそれっぽい、とひづりは思っていたし、反対に天井花イナリがあんなにも美しいのは、きっと偉い《悪魔》だからなのだろう、とも考えたりしていたから。
「それで、なのです。ひづりさん。ふふ。本当に不思議なことって、ありますのね」
にわかに手を合わせると、千登勢はこの時初めて、本当に無邪気で嬉しそうな顔をひづりに向けた。
「《ヒガンバナ》は、《魔界》で昔、あの天井花さんという《悪魔》の元で働いていたのでしょう? 姉さんにその意図があったかはわかりませんけれど、再会して、《ヒガンバナ》は嬉しかったのでしょう? 天井花さんも、とてもお喜びになっているように見えましたわ」
ひづりは《ヒガンバナ》の白面とちらりと顔を見合わせた。
「……はい。店でも申し上げましたが、わたくし、今日ほど召喚されたことを喜びに思ったことはありません」
優しい声で、《ヒガンバナ》は答えた。
「ええ、天井花さんも、あの感じはたぶん、本当に懐かしくて、愉快に感じていたのだと思いますよ」
ひづりも同意見を述べた。
そうして二人の答えを聞くと、千登勢はまた嬉しそうな顔になってひづりに訊ねた。
「ひづりさん。彼岸花の花言葉をご存知でして?」
……花言葉? 話題にしていたとは言え、訊ねられるには少々急なことで、ひづりは面食らった。
あいにく、蝶よ花よ、というより拳よ血しぶきよ、という少女時代をつい最近まで過ごしてたので、とてもそういった可愛らしい話にひづりは堪能とは言えなかった。けれど彼岸花にあまり良いイメージが世間的に無いのはひづりも知っていた。死を連想する花だから、とか言って。勝手なことではあるが。
「彼岸花の花言葉はですね、様々ありますの。一般的に、死のイメージからか、『諦め』、『悲しい思い出』などがあるのですけれど……」
やはりそういう具合か、とひづりは思った。が、「けれど」と打ち消すように千登勢はやや声を高めて続けた。
「でも、明るい意味の方が多いんですの! 『あなただけを想う』、『再会』……そして、『また会う日を楽しみにしています』、というのもあるのですって!!」
きらきらとした眼で語るその彼女にひづりは少々呆気にとられていたが、千登勢は構わず続けた。
「天井花イナリさんも、《ウカノミタマの使い》、白狐の姿をしていらっしゃいましたわ。お召しになられていた和服にも彼岸花が描かれていて……そもそも、あの天井花というお名前も、《天上の花》を意味する彼岸花が由来なのでしょう?」
……確かにそうである。そんな話を、ひづりは姉のちよこ伝いで母から聞いていた。
であれば……ああ……では、母はまた……。
ひづりは凍原坂の言葉を思い出していた。
『あの人が行動を起こすと、それが何であれ、どんな目的であれ、誰かがちょっとだけ、幸せになるみたいなんです』
官舎万里子の実験の結果、きっとこの上ない偶然であろう、かつて王国の一兵士と王であった《ヒガンバナ》と天井花イナリは再会を果たし、各々、立場で大小は異なるだろうが、確かな幸いを得た。
ひづりと千登勢にしてもそうだ。母の死で、葬儀の席でようやく出会った二人は、こうして互いの事を知り、そして母の事で少しだけ、胸に抱えていた《痛み》を和らげあう事が出来た。
葬儀の席は少なかった。泣いていたのもせいぜい自分と千登勢と父くらいだった。参列した友人というものはほとんど居らず、いやに静かで、官舎の人間から悪く言われたことだってあった。
それでも。母はまたこうしてひづりや千登勢、《ヒガンバナ》や天井花イナリに遺してくれていたのだ。本人にそんな意図など無かったとしても、それでも。
あの人はまた、人を幸せにしたのだ。
「――ひづり、で良いですよ」
ひづりはぽつり、と提案した。
え? と首を傾げた叔母に、ひづりは微笑んで見せた。
「さん付けは必要ない、ってことです。数少ない、母の事を知ってる、大事な家族なんですから」
ひづりが言うと、千登勢はにわかにまたふにゃりとその顔を泣きそうにして、けれどそれを抑えるようにきゅっと目元に力をこめ、やや声を張って言った。
「で、ではっ、ひづり……ちゃん、も! その……わたくしのことは、千登勢と呼んでください! あ、ああ、いえ、叔母さん、っと呼ばれるのも、決して嫌ではありませんのよ? ええ、嫌ではないのです。でも、やっぱり……」
照れくさそうにするその様がまたいじらしくて、ひづりは少し笑いつつ、穏やかな気持ちで呼んだ。
「ええ、分かりました。――千登勢さん」
いいですよ。私はあなたのお姉さんじゃないけど、あなたの姪ですから。だから、またお店に来て下さい。たまに一緒にお出かけもしましょう。豪邸だという花札のお宅にも、今度お邪魔させてください。
笑顔はあまり得意でなかったが、この時ひづりは無意識に、とても優しい笑顔になれていた。
千登勢はまた泣きそうな顔になって、にわかにひづりにきゅっと抱きついた。それから数十分泣いたあと、電話で迎えに来てくれた彼女の父、ひづりにとっては祖父である花札市郎に連れられて、花札千登勢は帰っていった。
「……母さん、妹、泣かせちゃ駄目じゃんか」
《和菓子屋たぬきつね》に連絡を入れ、すぐに戻ると伝えた後、その道中でひづりはまたぼやいた。
「それとも、私に世話させようって、思ったりしてたの?」
そんな独り言を漏らしてから、ひづりは、ふふふ、と笑ってしまった。
嫌ではない。ああ、嫌ではないな、と、叔母の髪の香りと感触を思い出してひづりはまた穏やかな笑顔を浮かべた。
あれじゃあ叔母ではなく、まるで妹ではないか。困った姉妹だ、まったく。本当に――。
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