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~はじまり
11話 そして二人は
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翌朝、最初に家を出ることになったのは、仕事に行く前に自宅に戻りたいメグミ。
靴を履く前に振り返り、カナタと抱き合う。いや、カナタに抱きしめられた。
別れがたまらないカナタは、何度も手を離そうとして、その度に抱きしめ直してキスをした。
それでも結局は、その手を離し、メグミを送り出した。
そのまま肩を落として荷造りをして、部屋を見回し、タモツに礼を言って、カギを返して部屋を後にする。
タモツは身支度を整え、部屋の片づけをしてから、仕事に向かう。
日常が戻ってくるのだ。
でも、またすぐにメグミに会える。
日々の活力源を得た気持ちだし、睡眠時間をかなり削ったはずなのに、爽快でエネルギーがみなぎっているように思う。
今日のシフトは昼番だから、メグミと同じくらいの時間に業務が終わる。そしたらこっそりメグミを誘って、再び家に帰ろう。そう思っていたのだが
「すまん!うちの子が熱を出した、悪いが遅番をフォローしてくれ」
店に着くなり、同僚の三上に頼まれた。
同じ歳の三上は、結婚して共働き。子どもは病児保育可の、臨時保育所に預けてあるらしいのだが、いつもは時間の融通が利くフリーのライターの奥さんが、出張で帰りが遅いらしい。
未婚で彼女もいないタモツは、こういう時に頼りにされる。
長時間勤務に、文句を言うパートナーがいないのだから。
でも、今は違う。いや、まだちゃんと彼女になってもらってはいないのだが。
それでも、困っている同僚は助けてやらねばならない。結果、二日続けて長時間勤務となってしまった。
一方メグミは、熱にうかされたようにぼんやりと、不思議な昂揚感でふわふわとした気持ちで職場に着いた。
「オハヨウゴザイマス」
ふわふわっと挨拶をして、荷物を裏に置きに行こうとすると、店長に呼び止められる。
「メグちゃん、今日休みじゃないっけ?」
「えっ?」
「シフト、確認なかったの?今日は公休でしょ~」
そういうと、いつもと違って赤い顔でぼんやりしているメグミの顔をじーっと見て、その手をメグミの額に当てる。
「あら、熱があるんじゃないの?顔が赤いし、ぼーっとしてるし。もぉ早く帰って寝なさい。ついでに明日も休みなさい」
熱があるわけでも体調が悪いわけでもないのに、母親のように心配してくれる。
実際、店長はアラフォーで高校生の娘がいるから、店長にとって二十歳のメグミは子どものようなものだ。
「いえ、今日は休みなら、家に帰りますけれど、明日はちゃんと働きます」
そう返したのに
「いいえ!明日は入荷もなくて、そんなに忙しくないから、休みなさい。これは命令よっ」
と、強く言われて追い出されてしまった。
ぼんやりしていたことを反省しつつ、間違ったことが恥ずかしいのでカフェにもよらず、ふらふらと自宅に戻ってベッドにもぐりこんで爆睡した。
家に続けて呼べなくても、ランチで会えるからいいか。と思っていたタモツだったが、二日続けてメグミの姿が見えないことに、不安を募らせていた。
玄関で送り出したときは、元気だったが、あの後何かあったのだろうか?
二人で激しく責め立てたことで、何か問題が出たのではないか?
確認したくても、メグミは今時珍しくスマホどころかケータイも持っていない。
自宅には電話は引いているし、パソコンメールもやっているとのことだったが、毎日職場で顔を合わせられるのだからと、電話番号もアドレスも聞いていなかった。
まだちゃんと付き合ってもいないから、職場の人たちに二人の関係を知られたくはない。だから雑貨屋のスタッフにも聞くわけにもいかない。いや、何か用事を作って聞いてみようか。
思い悩みながら、カフェのカウンターで作業をしていたら
「なによ、そんな不景気な顔しちゃって」
と、声をかけられた。
顔をあげると、隣の雑貨屋の店長がカウンターに腰かけるところだった。
雑貨屋のスタッフがランチを食べに来ると、きまって隅の席にひっそりと座るのだが、この店長だけは、カウンターに座ってカフェのスタッフとの会話も楽しむのだ。
「いい男って、どんな表情してても、やっぱりいい男ねー」なんて、からかってくる。
ちょうどいいから、メグミのことを尋ねたい。でも、この店長に気づかれたら、またどんなからかいを受けるか分からない。さらに悩んでしまう。
「ランチ、もってきますね」
ぼそっと言って、奥に引っ込む。
「隣の店の店長のランチ、お願いします」
厨房のスタッフに声をかける。いや、自分もそうなのだが、今日のランチ番(仕上げ担当)は別のスタッフで、自分はカフェのカウンターで明日の貸切予約のための準備をしていたのだ。
「お、店長か、じゃあ俺が持っていくよ」
そう答えたのは三上。子持ちの三上は、その大先輩ともいえる雑貨屋の店長と話す機会は逃さないのだ。暇ではないのに。
カウンターに戻ると、スタッフをつかまえて何か笑いながら話している。全く。スタッフの仕事の邪魔をするんじゃない。と言ってやりたいところだ。
「あはははは、ありがとうねー。おや、眉間にしわが寄ってるよー」早速からんでくる。
「実はこういう顔なんです」
「あら、そうだっけ?」
「俺のせいで、長時間勤務になったから、不機嫌なんだよ。な?」
ランチを運んできた三上が、話に入ってきたが、そんな理由で不機嫌になったりしない。
「そうなの?どうして?」
「俺んちの子が、熱発しちゃってさ。で、遅番のフォローまでお願いしたんだよ」
「あらー今って風邪が流行ってるの?うちのメグちゃんも、昨日赤い顔しててさぁ」
(えっ?)
驚いた顔を、慌てて引っ込めるが、店長はランチのスープに視線を落としているし、三上も全く違う方を向いて話していたため、タモツの顔を見られることはなかったので安心した。
「まぁ昨日はさ、シフトを間違えて休みなのに来ちゃったからいいんだけど、心配だから今日も休めって言っちゃったのよ。だからランチが遅くなっちゃった。ずずず」
つまり、昨日も今日も休んでいるってことか(ずずず。ってのはスープを飲む音だ)。
「あ、本人は体調不良じゃないって言ってたんだけどね。風邪もひき始めが肝心って言うし、無理させて寝込まれたら、そっちの方が大変でしょお、ところで三上くんちの子どもっていくつだっけ?」
「ん?4歳だな」
「4歳かぁ~4歳の子とおんなじだよ。うちのメグちゃん。あははー。まぁわたしからしたら、4歳も二十歳もあんまり変わらないけどね」
全くテキトーな事を言っているとあきれつつ、内心、ホッとした。
たぶん、体調が悪いわけじゃないだろう。赤い顔してぼーっとしてた理由は分かってる。
今日休んだのも、この店長の言いつけを守っただけだろう。
そう思うと、さっきまでの沈んだ気持ちが嘘のように晴れる。次に顔を見られたら、何かサインでも送っておこうと思うのだった。
だが、残念なことに、それから数日は忙しすぎた。
土日は貸切パーティーが3組も入っていたために、スタッフのランチには残り物を挟んだサンドイッチが配られ、雑貨屋のスタッフは、自店のスタッフルームで食べることになった。
1日余分に休んだメグミと、タモツの休みも合わず、10日に一回来る定休日を待つしかなくなった。しかも、何のサインも送れない。
タモツは焦り、メグミはさみしさが募った。
そして、翌日は定休日という日の仕事終わり、いつもと変わらない日々を過ごし、タモツから何もなかったと悲しい気持ちでメグミは駅前のスーパーにいた。
いつも仕事帰りに、遅い時間のタイムセール目当てにのぞくスーパーで、割引された生鮮食品や総菜を買う店だ。
沈んだ気持ちのメグミには、どれも食べたいと思えなかった。
鮮魚コーナーで、半額と印刷されたシールの貼られた鯛のアラのパックを持って、じーっと見つめる。
今のわたしの目は、この死んだ魚のようだろう。そんな暗い気持ちで鯛を見ている女は、広い世の中でもメグミぐらいなものだろう。
ふぅーっと深いため息をこぼす。
あの、熱い夜を思うと、気恥ずかしさと共に満たされる思いがあり、タモツと見つめあったあの瞬間に、これからの幸せな展開を思い浮かべることが出来たのに。
結局、一度も会えないまま、休みになってしまった。
すごくさみしい。一人じゃない休みがあったからこそ、この一人ぼっちの休みが堪える。
今までずーっと一人で平気だったのに。
そう思うと、涙で目が潤む。
死んだ魚の目には、涙は浮かばない。そもそも魚って泣くのかな。泣いたとしても、水の中だから誰にも気づかれないんだろうな。そうか、泣くなら水の中がいいな。お風呂で泣こうかな。でも、お風呂に入るといつも、あの部屋で入ったことを思い出しちゃうんだ。
そんなことを、鯛のアラのパックを持ったまま、じーっと考えているメグミのせいで、鮮魚コーナーはひと気がない。みんな遠巻きにして(早くどっかへ行ってくれないか)と思っていた。
見るに見かねた鮮魚スタッフが、いい加減声をかけようかと思っていた時、駆け込んできた男性が、メグミの後ろに立つのが見えた。
「みっ、見つけた。メグミちゃん」
息を切らしながら、タモツがメグミに声をかける。
「タモツ、さん?」
膝に手を置いて、はぁはぁと荒い息を吐き、すごく慌てた様子のタモツが立っていた。
「どうし、て?」
「どうしてって、探してたんだよ。やっとちゃんとした昼番で、今日こそは一緒にって思ってたのに、さっさと店を閉めてんだもん」
「だって・・・」
メグミが持っていた鯛のアラのパックを、静かに抜き取り冷蔵ケースに戻すと、ぎゅっと抱きしめて
「アラじゃない鯛を食べさせてあげるから、帰ろう」
そう、笑いかけた。
その笑顔を見て、やっと安心したメグミもニッコリと笑い返す。
その様子を見ていた客も店員も、ほっと胸をなでおろし、全員が見て見ぬふりをした。
三つ葉と細ねぎを買い求め、二人は自転車置き場に行く。
「タモツさんも自転車なのですか?」
「そう。俺は自転車通勤なんだよ。知らなかった?」
カフェの遅番は、終電には間に合わない。だから最後まで残るスタッフは全員、公共交通機関を使わなくても帰れるもので賄っている。
だからタモツも健康と体力づくりを兼ねて、悪天候や飲んで帰る時以外は自転車で通っているのだ。
今日も自転車でダッシュしてこの駅前まで来たのだった。
二人で仲良く自転車でタモツの自宅まで帰った。スポーツタイプの自転車に乗るタモツと、ママチャリのメグミとでは、スピードが違うが、もちろんメグミの速さに合わせてゆっくり進む。
部屋に着いたら、荷物を置きメグミを抱きしめてキスをする。
「不安な気持ちにさせた?ごめんね」
鯛のアラのパックをもって涙を浮かべていたのを見られたのだろうか?不安な気持ちが筒抜けになっているようだ。
「とりあえず、美味しいご飯を作るから、待ってて」
メグミを椅子に座らせると、料理にとりかかる。
鯛はすでにうろこを取って下処理をしてある。それをグリルに入れて焦げ目をつける。
米はといで水を切って冷やしてあるのを、土鍋に移し入れる。
その上に、昆布を乗せ、焦げ目がついた鯛を乗せ、だし汁を入れて火にかける。
沸騰したら蓋をして弱火にかける。これで鯛めしの準備は出来た。
次に、小鍋に干しシイタケと昆布を入れてすまし汁を作る。
薄口しょうゆと濃い口しょうゆで味を整え、ねぎを散らす。
「メグミちゃんは、卵焼きは甘いの?それとも甘くないのがいい?」
尋ねると
「甘くないのがいいです」と答える。
卵に塩と醤油を入れて時、手際よく卵焼きを焼く。
焼きあがったら適当に切って、大根おろしと生姜おろしを乗せる。
タイマーがなったら、鯛めしの火を10秒ほど強くして、火を止めて蒸らす。
蒸らしている間に、冷蔵庫にある作り置き惣菜を取り出して、小鉢に入れる。
蒸らし終えた鯛めしの土鍋のふたを開けると
「うわぁ~すごい♪」
炊きあがった鯛めしに、目を輝かせて喜ぶメグミ。
「炊き上がったらほら、こうして身をほぐして混ぜるんだよ。あ、おこげが出来てる」
鯛の頭や骨を器用に取り除きながら、身をほぐして混ぜ込むタモツ。
「すっごくたくさんですが、他に誰かいらっしゃるんですか?」
そう聞きたくなるのも当然で、鯛めしを炊いている土鍋は、通常3~4人で鍋をする時用のサイズだ。
二人で食べるには、かなり量が多い。
「いいや、二人しかいないよ」にやっと笑って答えるタモツ。
こんなにたくさん食べられるかしら。と考えてしまうメグミ。思わずお腹をさする。油断しているとポッコリと出てしまうのに。
小さな可愛い茶碗によそわれた美味しそうな鯛めしだが、ちょっと待って。この可愛い茶碗は誰のかしら?と疑問に思う。
付き合っているわけじゃない。
いっぱい抱き合ったし、いっぱいキスしたけれど、まだそれだけで、恋人になる約束もしていない。だから、そこは突っ込んで聞いてはいけない。でも気になる。
可愛い茶碗を渡されて、固まってしまうメグミ。
「あぁそれ、可愛いだろう。妹が作ったんだよ」
さらっと言われてしまった。
「妹、さん?」
「そう。俺には生意気な妹と、むかつく弟がいるんだけどね。その妹の方が陶芸をやってて、今どこぞの陶房で働いているんだよね。で、それを送ってくれてたわけ。いつか出来る俺のいい人の為にってさ。練習作品だよ?」
そういわれると、量産品にないぬくもりがあるなぁなんて思いながら、向きを変えながらじっくり眺める。
「でほら、これが俺用」
一回り大きな茶碗は、似たデザインで、確かに男女ペアっぽい。
「ずいぶん前に送ってきたんだけど、奥にしまってあってね。で、思い出して引っ張り出して来たんだよ。ちょうどいいでしょう?」
そんな風に言われたら、なんだか嬉しい。
「もしかして、他の食器もそうですか?」
よく見ると、料理が乗るどの食器も、柔らかい雰囲気で、人の手のぬくもりを感じるものだった。
「そう。勝手にどんどん送って来るんだよ。一人暮らしにそんなに要らないってのにね」
箸置きも陶器ですごくかわいい。
「送ってこられた中から、メグミちゃんが気に入りそうなのを探しておいたんだよ」
料理も美味しそうだけど、器も素敵ですごく嬉しくなってきた。
にこにこ笑っていると、タモツも嬉しそうに笑ってくれた。
「さぁ食べよう」
土鍋で炊いた鯛めしはもちろん絶品で、そのほかの料理も全部美味しかった。
「タモツさんの料理、大好きです。すごく優しくて、なんか胸があったかくなるんです」
食後のお茶を飲みながら、ほぅっとため息をついてそんなことを言うメグミ。
タモツはちょっと照れくさくてむずがゆい気持ちになる。
「初めて、カフェでご飯を食べた時にも、そんな優しい感じを受けて、それで隣の雑貨屋さんのスタッフ募集の貼り紙をみて、とびこんだんですよ」
店で働き始めたきっかけになったと言われて驚く。
「先日、ここでシチューをいただいたときに、あぁあの時のカフェのごはんも、タモツさんの料理だったんだなぁって思ったんです」
その時の料理と気持ちを思い出して、ふんわりとした微笑みを浮かべる。
「うちのおばあ、祖母がよく言っていたんです。料理には、その人の心が映し出されるって。優しい気持ちで作ったら、優しい味になるし、腹を立てて作ったら、とがった味になる。だから料理をする時は、気持ちを落ち着けて、食べる人のことを思いなさいって、よく言われました」
「いい、おばあさんだね」
「はい。すごく優しくて、なんでも作れちゃうんですけど、ちょっと変わってましたよ」
「どんなふうに?」
「怒りながら作ったご飯を食べると、食べた人が病気になるから、腹を立てている時は料理をしなくていい。って言うんです。でも、母が怒っていて料理をしないからといって、自分が代わりに作ることはないんです。もちろん、作れるんですけれど」
「えっ?じゃあ、そういう時はどうしてたの?」
「その祖母の決まりを守るためには、全員が何かしら作れないといけないって話になって、我が家では弟を含めて全員が最低限の料理は出来るようになって、ご飯を食べるためには、母の機嫌を察知して、誰かしらフォローするという」
「へぇ、面白いね」
「今思えば、そうやって家族は助け合っていくものだと教えてくれていたのかなぁなんて思います」
「おかあさんは、機嫌が悪いことが多かったの?」
「いえ、それがそうでもないんですけれど、主婦もたまには休めばいいんだって二人で笑っているのを見たことがありますよ」
「なるほどー。ちょっといい話だね」
「そうですか?」
「タモツさんは、料理人歴長いんですか?」
「そうだね。高校を出てすぐ、有名な料亭に修行に入ってね。そこに五年くらい勤めたかなぁ。それから2~3年離れて、今の店に拾われたんだけど」
「料亭ってことは、和食ですか?」
「そう。あの世界はなかなか厳しくてね。修行が厳しいことはともかく、人間関係が最悪でね」
「修業が厳しいイメージあります」
「だよね。でも、一人前の職人になるためだと思えば、頑張れたんだよ。だけどね、悪質な嫌がらせや足の引っ張り合い、それが場合によっては食材の無駄につながったりで、うんざりしてやめちゃったんだよ」
「料理人なのに、食材を無駄にするんですか?」
顔をしかめて驚くメグミ
「そう。信じられないよね。料理人にとって大切にすべき食材なのに。かなしいよ」
「それは、そんな店の料理はどんなに立派でも、ちょっと食べたくないです」
「だよね。で、料理の世界が嫌になって、体を動かして嫌なことを忘れたくて引っ越し屋で働いてたんだよ」
「へぇー」
「そこで働くやつらは、みんな気のいい体力バカって感じでね。でも、食べているものがコンビニ飯やカップラーメンで、なんていうか持久力がなくて、疲れやすく、しょっちゅう風邪ひいてるやつとかいてね、見るに見かねて、弁当を作ってやってたんだ。それが好評で、そこの社長が今の店のオーナーと知り合いでね、カフェの営業時間を伸ばすのを機に、誘われて今に至るって感じだよ」
「えっ、じゃあ、その引っ越し屋さんのご飯はどうなったんですか?」
「カフェで弁当の注文を受けているんだよ」
「すごい!」
「スタッフの健康管理って、けっこう重要でね。急に体調不良で休まれたりすると、業務に支障が出るから、それが食事で改善出来るならって思ってくれるきっかけになってよかったよ」
「本当、食べ物って重要ですね。わたし、毎日元気ですもん」
そういって、さほどない腕の力こぶを作ってみせる。
それをつまんで「ぺにょぺにょだね」と笑うタモツ
「タモツさんは、その、引っ越し屋さんでのお仕事で、そんなにガシッとした筋肉がついたのですか?」
「うーん、どうだろう」
おずおずと、タモツの二の腕を触る。
タモツはそんなメグミを見て微笑み、椅子を少し後ろに引いて
「おいで」と膝の上に誘う
メグミはちょっとはにかみながら、メグミの膝の上にちょこんと座る。
タモツは背もたれ状態か?
「うーん、これはこれでいいんだけど」
といいながら、後ろから手を回し服の上から乳房を触る
「いやんっ」
思わずその手に自分の手を重ねるが、すぐに振りほどかれ脇に手を入れられて、するっと反対を向かせられる。
「こっち向きに」
「あぁ」
タモツをまたいだ状態で、膝の上に座らされて「おいで」ってそういうことだったのか。
ふふっと笑いながら、ちゅっとキスをされて、いまさらながら顔を赤らめるメグミ。
膝の上に座ると、普段はタモツの目線より下にあるメグミの顔が、ちょっと上に来る。
そして目の前には細い首と鎖骨。
たまらずその首に唇をつける。
「あぁん」
そのまま抱きしめながら、そういえばと思い、深い意味はないけれど
「そういえば、弟がいるんだ?」と聞いてみた。
さっきの会話の中で、出てきたよなぁと思いつつ。
「はい。五歳下なんで、いま中学生で、もうすぐ高校生ですよ」
「メグミちゃんは二十歳だっけ?」
「いえ、21歳になりました」
「二十歳だって言ってなかったっけ?」
「新年会の時は誕生日が来ていませんでしたから」
「・・・誕生日は、いつだったの?」
「この間ですよ」
「この間って?」
「この間、ここにいた日です」
「えぇぇっ!?」
なんでもないことのように、さらっと言うメグミに驚くタモツ
二十歳くらいの娘にとって、誕生日って重要じゃないのだろうか?
「言ってよ!?」
「えーわざわざ言うことでもないじゃないですか」
「そうなの?」
「そうでしょう?」
「そうじゃないでしょうー」思わず叫んでしまった。
「でも、誕生日って、祝ってもらうんじゃなく、生まれてきたことを親に感謝する日だって言われて育ってますしね。あ、そういえば、あの日自宅に帰ったら、留守電がすごかったんですよ?」
そりゃそうだろうなぁと呆れてしまう。
タモツが驚きあきれているのを、不思議そうに見るメグミ。世間一般の女の子たちと、何かが違うのも、こういうところがあるからかもしれない。
「そういえば気になっていたのですが、あの鯛めしは残り、どうするんですか?」
つい、メグミといちゃいちゃする時間を優先してしまったけど、そういえばまだやることあったんだと、ぼんやり立ち上がる。
そして、ハッとして
「ちょっと一件だけ、メールするね」と伝えて、スマホを取り出し手早くメールを打つ。
その姿をぼんやり見ながら(やっぱりたくましい腕だよなぁ)なんて思ってしまうメグミ。
「のこりのご飯はね、おにぎりにしておくんだよ」
手早くおにぎりにして、蓋つきの容器にひっつかないように工夫しながら入れていく。
「こうやっておいて、明日焼きおにぎりにするんだ。それはそれで美味しいんだよ」
「それは、美味しそうです」
想像してにこにこしてしまう。そして、タモツが手に付いたご飯粒を取っているのをじーっと見た。
「食べる?」と、冗談交じりにタモツが手を差し出すと、その手をぱくりと咥えて、ご飯粒を舐めとる。
その、何とも言えない感触に、ぞくりと身を震わせたまらなくなったタモツはメグミを抱きかかえてベッドに向かった。
靴を履く前に振り返り、カナタと抱き合う。いや、カナタに抱きしめられた。
別れがたまらないカナタは、何度も手を離そうとして、その度に抱きしめ直してキスをした。
それでも結局は、その手を離し、メグミを送り出した。
そのまま肩を落として荷造りをして、部屋を見回し、タモツに礼を言って、カギを返して部屋を後にする。
タモツは身支度を整え、部屋の片づけをしてから、仕事に向かう。
日常が戻ってくるのだ。
でも、またすぐにメグミに会える。
日々の活力源を得た気持ちだし、睡眠時間をかなり削ったはずなのに、爽快でエネルギーがみなぎっているように思う。
今日のシフトは昼番だから、メグミと同じくらいの時間に業務が終わる。そしたらこっそりメグミを誘って、再び家に帰ろう。そう思っていたのだが
「すまん!うちの子が熱を出した、悪いが遅番をフォローしてくれ」
店に着くなり、同僚の三上に頼まれた。
同じ歳の三上は、結婚して共働き。子どもは病児保育可の、臨時保育所に預けてあるらしいのだが、いつもは時間の融通が利くフリーのライターの奥さんが、出張で帰りが遅いらしい。
未婚で彼女もいないタモツは、こういう時に頼りにされる。
長時間勤務に、文句を言うパートナーがいないのだから。
でも、今は違う。いや、まだちゃんと彼女になってもらってはいないのだが。
それでも、困っている同僚は助けてやらねばならない。結果、二日続けて長時間勤務となってしまった。
一方メグミは、熱にうかされたようにぼんやりと、不思議な昂揚感でふわふわとした気持ちで職場に着いた。
「オハヨウゴザイマス」
ふわふわっと挨拶をして、荷物を裏に置きに行こうとすると、店長に呼び止められる。
「メグちゃん、今日休みじゃないっけ?」
「えっ?」
「シフト、確認なかったの?今日は公休でしょ~」
そういうと、いつもと違って赤い顔でぼんやりしているメグミの顔をじーっと見て、その手をメグミの額に当てる。
「あら、熱があるんじゃないの?顔が赤いし、ぼーっとしてるし。もぉ早く帰って寝なさい。ついでに明日も休みなさい」
熱があるわけでも体調が悪いわけでもないのに、母親のように心配してくれる。
実際、店長はアラフォーで高校生の娘がいるから、店長にとって二十歳のメグミは子どものようなものだ。
「いえ、今日は休みなら、家に帰りますけれど、明日はちゃんと働きます」
そう返したのに
「いいえ!明日は入荷もなくて、そんなに忙しくないから、休みなさい。これは命令よっ」
と、強く言われて追い出されてしまった。
ぼんやりしていたことを反省しつつ、間違ったことが恥ずかしいのでカフェにもよらず、ふらふらと自宅に戻ってベッドにもぐりこんで爆睡した。
家に続けて呼べなくても、ランチで会えるからいいか。と思っていたタモツだったが、二日続けてメグミの姿が見えないことに、不安を募らせていた。
玄関で送り出したときは、元気だったが、あの後何かあったのだろうか?
二人で激しく責め立てたことで、何か問題が出たのではないか?
確認したくても、メグミは今時珍しくスマホどころかケータイも持っていない。
自宅には電話は引いているし、パソコンメールもやっているとのことだったが、毎日職場で顔を合わせられるのだからと、電話番号もアドレスも聞いていなかった。
まだちゃんと付き合ってもいないから、職場の人たちに二人の関係を知られたくはない。だから雑貨屋のスタッフにも聞くわけにもいかない。いや、何か用事を作って聞いてみようか。
思い悩みながら、カフェのカウンターで作業をしていたら
「なによ、そんな不景気な顔しちゃって」
と、声をかけられた。
顔をあげると、隣の雑貨屋の店長がカウンターに腰かけるところだった。
雑貨屋のスタッフがランチを食べに来ると、きまって隅の席にひっそりと座るのだが、この店長だけは、カウンターに座ってカフェのスタッフとの会話も楽しむのだ。
「いい男って、どんな表情してても、やっぱりいい男ねー」なんて、からかってくる。
ちょうどいいから、メグミのことを尋ねたい。でも、この店長に気づかれたら、またどんなからかいを受けるか分からない。さらに悩んでしまう。
「ランチ、もってきますね」
ぼそっと言って、奥に引っ込む。
「隣の店の店長のランチ、お願いします」
厨房のスタッフに声をかける。いや、自分もそうなのだが、今日のランチ番(仕上げ担当)は別のスタッフで、自分はカフェのカウンターで明日の貸切予約のための準備をしていたのだ。
「お、店長か、じゃあ俺が持っていくよ」
そう答えたのは三上。子持ちの三上は、その大先輩ともいえる雑貨屋の店長と話す機会は逃さないのだ。暇ではないのに。
カウンターに戻ると、スタッフをつかまえて何か笑いながら話している。全く。スタッフの仕事の邪魔をするんじゃない。と言ってやりたいところだ。
「あはははは、ありがとうねー。おや、眉間にしわが寄ってるよー」早速からんでくる。
「実はこういう顔なんです」
「あら、そうだっけ?」
「俺のせいで、長時間勤務になったから、不機嫌なんだよ。な?」
ランチを運んできた三上が、話に入ってきたが、そんな理由で不機嫌になったりしない。
「そうなの?どうして?」
「俺んちの子が、熱発しちゃってさ。で、遅番のフォローまでお願いしたんだよ」
「あらー今って風邪が流行ってるの?うちのメグちゃんも、昨日赤い顔しててさぁ」
(えっ?)
驚いた顔を、慌てて引っ込めるが、店長はランチのスープに視線を落としているし、三上も全く違う方を向いて話していたため、タモツの顔を見られることはなかったので安心した。
「まぁ昨日はさ、シフトを間違えて休みなのに来ちゃったからいいんだけど、心配だから今日も休めって言っちゃったのよ。だからランチが遅くなっちゃった。ずずず」
つまり、昨日も今日も休んでいるってことか(ずずず。ってのはスープを飲む音だ)。
「あ、本人は体調不良じゃないって言ってたんだけどね。風邪もひき始めが肝心って言うし、無理させて寝込まれたら、そっちの方が大変でしょお、ところで三上くんちの子どもっていくつだっけ?」
「ん?4歳だな」
「4歳かぁ~4歳の子とおんなじだよ。うちのメグちゃん。あははー。まぁわたしからしたら、4歳も二十歳もあんまり変わらないけどね」
全くテキトーな事を言っているとあきれつつ、内心、ホッとした。
たぶん、体調が悪いわけじゃないだろう。赤い顔してぼーっとしてた理由は分かってる。
今日休んだのも、この店長の言いつけを守っただけだろう。
そう思うと、さっきまでの沈んだ気持ちが嘘のように晴れる。次に顔を見られたら、何かサインでも送っておこうと思うのだった。
だが、残念なことに、それから数日は忙しすぎた。
土日は貸切パーティーが3組も入っていたために、スタッフのランチには残り物を挟んだサンドイッチが配られ、雑貨屋のスタッフは、自店のスタッフルームで食べることになった。
1日余分に休んだメグミと、タモツの休みも合わず、10日に一回来る定休日を待つしかなくなった。しかも、何のサインも送れない。
タモツは焦り、メグミはさみしさが募った。
そして、翌日は定休日という日の仕事終わり、いつもと変わらない日々を過ごし、タモツから何もなかったと悲しい気持ちでメグミは駅前のスーパーにいた。
いつも仕事帰りに、遅い時間のタイムセール目当てにのぞくスーパーで、割引された生鮮食品や総菜を買う店だ。
沈んだ気持ちのメグミには、どれも食べたいと思えなかった。
鮮魚コーナーで、半額と印刷されたシールの貼られた鯛のアラのパックを持って、じーっと見つめる。
今のわたしの目は、この死んだ魚のようだろう。そんな暗い気持ちで鯛を見ている女は、広い世の中でもメグミぐらいなものだろう。
ふぅーっと深いため息をこぼす。
あの、熱い夜を思うと、気恥ずかしさと共に満たされる思いがあり、タモツと見つめあったあの瞬間に、これからの幸せな展開を思い浮かべることが出来たのに。
結局、一度も会えないまま、休みになってしまった。
すごくさみしい。一人じゃない休みがあったからこそ、この一人ぼっちの休みが堪える。
今までずーっと一人で平気だったのに。
そう思うと、涙で目が潤む。
死んだ魚の目には、涙は浮かばない。そもそも魚って泣くのかな。泣いたとしても、水の中だから誰にも気づかれないんだろうな。そうか、泣くなら水の中がいいな。お風呂で泣こうかな。でも、お風呂に入るといつも、あの部屋で入ったことを思い出しちゃうんだ。
そんなことを、鯛のアラのパックを持ったまま、じーっと考えているメグミのせいで、鮮魚コーナーはひと気がない。みんな遠巻きにして(早くどっかへ行ってくれないか)と思っていた。
見るに見かねた鮮魚スタッフが、いい加減声をかけようかと思っていた時、駆け込んできた男性が、メグミの後ろに立つのが見えた。
「みっ、見つけた。メグミちゃん」
息を切らしながら、タモツがメグミに声をかける。
「タモツ、さん?」
膝に手を置いて、はぁはぁと荒い息を吐き、すごく慌てた様子のタモツが立っていた。
「どうし、て?」
「どうしてって、探してたんだよ。やっとちゃんとした昼番で、今日こそは一緒にって思ってたのに、さっさと店を閉めてんだもん」
「だって・・・」
メグミが持っていた鯛のアラのパックを、静かに抜き取り冷蔵ケースに戻すと、ぎゅっと抱きしめて
「アラじゃない鯛を食べさせてあげるから、帰ろう」
そう、笑いかけた。
その笑顔を見て、やっと安心したメグミもニッコリと笑い返す。
その様子を見ていた客も店員も、ほっと胸をなでおろし、全員が見て見ぬふりをした。
三つ葉と細ねぎを買い求め、二人は自転車置き場に行く。
「タモツさんも自転車なのですか?」
「そう。俺は自転車通勤なんだよ。知らなかった?」
カフェの遅番は、終電には間に合わない。だから最後まで残るスタッフは全員、公共交通機関を使わなくても帰れるもので賄っている。
だからタモツも健康と体力づくりを兼ねて、悪天候や飲んで帰る時以外は自転車で通っているのだ。
今日も自転車でダッシュしてこの駅前まで来たのだった。
二人で仲良く自転車でタモツの自宅まで帰った。スポーツタイプの自転車に乗るタモツと、ママチャリのメグミとでは、スピードが違うが、もちろんメグミの速さに合わせてゆっくり進む。
部屋に着いたら、荷物を置きメグミを抱きしめてキスをする。
「不安な気持ちにさせた?ごめんね」
鯛のアラのパックをもって涙を浮かべていたのを見られたのだろうか?不安な気持ちが筒抜けになっているようだ。
「とりあえず、美味しいご飯を作るから、待ってて」
メグミを椅子に座らせると、料理にとりかかる。
鯛はすでにうろこを取って下処理をしてある。それをグリルに入れて焦げ目をつける。
米はといで水を切って冷やしてあるのを、土鍋に移し入れる。
その上に、昆布を乗せ、焦げ目がついた鯛を乗せ、だし汁を入れて火にかける。
沸騰したら蓋をして弱火にかける。これで鯛めしの準備は出来た。
次に、小鍋に干しシイタケと昆布を入れてすまし汁を作る。
薄口しょうゆと濃い口しょうゆで味を整え、ねぎを散らす。
「メグミちゃんは、卵焼きは甘いの?それとも甘くないのがいい?」
尋ねると
「甘くないのがいいです」と答える。
卵に塩と醤油を入れて時、手際よく卵焼きを焼く。
焼きあがったら適当に切って、大根おろしと生姜おろしを乗せる。
タイマーがなったら、鯛めしの火を10秒ほど強くして、火を止めて蒸らす。
蒸らしている間に、冷蔵庫にある作り置き惣菜を取り出して、小鉢に入れる。
蒸らし終えた鯛めしの土鍋のふたを開けると
「うわぁ~すごい♪」
炊きあがった鯛めしに、目を輝かせて喜ぶメグミ。
「炊き上がったらほら、こうして身をほぐして混ぜるんだよ。あ、おこげが出来てる」
鯛の頭や骨を器用に取り除きながら、身をほぐして混ぜ込むタモツ。
「すっごくたくさんですが、他に誰かいらっしゃるんですか?」
そう聞きたくなるのも当然で、鯛めしを炊いている土鍋は、通常3~4人で鍋をする時用のサイズだ。
二人で食べるには、かなり量が多い。
「いいや、二人しかいないよ」にやっと笑って答えるタモツ。
こんなにたくさん食べられるかしら。と考えてしまうメグミ。思わずお腹をさする。油断しているとポッコリと出てしまうのに。
小さな可愛い茶碗によそわれた美味しそうな鯛めしだが、ちょっと待って。この可愛い茶碗は誰のかしら?と疑問に思う。
付き合っているわけじゃない。
いっぱい抱き合ったし、いっぱいキスしたけれど、まだそれだけで、恋人になる約束もしていない。だから、そこは突っ込んで聞いてはいけない。でも気になる。
可愛い茶碗を渡されて、固まってしまうメグミ。
「あぁそれ、可愛いだろう。妹が作ったんだよ」
さらっと言われてしまった。
「妹、さん?」
「そう。俺には生意気な妹と、むかつく弟がいるんだけどね。その妹の方が陶芸をやってて、今どこぞの陶房で働いているんだよね。で、それを送ってくれてたわけ。いつか出来る俺のいい人の為にってさ。練習作品だよ?」
そういわれると、量産品にないぬくもりがあるなぁなんて思いながら、向きを変えながらじっくり眺める。
「でほら、これが俺用」
一回り大きな茶碗は、似たデザインで、確かに男女ペアっぽい。
「ずいぶん前に送ってきたんだけど、奥にしまってあってね。で、思い出して引っ張り出して来たんだよ。ちょうどいいでしょう?」
そんな風に言われたら、なんだか嬉しい。
「もしかして、他の食器もそうですか?」
よく見ると、料理が乗るどの食器も、柔らかい雰囲気で、人の手のぬくもりを感じるものだった。
「そう。勝手にどんどん送って来るんだよ。一人暮らしにそんなに要らないってのにね」
箸置きも陶器ですごくかわいい。
「送ってこられた中から、メグミちゃんが気に入りそうなのを探しておいたんだよ」
料理も美味しそうだけど、器も素敵ですごく嬉しくなってきた。
にこにこ笑っていると、タモツも嬉しそうに笑ってくれた。
「さぁ食べよう」
土鍋で炊いた鯛めしはもちろん絶品で、そのほかの料理も全部美味しかった。
「タモツさんの料理、大好きです。すごく優しくて、なんか胸があったかくなるんです」
食後のお茶を飲みながら、ほぅっとため息をついてそんなことを言うメグミ。
タモツはちょっと照れくさくてむずがゆい気持ちになる。
「初めて、カフェでご飯を食べた時にも、そんな優しい感じを受けて、それで隣の雑貨屋さんのスタッフ募集の貼り紙をみて、とびこんだんですよ」
店で働き始めたきっかけになったと言われて驚く。
「先日、ここでシチューをいただいたときに、あぁあの時のカフェのごはんも、タモツさんの料理だったんだなぁって思ったんです」
その時の料理と気持ちを思い出して、ふんわりとした微笑みを浮かべる。
「うちのおばあ、祖母がよく言っていたんです。料理には、その人の心が映し出されるって。優しい気持ちで作ったら、優しい味になるし、腹を立てて作ったら、とがった味になる。だから料理をする時は、気持ちを落ち着けて、食べる人のことを思いなさいって、よく言われました」
「いい、おばあさんだね」
「はい。すごく優しくて、なんでも作れちゃうんですけど、ちょっと変わってましたよ」
「どんなふうに?」
「怒りながら作ったご飯を食べると、食べた人が病気になるから、腹を立てている時は料理をしなくていい。って言うんです。でも、母が怒っていて料理をしないからといって、自分が代わりに作ることはないんです。もちろん、作れるんですけれど」
「えっ?じゃあ、そういう時はどうしてたの?」
「その祖母の決まりを守るためには、全員が何かしら作れないといけないって話になって、我が家では弟を含めて全員が最低限の料理は出来るようになって、ご飯を食べるためには、母の機嫌を察知して、誰かしらフォローするという」
「へぇ、面白いね」
「今思えば、そうやって家族は助け合っていくものだと教えてくれていたのかなぁなんて思います」
「おかあさんは、機嫌が悪いことが多かったの?」
「いえ、それがそうでもないんですけれど、主婦もたまには休めばいいんだって二人で笑っているのを見たことがありますよ」
「なるほどー。ちょっといい話だね」
「そうですか?」
「タモツさんは、料理人歴長いんですか?」
「そうだね。高校を出てすぐ、有名な料亭に修行に入ってね。そこに五年くらい勤めたかなぁ。それから2~3年離れて、今の店に拾われたんだけど」
「料亭ってことは、和食ですか?」
「そう。あの世界はなかなか厳しくてね。修行が厳しいことはともかく、人間関係が最悪でね」
「修業が厳しいイメージあります」
「だよね。でも、一人前の職人になるためだと思えば、頑張れたんだよ。だけどね、悪質な嫌がらせや足の引っ張り合い、それが場合によっては食材の無駄につながったりで、うんざりしてやめちゃったんだよ」
「料理人なのに、食材を無駄にするんですか?」
顔をしかめて驚くメグミ
「そう。信じられないよね。料理人にとって大切にすべき食材なのに。かなしいよ」
「それは、そんな店の料理はどんなに立派でも、ちょっと食べたくないです」
「だよね。で、料理の世界が嫌になって、体を動かして嫌なことを忘れたくて引っ越し屋で働いてたんだよ」
「へぇー」
「そこで働くやつらは、みんな気のいい体力バカって感じでね。でも、食べているものがコンビニ飯やカップラーメンで、なんていうか持久力がなくて、疲れやすく、しょっちゅう風邪ひいてるやつとかいてね、見るに見かねて、弁当を作ってやってたんだ。それが好評で、そこの社長が今の店のオーナーと知り合いでね、カフェの営業時間を伸ばすのを機に、誘われて今に至るって感じだよ」
「えっ、じゃあ、その引っ越し屋さんのご飯はどうなったんですか?」
「カフェで弁当の注文を受けているんだよ」
「すごい!」
「スタッフの健康管理って、けっこう重要でね。急に体調不良で休まれたりすると、業務に支障が出るから、それが食事で改善出来るならって思ってくれるきっかけになってよかったよ」
「本当、食べ物って重要ですね。わたし、毎日元気ですもん」
そういって、さほどない腕の力こぶを作ってみせる。
それをつまんで「ぺにょぺにょだね」と笑うタモツ
「タモツさんは、その、引っ越し屋さんでのお仕事で、そんなにガシッとした筋肉がついたのですか?」
「うーん、どうだろう」
おずおずと、タモツの二の腕を触る。
タモツはそんなメグミを見て微笑み、椅子を少し後ろに引いて
「おいで」と膝の上に誘う
メグミはちょっとはにかみながら、メグミの膝の上にちょこんと座る。
タモツは背もたれ状態か?
「うーん、これはこれでいいんだけど」
といいながら、後ろから手を回し服の上から乳房を触る
「いやんっ」
思わずその手に自分の手を重ねるが、すぐに振りほどかれ脇に手を入れられて、するっと反対を向かせられる。
「こっち向きに」
「あぁ」
タモツをまたいだ状態で、膝の上に座らされて「おいで」ってそういうことだったのか。
ふふっと笑いながら、ちゅっとキスをされて、いまさらながら顔を赤らめるメグミ。
膝の上に座ると、普段はタモツの目線より下にあるメグミの顔が、ちょっと上に来る。
そして目の前には細い首と鎖骨。
たまらずその首に唇をつける。
「あぁん」
そのまま抱きしめながら、そういえばと思い、深い意味はないけれど
「そういえば、弟がいるんだ?」と聞いてみた。
さっきの会話の中で、出てきたよなぁと思いつつ。
「はい。五歳下なんで、いま中学生で、もうすぐ高校生ですよ」
「メグミちゃんは二十歳だっけ?」
「いえ、21歳になりました」
「二十歳だって言ってなかったっけ?」
「新年会の時は誕生日が来ていませんでしたから」
「・・・誕生日は、いつだったの?」
「この間ですよ」
「この間って?」
「この間、ここにいた日です」
「えぇぇっ!?」
なんでもないことのように、さらっと言うメグミに驚くタモツ
二十歳くらいの娘にとって、誕生日って重要じゃないのだろうか?
「言ってよ!?」
「えーわざわざ言うことでもないじゃないですか」
「そうなの?」
「そうでしょう?」
「そうじゃないでしょうー」思わず叫んでしまった。
「でも、誕生日って、祝ってもらうんじゃなく、生まれてきたことを親に感謝する日だって言われて育ってますしね。あ、そういえば、あの日自宅に帰ったら、留守電がすごかったんですよ?」
そりゃそうだろうなぁと呆れてしまう。
タモツが驚きあきれているのを、不思議そうに見るメグミ。世間一般の女の子たちと、何かが違うのも、こういうところがあるからかもしれない。
「そういえば気になっていたのですが、あの鯛めしは残り、どうするんですか?」
つい、メグミといちゃいちゃする時間を優先してしまったけど、そういえばまだやることあったんだと、ぼんやり立ち上がる。
そして、ハッとして
「ちょっと一件だけ、メールするね」と伝えて、スマホを取り出し手早くメールを打つ。
その姿をぼんやり見ながら(やっぱりたくましい腕だよなぁ)なんて思ってしまうメグミ。
「のこりのご飯はね、おにぎりにしておくんだよ」
手早くおにぎりにして、蓋つきの容器にひっつかないように工夫しながら入れていく。
「こうやっておいて、明日焼きおにぎりにするんだ。それはそれで美味しいんだよ」
「それは、美味しそうです」
想像してにこにこしてしまう。そして、タモツが手に付いたご飯粒を取っているのをじーっと見た。
「食べる?」と、冗談交じりにタモツが手を差し出すと、その手をぱくりと咥えて、ご飯粒を舐めとる。
その、何とも言えない感触に、ぞくりと身を震わせたまらなくなったタモツはメグミを抱きかかえてベッドに向かった。
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