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~はじまり
1話 はじめてのキス
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「お疲れ様―」
店の閉店作業をしているメグミに、さわやかに声をかけたのは
隣のカフェのスタッフの青年カナタ。内心緊張しながらも、にこやかに笑いかけている。
「お疲れ様です。そちらもあがりですか?」
「今日は昼番だったので、僕ももうあがりです」
メグミの勤めている雑貨屋は早番と遅番があり、メグミは主に閉店作業を担当する遅番。
隣設するカフェは早朝から深夜までと営業時間が長いので、社員スタッフは三交代、バイトは四交代になっている。
カナタはランチから夕食時あたりまでの昼番だったらしい。
「今日も忙しそうでしたね」
カフェは人気で、どの時間帯も、それぞれに異なる客層のハートをがっちりとつかんでいるため、席が空いている時間はとても少ない。スタッフはいつも飛び回るような忙しさだ。
「ランチ時なんて、目が回りそうでしたよ」
そう笑いながらも、まだまだ元気がありそうに見える。
忙しければ時間はあっという間に過ぎるから、暇な時より疲れなかったりする。
「ところで」
店外の掃除を終えようとするメグミに、若干の躊躇をみせながらも話を続けようとするカナタ。片づけを早く終わらせて帰りたいメグミは、内心の焦りを押し殺しつつ、言葉の続きを促す。
「明日は定休日ですが、何か予定がありますか?」
明日か、特に何も考えていなかったけれど、ふつうに洗濯と掃除はするだろうし、気分が乗ったら散歩にでも出かけるかもしれない。普段やらない手の込んだ料理を作るかもしれないし、ミシンを使うかもしれない、まぁ、そんなの明日の気分でどうとでもなる。つまり、何の予定もないってことだな。と頭の中で完結する。
そんなメグミの頭の中のことなんて、当然カナタに分かるわけもなく、質問に無言の返事をされたような感も否めないが、ここで躊躇しているわけにはいかない。
「もっもし、早起きの予定がなければ、この後食事でもいかがですかっ」
「えっ」
「あぁあっ、いえ、遅くまで引っ張りまわすつもりではないのですが、あの、その、よかったら、一緒にご飯を食べに行きたいなぁと思いまして・・・」
最後のほうは小声に近く、緊張が伝わってくる。
しかし
「ん~。給料日前で、財布の中もとぼしいしなぁ」
実際のところ、給料日後も前も関係ない。一人暮らしのメグミは、給料をもらっても、家賃や光熱費など必要なところに割り振ると、残りはわずか。
そのわずかな残りを、貯金と日々の生活費にあてる。給料日直前にからっけつにならないように、一か月を十日に分けて、生活費を三分割してやりくりしている現状で、余裕なんてほとんどない。
「あ、いや、誘ったんだしおごりますよ」
「おごられる理由がありません」
質問されると頭の中でだけ、長文で答えを作っているメグミだが、こんな時だけやけにきっぱりしているから不思議だ。
「あぁ・・・」
断られたカナタは、ものすごく落ち込んだ様子で、メグミはちょっと不憫に思えた。
「じっじつは!僕、今日で店を辞めるんです」
「えっ?本当に?」
誘いを断らせない方便にしては、おかしいと思い、聞き返してしまう。
「本当です。で、前から一度ちゃんと話をしてみたいと思っていたので、最後だからと声をかけたんです。だから!お願いします。今日だけ付き合ってください」
直角にお辞儀をして懇願するカナタ。
店の前でそんなことをやっていると、道行く人の注目を浴びてしまう。
人目を気にするあまり、つい了承してしまった。
「やったー!」
カナタは天にこぶしを突き上げて喜んでいる。
またもや、道行く人に好奇の目で見られてしまって、とても恥ずかしい思いだが、今日でカフェを辞めるという人に、食事をおごってもらうのはどうなんだろう。こちらからおごるべきか、いやまて、そこまで親しくないぞ。ではせめて割り勘だろうか。今日の財布の中にいくら入っていただろうか、そんなことが気になってしまうメグミだった。
「じゃっじゃあ、待ってますから」
にこにこと、もし尻尾があったら激しく振っているだろうという様相で飛び跳ねんばかりのカナタに、苦笑しつつ、慌てて閉店作業を進めた。
男性と二人で食事に行くなんて、初めてかもしれない。なんだかちょっとドキドキしてきたし、店の中で一部始終を見ていたバイトさんに冷やかされて、ちょっと恥ずかしい気持ちだ。
「お待たせしました」
エプロンを外して、身なりを整え、軽くリップだけ塗りなおした状態で、メグミは店の外で待つカナタのもとへ。
一つにまとめている髪は、いつもはほどくけれど、この後の食事を考えてほどかないままだ。
「実は、今日は行きたい店がスイーツとお酒の店なので、食事は軽いのにしたいのですが、いいですか?」
「スイーツとお酒の店?」
スイーツといえば、カフェじゃないのかと思ったけれど、お酒に合うスイーツを出してくれる店らしい。
「すごく興味があります。食事は軽くて大丈夫です」
乗り気じゃなかった今回のお誘いだけれど、目的の店の話を聞いたら、すごく楽しみになってきた。どんなスイーツが食べられるのか、いまからわくわくする。
「じゃあ、麺かご飯、どちらにします?」
「今日は寒いので、暖かい麺、うどんかな~」
今は二月、冬の寒さがピークである。雑貨屋は暖房がきいた締め切った場所だけれど、足は冷えていくし、閉店したら暖房を切ってしまうので、店を完全に閉めるころにはすっかり冷めている。
駅の近くの、よくあるうどん屋に入って、チケットを購入。メグミは若芽うどん、カナタは天ぷらうどんを選んだ。
メグミはこれくらい出すと言ったのだが、カナタがさっさとチケットを買ってしまったので、ありがたくおごってもらうことにした。
ほとんど話したことのない相手と、何を話せばいいのかと思っていたメグミだったが、この後に連れて行ってくれるという店に興味津々で、どこにあって、どんなスイーツで、どんな店で、どうやって知ったのかを聞いていたら、注文のうどんが出てきた。
うどんは熱くて、冷えた体にはなおさら熱く感じたけれど、一本ずつすすって、なんとか食べることが出来た。
そんなメグミを微笑ましく眺めながら、カナタは熱さもものともせず、ガツガツと平らげた。本当は丼もつけたいところだったのだが、次の店へのメグミの期待が思いのほか強かったので、さっさと食べ終えるように、うどんだけにしたのだった。
目的の店は、メグミ達が勤める店のある駅の、ひとつ先の駅で、歩いていけない距離ではなかったので、寒いけれど、歩くことにした。
そうすれば、今食べたうどんも少し消化するだろうし、カナタとしては、二人だけの時間を持ちたかったというのもある。
メグミが歩くことをいとわないタイプだったことも、よかった。
「一日立ち仕事だったのに、歩くの平気なんだ」
そうカナタが言うと
「こっちに住むようになってから、いっぱい歩くようになったから、けっこう平気です」
メグミは静岡の田舎町育ち。実は田舎の人間のほうが、都会の人間より歩かない。
なぜなら、歩いて行ける距離に何もないからで、大人は自動車に、子どもは自転車に乗るのが普通で、自宅から駅、駅から職場まで歩いている都会の人間は、おのずと歩くことが多くなる。
「初めのころは、あんまり歩けなくて、大変だったんですよー」
「へぇー」
「でも、訓練しましたっ」
ちょっと自慢げなメグミを、やはり微笑ましく見るカナタ。
はっきり言って、メグミは全く普通の女の子で、道を歩いていても、誰も振り返らないような平凡なルックス。可もなく不可もなくというところ。
対するカナタも同様で、ふつうのどこにでも居そうな男の子だ。
そんな平凡なルックスのメグミにカナタが惹かれたのは、カフェでランチを食べる姿を見たことにある。
メグミの勤める雑貨屋と、隣のカフェはオーナーが同じ。
そのため、カフェのランチがまかないとして雑貨屋のスタッフも食べられる。それがメグミがその店に勤める大きな理由なのだが、バイトとして入ると、メグミの食事風景も見ることが出来、一人で隅の席に座り、いつも食べる前に手を合わせ、そして美味しそうに幸せそうに食べる姿は、パティシエを目指しているカナタにとって、理想の相手とうつった。
それからは、他のことをしているメグミも見るたびに、いつも楽しそうにしている姿を好ましく思っていたのだった。
だから今日、一緒にうどんを食べている時も、こうして寒い中を文句も言わずに歩いている姿も、すべて愛おしく好ましくとらえていた。
「あぁほら、あそこですよ」
カナタが指さしたその店は、中が見えないバーのような店構えで、ひっそりと小さな看板が掛けてあり
『スイーツとお酒のフロマージュ』と書いてあるだけだった。
知らなかったら、絶対に入れないような
いや、知っていても、メグミ一人では入れないような店だ。
「うわー、なんだか緊張する」
扉の前で立ち止まったメグミを、カナタが優しく促して、店に入る。
そこは、カウンターのみのバーのような、店構えから想像するイメージ通りの内装で、二十歳になってからも、居酒屋程度の店しか入ったことのないメグミには、さらに敷居が高いように思えた。
でもカナタは、そんなことお構いなしで、すたすたとメグミの手をいつの間にか握って引っ張って、空いている席についた。
慌ててコートを脱いで、椅子にかけようとしたら、店のスタッフがすっと後ろにやってきて、コートを壁のハンガーにかけてくれた。
「お荷物は、足元の籠にどうぞ」
背の高いカウンタースツールの足元に、荷物置き用の籠がセットされていて、見るとほかの席の人たちのバッグが、それぞれおさまっている。
あんまりきょろきょろ見ないようにしないと。
すでに無理があるのに、ちょっとでも大人ぶりたいメグミは、そんなことを考えながら、ピシッと背筋を伸ばしてみた。
「さ、何にする?」
カナタが、それぞれの席に置いてあるメニューを指して、選ぶように言ってきたが、スイーツの名前はちょっと難解だし、お酒のことはもっとわからない。
眉間にしわを寄せ、唇を尖らせながら、うーんと悩んでいたら
「僕が選んでいい?」
と、カナタが言ってくれたので、お任せすることにした。
カウンターの向こうでは、シェフやバーテンダーの人たちが優雅なしぐさで盛りつけしたり、お酒を用意したりしていて、そんな作業を見るのも楽しく、緊張もほぐれて、どんな品がやってくるのか、ドキドキわくわくした。
目の前に運ばれてきたのは、軽い口当たりのカクテルで、スイーツは濃厚なムース、そして小さな薄焼きクッキー。
それぞれを楽しんだり、口の中で合わせたりするらしい。
カナタのはシンプルなショートケーキと、ワインのようだった。
お酒はともかく、ケーキが気になるメグミは、こんな店でそんなことをしても大丈夫かと思いつつ、一口もらって食べた。
緊張のせいで周りが見えていなかったのだけで、他の客たちもシェアを楽しんでいたのだが。
大人の雰囲気にあてられて、店の中ではあまり話せなかった二人も、店から出た途端、感想を言い合った。そう、実はカナタもかなり緊張していたのだった。
「すごく素敵な店でしたー」ゆらゆらと体を揺らしながら、嬉しそうに笑うメグミ。
軽くてアルコール度数も低いカクテルを選んでくれたのに、酔っ払っているようだ。
「緊張して、あんまり味がわからなかった・・・」
あえてシンプルなケーキを選んだのに、結局、味わうことが出来なかったらしい。
そんなカナタの姿に、思わず笑みをこぼすメグミ。くすくす笑いが止まらない。
「笑うなよー」
お酒のせいか、笑い続けるメグミのせいか、カナタの言葉遣いがちょっと砕けてきた。
「ありがとう。今日、けっこう楽しかった。店をやめても元気でね」
笑いの衝動がおさまったメグミが、カナタにそう言うと、カナタはしょんぼりとして
「まだ全然話していないのに」と残念そうだ。
「家はどこ?」
なんだかここで別れるのもかわいそうな気がしてメグミが聞くと、カナタは一人暮らしの部屋を引き払って、今は先輩の家に居候しているとのこと。
三日後には、日本を出るのだそうだ。
その先輩の家のある最寄駅は、偶然にもメグミと同じだったので、一緒に電車に乗ることになった。
店まで乗り換えなしで行ける同じ沿線で、メグミの場合、働く店を決めてから家を見つけたのだ。
最寄駅に着くと、家の方向は逆だということが分かった。
今度こそ、ここでお別れだという時に、カナタが
「もうちょっと一緒にいたい」と、メグミの腕をとって悲壮感を漂わせた。
「先輩は遅番で、まだ家に帰っていないけど、帰ってくるから、何もしないから、一緒に来て」
必死に頼まれて、断りきれずに結局メグミはカナタと一緒に先輩の家に行くことになった。
(どうしてOKしちゃったのかなぁ)と、メグミの自転車に二人乗りして、いまだふわふわする体をゆらしながらぼんやり考えたけれど、明確な答えは出なかった。
ただ、東京に来てから、恋人はおろか友達もおらず、ずーっと一人だったのに、突然声をかけてくれる男性が珍しく、ここでお願いを断ったら、後悔しそうな気がした。
先輩の自宅マンションの部屋は、男性の一人暮らしらしいシンプルさの1DKで、カナタの持ち込んだ荷物のせいで、散らかっている印象だった。
「適当に座って」
そう言われて、ベッドを背もたれにして床に座る。静けさを嫌ったのか、カナタがテレビをつけたら古い映画がやっていて、二人でそれをぼんやり見た。
何も話さず、メグミが心の中で(何でこんなことになったのかなぁ)と思っていたら
カナタに突然唇を奪われた
その時、メグミは頭のてっぺんからつま先まで、電流が流れるような不思議な感覚を味わって、拒否することも受け入れることもせず、ただ、なされるがままだった。
店の閉店作業をしているメグミに、さわやかに声をかけたのは
隣のカフェのスタッフの青年カナタ。内心緊張しながらも、にこやかに笑いかけている。
「お疲れ様です。そちらもあがりですか?」
「今日は昼番だったので、僕ももうあがりです」
メグミの勤めている雑貨屋は早番と遅番があり、メグミは主に閉店作業を担当する遅番。
隣設するカフェは早朝から深夜までと営業時間が長いので、社員スタッフは三交代、バイトは四交代になっている。
カナタはランチから夕食時あたりまでの昼番だったらしい。
「今日も忙しそうでしたね」
カフェは人気で、どの時間帯も、それぞれに異なる客層のハートをがっちりとつかんでいるため、席が空いている時間はとても少ない。スタッフはいつも飛び回るような忙しさだ。
「ランチ時なんて、目が回りそうでしたよ」
そう笑いながらも、まだまだ元気がありそうに見える。
忙しければ時間はあっという間に過ぎるから、暇な時より疲れなかったりする。
「ところで」
店外の掃除を終えようとするメグミに、若干の躊躇をみせながらも話を続けようとするカナタ。片づけを早く終わらせて帰りたいメグミは、内心の焦りを押し殺しつつ、言葉の続きを促す。
「明日は定休日ですが、何か予定がありますか?」
明日か、特に何も考えていなかったけれど、ふつうに洗濯と掃除はするだろうし、気分が乗ったら散歩にでも出かけるかもしれない。普段やらない手の込んだ料理を作るかもしれないし、ミシンを使うかもしれない、まぁ、そんなの明日の気分でどうとでもなる。つまり、何の予定もないってことだな。と頭の中で完結する。
そんなメグミの頭の中のことなんて、当然カナタに分かるわけもなく、質問に無言の返事をされたような感も否めないが、ここで躊躇しているわけにはいかない。
「もっもし、早起きの予定がなければ、この後食事でもいかがですかっ」
「えっ」
「あぁあっ、いえ、遅くまで引っ張りまわすつもりではないのですが、あの、その、よかったら、一緒にご飯を食べに行きたいなぁと思いまして・・・」
最後のほうは小声に近く、緊張が伝わってくる。
しかし
「ん~。給料日前で、財布の中もとぼしいしなぁ」
実際のところ、給料日後も前も関係ない。一人暮らしのメグミは、給料をもらっても、家賃や光熱費など必要なところに割り振ると、残りはわずか。
そのわずかな残りを、貯金と日々の生活費にあてる。給料日直前にからっけつにならないように、一か月を十日に分けて、生活費を三分割してやりくりしている現状で、余裕なんてほとんどない。
「あ、いや、誘ったんだしおごりますよ」
「おごられる理由がありません」
質問されると頭の中でだけ、長文で答えを作っているメグミだが、こんな時だけやけにきっぱりしているから不思議だ。
「あぁ・・・」
断られたカナタは、ものすごく落ち込んだ様子で、メグミはちょっと不憫に思えた。
「じっじつは!僕、今日で店を辞めるんです」
「えっ?本当に?」
誘いを断らせない方便にしては、おかしいと思い、聞き返してしまう。
「本当です。で、前から一度ちゃんと話をしてみたいと思っていたので、最後だからと声をかけたんです。だから!お願いします。今日だけ付き合ってください」
直角にお辞儀をして懇願するカナタ。
店の前でそんなことをやっていると、道行く人の注目を浴びてしまう。
人目を気にするあまり、つい了承してしまった。
「やったー!」
カナタは天にこぶしを突き上げて喜んでいる。
またもや、道行く人に好奇の目で見られてしまって、とても恥ずかしい思いだが、今日でカフェを辞めるという人に、食事をおごってもらうのはどうなんだろう。こちらからおごるべきか、いやまて、そこまで親しくないぞ。ではせめて割り勘だろうか。今日の財布の中にいくら入っていただろうか、そんなことが気になってしまうメグミだった。
「じゃっじゃあ、待ってますから」
にこにこと、もし尻尾があったら激しく振っているだろうという様相で飛び跳ねんばかりのカナタに、苦笑しつつ、慌てて閉店作業を進めた。
男性と二人で食事に行くなんて、初めてかもしれない。なんだかちょっとドキドキしてきたし、店の中で一部始終を見ていたバイトさんに冷やかされて、ちょっと恥ずかしい気持ちだ。
「お待たせしました」
エプロンを外して、身なりを整え、軽くリップだけ塗りなおした状態で、メグミは店の外で待つカナタのもとへ。
一つにまとめている髪は、いつもはほどくけれど、この後の食事を考えてほどかないままだ。
「実は、今日は行きたい店がスイーツとお酒の店なので、食事は軽いのにしたいのですが、いいですか?」
「スイーツとお酒の店?」
スイーツといえば、カフェじゃないのかと思ったけれど、お酒に合うスイーツを出してくれる店らしい。
「すごく興味があります。食事は軽くて大丈夫です」
乗り気じゃなかった今回のお誘いだけれど、目的の店の話を聞いたら、すごく楽しみになってきた。どんなスイーツが食べられるのか、いまからわくわくする。
「じゃあ、麺かご飯、どちらにします?」
「今日は寒いので、暖かい麺、うどんかな~」
今は二月、冬の寒さがピークである。雑貨屋は暖房がきいた締め切った場所だけれど、足は冷えていくし、閉店したら暖房を切ってしまうので、店を完全に閉めるころにはすっかり冷めている。
駅の近くの、よくあるうどん屋に入って、チケットを購入。メグミは若芽うどん、カナタは天ぷらうどんを選んだ。
メグミはこれくらい出すと言ったのだが、カナタがさっさとチケットを買ってしまったので、ありがたくおごってもらうことにした。
ほとんど話したことのない相手と、何を話せばいいのかと思っていたメグミだったが、この後に連れて行ってくれるという店に興味津々で、どこにあって、どんなスイーツで、どんな店で、どうやって知ったのかを聞いていたら、注文のうどんが出てきた。
うどんは熱くて、冷えた体にはなおさら熱く感じたけれど、一本ずつすすって、なんとか食べることが出来た。
そんなメグミを微笑ましく眺めながら、カナタは熱さもものともせず、ガツガツと平らげた。本当は丼もつけたいところだったのだが、次の店へのメグミの期待が思いのほか強かったので、さっさと食べ終えるように、うどんだけにしたのだった。
目的の店は、メグミ達が勤める店のある駅の、ひとつ先の駅で、歩いていけない距離ではなかったので、寒いけれど、歩くことにした。
そうすれば、今食べたうどんも少し消化するだろうし、カナタとしては、二人だけの時間を持ちたかったというのもある。
メグミが歩くことをいとわないタイプだったことも、よかった。
「一日立ち仕事だったのに、歩くの平気なんだ」
そうカナタが言うと
「こっちに住むようになってから、いっぱい歩くようになったから、けっこう平気です」
メグミは静岡の田舎町育ち。実は田舎の人間のほうが、都会の人間より歩かない。
なぜなら、歩いて行ける距離に何もないからで、大人は自動車に、子どもは自転車に乗るのが普通で、自宅から駅、駅から職場まで歩いている都会の人間は、おのずと歩くことが多くなる。
「初めのころは、あんまり歩けなくて、大変だったんですよー」
「へぇー」
「でも、訓練しましたっ」
ちょっと自慢げなメグミを、やはり微笑ましく見るカナタ。
はっきり言って、メグミは全く普通の女の子で、道を歩いていても、誰も振り返らないような平凡なルックス。可もなく不可もなくというところ。
対するカナタも同様で、ふつうのどこにでも居そうな男の子だ。
そんな平凡なルックスのメグミにカナタが惹かれたのは、カフェでランチを食べる姿を見たことにある。
メグミの勤める雑貨屋と、隣のカフェはオーナーが同じ。
そのため、カフェのランチがまかないとして雑貨屋のスタッフも食べられる。それがメグミがその店に勤める大きな理由なのだが、バイトとして入ると、メグミの食事風景も見ることが出来、一人で隅の席に座り、いつも食べる前に手を合わせ、そして美味しそうに幸せそうに食べる姿は、パティシエを目指しているカナタにとって、理想の相手とうつった。
それからは、他のことをしているメグミも見るたびに、いつも楽しそうにしている姿を好ましく思っていたのだった。
だから今日、一緒にうどんを食べている時も、こうして寒い中を文句も言わずに歩いている姿も、すべて愛おしく好ましくとらえていた。
「あぁほら、あそこですよ」
カナタが指さしたその店は、中が見えないバーのような店構えで、ひっそりと小さな看板が掛けてあり
『スイーツとお酒のフロマージュ』と書いてあるだけだった。
知らなかったら、絶対に入れないような
いや、知っていても、メグミ一人では入れないような店だ。
「うわー、なんだか緊張する」
扉の前で立ち止まったメグミを、カナタが優しく促して、店に入る。
そこは、カウンターのみのバーのような、店構えから想像するイメージ通りの内装で、二十歳になってからも、居酒屋程度の店しか入ったことのないメグミには、さらに敷居が高いように思えた。
でもカナタは、そんなことお構いなしで、すたすたとメグミの手をいつの間にか握って引っ張って、空いている席についた。
慌ててコートを脱いで、椅子にかけようとしたら、店のスタッフがすっと後ろにやってきて、コートを壁のハンガーにかけてくれた。
「お荷物は、足元の籠にどうぞ」
背の高いカウンタースツールの足元に、荷物置き用の籠がセットされていて、見るとほかの席の人たちのバッグが、それぞれおさまっている。
あんまりきょろきょろ見ないようにしないと。
すでに無理があるのに、ちょっとでも大人ぶりたいメグミは、そんなことを考えながら、ピシッと背筋を伸ばしてみた。
「さ、何にする?」
カナタが、それぞれの席に置いてあるメニューを指して、選ぶように言ってきたが、スイーツの名前はちょっと難解だし、お酒のことはもっとわからない。
眉間にしわを寄せ、唇を尖らせながら、うーんと悩んでいたら
「僕が選んでいい?」
と、カナタが言ってくれたので、お任せすることにした。
カウンターの向こうでは、シェフやバーテンダーの人たちが優雅なしぐさで盛りつけしたり、お酒を用意したりしていて、そんな作業を見るのも楽しく、緊張もほぐれて、どんな品がやってくるのか、ドキドキわくわくした。
目の前に運ばれてきたのは、軽い口当たりのカクテルで、スイーツは濃厚なムース、そして小さな薄焼きクッキー。
それぞれを楽しんだり、口の中で合わせたりするらしい。
カナタのはシンプルなショートケーキと、ワインのようだった。
お酒はともかく、ケーキが気になるメグミは、こんな店でそんなことをしても大丈夫かと思いつつ、一口もらって食べた。
緊張のせいで周りが見えていなかったのだけで、他の客たちもシェアを楽しんでいたのだが。
大人の雰囲気にあてられて、店の中ではあまり話せなかった二人も、店から出た途端、感想を言い合った。そう、実はカナタもかなり緊張していたのだった。
「すごく素敵な店でしたー」ゆらゆらと体を揺らしながら、嬉しそうに笑うメグミ。
軽くてアルコール度数も低いカクテルを選んでくれたのに、酔っ払っているようだ。
「緊張して、あんまり味がわからなかった・・・」
あえてシンプルなケーキを選んだのに、結局、味わうことが出来なかったらしい。
そんなカナタの姿に、思わず笑みをこぼすメグミ。くすくす笑いが止まらない。
「笑うなよー」
お酒のせいか、笑い続けるメグミのせいか、カナタの言葉遣いがちょっと砕けてきた。
「ありがとう。今日、けっこう楽しかった。店をやめても元気でね」
笑いの衝動がおさまったメグミが、カナタにそう言うと、カナタはしょんぼりとして
「まだ全然話していないのに」と残念そうだ。
「家はどこ?」
なんだかここで別れるのもかわいそうな気がしてメグミが聞くと、カナタは一人暮らしの部屋を引き払って、今は先輩の家に居候しているとのこと。
三日後には、日本を出るのだそうだ。
その先輩の家のある最寄駅は、偶然にもメグミと同じだったので、一緒に電車に乗ることになった。
店まで乗り換えなしで行ける同じ沿線で、メグミの場合、働く店を決めてから家を見つけたのだ。
最寄駅に着くと、家の方向は逆だということが分かった。
今度こそ、ここでお別れだという時に、カナタが
「もうちょっと一緒にいたい」と、メグミの腕をとって悲壮感を漂わせた。
「先輩は遅番で、まだ家に帰っていないけど、帰ってくるから、何もしないから、一緒に来て」
必死に頼まれて、断りきれずに結局メグミはカナタと一緒に先輩の家に行くことになった。
(どうしてOKしちゃったのかなぁ)と、メグミの自転車に二人乗りして、いまだふわふわする体をゆらしながらぼんやり考えたけれど、明確な答えは出なかった。
ただ、東京に来てから、恋人はおろか友達もおらず、ずーっと一人だったのに、突然声をかけてくれる男性が珍しく、ここでお願いを断ったら、後悔しそうな気がした。
先輩の自宅マンションの部屋は、男性の一人暮らしらしいシンプルさの1DKで、カナタの持ち込んだ荷物のせいで、散らかっている印象だった。
「適当に座って」
そう言われて、ベッドを背もたれにして床に座る。静けさを嫌ったのか、カナタがテレビをつけたら古い映画がやっていて、二人でそれをぼんやり見た。
何も話さず、メグミが心の中で(何でこんなことになったのかなぁ)と思っていたら
カナタに突然唇を奪われた
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