魔法の薬は猫印。

長島 江永

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学院新生活4

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 鉄の胃袋亭という名前の割には洒落たデザインの看板が掲げられているが、店内に足を踏み入れると期待を裏切らない熱気で満ちていた。
 店員に案内された席に着き、早速メニューを吟味する。モニカが一人前を食べきれそうに無いと言うので、大皿料理を幾つか頼んで三人で分け合う事になった。
「故郷では海産物なんて食べられなかったから、しばらくは魚介類ばっかり食べちゃいそう」
 パエリアの海老の殻を手で剥き、現れた白い身を口へと放り込む。プリプリとした触感と、濃厚な味がレレの口全体に広がる。
「んー! 美味しいー!」
「ではレレさんは、この歳で初めてお魚を食べたという事ですか?」
 モニカの質問にレレは笑って首を横に振った。
「淡水の魚や海老はよく食べましたよ。でも風味が全然違うんですよね」
「ああっ、普通に考えたらそうですよね……! 失礼しました……」
 レレとは逆に海の見える町で生まれ育ったモニカにとっては、魚介と言えば海の物を指す言葉であった。
「いやいや、謝る必要なんて無いですよー!」
(でも、なるほどなあ……学院には多種多様な人達が集まっているから、思いもよらない誤解やすれ違いが起きる可能性は高いのかも)
 年齢や性別だけで無く、生まれた土地、種族、価値観──それらが異なる人が学院には沢山集っている。
 無用なトラブルを避けるためにも、自分の常識が他人の常識であるとは限らない事は、より一層意識しておく必要があるかもしれない。
(まあそんな事ばっかり考えていても疲れちゃうから、程々にね……)
 その後は、モニカには一度止められたが、「一杯だけ」という約束で麦酒を注文し、真っ昼間からほろ酔いの心地良さを楽しんでいた。
 三人ともお腹が丁度良く満たされ、そろそろ店を出ようかと思っていたところだった。
 とある人物がレレの後ろを通過した際に、レレの背中に腕がぶつかってしまった。
「おっと、悪いなお嬢ちゃん」
「あっ、いえいえ大丈夫ですっ!」
 謝罪の声の方を振り返ると、身の丈が二メルタ(※約二メートル)は優にある、白虎タイプの獣人が立っていた。
 レレと違って全身が毛に覆われており、服を着て二足歩行をする白虎、という表現がその容姿を説明する上でもっとも端的だ。
 そして何よりも、彼から溢れ出す魔力のプレッシャーが凄まじい。今まで出会った誰よりも、重たく、攻撃的なオーラをしている。
 彼の後ろには、他にも様々な獣人が全部で八人いる。さっきまでは見かけ無かったので、ついさっき入店したところなのだろう。
 獣人の男を見たモニカは立ち上がって、彼とレレの間に割り込んだ。
 その顔はさっきまでの楽しそうなものとはまるで変わっており、白虎の獣人をかなり警戒しているようだ。
「こんにちは、クガイさん」
「おお、これはこれはモニカ嬢じゃねえか。こんな店にいるとは珍しいな」
 クガイと呼ばれた獣人は、モニカの警戒心たっぷりな様子を気にも留めずに、両手を広げて大げさな挨拶を返した。
「お嬢がここにいるって事は、そこの可愛い子は後輩かい?」
「さて、どうでしょうね……二人共、会計はしておくので先に出ておいてください」
 モニカの方には歩み寄るつもりは無いようで、クガイから一切目を離さずに、ベルとレレにジェスチャーで店を出るように促した。
「……おい、行くぞ」
「えっ、でも……!」
「良いから、ここは任せよう」
 ベルはレレの手首を掴んで半ば強引にその場から立ち去った。
 クガイは二人を呼び止める事も、追う事もせずに、顎に手を当てて眺めていた。
「学院の獣人で把握していない奴がいるとは思えん。今年の新入生か」
「そうだとしても、貴方には関係ありません」
「オイオイあんまり冷たくするなよ」
 取り付く島もないモニカの様子に、クガイはやれやれと首を横に振った。
「別に危害を加えたりはしないんだがな。それはお嬢も分かっているだろう」
「それとこれとは話が別です。貴方のところに関わらせるような事には絶対させませんから」
「了解了解。お嬢のお気に入りなら仕方が無い」
 クガイはひらひらと大きな手を振って、仲間達が既に着いている席の方へと去って行った。



 無理やり退店させられたレレは、ベルに掴まれた手首を振り解いてもう一度店内へ戻ろうとする。
「おい! 店の外にいろって言われただろうが!」
「でも、モニカさん一人じゃ心配だよ!」
 クガイという獣人が尋常ではない猛者である事は、レレにも本能的に理解出来た。そして、顔見知りらしいモニカは明らかに好意的な態度を取っていなかった。
 そんな状態で彼女だけ店に残してしまう事を心配するのは普通の反応だ。
 しかし、モニカをよく知るベルの反応は少し違った。
「あの場で騒ぎを起こすような短絡的な人じゃないし、何より、そう簡単にどうにか出来るような人でもないから安心しろ」
 ベルがそう言った直後に、確かにモニカは特に争った様子もなく店から出て来た。
「ごめんなさい、彼らが来るとは私も思わず……」
「いえいえ、そろそろ出ようかなー、って思っていたところだったので、むしろ丁度良かったというか……!」
 モニカを責める理由が一つも無いので、謝罪をされても困ってしまう。
「それよりも、あの人は誰なんですか? お互いの事を知っているみたいですが……」
 クガイはモニカを「嬢」付けで呼んでおり、明らかに初対面では無い様子だった。
 モニカは言うべきかどうかしばらく悩んだが、人気の無い場所──レレの部屋に戻ってから説明をする事になった。
 第五寮まで真っ直ぐ戻り、倉庫から借りてきた椅子を部屋に運び、三人が腰を下ろしたところでようやく話が再開された。
「クガイは「亜人共連」という組織の、学院における活動のリーダーです。彼らの活動は、差別されている亜人の保護や、人権運動が主とされていて、私だって本来なら応援したいと思っています」
 ですが、とモニカは顔を曇らせた。
「一部では死傷者を出した事件にも関わっていると噂されていて、実際に過激な他団体との小競り合いは頻繁に確認されています」
「過激な団体……「翼獅子の会」もそうですか?」
「はい、残念ながら……」
 ベルの指摘した「翼獅子の会」とは、ハルメール王国領内の貴族学生のみで構成された団体で、貴族で無い者や亜人への差別的な言動が目立つという。そのため亜人共連とは揉め事が多い。
「そんな組織がが学院内に平然と居ても良いんですか?」
 レレの疑問はもっともだが、その二団体以外にも良い噂を聞かない組織はいくつもあるのが実情だ。
 ちなみにシモン研の先輩であるジャンという男は、個人名でそれらの団体と並んで例に挙げられた。
「良くも悪くも、魔法研究の成果至上主義なんです。決定的な証拠が無い限りは、優秀な学生は中々処罰出来ないんです……」
 モニカは大きくため息をついて項垂れた。
「私は学生身分と並行して、学院の正式な危機管理組織である「学治会」に入っています。しかし、会員になって三年、それらの大きな組織に対して何か出来たかと言うと……特にあの男の監視担当になってからというもの……はあ……」
 話せば話す程、首も眉も下がっていき、すっかり元気が無くなってしまったモニカに投げかける言葉が中々思いつかない。
(モニカさんは真面目過ぎて、色々と気苦労が絶えないんだろうなあ……)
 既に満身創痍のモニカにとって、自分までもが負担になってはあまりに申し訳が無いので、学院生活では色々と気を付けようと決意したレレだった。
「モニカさん、私は真面目に頑張るので安心してください!」
「レレさん……!」
 手を取り合う二人を見ながら、ベルは嫌な予感を感じていた。
(理由は特に無いが、こいつの学院生活が平穏に過ぎていく気が全くしない……)
 そして当然のようにベルの予感は的中し、彼女達は大きな事件に巻き込まれていくのだった。
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