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ポイントカードは逢瀬の証 1

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 休み明けの月曜日、俺はあの雑居ビルの前にいた。残業時間調整名目の定時退社のおかげで、飲み屋街一帯はまだ寝ぼけているような落ち着きがある。メイドカフェもそれは同じようで、入り口前のブラックボードには『CLOSE』という看板が掛けられていた。
 本当はここに来るつもりはなかった。朝だって理由もなく通勤ルートを変えたくらいだ。それでも、定時退社してまでやってきたのは、あの日着ていた衣類回収と、……家まで送り届けてくれたお礼を言いに来たからだ。
 いっぱい癒してあげる。
 そう言ってきた俺の専属メイドを自称する男のおかげで睡眠の質は改善された……、ということはなく、むしろ悪化の一途を辿っている。折角の休日だったのに、ふとした瞬間に彼にされたことを思い出して、その、……ムラムラするのだ。一度意識すると、身体の芯が勝手に熱を持ち始めるくせに、あのたった一回のせいで自分の指で扱くだけでは物足りなくなってしまった。結局仕事の日と変わらないくらい寝れずに休みが終わった。
 お礼を言う相手でもない気はするが、自分の性分として言わないのもモヤモヤするためこうやって来てしまっていた。
 開店まではもう少し時間があるらしい。手土産でも買うべきか? でも、それはそれでおかしなことというか……。
 看板と睨めっこしていると、雑居ビルの地下からコツコツという音が聞こえた。それは徐々に近付いてくる。もしかして、と思って、顔を上げれば想像通りにガタイのいいメイドがいた。

「すみませーん、まだ営業時間外なんす、……って、お兄サンこの間来てたっすよね? 阿左美が連れてきてたご主人クンサンでしょ」

 それは目的の赤茶色ではなく、水色がかった灰色の髪をハーフアップにした、先日のメイドよりも身長のありそうな水色のメイドだった。髪には色々と飾りがついているが、配置のセンスが良いのか、彼の顔面が良いからか、ごちゃついている印象は受けない。先日の彼と色違いのメイド服に、ルーズソックスという組み合わせが絶妙に似合っている。気怠げな平行目に見下ろされる形にはなるが、彼の纏う緩い雰囲気からか威圧感は感じなかった。
 阿左美、確かめいくんの名字だ。やはりあのメイドカフェの店員で間違いはないらしい。そもそもこんなにデカいメイドが何人もいる方がおかしいのだ。
 水色のメイドは、俺をじーっと見て何か考え込んだ後、何か決意を固めた顔をした。

「うーん、まあ、ご主人クンサンには悪いんすけど、オレも生活に困ってまして。つまり昇給チャンス!」
「何の話、っいや、ちょっと!?」

 メイドカフェの人間って、みんな話を聞かないの!?
 水色のメイドの肩に抱きかかえられて、灰色の階段を降りていく。危ないんで気をつけて欲しいっす、と前回同様注意を受けた。だったら最初から降ろして欲しい、とは今回も言えずにいた。
 ビルの入り口も、階段もどんどん遠ざかっていく。

「阿左美ー、開けてー」

 止まったと思ったら彼がそう言った。扉の奥から、嫌で~す、とあの甘ったるい声が返された。

「折角阿左美のご主人クンサンを連れてきたのにー」
「は~? ご主人クン?」

 言い切るかどうかのところで扉は開かれたようだった。
 助かったっす、という言葉と共にまた揺さぶられる。ある程度進んだところで、降ろしますよーと声がけされた。肩から丁寧に降ろされて、ピンクのソファーにゆっくりと座らされた。
 身長のある二人に囲まれて、メイド服では誤魔化しきれない圧迫感を全身に感じる。

「……何やってるの、癸」
「開店前から入り口前で待ってくれてたから、連れてきたんすよ。阿左美に用があったんでしょ、ね、ご主人クンサン?」

 頭上の冷たい声のめいくんに内心ひやひやしつつも、水色のメイドの言葉に頷く。彼の言うことは間違いではなかった。

「ふ~ん?」

 めいくんは納得がいってませんというのが顔にありありと出ている。水色のメイドは対して気にすることなく、彼の本題を切り出した。

「この時間ならゆっくり喋れるっすよ。で、ご主人クンサンを連れてきたということで、臨時ボーナスとか……」
「癸がご主人クンに触れたから減給、今回の臨時ボーナスと相殺ね。それとももっとこいつの給料下げて欲しいかな、ご主人クン?」
「ご主人クンサンからも、オレの昇給のお願いをしてほしいす!」

 何の会話に巻き込まれているのだろう。ガタイのいいピンクと水色のファンシーなメイド達に詰められて、気を失ってしまいたくなった。誰か助けてくれ。
 その祈りは通じて、誰かの怒声が飛んできた。

「あっくん! み~くん! お客様を勝手に連れてきて君達はなにやってるの!」

 二人の間から引き剥がすように割って入ってきたのも、やはり男性のメイドだった。キツめの美人で、しなやかな身体に黒のシンプルなメイド服が似合っている。肩ほどの長さの艶のある黒髪に装飾の薄い白のヘッドドレスの組み合わせは、二人の危うさとは正反対の清楚さがあった。

「りっちゃんこわ~い」
「ねー」

 注意を聞く様子もなく、二人は彼の頭上で顔を見合わせてきゃっきゃしている。

「二人ってば! お客様、申し訳ないのですが営業時間外ですので外でお待ちいただいてもよろしいですか?」
「ご主人クンが外で待つなんて、可哀想でしょ~。ここにいていいからね~」

 めいくんの言葉を聞いて、黒いメイドの眉がぴくりと動いた。

「ご主人、クン……?」
「そ~、おれのご主人クン。いいでしょ~、でもりっちゃんにもあげないからね~」

 彼は俺の隣に移動しようとしためいくんの腕を掴んだ。

「あっくん、てめェ! この間、散々注意したよなァ!?」
「あはは、りっちゃんのこういうの懐かしいね~。ちなみに連れてきたのはおれじゃなくて癸だよ」
「お客様の前ではみ~くんだろうが! み~くんも何してんだ、こいつに買収されてんじゃねえよ!」
「買収されてたらどれだけよかったっすかね……」

 水色のメイドを怒っている隙をついて、今度こそめいくんは俺の隣に座った。ご主人クン、と俺を呼ぶ前に、黒色の彼ときちんと話して欲しい。今もすごく怒っている……。

「何してんだ! またここをヤリ場にする気か? 神聖なメイドカフェを汚すな!」
「え~、でもおれはご主人クンのためにこのお店作ったんだけど。オーナー権限でご主人クン限定でおれがえっちなご奉仕も許可することにしま~す」
「おい、いい加減にしろ! そもそもメイドカフェの運営方針の権限はメイド長の俺と店長のお~くんにあるだろうが! 金持ちクズ、今日こそパイプカットしてやる!」

 言われてる張本人はきゃ~こわ~い、と俺の腕に抱きついた。上目遣いでご主人クン助けて~とお願いされて、一瞬だけくらっと来てしまう。
 この騒動に気付いてか、彼らの背後からまた一人現れた。黒髪の短髪に黒縁眼鏡の男は、白いワイシャツの上から黒のエプロンをつけている。身長は黒いメイドより高いが、二人ほど身長があるわけでもない。唯一のメイドではない人物だった。

「り、林堂落ち着けって……」
「お客様の前ではりっちゃんだろうが! お~くん、包丁持ってこい!」

 眼鏡の彼が宥めているが、落ち着く気配はない。それはそうだ、元凶はさっぱり話を聞こうとしていないのだから。

「め、めいくん、俺はとりあえず外に……」
「めい、くん……? 阿左美ィ! お前、俺と約束したよなァ!? 店では名前を教えないって、一番最初に約束したよなァ!?」
「ご主人クンは特別なので~。オーナー権限でご主人クンはおれのことを下の名前で呼ばなければならないということにしま~す」
「っおい、りっちゃん落ち着け、殴っちゃ駄目だ! 癸、りっちゃんを止めてくれ!」
「んー、これってどっちに加担した方が得すか?」
「だーかーら、お客様の前ではみ~くんだろうが! 朝寝坊カス、阿左美とその人を引き剥がせ!」

 俺を置き去りにメイド達がわちゃわちゃしている。こんなになっても元凶はマイペースにご主人ク~ンと俺のことを呼んだ。りっちゃんと呼ばれているメイドにバレないようになのか、耳元を隠して囁く。

「助けて欲しいでしょ。おれに、助けてめいくん~って命令してよ」

 からかうように息を吹きかけられ、思わず嬌声に似た音が漏れた。マズいと思うと同時に、りっちゃんさんと目が合う。身長は俺と変わらないくらいなのに、今にも眼鏡の彼の拘束を払いそうだ。
 ああもう、どうにでもなれ!
 にこにことしているめいくんと目が合う。意を決して、彼の耳元に口を近付けた。

「助けて、めいくん」
「うんうん、ご主人クンの命令は叶えてあげないとね~。癸、おれについたらまかない一週間タダでいいよ」
「阿左美様……! りっちゃんサン、悪いんすけどオレも生活がかかってるんで許して欲しいっす」

 水色のメイドはすみません、と謝った後、りっちゃんさんを肩に抱えた。ジタバタしている彼のスカートの中は大量のフリルに埋められて、何かが覗く余地がない。

「じゃあおれも~」
「ん? ちょ、ちょっと!?」

 めいくんは立ち上がったと思ったら、ひょいと俺を担いだ。ここのデカい方のメイドはどうなっているんだ。
 彼らが離れていく。抵抗する元気はさっぱりない。向かう先は察しがついた、絶対にあのファンシーな部屋だ。
 大の大人を肩に担いだままめいくんは器用に扉を開けて、半ば投げるように俺をベッドに落とした。そうされて、水色の彼が俺を丁重に扱っていたのだと気付いた。
 めいくんが鍵を掛けてからすぐに、ドンドン! と扉を殴る音と聞き取れるかどうかの怒声がこの部屋にぶつけられる。しばらくそれは続いていたが、恐らく二人のどちらかが宥めたのだろう、いつの間にか止んでいた。
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