13 / 66
ミヒャエルと投資事業(1)
しおりを挟む
家庭教師のマイヤ夫人からは、護身術も教わっている。
「ドリスお嬢様、もっと本気で殴ってくれていいですよ?」
オスカーの笑いを含んだ声にムッとして腰を入れ直し、みぞおちめがけて拳を叩きつけてみたけれど、硬い筋肉に覆われた体はビクともしない。
むしろわたしの手のほうがどうにかなりそうだ。
「もうっ!」
ムキになって両手でポカポカ殴り続けるわたしを見下ろして、オスカーが「あははっ」と大きな声で笑う。
最近、オスカーはよく笑うようになった。
オスカーの笑い声が庭に響き渡ったところで、ミヒャエルも庭に出てくるのが護身術のレッスンのお約束パターンとなっている。
わたしの楽し気な声が聞こえると、居ても立ってもいられなくなるのだろう。
執務を猛烈な勢いで終わらせてしまうミヒャエルだ。
「楽しそうだね」
「オスカーのお腹が硬すぎるの」
笑いながらやって来たミヒャエルを振り返ると、ブンブン揺れる尻尾とぴょこぴょこ動く三角の耳が見える。
構ってほしいということだろう。
しかしミヒャエルの体もまた鋼の筋肉に覆われているわけで、拳でポカポカ叩いても何のダメージも与えられないことはわかっている。
だったら……。
奇襲のコチョコチョ攻撃よっ!
懐に飛び込むようにミヒャエルに駆け寄ると、服の上からわき腹をくすぐった。
「うわっ! ドリス……ちょっ、あははっ!……降参、降参だ」
まさかの攻撃にミヒャエルが身をよじりながらあっさり白旗を上げる。
「どうだ!」
ふんすと胸を張るわたしをミヒャエルがぎゅうっと抱きしめた。
「ドリス、くすぐり攻撃は反則だ」
「いいえ、いざ暴漢に襲われた時には反則も何もございませんわ」
傍らで見守っていたマイヤ夫人の声が響く。
「そうですね」
ミヒャエルがわたしの背中に回していた腕を解き、マイヤ夫人の方へと向き直る。
「ドリスお嬢様、先程の不意打ちはなかなか良いアイデアでした。しかしああいった虚をつく攻撃は、一度しか通用しないことを肝に銘じることです。それに……」
真面目に講評を述べるマイヤ夫人がここで言葉を切り、わたしに向かってにっこり笑う。
「相手が隙を見せた後、ふんぞり返っての得意顔はいただけませんね。そういう時は、どうすればいいのでしたっけ」
「全力で逃げる!」
「正解です」
その言葉が合図となってわたしが「きゃーっ!」と叫びながら駆けだすと、それをミヒャエルとオスカーが追いかけてくる。
オスカーが本気で追いかけてきたら、わたしなどすぐに捕まってしまう。しかしこれは、手加減しまくりのお遊びだ。
もはや護身術ではなくただの鬼ごっこであり、それがかくれんぼに発展するのもお決まりパターンで、わたしたち三人がどろんこになったところで
「本日はここまでにしましょう」
というマイヤ夫人の少々呆れた声で終了するのもまた、護身術のレッスンのお約束だった。
もはや護身術とは名ばかりだ。
このレッスンを数回経験してようやく気付いたことだけれど、これはわたしの体力づくりとストレス発散のためにマイヤ夫人がそういう場を設けてくれているのではないか。
それにミヒャエルとオスカーも協力してくれているのだろう。
ドリスは、とても愛されている。
マイヤ夫人を即刻クビにしたであろう悪役令嬢ドリスは、こんな楽しいことを体験していたのだろうか。それとも嘘に嘘を重ね、どうすれば大人を意のままに操れるだろうかという悪だくみばかりを考えていたんだろうか。
身に余る愛情を受け、贅沢をさせてもらい、それでもまだ足りないと己の欲望を増幅させて飲み込まれてしまったのだとしたらとても悲しい。
今のわたしには曲りなりも前世で20年生きた記憶と経験がある。もしもそのことを思い出さなければ、悪役令嬢ドリスと同じ運命を辿ることになっていただろう。
良識あるはずの大人たちでさえ、現状に満足できず私利私欲に駆られてしまうのが人間だ。
それはわたしが前世で暮らしていた世界だけでなく、この世界でも同様だ。それだけではない。ここはゲームの世界であり、各キャラクターは個性が際立つように悪役はより悪役らしく、英雄はより英雄らしく極端に振り切れた設定になっていることも関係しているのだろう。
悪役令嬢ドリスの鬼畜なまでの悪役設定だってそうだ。
多少強引なことをしたり、突拍子もない発言をしたって「ドリスだから」で許されるシステムなのかもしれない。
ということは、それを逆手に取ってそろそろ鉱山投資に口出ししてみようか。
ゲームの中で鉱山の話はチラリとした出てこないが、そこはハルアカを3周した経験を持つわたしだ。この後、宝の山となる鉱山の名前をいくつか覚えている。
この世界がシナリオ通りに進行しているのなら、きっと今回も宝の山になってくれるだろう。
エーレンベルク伯爵家が破産しなければドリスの破滅フラグも回避しやすくなるはずだ。
「ねえ、ハンナ」
ミヒャエルとオスカーとの鬼ごっこで泥んこになったわたしの髪を丁寧に洗ってくれているメイドのハンナに話しかける。
「何でしょう」
「わたし今、とっても幸せよ。ずっとみんなと一緒にいたいわ」
櫛を持つハンナの手が止まった。
「最近、旦那様もオスカー様もよく笑われるようになって、お屋敷がとても明るくなりました。私たち使用人一同も大変幸せな気持ちでおります」
優しく髪を梳かれているうちに、心地よい眠気に誘われて目を閉じる。
さらなる高みを目指して野望を抱くのも大事なことではあるけれど、今こうして与えられている身の丈に合った幸せに感謝することを忘れないようにしよう。
そう思ったのだった。
「ドリスお嬢様、もっと本気で殴ってくれていいですよ?」
オスカーの笑いを含んだ声にムッとして腰を入れ直し、みぞおちめがけて拳を叩きつけてみたけれど、硬い筋肉に覆われた体はビクともしない。
むしろわたしの手のほうがどうにかなりそうだ。
「もうっ!」
ムキになって両手でポカポカ殴り続けるわたしを見下ろして、オスカーが「あははっ」と大きな声で笑う。
最近、オスカーはよく笑うようになった。
オスカーの笑い声が庭に響き渡ったところで、ミヒャエルも庭に出てくるのが護身術のレッスンのお約束パターンとなっている。
わたしの楽し気な声が聞こえると、居ても立ってもいられなくなるのだろう。
執務を猛烈な勢いで終わらせてしまうミヒャエルだ。
「楽しそうだね」
「オスカーのお腹が硬すぎるの」
笑いながらやって来たミヒャエルを振り返ると、ブンブン揺れる尻尾とぴょこぴょこ動く三角の耳が見える。
構ってほしいということだろう。
しかしミヒャエルの体もまた鋼の筋肉に覆われているわけで、拳でポカポカ叩いても何のダメージも与えられないことはわかっている。
だったら……。
奇襲のコチョコチョ攻撃よっ!
懐に飛び込むようにミヒャエルに駆け寄ると、服の上からわき腹をくすぐった。
「うわっ! ドリス……ちょっ、あははっ!……降参、降参だ」
まさかの攻撃にミヒャエルが身をよじりながらあっさり白旗を上げる。
「どうだ!」
ふんすと胸を張るわたしをミヒャエルがぎゅうっと抱きしめた。
「ドリス、くすぐり攻撃は反則だ」
「いいえ、いざ暴漢に襲われた時には反則も何もございませんわ」
傍らで見守っていたマイヤ夫人の声が響く。
「そうですね」
ミヒャエルがわたしの背中に回していた腕を解き、マイヤ夫人の方へと向き直る。
「ドリスお嬢様、先程の不意打ちはなかなか良いアイデアでした。しかしああいった虚をつく攻撃は、一度しか通用しないことを肝に銘じることです。それに……」
真面目に講評を述べるマイヤ夫人がここで言葉を切り、わたしに向かってにっこり笑う。
「相手が隙を見せた後、ふんぞり返っての得意顔はいただけませんね。そういう時は、どうすればいいのでしたっけ」
「全力で逃げる!」
「正解です」
その言葉が合図となってわたしが「きゃーっ!」と叫びながら駆けだすと、それをミヒャエルとオスカーが追いかけてくる。
オスカーが本気で追いかけてきたら、わたしなどすぐに捕まってしまう。しかしこれは、手加減しまくりのお遊びだ。
もはや護身術ではなくただの鬼ごっこであり、それがかくれんぼに発展するのもお決まりパターンで、わたしたち三人がどろんこになったところで
「本日はここまでにしましょう」
というマイヤ夫人の少々呆れた声で終了するのもまた、護身術のレッスンのお約束だった。
もはや護身術とは名ばかりだ。
このレッスンを数回経験してようやく気付いたことだけれど、これはわたしの体力づくりとストレス発散のためにマイヤ夫人がそういう場を設けてくれているのではないか。
それにミヒャエルとオスカーも協力してくれているのだろう。
ドリスは、とても愛されている。
マイヤ夫人を即刻クビにしたであろう悪役令嬢ドリスは、こんな楽しいことを体験していたのだろうか。それとも嘘に嘘を重ね、どうすれば大人を意のままに操れるだろうかという悪だくみばかりを考えていたんだろうか。
身に余る愛情を受け、贅沢をさせてもらい、それでもまだ足りないと己の欲望を増幅させて飲み込まれてしまったのだとしたらとても悲しい。
今のわたしには曲りなりも前世で20年生きた記憶と経験がある。もしもそのことを思い出さなければ、悪役令嬢ドリスと同じ運命を辿ることになっていただろう。
良識あるはずの大人たちでさえ、現状に満足できず私利私欲に駆られてしまうのが人間だ。
それはわたしが前世で暮らしていた世界だけでなく、この世界でも同様だ。それだけではない。ここはゲームの世界であり、各キャラクターは個性が際立つように悪役はより悪役らしく、英雄はより英雄らしく極端に振り切れた設定になっていることも関係しているのだろう。
悪役令嬢ドリスの鬼畜なまでの悪役設定だってそうだ。
多少強引なことをしたり、突拍子もない発言をしたって「ドリスだから」で許されるシステムなのかもしれない。
ということは、それを逆手に取ってそろそろ鉱山投資に口出ししてみようか。
ゲームの中で鉱山の話はチラリとした出てこないが、そこはハルアカを3周した経験を持つわたしだ。この後、宝の山となる鉱山の名前をいくつか覚えている。
この世界がシナリオ通りに進行しているのなら、きっと今回も宝の山になってくれるだろう。
エーレンベルク伯爵家が破産しなければドリスの破滅フラグも回避しやすくなるはずだ。
「ねえ、ハンナ」
ミヒャエルとオスカーとの鬼ごっこで泥んこになったわたしの髪を丁寧に洗ってくれているメイドのハンナに話しかける。
「何でしょう」
「わたし今、とっても幸せよ。ずっとみんなと一緒にいたいわ」
櫛を持つハンナの手が止まった。
「最近、旦那様もオスカー様もよく笑われるようになって、お屋敷がとても明るくなりました。私たち使用人一同も大変幸せな気持ちでおります」
優しく髪を梳かれているうちに、心地よい眠気に誘われて目を閉じる。
さらなる高みを目指して野望を抱くのも大事なことではあるけれど、今こうして与えられている身の丈に合った幸せに感謝することを忘れないようにしよう。
そう思ったのだった。
20
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

【完結】名前もない悪役令嬢の従姉妹は、愛されエキストラでした
犬野きらり
恋愛
アーシャ・ドミルトンは、引越してきた屋敷の中で、初めて紹介された従姉妹の言動に思わず呟く『悪役令嬢みたい』と。
思い出したこの世界は、最終回まで私自身がアシスタントの1人として仕事をしていた漫画だった。自分自身の名前には全く覚えが無い。でも悪役令嬢の周りの人間は消えていく…はず。日に日に忘れる記憶を暗記して、物語のストーリー通りに進むのかと思いきや何故かちょこちょこと私、運良く!?偶然!?現場に居合わす。
何故、私いるのかしら?従姉妹ってだけなんだけど!悪役令嬢の取り巻きには絶対になりません。出来れば関わりたくはないけど、未来を知っているとついつい手を出して、余計なお喋りもしてしまう。気づけば私の周りは、主要キャラばかりになっているかも。何か変?は、私が変えてしまったストーリーだけど…

【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた
21時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話
みっしー
恋愛
病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。
*番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

小説主人公の悪役令嬢の姉に転生しました
みかん桜(蜜柑桜)
恋愛
第一王子と妹が並んでいる姿を見て前世を思い出したリリーナ。
ここは小説の世界だ。
乙女ゲームの悪役令嬢が主役で、悪役にならず幸せを掴む、そんな内容の話で私はその主人公の姉。しかもゲーム内で妹が悪役令嬢になってしまう原因の1つが姉である私だったはず。
とはいえ私は所謂モブ。
この世界のルールから逸脱しないように無難に生きていこうと決意するも、なぜか第一王子に執着されている。
そういえば、元々姉の婚約者を奪っていたとか設定されていたような…?
【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい
三谷朱花
恋愛
アリス・デッセ侯爵令嬢と婚約者であるハース・マーヴィン侯爵令息の出会いは最悪だった。
そして、学園の食堂で、アリスは、「ハース様を解放して欲しい」というメルル・アーディン侯爵令嬢の言葉に、頷こうとした。

成り上がり令嬢暴走日記!
笹乃笹世
恋愛
異世界転生キタコレー!
と、テンションアゲアゲのリアーヌだったが、なんとその世界は乙女ゲームの舞台となった世界だった⁉︎
えっあの『ギフト』⁉︎
えっ物語のスタートは来年⁉︎
……ってことはつまり、攻略対象たちと同じ学園ライフを送れる……⁉︎
これも全て、ある日突然、貴族になってくれた両親のおかげねっ!
ーー……でもあのゲームに『リアーヌ・ボスハウト』なんてキャラが出てた記憶ないから……きっとキャラデザも無いようなモブ令嬢なんだろうな……
これは、ある日突然、貴族の仲間入りを果たしてしまった元日本人が、大好きなゲームの世界で元日本人かつ庶民ムーブをぶちかまし、知らず知らずのうちに周りの人間も巻き込んで騒動を起こしていく物語であるーー
果たしてリアーヌはこの世界で幸せになれるのか?
周りの人間たちは無事でいられるのかーー⁉︎
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる