上 下
6 / 80

二重生活がはじまりました①

しおりを挟む
 領地にあるマーシェス侯爵家の屋敷は高台にあり、2階のバルコニーからはかなり遠くまで外の景色が見渡せるようになっている。
 そこから真っすぐ前方に見える大樹を眺めながら、旦那様と初めてデートをしたあの日のことを思い出していた。

 大樹の成長と共にその地下ではダンジョンが成長を続けている。ダンジョンがとても不思議な空間であること、地下3階にはどういうわけか海があって沖にはクラーケンという大きなイカの魔物が出ること、だからここは海から遠いのにイカ焼きが名物だと旦那様が熱心に語るのを、さも初耳のように、
「まあ、そうなんですの?」
「おもしろそうですわ」
と相槌を打った。

 そのあと一緒にイカ焼きを食べた時も、初めて食べたていで、しかも普段のように大きな口を開けてかぶりつくようなことはせずに上品に食べた。
「この大樹はね、もうすぐ花が咲くだろうと言われているんだ。花が咲いたら、またふたりで見にこよう」
 そう言って甘く微笑む旦那様に、わたしも微笑み返した。
「はい。楽しみです」

 しかしその時、心の中ではまったく違うことを考えていた。
 ダンジョンを完全制覇すれば初回に限り大樹に花が咲くのは有名な話。
 すでに踏破されているよそのダンジョンでも初の踏破者が出るとそれを祝うかのように花が咲いたという記録が残されている。

 ダンジョンの成長は樹によってまちまちで、このマーシェスダンジョンは成長ペースがとてもゆっくりであるため、どこまで階層が広がればおしまいなのかすらハッキリしていない。よそのダンジョンとの比較で、おそらく地下50階で終わりだろうと推測されている。

 大樹の花には不老長寿の効果があると言われているのはまあ眉唾物だとしても、一度しか咲かない花を見てみたいし、なんなら風に揺れて散る花びらを1枚ぐらい拾って押し花にして残しておけないだろうかと期待している。

「花を咲かせるのは俺らだから。みんなで花見しながらイカ焼きを腹いっぱい食おうぜ」
「踏破できるといいですね」
「できるといいじゃなくて、踏破するんだよ」
 旦那様に大樹の花の話を聞いた時に、ロイさんと交わした会話を思い出して胸がツキンと痛んだ。

 その痛みは、冒険者としても男性としても慕っていたロイさんを失った悲しみと、結婚間近であるにもかかわらず他の男性のことを考えている後ろめたさの両方だったのだと思う。

 だから、旦那様にも愛人がいるとわかった時、お互い様だったのだとホッとした。
 行方知れずとなってしまったロイさんと今後どうこうなるはずもないし、旦那様との婚約を了承した時点で捨てたはずの感情だったけれど、ふとしたことがきっかけでロイさんの顔や声を思い出してしまう。

「奥様、本日のご予定はいかがなさいますか」
 突然声が聞こえて現実に引き戻される。
 振り返ると、バトラースーツをカッチリと着こなす執事のハンスが無表情で立っていた。

「図書室の観葉植物の植え替えをマックに手伝ってもらうことになっています。午後はいつも通り、執務はお任せします」
「かしこまりました」
 軽く頭を下げたハンスは隙の無い身のこなしで去っていく。

 彼は親子でマーシェス家に仕えていて、父親は王都の執事をしている。
 領地の屋敷に常駐している使用人は執事が1名・メイド3名・料理人1名・庭師1名だ。旦那様の家族が長期滞在する時や特別な行事がある場合は、王都の使用人が助っ人でやってくるほか、領民を臨時雇用して対応しているらしい。

 結婚式の翌日に領地へ来たが、その日の朝食の席で
「きみのことを頼むよう、向こうの執事にいいつけてあるから」
と言われただけで、旦那様は送ってくださることはもちろんのこと、見送りすらしてくれなかった。

 領地に到着して使用人全員に簡単な自己紹介をしてもらった後、執事のハンスに言われたことがある。
「領地経営に関しましては旦那様のご命令より私に一任されておりますので、奥様を煩わせることはないと思います」
 つまり出しゃばって口出すんじゃねえぞって言いたいのね。

「もしも領民から直接奥様の方に要望があったとしても、その場で返事はなさらないよう、くれぐれもご注意ください。必ず私か旦那様に相談してみるとお答えください」
 はいはい、何も知らん田舎者の小娘が安請け合いすんじゃねえぞって言いたいのね。
 領地経営に口を出す気などさらさらないわたしは、ハンスの言いつけを全て了承した。

 案内されたわたしの部屋は2階の廊下の奥で、日当たりの良いバルコニーからはマーシェスダンジョンの大樹が見えた。
 ワードローブにはすでに服がぎっしりと下がっていて、ドレスのほかに普段使いのワンピース、ナイトウェア、それに侯爵夫人には似つかわしくないコットンシャツにカーゴパンツまである。

 カーゴパンツはダンジョンへ行くにはうってつけの服ではあるけれど、なぜこれが……?
 首を傾げていると、それに気づいたハンスが説明してくれた。
「旦那様のお言いつけで私が揃えました。奥様は土に親しむのがご趣味だと伺っておりますので、作業のためのそういった服装もご用意いたしました」
 土いじりが好きだと旦那様に言ったことがあったかしら。

 まあ、なかったとしても釣書に趣味として書かれていたのかもしれない。
 何にせよこれはありがたい!
「ありがとう。普段の身支度はひとりでできるからメイドの手伝いは不要です。ドレスアップのときだけお願いします」
「かしこまりました」

 次に、廊下の突き当りにある部屋へと案内された。
 壁を埋め尽くす棚にぎっしりと本が並ぶ圧巻の光景に息を呑んだ。
 読書用のソファと窓際にはロッキングチェアもあり、観葉植物も置かれている。ゆっくりくつろぎながら読書に没頭できそうな環境だ。

「読書の趣味もおありだと伺っておりますので、この図書室はどうぞご自由にお使いください」
 いやいや、そんな趣味はありません。
 わたしはいつから読書家になったの!?

 きっとこれも、正直に書いたら嫁の貰い手がないと踏んだ父が勝手に捏造したのだろうと思いながら、曖昧に頷いたのだった。
 
しおりを挟む
感想 53

あなたにおすすめの小説

夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~

狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
もう耐えられない! 隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。 わたし、もう王妃やめる! 政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。 離婚できないなら人間をやめるわ! 王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。 これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ! フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。 よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。 「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」 やめてえ!そんなところ撫でないで~! 夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――

お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!

水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。 シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。 緊張しながら迎えた謁見の日。 シエルから言われた。 「俺がお前を愛することはない」 ああ、そうですか。 結構です。 白い結婚大歓迎! 私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。 私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

婚約者に騙されて巡礼をした元貧乏の聖女、婚約破棄をされて城を追放されたので、巡礼先で出会った美しい兄弟の所に行ったら幸せな生活が始まりました

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
私は婚約者に騙されて、全てを失いました―― 私の名前はシエル。元々貧しいスラムの住人でしたが、病弱なお母さんの看病をしていた時に、回復魔法の力に目覚めました。 これで治せるかと思いましたが、魔法の練習をしていない私には、お母さんを治せるほどの力はありませんでした。 力があるのに治せない……自分の力の無さに嘆きながら生活していたある日、私はお城に呼び出され、王子様にとある話を持ちかけられました。 それは、聖女になって各地を巡礼してこい、その間はお母さんの面倒を見るし、終わったら結婚すると言われました。 彼の事は好きではありませんが、結婚すればきっと裕福な生活が出来て、お母さんに楽をさせられる。それに、私がいない間はお母さんの面倒を見てくれる。もしかしたら、旅の途中で魔法が上達して、お母さんを治せるようになるかもしれない。 幼い頃の私には、全てが魅力的で……私はすぐに了承をし、準備をしてから旅に出たんです。 大変な旅でしたが、なんとか帰ってきた私に突きつけられた現実は……婚約などしない、城から追放、そして……お母さんはすでに亡くなったという現実でした。 全てを失った私は、生きる気力を失いかけてしまいましたが、ある事を思い出しました。 巡礼の途中で出会った方に、とある領主の息子様がいらっしゃって、その方が困ったら来いと仰っていたのです。 すがる思いで、その方のところに行く事を決めた私は、彼の住む屋敷に向かいました。これでダメだったら、お母さんの所にいくつもりでした。 ですが……まさか幸せで暖かい生活が待ってるとは、この時の私には知る由もありませんでした。

妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?

木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。 彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。 公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。 しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。 だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。 二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。 彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。 ※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。

騎士様に愛されたい聖女は砂漠を行く ~わがまま王子の求婚はお断り!推しを求めてどこまでも~

きのと
恋愛
大好きな小説の登場人物、美貌の聖女レイシーに生まれ変わった私。ワガママ王子の求婚を振り切って、目指すは遥か西、灼熱の砂漠の国。 そこには最愛の推しキャラ、イケメン騎士のサリッド・アル=アスカリーがいる。私の目的はただ一つ、彼の心を射止めること。前世の知識を駆使して、サリッドの旅に同行することに成功。恋愛テクニックで彼の気を引くつもりが、逆にきゅんきゅんさせられてしまったり。それでも確実に二人の距離は縮まっていった。サリッドが忠誠を捧げた国王陛下までも味方につけ、順風満帆!……だったはずが、とんでもない邪魔が!なんとワガママ王子が旅についてくるという。果たしてこの恋、成就できるの?

処理中です...