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第三章
18.「Clocks」
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『今、兵威已に振るう。譬えば竹を破るが如く、数節の後、皆刃を迎えて解く。復た手を著くる処無きなり。』
中国は晋の武将、杜預が敵国呉の首都建業に攻め入る直前で、止まらぬ自軍の勢力を表し、兵の士気を上げるために言い放った言葉である。
竹は数節を絶ってしまえば、刀の勢いを受けてバラバラになり、いとも容易く裂けていく。そう説き伏せた結果、晋は機を逸することなく呉を滅ぼし三国統一を果たした。
あれからのタテヤマリュウは正しく「破竹の勢い」であった。
「R-MIX」出演から二週間後、彼は放送で披露した曲『My Mistake』をソロシングルとしてリリースした。
実に十年ぶりとなるタテヤマの新曲はどこまでも純粋なロックバラードだった。心の中に溶け込むようなメロディと、素朴で感情のこもった歌声。しかし、それはかえって特異な一曲となった。小洒落た流行りの服が並ぶアパレルショップのど真ん中で忽然と輝く一枚の白Tシャツのように、その「ど真っ直ぐさ」が、複雑化する音楽シーンの中で大衆の目を引いた。
「タテヤマリュウの復活」は小さなローカルニュースの域をとうに出て、オルタナティヴロックの復興を予感させる事変として取りあげる記事も書かれていた。
また、放送中に宣言したとおり、秋の終わりにはフルアルバムをリリースすることを表明し、ワンマンライブの開催も発表した。噂では、彼の弟のバンドのアルバムリリースと同時期にぶつけることを狙うプロポーション戦略があるとも言われていた。
そして、我らが番組「R-MIX」もまた好機をモノにして、沢山の竹を割りまくっていた。
「タテヤマリュウの復活」という割れ目をきっかけに、「R-MIX」の認知は急速的に広まった。元々はタテヤマのカムバックを聞きつけた音楽系メディアが、三面記事にでもしようと「R-MIX」を見つけて取材に来たのが始まりであった。
――女子高校生と地方ラジオ。女子高校生と洋ロック。女子高校生と盛りを過ぎたスター。
意外性のあるそれらの掛け算を、記者が面白がってネット記事にしたところ、その記事を読んだラジオファンやロック好きによってSNS上で話題となった。シイナはその小さな火種を見逃さず、番組のSNSアカウントで放送中の様子を切り抜き動画として投稿したり、敢えて渋い70年代や80年代の洋楽やサブカル寄りの選曲を増やすことで、全国区のファンをたちまち獲得していった。
無論、それを一過性の流行りとして終わらせなかったのは、ハルカの確かな知識と実力、そして彼の父フルタが今まで築き上げてきた番組の基盤が在ったからこそであることは語るまでもない。
ラジオアプリ『ラジット』でも、放送日の日曜には毎週のようにランキングに顔を出し、スペシャルウィーク前までは常に圏外だった週間ランキングや月間ランキングでも、全国のラジオ番組の中で三十位には食い込むようになった。
地方局の一番組としては、異例の存在感を放っていた。
〇〇〇
タテヤマの出演した特別回の放送から、一か月半が経った十月半ば。
その渦中のパーソナリティハルカは、ラジオ局内の一角にある喫茶店でコーラを飲みながら音楽雑誌を読んでいた。表紙には、派手なヴィジュアルをしたイタリアの若手バンドの写真。小さな見出しの中に「タテヤマ」という文字も見えた気がした。
「なぁ」
私の声掛けは百ページあるかどうかの雑誌の壁を越えることができなかったようで、向かいのハルカは何も応えない。
「……なぁ」
もう一度、今度は少し声を張って声を掛ける。流石の彼女も顔を上げて私を一瞥した。が、そのまま再度雑誌に目を戻した。
「おい。今は目があっただろ」
「何? 私は音楽の最新情報を収集するのに忙しいんだけど」
彼女は雑誌を閉じながら眉間に皺を寄せ、いかにも不愉快な顔をした。
「あれあれ? ハルカちゃんじゃない?」
ハルカの右側、オフィスと喫茶店の空間を仕切る観葉植物の間から、聞き覚えのある声がした。
「え! トニーさんこんにちは! 放送終わりですか?」
「そうよぉ。もう歳だから三時間も生はキツいのよぉ」
エネルギッシュで通る声の方を向くと、体格の良い男が立っていた。陽気すぎる声色と彫りの深い顔立ち、一際目立つ派手な白ジャケットは、トニー・ヘイブンス以外あり得なかった。トニーはRAR-FMを代表するラジオパーソナリティの一人だった。10年以上にわたって月曜日から木曜日の帯番組を担当し、「昼の顔」として親しまれている。
しばらくすると、トニーは回り込んで店内に入り私たちの隣に座って、慣れた様子でホットコーヒーを注文した。
「それにしても、アンタ達最近上り調子らしいわね」
「はい! ありがとうございます!」
いつも肝を冷やす謙遜のないハルカの受け答えも、トニー相手にはこれが正解なのだろうと揺れる彼の口ひげを見ながら思う。
「局内でも評判すごいわよ。シイナちゃんがあれだけ入れ込んでるのも分かるわぁ」
実際、ラジオ局内での『R-MIX』の立ち位置は少し変わったらしい。夏前までは打ち切り一歩手前の下馬票だったが、今ではフルタが写った番組のポスターをハルカで作って貼り直そうという提案もされるほどだった。
「ほんと、あんなに小さかったハルカちゃんがねぇ。それに……」
トニーは視線を私の方を移した。
「ボーイくんもねぇ」
「……はい?」
「君、作家さんでしょ? なかなか面白い……というより変な台本書くよね!」
「え」
私は、その言葉を処理することに追われる。
手放しに褒めるような声色で棘だらけの言葉を投げかけられた気がするし、そもそも、プロのラジオパーソナリティに私を作家として認識されていることが想定外であった。私は彼の発言の意図が読み取れず、そのままハルカの方を見た。彼女は何故か得意顔でトニーを見ている。
トニーはそんな私たちを面白がったように「アハハ」と笑った。
「……変、ですか」
「そりゃ変だよぉ。ウチの番組の作家があんな台本書いてきたら、絶対使わないよ!」
指先をなぞっていた棘が、皮膚を突き破ってチクリと刺さるような感じがした。横隔膜が震えて、急に気持ちが悪くなる。
「……そう、変だ。もうフルタ君のR-MIXの面影なんて、ほとんどないくらいにね」
今度は釘を刺しながら自分の言葉を噛み締めるように言った。トニーからしてみれば、盟友のやっていたラジオ番組が、得体の知れない青二才達に形を変えられ、その上それなりの評価を得始めている。彼が私達を快く思っていないことは想像に容易い。
「でもね、僕はこれが本来あるべきだと思うんだよ」
短い沈黙の後、彼の言った言葉は予想外のものだった。
「だって、時代は変わっていくのものでしょ。人の価値観も目まぐるしく変わっていくのに、同じ人間が何のアップデートもしないまま限られた枠に居座り続けてるのは、もはやエゴなんじゃないかってねぇ」
虚を突かれて、私は改めてトニーを真っ直ぐに見た。彼は口角を上げ、屈託のない少年のような顔でこちらを見ていた。
「特に地方ラジオなんてそもそもが淘汰されやすい世界でさ、世代交代が出来なきゃその先に未来はないよね。だから、陳腐化したラジオの文化を新しい形でアップデートしていくのは君たちなんじゃないかなって」
演説のような口上には、深い思慮と強い説得力を感じる。
「ハルカちゃんも、そういうつもりでR-MIXを継いだんでしょ?」
ハルカは、小さくコクリと頷いた。それを見て、トニーは納得した顔をすると、視線の先を私に移した。
「じゃあさ、少年はどうしてラジオなんだい?」
トニーの声に記憶の中のシイナの声が重なって聞こえた気がした。
初めてスタジオに来た頃、似たようなことを聞かれた。私の口から出た言葉は「成り行き」だった。
でも、今はその答えが自分の体の中に在る気がした。
「……一番、近いからです」
「……近い?」
トニーの顔から笑顔が消えて眉間に皺がよると、連動するように自分の心臓がキュッと縮む。それでも、言葉を搾り出そうとする。
「ラジオは」
「ま、いいや! そんな君たちを見越して頼み事があるんだけどどうかな」
急旋回するトニーの言葉は、脳内の地形図をぐちゃぐちゃにした。
「頼み事ですか?」
ハルカが聞き返した。
「来月さ。音楽イベントあるでしょRAR-FM主催のさ」
「はい。まぁ、R-MIXは枠もらってないので、関係無いんですけど」
ハルカが返すと、トニーはその言葉を待っていたかのようにニヤリと笑った。
「それで毎年、うちの番組の枠が1時間あるんだけど、いつもキャスティングしてる歌手の人が病気で活動休止しちゃってさ。……賢いハルカちゃん君達なら言いたいことはもう分かるよね?」
私はハルカの顔を窺う。そこにあったのは、いいんですかとでも言わんばかりの期待に満ち溢れた眼差しであった。
「ウチにくれるってことで大丈夫ですか?」
「そう。頼めるかな」
「もちろんです! ありがとうトニーさん!」
想像していた言葉が想像していた声で聞こえた。
「言うと思ったわぁ。流石ハルカちゃん! 詳細はシイナちゃんに伝えておくわね。んじゃ!」
トニーはそう言うと、グイとカップのコーヒーを空にして店を後にした。
「やったね! フクチ!」
ハルカはそう言って笑う。その笑顔に私は少し眩暈がした。
「いやいや。なんで即断で承諾するんだよ! イベントまでたった一月だぞ」
「ワクワクだね」
「じゃなくて、どうするんだよ! 企画の立案からキャスティングから……そもそも枠貰って何をやる気なんだよ」
ハルカは洋画の登場人物のように、両手を水平に広げるオーバーリアクションで呆れた顔を見せる。
「貴方はいつもバイスタンダーみたいなことを言うわね」
「はぁ?」
「貴方はもうお手伝いじゃない。「私がどうしようとしてるか」じゃなくて、「貴方がどうしたいか」を考えて教えてよ。放送作家さん」
ハルカの眼差しは、私の言葉に対する期待を込めているように見えた。結露のたまったグラスに一筋の雫が流れ落ちる。
私は自分の見たいもの、人に見せたいものを考える。その場しのぎに取り繕った回答でハルカが納得するとは思えない。
また一筋、一筋と雫がコーラのグラスを伝い円状の水たまりが出来上がって、私は口を開いた。
「……僕は、この番組に入ってから色んな経験をさせられた。絶対読まなかったであろう本を読んだり、ライブハウスで押しつぶされたり、スポンサー存続の交渉したり」
「重たい着ぐるみに入って子供に殴られたり」
「……突然、放送作家をやらされたり」
「スポーツバーで傲慢なフーリガンに罵倒されたり」
途中からハルカと言い合うようにして、今までの軌跡をなぞった。
「ちょっと待て。ネガティブな記憶ばっかりじゃないか」
「それは貴方の勝手なバイアスがかかってるだけでしょ」
「……とにかく、それで思ったことがある」
「それは?」
ハルカは、少し口角を上げて私の言葉を促す。
もはやその期待に応えられるかどうかも気にせず、私はもうとめどなく溢れる言葉に身を任せていた。
「全部が繋がっている。ラジオも、ロックも、人も、時代も」
自分の発する言葉は、驚くほど自分の中でストンと落ちた。
「……繋がっている、っていうのは?」
「まず、横に繋がっている。同じ時代の中で人と人が繋がっているから、音楽があるしラジオがあるし世界がある。それは、たとえ当人達がいがみ合っていたとしても」
目の前の彼女は、茶化さずに私の回答を噛み砕きながら聞いていた。
だから、私も輪郭を保ったままの話を続けた。
「それから、縦にも繋がっている。トニーさんが言っていたとおり、世界は変わっていくし価値観も変わっていく。その中で失われていくものもあるだろうけど、根幹にあるものはきっと変わっていない。当の本人達が意識的かどうかは知らないけど、本当に核を成しているものはバトンになって渡されている」
グラスの氷は溶け切って、コーヒーの上に水の層ができている。私は彼女の目を捉え直した。
「フルタさんから君に繋がっているように」
自分の発言で彼女の心情がどう動いているか。それを感じ取ることは難しかった。
「それで?」
「……だから、それを表現したい」
話を始めたときの瞬間的な衝動が沈黙の中で収まり始め、自分の発言が恥ずかしくなる。ハルカは少ししてから、ニヤリと笑って口を開いた。
「よし、やろう!」
一点の曇りもない、腹を決めた瞳だった。
「いや、こんな一人のいい加減な考えで決めるものじゃないだろ」
「何言ってるの。ロックもラジオも初期衝動に勝る熟慮なんて存在しないでしょ」
「……だとしても、キャスティングはどうするんだよ。あてがあるのか」
ハルカは、私の顔先で人差し指を左右に振った。
「音楽番組のDJの仕事は、番組をこなすことだけじゃない。インタビューにプロモーション、そして出演交渉。貴方ももう分かっているでしょ?」
「……君、前交渉でタテヤマにブン殴られそうになってなかった?」
「とにかく、私はキャスティングと根回しをしておくから、フクチは台本とトークコーナーを頼んだ」
ハルカはそう言って、机に置いていた音楽雑誌をぎゅっと握って丸めた。
「私達は『イベント』に負けっぱなしで終われないよ」
彼女の目には猛々しい鬼火が宿って見えた。
中国は晋の武将、杜預が敵国呉の首都建業に攻め入る直前で、止まらぬ自軍の勢力を表し、兵の士気を上げるために言い放った言葉である。
竹は数節を絶ってしまえば、刀の勢いを受けてバラバラになり、いとも容易く裂けていく。そう説き伏せた結果、晋は機を逸することなく呉を滅ぼし三国統一を果たした。
あれからのタテヤマリュウは正しく「破竹の勢い」であった。
「R-MIX」出演から二週間後、彼は放送で披露した曲『My Mistake』をソロシングルとしてリリースした。
実に十年ぶりとなるタテヤマの新曲はどこまでも純粋なロックバラードだった。心の中に溶け込むようなメロディと、素朴で感情のこもった歌声。しかし、それはかえって特異な一曲となった。小洒落た流行りの服が並ぶアパレルショップのど真ん中で忽然と輝く一枚の白Tシャツのように、その「ど真っ直ぐさ」が、複雑化する音楽シーンの中で大衆の目を引いた。
「タテヤマリュウの復活」は小さなローカルニュースの域をとうに出て、オルタナティヴロックの復興を予感させる事変として取りあげる記事も書かれていた。
また、放送中に宣言したとおり、秋の終わりにはフルアルバムをリリースすることを表明し、ワンマンライブの開催も発表した。噂では、彼の弟のバンドのアルバムリリースと同時期にぶつけることを狙うプロポーション戦略があるとも言われていた。
そして、我らが番組「R-MIX」もまた好機をモノにして、沢山の竹を割りまくっていた。
「タテヤマリュウの復活」という割れ目をきっかけに、「R-MIX」の認知は急速的に広まった。元々はタテヤマのカムバックを聞きつけた音楽系メディアが、三面記事にでもしようと「R-MIX」を見つけて取材に来たのが始まりであった。
――女子高校生と地方ラジオ。女子高校生と洋ロック。女子高校生と盛りを過ぎたスター。
意外性のあるそれらの掛け算を、記者が面白がってネット記事にしたところ、その記事を読んだラジオファンやロック好きによってSNS上で話題となった。シイナはその小さな火種を見逃さず、番組のSNSアカウントで放送中の様子を切り抜き動画として投稿したり、敢えて渋い70年代や80年代の洋楽やサブカル寄りの選曲を増やすことで、全国区のファンをたちまち獲得していった。
無論、それを一過性の流行りとして終わらせなかったのは、ハルカの確かな知識と実力、そして彼の父フルタが今まで築き上げてきた番組の基盤が在ったからこそであることは語るまでもない。
ラジオアプリ『ラジット』でも、放送日の日曜には毎週のようにランキングに顔を出し、スペシャルウィーク前までは常に圏外だった週間ランキングや月間ランキングでも、全国のラジオ番組の中で三十位には食い込むようになった。
地方局の一番組としては、異例の存在感を放っていた。
〇〇〇
タテヤマの出演した特別回の放送から、一か月半が経った十月半ば。
その渦中のパーソナリティハルカは、ラジオ局内の一角にある喫茶店でコーラを飲みながら音楽雑誌を読んでいた。表紙には、派手なヴィジュアルをしたイタリアの若手バンドの写真。小さな見出しの中に「タテヤマ」という文字も見えた気がした。
「なぁ」
私の声掛けは百ページあるかどうかの雑誌の壁を越えることができなかったようで、向かいのハルカは何も応えない。
「……なぁ」
もう一度、今度は少し声を張って声を掛ける。流石の彼女も顔を上げて私を一瞥した。が、そのまま再度雑誌に目を戻した。
「おい。今は目があっただろ」
「何? 私は音楽の最新情報を収集するのに忙しいんだけど」
彼女は雑誌を閉じながら眉間に皺を寄せ、いかにも不愉快な顔をした。
「あれあれ? ハルカちゃんじゃない?」
ハルカの右側、オフィスと喫茶店の空間を仕切る観葉植物の間から、聞き覚えのある声がした。
「え! トニーさんこんにちは! 放送終わりですか?」
「そうよぉ。もう歳だから三時間も生はキツいのよぉ」
エネルギッシュで通る声の方を向くと、体格の良い男が立っていた。陽気すぎる声色と彫りの深い顔立ち、一際目立つ派手な白ジャケットは、トニー・ヘイブンス以外あり得なかった。トニーはRAR-FMを代表するラジオパーソナリティの一人だった。10年以上にわたって月曜日から木曜日の帯番組を担当し、「昼の顔」として親しまれている。
しばらくすると、トニーは回り込んで店内に入り私たちの隣に座って、慣れた様子でホットコーヒーを注文した。
「それにしても、アンタ達最近上り調子らしいわね」
「はい! ありがとうございます!」
いつも肝を冷やす謙遜のないハルカの受け答えも、トニー相手にはこれが正解なのだろうと揺れる彼の口ひげを見ながら思う。
「局内でも評判すごいわよ。シイナちゃんがあれだけ入れ込んでるのも分かるわぁ」
実際、ラジオ局内での『R-MIX』の立ち位置は少し変わったらしい。夏前までは打ち切り一歩手前の下馬票だったが、今ではフルタが写った番組のポスターをハルカで作って貼り直そうという提案もされるほどだった。
「ほんと、あんなに小さかったハルカちゃんがねぇ。それに……」
トニーは視線を私の方を移した。
「ボーイくんもねぇ」
「……はい?」
「君、作家さんでしょ? なかなか面白い……というより変な台本書くよね!」
「え」
私は、その言葉を処理することに追われる。
手放しに褒めるような声色で棘だらけの言葉を投げかけられた気がするし、そもそも、プロのラジオパーソナリティに私を作家として認識されていることが想定外であった。私は彼の発言の意図が読み取れず、そのままハルカの方を見た。彼女は何故か得意顔でトニーを見ている。
トニーはそんな私たちを面白がったように「アハハ」と笑った。
「……変、ですか」
「そりゃ変だよぉ。ウチの番組の作家があんな台本書いてきたら、絶対使わないよ!」
指先をなぞっていた棘が、皮膚を突き破ってチクリと刺さるような感じがした。横隔膜が震えて、急に気持ちが悪くなる。
「……そう、変だ。もうフルタ君のR-MIXの面影なんて、ほとんどないくらいにね」
今度は釘を刺しながら自分の言葉を噛み締めるように言った。トニーからしてみれば、盟友のやっていたラジオ番組が、得体の知れない青二才達に形を変えられ、その上それなりの評価を得始めている。彼が私達を快く思っていないことは想像に容易い。
「でもね、僕はこれが本来あるべきだと思うんだよ」
短い沈黙の後、彼の言った言葉は予想外のものだった。
「だって、時代は変わっていくのものでしょ。人の価値観も目まぐるしく変わっていくのに、同じ人間が何のアップデートもしないまま限られた枠に居座り続けてるのは、もはやエゴなんじゃないかってねぇ」
虚を突かれて、私は改めてトニーを真っ直ぐに見た。彼は口角を上げ、屈託のない少年のような顔でこちらを見ていた。
「特に地方ラジオなんてそもそもが淘汰されやすい世界でさ、世代交代が出来なきゃその先に未来はないよね。だから、陳腐化したラジオの文化を新しい形でアップデートしていくのは君たちなんじゃないかなって」
演説のような口上には、深い思慮と強い説得力を感じる。
「ハルカちゃんも、そういうつもりでR-MIXを継いだんでしょ?」
ハルカは、小さくコクリと頷いた。それを見て、トニーは納得した顔をすると、視線の先を私に移した。
「じゃあさ、少年はどうしてラジオなんだい?」
トニーの声に記憶の中のシイナの声が重なって聞こえた気がした。
初めてスタジオに来た頃、似たようなことを聞かれた。私の口から出た言葉は「成り行き」だった。
でも、今はその答えが自分の体の中に在る気がした。
「……一番、近いからです」
「……近い?」
トニーの顔から笑顔が消えて眉間に皺がよると、連動するように自分の心臓がキュッと縮む。それでも、言葉を搾り出そうとする。
「ラジオは」
「ま、いいや! そんな君たちを見越して頼み事があるんだけどどうかな」
急旋回するトニーの言葉は、脳内の地形図をぐちゃぐちゃにした。
「頼み事ですか?」
ハルカが聞き返した。
「来月さ。音楽イベントあるでしょRAR-FM主催のさ」
「はい。まぁ、R-MIXは枠もらってないので、関係無いんですけど」
ハルカが返すと、トニーはその言葉を待っていたかのようにニヤリと笑った。
「それで毎年、うちの番組の枠が1時間あるんだけど、いつもキャスティングしてる歌手の人が病気で活動休止しちゃってさ。……賢いハルカちゃん君達なら言いたいことはもう分かるよね?」
私はハルカの顔を窺う。そこにあったのは、いいんですかとでも言わんばかりの期待に満ち溢れた眼差しであった。
「ウチにくれるってことで大丈夫ですか?」
「そう。頼めるかな」
「もちろんです! ありがとうトニーさん!」
想像していた言葉が想像していた声で聞こえた。
「言うと思ったわぁ。流石ハルカちゃん! 詳細はシイナちゃんに伝えておくわね。んじゃ!」
トニーはそう言うと、グイとカップのコーヒーを空にして店を後にした。
「やったね! フクチ!」
ハルカはそう言って笑う。その笑顔に私は少し眩暈がした。
「いやいや。なんで即断で承諾するんだよ! イベントまでたった一月だぞ」
「ワクワクだね」
「じゃなくて、どうするんだよ! 企画の立案からキャスティングから……そもそも枠貰って何をやる気なんだよ」
ハルカは洋画の登場人物のように、両手を水平に広げるオーバーリアクションで呆れた顔を見せる。
「貴方はいつもバイスタンダーみたいなことを言うわね」
「はぁ?」
「貴方はもうお手伝いじゃない。「私がどうしようとしてるか」じゃなくて、「貴方がどうしたいか」を考えて教えてよ。放送作家さん」
ハルカの眼差しは、私の言葉に対する期待を込めているように見えた。結露のたまったグラスに一筋の雫が流れ落ちる。
私は自分の見たいもの、人に見せたいものを考える。その場しのぎに取り繕った回答でハルカが納得するとは思えない。
また一筋、一筋と雫がコーラのグラスを伝い円状の水たまりが出来上がって、私は口を開いた。
「……僕は、この番組に入ってから色んな経験をさせられた。絶対読まなかったであろう本を読んだり、ライブハウスで押しつぶされたり、スポンサー存続の交渉したり」
「重たい着ぐるみに入って子供に殴られたり」
「……突然、放送作家をやらされたり」
「スポーツバーで傲慢なフーリガンに罵倒されたり」
途中からハルカと言い合うようにして、今までの軌跡をなぞった。
「ちょっと待て。ネガティブな記憶ばっかりじゃないか」
「それは貴方の勝手なバイアスがかかってるだけでしょ」
「……とにかく、それで思ったことがある」
「それは?」
ハルカは、少し口角を上げて私の言葉を促す。
もはやその期待に応えられるかどうかも気にせず、私はもうとめどなく溢れる言葉に身を任せていた。
「全部が繋がっている。ラジオも、ロックも、人も、時代も」
自分の発する言葉は、驚くほど自分の中でストンと落ちた。
「……繋がっている、っていうのは?」
「まず、横に繋がっている。同じ時代の中で人と人が繋がっているから、音楽があるしラジオがあるし世界がある。それは、たとえ当人達がいがみ合っていたとしても」
目の前の彼女は、茶化さずに私の回答を噛み砕きながら聞いていた。
だから、私も輪郭を保ったままの話を続けた。
「それから、縦にも繋がっている。トニーさんが言っていたとおり、世界は変わっていくし価値観も変わっていく。その中で失われていくものもあるだろうけど、根幹にあるものはきっと変わっていない。当の本人達が意識的かどうかは知らないけど、本当に核を成しているものはバトンになって渡されている」
グラスの氷は溶け切って、コーヒーの上に水の層ができている。私は彼女の目を捉え直した。
「フルタさんから君に繋がっているように」
自分の発言で彼女の心情がどう動いているか。それを感じ取ることは難しかった。
「それで?」
「……だから、それを表現したい」
話を始めたときの瞬間的な衝動が沈黙の中で収まり始め、自分の発言が恥ずかしくなる。ハルカは少ししてから、ニヤリと笑って口を開いた。
「よし、やろう!」
一点の曇りもない、腹を決めた瞳だった。
「いや、こんな一人のいい加減な考えで決めるものじゃないだろ」
「何言ってるの。ロックもラジオも初期衝動に勝る熟慮なんて存在しないでしょ」
「……だとしても、キャスティングはどうするんだよ。あてがあるのか」
ハルカは、私の顔先で人差し指を左右に振った。
「音楽番組のDJの仕事は、番組をこなすことだけじゃない。インタビューにプロモーション、そして出演交渉。貴方ももう分かっているでしょ?」
「……君、前交渉でタテヤマにブン殴られそうになってなかった?」
「とにかく、私はキャスティングと根回しをしておくから、フクチは台本とトークコーナーを頼んだ」
ハルカはそう言って、机に置いていた音楽雑誌をぎゅっと握って丸めた。
「私達は『イベント』に負けっぱなしで終われないよ」
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