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第一章
3.「(I Can't Get No) Satisfaction)」
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「……それでは、本日の『R-MIX』はここまでです。今日も二時間のお付き合い、ありがとうございました!」
ブースの中、防音ガラス板の向こうでハルカが話す。
二時間、喋りっぱなしの彼女に疲れは見えなかった。
「ドライバーの皆様は、運転お疲れ様です。この後も引き続き安全運転をお願いします!」
ミキサーのミヤモトが機材に手をかける。
「今週の放送は、この曲と共にお別れしたいと思います。リスナーさんのリクエストに負けず劣らずの楽しい曲。フジファブリックで、『TEENAGER』です!」
ハルカの後ろで、控えめな音量の曲が流れ出した。ノリのいいシンセサイザーのひょうきんな音だ。
「それでは、来週またお会いしましょう! さようなら!」
ハルカはそう言い放つと、ミヤモトはバックで掛けていた曲の音量を上げる。それでも、ハルカは愉快なメロディーが完全にフェードアウトする瞬間まで、ブースで一人じっと構えていた。
少しの静寂からコマーシャルが始まり、彼女はやっと一息ついて立ち上がった。
「お疲れ様です」
ハルカがブースから帰ってきて、二時間張りつめていたスタジオの雰囲気がふっと緩んだ気がした。
彼女は、ブースから一番遠い所にいる私の方に向かってずかずかと歩いてきた。
「どうだった。フクチ」
「……いや、すごかった。というか」
「というか?」
「フルタさんみたいだと思った」
ハルカは一瞬固まった後、少し睨みつけるような顔をした。
「私の話じゃない。貴方の話」
彼女は人差し指を私にピンと向けた後、放送前の話合いしていた時と同じソファー席に深く腰掛けた。どうやらそこがハルカの指定席らしい。
「それと、私をフルタと比べないで」
いつも腹の底が見えない彼女が、はっきりと不機嫌な顔をしていた。
「フクチくんも頑張っていたよ」
イシイが彼女に「お疲れ様」と言い紙コップに入ったお茶をもって割り込んできた。
「ありがとうございます」
ハルカは「ふうん」と言ってから受け取ったコップに口を付ける。
そして、それを机に置いてから強い口調で言った。
「私はこのままじゃいけないと思ってる」
居酒屋の酔いどれが吐くような言葉だった。
「私は、あの人の作った枠とは違う、もっと革新的なラジオがやりたい」
しかし、シラフの彼女が握る拳の固さは、その意志と野心の強さを示していた。
強く迫ってくる彼女から逃げるように、私は少し体を引いた。保護者のように彼女を見つめるシイナと、イシイの顔が見える。
「それで、テッペンを取る」
「……テッペンって何?」
「まずは『RAR-FM』の聴取率のテッペン。それから、『ラジット』の人気ランキングのテッペン」
「ラジットって、アプリの?」
「そう」
ハルカの言う『ラジット』は、全国の民放ラジオ番組を携帯端末やパソコンで聴くことができるアプリ。今やラジオを聞く人間の半数はラジットで聞いていた。しかし、ラジットでは、全国ネットの番組も配信されており、地方のローカル局がランキングに入ることはほとんどなかった。
「……そんなこと可能なのか?」
「実現させる」
彼女の言う言葉は、飛行してしまいそうな絵空事にも関わらず、不思議な説得力を纏っていた。それは、私が彼女のラジオパーソナリティとしての異端な実力を目前で見たからこそ、生まれているものだと悟った。
「でも、きっと何か革新的なことが必要」
「革新的って、どういう?」
「だから、それを一緒に考えて」
「そんな無茶な」
「無茶も飲茶もない」
私が言葉に詰まると、沈黙が生まれた。
それを見かねた様に傍観していたシイナが口を開いた。
「『R-MIX』の名を冠したまま更に人気を得ようとするなら、貴方達が番組を進化させる必要があるわよね」
「進化?」
ハルカが聞く。
「えぇ。番組が今まで築いてきた礎を保ちながら、新しいもの取り入れる。その進化に成功したものだけが淘汰されずに生き残る。世界の真理でしょ?」
私はラジオ番組の話を聞いていたつもりが、出鱈目なスケールにまで広がっていた。
「新しいものねぇ」
「例えば、他の番組になくてこの番組なら実現可能なものとかよ」
姿勢を崩しながら「ううん」と呻き声を上げた時、私にフッと天啓が降りた。
「若《・》さとか?」
私は彼女と前任のフルタを頭の中で比べ、思い浮かんだ違いをそのまま口に出してしまった。
馬鹿馬鹿しい言葉だった。
「……若さ?」
ハルカは当然、戸惑った顔をした。私はバツが悪くなったので、精一杯の釈明をした。
「だって、高校生が局の週末の枠を二時間も貰って放送してるって、よっぽど特殊でしょ」
この場から消えてなくなってしまいたい気まずさでいっぱいになった。
「いいじゃない」
地獄に片足を突っ込んだ私を救うように、腕組みしていたシイナが声を出した。
「女子高校生ナビゲーターと男子高校生ADのラジオ。そんな番組、聞いたことないわよ」
「それをもっと前に出して行くっていうのは、やる価値があるかもしれないね」
横のイシイも加わるように賛同した。
ハルカはじっと一点を見つめながら、口に出す言葉で自分の考えを確認するようにゆっくり呟く。
「若さね……若さ……」
彼女は勢いよく顔を上げ、輝いた少年のような目で言った。
「面白いかもしれない!」
私は、何の気なしに言った一言が事態を大きくしてしまい、申し訳ないような、落ち着かない気持ちになっていた。
ただ、この番組は、ラジオは、革命の時を迎えていた。
♪♪♪
「アス。ゴゼン十一ジ。エキ。キンドケイシタデマツ」
「R-MIX」があった夜に、脅迫状のような連絡が届いた。差出人はハルカだった。
可能であれば自室で毛布に包まった繭《まゆ》になり、そのまま余生を過ごしたいほどインドアな私からしたら、大型連休の日曜日にわざわざ外出をする気力など到底なかった。
しかし、この通知を無視ないし拒絶した暁には、直々に電話が掛けられ、更に面倒な事態になることは火を見るよりも明らかだったため、渋々承諾の返事を送った。
そうして迎えた翌日。待ち合わせに指定された金色の時計台は、午前十一時を指そうとしていた。
日曜日のブランチタイムを迎える駅前は、家族連れやカップルに溢れ、淀んだ空気に押された私は既に具合が悪くなっていた。
「やあ」
白いカットソーにデニムパンツ。ラジオの収録日よりラフな格好のハルカが声をかけてきた。
「知っているか? 僕は人混みが嫌いなんだ」
彼女は気にかけるそぶりを全く見せず、「あら、気の毒に」と言う。
「とりあえずランチにでも行こう。行きつけの店があるの」
そう言う嵐の彼女に続いて、駅を出た。
初夏に入りかけた街は、薄手のシャツや半袖で歩く人がごった返し、血液のようにビュンビュン流れていく。
その一部になりながら暫く歩くと、やがて一件のかわいらしいカフェの前に着いた。
店の前には、若い女性や仲睦まじそうなカップルが列を作っていた。
「……君もこんな俗っぽいところに来るんだな」
「何を勘違いしてるの? 目的地はこっち」
ハルカが指差していたのは、その店の隣。ハートフルな小洒落たカフェなどではなく、薄暗い地下に続く道だった。
レンガの階段を降りて、彼女がネオン看板の掛かった怪しげな扉を開ける。すると、店内で掛けられている曲のエネルギッシュな歌声と耳に残るギターリフが鼓膜に向かってきた。
「こんにちは」
常連なのか、ハルカがあいさつをすると、厨房の方から店員と思わしき屈強な男が出てきた。
「おう、ハルカちゃんか!」
男は四十代ぐらいの見た目だが、私より一回りは大きく、気も強そうな印象を受けた。少なくとも仲良くはなれなさそうだ。
その男は私を一瞥した後、にやりと笑った。
「そこの坊主は彼氏くんか? ハルカちゃんも青春してるな!」
私が愛想笑いをするべきかどうかを悩んでいる間に、ハルカはその言葉を相手にする素振りも見せず、テーブル席に着いた。
「ここは、ハードロックカフェっていって、たまに来るの」
店内を見渡すと、壁には何かしらのバンドのゴールドディスクやアコースティックギターが掛けられていた。
「常連?」
「まぁ、ちょっとね」
男が水とおしぼりを持ってきた。
「で、ハルカちゃんはいつものでいいかい?」
「はい」
メニューを開く暇さえなかった私は愚かにも、彼女と同じものを注文することにした。
「あいよ。愛と情熱を込めて作ってくるぜ!」
男が厨房に戻ってから、数十秒の沈黙が続いた。
痛々しい静けさに耐えられなくなった私が、昨日の放送についてでも話しかけようとすると、彼女が口を開いた。
「私さ。昨日、あれから考えてみたの。貴方が言っていた若さについて」
「……はぁ」
「何よ。『はぁ』って」
私の知るハルカの顔は、常に最適解を知っているような自信に溢れたものだった。そのため、見たことのない彼女の難しい顔に、困惑と呆然が混ざった気分になり、また、それが表出していたらしい。
「でも、よく分からなかった。きっと、私の周りには昔から同世代の人よりも、ずっと上の大人ばっかり周りにいたから」
私は、いつか見た雑誌かインターネットの記事をふと思い出した。その記事によると、世の女性が自らの悩みを打ち明けたときに求めているのは「解決策」などではなく「共感」らしい。
コミュニケーションの海に溺れた私は、そんな信憑性のかけらもない藁《わら》に縋《すが》りついた。
「……分かるかもしれない」
「は? 何? 気持ち悪い」
それ以降、この世に在する全てのネット記事を恨んだ。
「おまちどうさま。レジェンダリーバーガーセット二つ!」
目の前に現れたのは、明らかに一人前とは思えない大きさのハンバーガーと溢れんばかりの揚げられたジャガイモだった。
絶句した私が目線を上に上げると、子どものように目を輝かせたハルカが映った。
そう言った彼女は「いただきます」と小さくつぶやいた後、一目散に巨大な肉と小麦の塊にかぶりついた。
先程までの曇った顔が嘘だったように、彼女の瞳の輝きは更に強くなった。
それから二十分。我ながら奮闘はしたが、その小麦と肉の塊は、無情にも四分の一の大きさでプレートの上に残っていた。
「これぐらいの大きさで情けない」
対面に座る彼女は、その小さな体でパンくずの一かけも残さずハンバーガーを平らげていた。
「坊主、ギブか?」
店主がまたにやにやした顔で近づいてきた。
私が「すみません」というと、男は嫌な顔をせず机の上のプレートを回収していった。
空腹以上に苦痛な満腹状態の私は、同調するだけの気味の悪い男という烙印を押されていたことを思い出し、それを挽回すべく口を開いた。
「『若さ』の中身なんて理解してるやつ、ほとんどいないんじゃない」
「……さっきの話?」
私が「そう」と言うと、ハルカはグラスのコーラを一口飲む。
「年齢の低い人間が何かすることに対して『若さ』とか『青春』っていい大人達が勝手に名付けて、その当事者は、それをわざわざ意識もすることなんてほとんどなくて」
「……じゃあ貴方なんで昨日『若さ』なんて言い出したの?」
「それは、知らないけど」
受け答えに困った私を見て、彼女はフフッと笑った。
「貴方って、捻くれて達観しようとしてる割に、いい加減よね」
来店時、ただ二人しか客がいなかった店は、正午を迎えるころにはほとんどの席が埋まっていた。
会計を済ませて店を出ると、横の店の行列は更に膨れ上がっていた。
ハルカは行列の先の方に目を向けた。
「ここの店、実は気になってるのよね」
「まさかアレを食べた後、さらに何か胃に入れるつもりか」
目角を立てる気はなく、単純な驚きから生まれた言葉を発した。
「何よ、そのバケモノみたいな言い草は。流石に今日は見送るけど」
彼女は今日だけでも何度目かの不快そうな顔を見せ、また歩き出した。
道中は好きなバンドや学校についての他愛もない話をした。
無論、暗く皮肉めいたUKロックを好む私と、明るくエネルギーに溢れたUSロックが好きな彼女との会話が、お喋りというより口論に近いものになることは自明だった。
「……あぁ。だから貴方はそんな人間になってしまったのね」
「余計なお世話だ」
発言のほとんどを真に受ける必要がないという点で、少しだけハルカとの関わり方が判った気がした。
「ところで、次は何処に向かってるんだ?」
「ううん、若さの溢れるところにね」
「……馬鹿にしているのか?」
昼飯をとった「ハードロックカフェ」から十分ほど歩くと、見慣れない通りに出ていた。主要駅からそこまで離れていない割に廃れた印象を受ける。
その通りでハルカが足を止めた場所は、またしても薄暗い地下への階段の前だった。
「……地下が好きなのか?」
「そんな特殊な趣向ないわよ」
扉を開けると奥の方から微かに楽器の音が聞こえてきた。
入ってすぐの受付用と思われるカウンターには草臥れたイスが置いてあったが、そこには誰も座っていない。
「ここって、ライブハウスってやつ?」
「あれ、入り口にいるって言ってたんだけどな」
当然のように会話のパスを無視したハルカは、携帯電話の画面をじっと見つめながら言った。
「よし、開けてみるか!」
そういった彼女は、正面にある重そうな扉に手をかけた。すると、彼女が力を入れようとする前にその扉が奥に開いた。
「あ、ハルカちゃん!」
「カナタ!」
扉から出てきた少女は、見覚えのある顔だった。頼りない記憶を当てに少し考え込んだところ、その顔はハルカと初めて会った時、隣にいたメガネの女生徒と一致した。
「これがフクチ……って前に会ったっけ?」
「……フクチです」
「あ、あのカナタって言います。よければ、中に入ってください」
この施設が何なのかさえ分からないまま、私は薄暗い部屋に足を進めた。
ブースの中、防音ガラス板の向こうでハルカが話す。
二時間、喋りっぱなしの彼女に疲れは見えなかった。
「ドライバーの皆様は、運転お疲れ様です。この後も引き続き安全運転をお願いします!」
ミキサーのミヤモトが機材に手をかける。
「今週の放送は、この曲と共にお別れしたいと思います。リスナーさんのリクエストに負けず劣らずの楽しい曲。フジファブリックで、『TEENAGER』です!」
ハルカの後ろで、控えめな音量の曲が流れ出した。ノリのいいシンセサイザーのひょうきんな音だ。
「それでは、来週またお会いしましょう! さようなら!」
ハルカはそう言い放つと、ミヤモトはバックで掛けていた曲の音量を上げる。それでも、ハルカは愉快なメロディーが完全にフェードアウトする瞬間まで、ブースで一人じっと構えていた。
少しの静寂からコマーシャルが始まり、彼女はやっと一息ついて立ち上がった。
「お疲れ様です」
ハルカがブースから帰ってきて、二時間張りつめていたスタジオの雰囲気がふっと緩んだ気がした。
彼女は、ブースから一番遠い所にいる私の方に向かってずかずかと歩いてきた。
「どうだった。フクチ」
「……いや、すごかった。というか」
「というか?」
「フルタさんみたいだと思った」
ハルカは一瞬固まった後、少し睨みつけるような顔をした。
「私の話じゃない。貴方の話」
彼女は人差し指を私にピンと向けた後、放送前の話合いしていた時と同じソファー席に深く腰掛けた。どうやらそこがハルカの指定席らしい。
「それと、私をフルタと比べないで」
いつも腹の底が見えない彼女が、はっきりと不機嫌な顔をしていた。
「フクチくんも頑張っていたよ」
イシイが彼女に「お疲れ様」と言い紙コップに入ったお茶をもって割り込んできた。
「ありがとうございます」
ハルカは「ふうん」と言ってから受け取ったコップに口を付ける。
そして、それを机に置いてから強い口調で言った。
「私はこのままじゃいけないと思ってる」
居酒屋の酔いどれが吐くような言葉だった。
「私は、あの人の作った枠とは違う、もっと革新的なラジオがやりたい」
しかし、シラフの彼女が握る拳の固さは、その意志と野心の強さを示していた。
強く迫ってくる彼女から逃げるように、私は少し体を引いた。保護者のように彼女を見つめるシイナと、イシイの顔が見える。
「それで、テッペンを取る」
「……テッペンって何?」
「まずは『RAR-FM』の聴取率のテッペン。それから、『ラジット』の人気ランキングのテッペン」
「ラジットって、アプリの?」
「そう」
ハルカの言う『ラジット』は、全国の民放ラジオ番組を携帯端末やパソコンで聴くことができるアプリ。今やラジオを聞く人間の半数はラジットで聞いていた。しかし、ラジットでは、全国ネットの番組も配信されており、地方のローカル局がランキングに入ることはほとんどなかった。
「……そんなこと可能なのか?」
「実現させる」
彼女の言う言葉は、飛行してしまいそうな絵空事にも関わらず、不思議な説得力を纏っていた。それは、私が彼女のラジオパーソナリティとしての異端な実力を目前で見たからこそ、生まれているものだと悟った。
「でも、きっと何か革新的なことが必要」
「革新的って、どういう?」
「だから、それを一緒に考えて」
「そんな無茶な」
「無茶も飲茶もない」
私が言葉に詰まると、沈黙が生まれた。
それを見かねた様に傍観していたシイナが口を開いた。
「『R-MIX』の名を冠したまま更に人気を得ようとするなら、貴方達が番組を進化させる必要があるわよね」
「進化?」
ハルカが聞く。
「えぇ。番組が今まで築いてきた礎を保ちながら、新しいもの取り入れる。その進化に成功したものだけが淘汰されずに生き残る。世界の真理でしょ?」
私はラジオ番組の話を聞いていたつもりが、出鱈目なスケールにまで広がっていた。
「新しいものねぇ」
「例えば、他の番組になくてこの番組なら実現可能なものとかよ」
姿勢を崩しながら「ううん」と呻き声を上げた時、私にフッと天啓が降りた。
「若《・》さとか?」
私は彼女と前任のフルタを頭の中で比べ、思い浮かんだ違いをそのまま口に出してしまった。
馬鹿馬鹿しい言葉だった。
「……若さ?」
ハルカは当然、戸惑った顔をした。私はバツが悪くなったので、精一杯の釈明をした。
「だって、高校生が局の週末の枠を二時間も貰って放送してるって、よっぽど特殊でしょ」
この場から消えてなくなってしまいたい気まずさでいっぱいになった。
「いいじゃない」
地獄に片足を突っ込んだ私を救うように、腕組みしていたシイナが声を出した。
「女子高校生ナビゲーターと男子高校生ADのラジオ。そんな番組、聞いたことないわよ」
「それをもっと前に出して行くっていうのは、やる価値があるかもしれないね」
横のイシイも加わるように賛同した。
ハルカはじっと一点を見つめながら、口に出す言葉で自分の考えを確認するようにゆっくり呟く。
「若さね……若さ……」
彼女は勢いよく顔を上げ、輝いた少年のような目で言った。
「面白いかもしれない!」
私は、何の気なしに言った一言が事態を大きくしてしまい、申し訳ないような、落ち着かない気持ちになっていた。
ただ、この番組は、ラジオは、革命の時を迎えていた。
♪♪♪
「アス。ゴゼン十一ジ。エキ。キンドケイシタデマツ」
「R-MIX」があった夜に、脅迫状のような連絡が届いた。差出人はハルカだった。
可能であれば自室で毛布に包まった繭《まゆ》になり、そのまま余生を過ごしたいほどインドアな私からしたら、大型連休の日曜日にわざわざ外出をする気力など到底なかった。
しかし、この通知を無視ないし拒絶した暁には、直々に電話が掛けられ、更に面倒な事態になることは火を見るよりも明らかだったため、渋々承諾の返事を送った。
そうして迎えた翌日。待ち合わせに指定された金色の時計台は、午前十一時を指そうとしていた。
日曜日のブランチタイムを迎える駅前は、家族連れやカップルに溢れ、淀んだ空気に押された私は既に具合が悪くなっていた。
「やあ」
白いカットソーにデニムパンツ。ラジオの収録日よりラフな格好のハルカが声をかけてきた。
「知っているか? 僕は人混みが嫌いなんだ」
彼女は気にかけるそぶりを全く見せず、「あら、気の毒に」と言う。
「とりあえずランチにでも行こう。行きつけの店があるの」
そう言う嵐の彼女に続いて、駅を出た。
初夏に入りかけた街は、薄手のシャツや半袖で歩く人がごった返し、血液のようにビュンビュン流れていく。
その一部になりながら暫く歩くと、やがて一件のかわいらしいカフェの前に着いた。
店の前には、若い女性や仲睦まじそうなカップルが列を作っていた。
「……君もこんな俗っぽいところに来るんだな」
「何を勘違いしてるの? 目的地はこっち」
ハルカが指差していたのは、その店の隣。ハートフルな小洒落たカフェなどではなく、薄暗い地下に続く道だった。
レンガの階段を降りて、彼女がネオン看板の掛かった怪しげな扉を開ける。すると、店内で掛けられている曲のエネルギッシュな歌声と耳に残るギターリフが鼓膜に向かってきた。
「こんにちは」
常連なのか、ハルカがあいさつをすると、厨房の方から店員と思わしき屈強な男が出てきた。
「おう、ハルカちゃんか!」
男は四十代ぐらいの見た目だが、私より一回りは大きく、気も強そうな印象を受けた。少なくとも仲良くはなれなさそうだ。
その男は私を一瞥した後、にやりと笑った。
「そこの坊主は彼氏くんか? ハルカちゃんも青春してるな!」
私が愛想笑いをするべきかどうかを悩んでいる間に、ハルカはその言葉を相手にする素振りも見せず、テーブル席に着いた。
「ここは、ハードロックカフェっていって、たまに来るの」
店内を見渡すと、壁には何かしらのバンドのゴールドディスクやアコースティックギターが掛けられていた。
「常連?」
「まぁ、ちょっとね」
男が水とおしぼりを持ってきた。
「で、ハルカちゃんはいつものでいいかい?」
「はい」
メニューを開く暇さえなかった私は愚かにも、彼女と同じものを注文することにした。
「あいよ。愛と情熱を込めて作ってくるぜ!」
男が厨房に戻ってから、数十秒の沈黙が続いた。
痛々しい静けさに耐えられなくなった私が、昨日の放送についてでも話しかけようとすると、彼女が口を開いた。
「私さ。昨日、あれから考えてみたの。貴方が言っていた若さについて」
「……はぁ」
「何よ。『はぁ』って」
私の知るハルカの顔は、常に最適解を知っているような自信に溢れたものだった。そのため、見たことのない彼女の難しい顔に、困惑と呆然が混ざった気分になり、また、それが表出していたらしい。
「でも、よく分からなかった。きっと、私の周りには昔から同世代の人よりも、ずっと上の大人ばっかり周りにいたから」
私は、いつか見た雑誌かインターネットの記事をふと思い出した。その記事によると、世の女性が自らの悩みを打ち明けたときに求めているのは「解決策」などではなく「共感」らしい。
コミュニケーションの海に溺れた私は、そんな信憑性のかけらもない藁《わら》に縋《すが》りついた。
「……分かるかもしれない」
「は? 何? 気持ち悪い」
それ以降、この世に在する全てのネット記事を恨んだ。
「おまちどうさま。レジェンダリーバーガーセット二つ!」
目の前に現れたのは、明らかに一人前とは思えない大きさのハンバーガーと溢れんばかりの揚げられたジャガイモだった。
絶句した私が目線を上に上げると、子どものように目を輝かせたハルカが映った。
そう言った彼女は「いただきます」と小さくつぶやいた後、一目散に巨大な肉と小麦の塊にかぶりついた。
先程までの曇った顔が嘘だったように、彼女の瞳の輝きは更に強くなった。
それから二十分。我ながら奮闘はしたが、その小麦と肉の塊は、無情にも四分の一の大きさでプレートの上に残っていた。
「これぐらいの大きさで情けない」
対面に座る彼女は、その小さな体でパンくずの一かけも残さずハンバーガーを平らげていた。
「坊主、ギブか?」
店主がまたにやにやした顔で近づいてきた。
私が「すみません」というと、男は嫌な顔をせず机の上のプレートを回収していった。
空腹以上に苦痛な満腹状態の私は、同調するだけの気味の悪い男という烙印を押されていたことを思い出し、それを挽回すべく口を開いた。
「『若さ』の中身なんて理解してるやつ、ほとんどいないんじゃない」
「……さっきの話?」
私が「そう」と言うと、ハルカはグラスのコーラを一口飲む。
「年齢の低い人間が何かすることに対して『若さ』とか『青春』っていい大人達が勝手に名付けて、その当事者は、それをわざわざ意識もすることなんてほとんどなくて」
「……じゃあ貴方なんで昨日『若さ』なんて言い出したの?」
「それは、知らないけど」
受け答えに困った私を見て、彼女はフフッと笑った。
「貴方って、捻くれて達観しようとしてる割に、いい加減よね」
来店時、ただ二人しか客がいなかった店は、正午を迎えるころにはほとんどの席が埋まっていた。
会計を済ませて店を出ると、横の店の行列は更に膨れ上がっていた。
ハルカは行列の先の方に目を向けた。
「ここの店、実は気になってるのよね」
「まさかアレを食べた後、さらに何か胃に入れるつもりか」
目角を立てる気はなく、単純な驚きから生まれた言葉を発した。
「何よ、そのバケモノみたいな言い草は。流石に今日は見送るけど」
彼女は今日だけでも何度目かの不快そうな顔を見せ、また歩き出した。
道中は好きなバンドや学校についての他愛もない話をした。
無論、暗く皮肉めいたUKロックを好む私と、明るくエネルギーに溢れたUSロックが好きな彼女との会話が、お喋りというより口論に近いものになることは自明だった。
「……あぁ。だから貴方はそんな人間になってしまったのね」
「余計なお世話だ」
発言のほとんどを真に受ける必要がないという点で、少しだけハルカとの関わり方が判った気がした。
「ところで、次は何処に向かってるんだ?」
「ううん、若さの溢れるところにね」
「……馬鹿にしているのか?」
昼飯をとった「ハードロックカフェ」から十分ほど歩くと、見慣れない通りに出ていた。主要駅からそこまで離れていない割に廃れた印象を受ける。
その通りでハルカが足を止めた場所は、またしても薄暗い地下への階段の前だった。
「……地下が好きなのか?」
「そんな特殊な趣向ないわよ」
扉を開けると奥の方から微かに楽器の音が聞こえてきた。
入ってすぐの受付用と思われるカウンターには草臥れたイスが置いてあったが、そこには誰も座っていない。
「ここって、ライブハウスってやつ?」
「あれ、入り口にいるって言ってたんだけどな」
当然のように会話のパスを無視したハルカは、携帯電話の画面をじっと見つめながら言った。
「よし、開けてみるか!」
そういった彼女は、正面にある重そうな扉に手をかけた。すると、彼女が力を入れようとする前にその扉が奥に開いた。
「あ、ハルカちゃん!」
「カナタ!」
扉から出てきた少女は、見覚えのある顔だった。頼りない記憶を当てに少し考え込んだところ、その顔はハルカと初めて会った時、隣にいたメガネの女生徒と一致した。
「これがフクチ……って前に会ったっけ?」
「……フクチです」
「あ、あのカナタって言います。よければ、中に入ってください」
この施設が何なのかさえ分からないまま、私は薄暗い部屋に足を進めた。
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