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1章:最悪の旅立ち

リベリスの噂話 01

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  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

 ヴィルフォルト領にあるリベリスは、草原と森に囲まれたのどかな美しい街だ。
 人口は多くなく、目立った特産品もないが、代わりに気候に恵まれた豊かな土地である。強いて見所を挙げるなら、街の外に広がる草原地帯で羊の牧畜が盛んなことくらいだろう。ここの住民達も、自分達の街の見所を聞かれたら、しばらく悩んだ末にそう答える。
 そして、そんなリベリスの街はずれには、領主カールオン・ヴィルフォルトが所有する荘園が存在している。
 仰々しくも鉄柵で囲まれた敷地に建てられた屋敷の外観は、まさに貴族の住居といった風格を放って見えることだろう。以前は領主から街の人間が管理を任されていたこの荘園だが、十年前から立ち入りが禁じられ、そこの衛兵や使用人だと思しき者達の姿が街では頻繁に見られるようになっていた。
 とはいえ、それがリベリスの住民達に何か影響があるかと言えば、ほとんどないわけで、せいぜい子供が自分達の秘密の遊び場がなくなって残念がる程度であった。
 ――だが、とにかく人は怪しいことに噂を立てたがるもの。
 曰く、あの荘園には領主の隠し財産があるとか、領主の隠し子がいるとか、可愛らしいお姫様が囚われて助けを待っているとか、等々……。
 こういった噂というのは不思議なもので、どんなに信憑性のない内容であっても、それを真実だと思い込む者がひとりでもいれば、まるで事実であるかのように広まってしまうことがある。
 そして、ここにもそんな噂を信じる人間がひとりいる。
「だから、その囚われのお姫様をあたしらで助けに行こうよ」
「はあ?」
 なんだそれは、バカバカしい――。
 真昼間の食事場で、テーブルの上に片足を放り出して座る相棒の突拍子もない提案に、対面のイェルズは呆れ顔を浮かべながら、ため息混じりの声をこぼした。
「メペル……おまえの言うことは昔ッからわけ分からんが、今日のわけ分からなさはいつにも増してキレてやがるな?」
「それってどーゆー意味? もっとあたしにも分かりやすくして」
「おまえの頭の中が意味不明ッてことだ。――ッたくよォ」
 麦酒を飲み干し、空になった木製カップを勢いよくテーブルに置くと、イェルズは再び大きなため息を吐いた。酒気の混じった熱い呼気が漏れ出すと同時に、彼は不機嫌そうな表情で向かい側に座る相棒の少女を見やる。
 今は食事時ということもあり、店内は盛況しており、大勢の客がそれぞれ談笑しながら食事を楽しんでいたりする。そんな中でも、このふたりは周りから浮いていた。
 というのも、まずイェルズが大の大人ですら見上げるほどの長身をしているのもあり、それ以上に奇抜すぎる格好が周囲の目を引く。
 彼が身に着けているのは白のズボンのみで、見事に鍛え上げられた上半身には何も身につけていない半裸の状態。首から下げた金のナイフが、彼の上半身を飾る唯一の装飾品と言えるだろう。こうなってくると、目つきの悪い顔つきなどオマケのようなものである。
「お酒臭いよ、イェルズ。女の子に嫌われるよ?」
「おお、そうか。だッたら大いに俺を嫌ってくれェ」
 一方、長身のイェルズに比べて標準的な体躯のメペルという少女だが、こちらも負けず劣らずの変わった格好をしている。
 赤茶色の長い髪と同色の瞳を持ち、肌は小麦色で、健康的な美しさを感じさせる。頭には藁編み帽子を浅くかぶっており、片手には古びた短杖を手遊びに握っている。
 やはり極めつけは服装だ。彼女は丈の短い服を着ており、その上で胸元が大きく開けてある大胆さである。その服の下から伸びる脚線は、肉付きの良い太股からスラッとした足首まで続いている。
 この場合は、イェルズとは集めている視線の種類が違ったが、結局目立っていることに違いはなかった。見られていることをメペル自身は気にしている様子もない。
 そして、ふたりには共通して女神の加護を示す【聖刻】が、イェルズは右の二の腕に、メペルは右手の中指に刻まれていた。
「――いいか? そもそも、そういう噂の可愛いお姫様ってのはなァ、そういう子に一度でも会ってみてえッて男のありきたりな願望であり妄想なんだよ。そんな儚い姫様なんて、実際はこの世に存在しねえの。それに、あそこはただの領主の別荘地だ、そんなのいるわけねえ」
「いやでも、本当に見たって人がいるんだよ?」
「……一応聞いてやるが、そいつはどこの情報なんだ」
「さっき街の人から聞いたの。五年くらい前から噂になってるんだって。それにありがちじゃないの、悪徳領主のゲスな思惑で囚われているお姫様なんて。助けたら、たくさん褒賞がもらえるかもしれないよ」
 メペルが話すのは、あまりにも信用できない情報ソースであった。つまり、単なる噂話の域である。それではイェルズの心を動かすには至らず、彼は三度呆れたようにため息を漏らすばかりであった。
「いいか、メペル。もう飯食い終わったから俺達は店を出て、そのまま街も出る。ここでの仕事は終わっちまってるんだ。食料も買ったし、武器の手入れも万全だ。だから、噂話の真偽を確かめるために領主の私有地へ忍び込む必要はない。――分かるな?」
 ふたりは金で雇われて“魔物”と戦う傭兵だ。イェルズの言葉通り、すでに依頼されていた仕事は報告も含めて済んでおり、次の目的地に向かうために今日でこの街を出ようとしていたのだ。
 だから、イェルズとしてはこんな噂話に付き合っている暇はないと言わんばかりの態度を取っているわけだが。しかしメペルの方はというと、諦めが悪いのか、ぷくーっと頬を膨らませたまま納得していない様子である。
 彼女は一度決めたら、なかなか曲げない性格の持ち主だ。
 イェルズは子供かよとツッコミたくなったが、彼女はまだ十六歳で、実際にまだ子供が一年大人として歩み出した程度なのだから、それもそうかと思って肩をすくめる。
「拗ねても無駄だぞ、メペル。おまえのわがままに付き合ってやるほど、俺は優しくねえからな。そういう脅し方はもっと幼いうちにやっとくもんだ」
「うぅ……分かったよぉ……」
 イェルズの若干突き放す言葉に、ようやく折れたらしい。
 しょんぼりと肩を落とした少女を見て、イェルズはやれやれと頭を掻きながら席を立つ。そして、支払いの代金をテーブルに置いてメペルとともに店を後にすると、そのまま街中を抜けて街門へと向かって歩く。
 メペルは不貞腐れているようで、イェルズに話しかけられてもほとんど無言のまま、下を向いている。少し距離を置いて後ろを歩きながら……。
 それにイェルズはバツが悪そうにしながら、空を見上げて適当に話題を変えてみることにした。なるべく、彼女の好みそうな話題に。
「まあ、なんだ。そうやって下見て拗ねてないで上見ろ、上。天気も良いことだし、絶好の旅立ち日和だぜ?」
「……うん」
 イェルズの言葉を受けて、メペルは歩きながらゆっくりと顔を上げる。
 彼女が好むのは、こういった自然の何でもない景色であることを、それなりの付き合いになるイェルズはよく知っていた。
 空には真昼間の太陽が輝き、その光を浴びた雲たちが悠々と泳いでいた。風が吹くたびにそれらは形を変えていき、やがて、青空の彼方へと流れていく。そんな光景に目を細め、メペルはほんわかと微笑む。
 手ごたえを感じたイェルズは、この路線で彼女の機嫌を取ることにする。
「しッかしいい天気だ。よく言うよな、こういう日には女神エフィメリスが微笑ん、でる、って――なんだ?」
 イェルズが突然立ち止まったので、メペルは彼の背中にぶつかってしまった。イェルズはというと、何かに気付いたらしく、目を細めて空を睨んでいる。
「おい。何か、近づいて――」
 そして次の瞬間、風をともなって何かが近くの建物の屋根に落ちてきた――!
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