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2章

7話

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 思うところはあるけれど、堕川が同行してくれるのは心強い、と莉凛香は思っていた。
 事実、堕川だせんのおかげで、バケモノに追われることなく旅ができるようになった。気を張らずに眠れるのはいい。人間の賊とはちらほら出会ったが、どれだけ徒党を組もうと、所詮は人間。守羅と堕川に太刀打ちできるはずもなかった。
 旅路は順調。目的地が分からない以上急げない旅ではあるが、先を急ぐべき旅でもある。堕川のおかげで、思ったよりずっと先に進めそうだ。
 さらに、堕川は物静かなようでいて多弁で、経験に裏打ちされた知識と教養を語ってくれる。話していると飽きない。莉凛香は堕川の話に夢中となった。
 この上なく安全で、理想的な旅、だが。
「ひ、人が恋しい~っ! 」
 莉凛香は声を上げる。そう、この旅路で一行を避けるのは、妖だけではない。
 宿を求めて街へ行けば、店も宿も閉められてしまう。討伐されそうになることも、1度や2度ではなかった。結局、人里を避けた山中を行くことになる。
 無理もないことである。一行のうち人間はたった一人、それも浮世離れした金髪翠眼である。妖怪は勿論、半妖など下手をすれば妖怪よりなお胡乱な存在だ。
 しかし、それでは身がもたない。守羅は、莉凛香が転がり込むまで一人で過ごしていて、1人に慣れている。だが、莉凛香は人間として生まれ育ってきた純人間だ。人間らしいものが食べたいし、人間自体も恋しくて堪らない。昔はそんなことも無かったはずなのだけれど。
 守羅は元々人に対して一歩引いたところからがあって、こういう状態に文句のひとつも言わない。けれど、莉凛香は妖怪のへんてこな性質に驚きっぱなしだ。
 ある時。
 不意に堕川が刀を抜いた。鼠に向かって、迷いなく突き出す。鼠は絶命し、刀の先でぶらぶらと揺れている。
「凄い……」
「大したことでは無い。莉凛香にも直ぐにできるようになろう」
 そう言うと堕川は日本刀に突き刺したままの鼠を齧った。メリッともゴキッともつかない音が聞こえ、次の瞬間には鼠は堕川の口の中に消えていった。喉仏が軽く上下に動き、鼠が胃袋に消えるのが見えたような気がした。
「どうした」
「う、ううん……。なにも……」
 守羅は平然としている。
「あれか」
 莉凛香の視線を追って、納得したように頷く。
「俺は、あまり気にならない。俺は食べないけど、堕川が食べるなら別に好きにしたらいい。莉凛香だって、米を食うなって言われるのは嫌だろ」
 守羅の言葉は胸にすとんと落ちて、罪悪感を感じさせた。莉凛香は頷く。
「どうかしたのか、莉凛香」
 鼠を平らげた堕川が真っ赤な舌でちろちろと唇を舐めながら言う。人に化身しているとはいえ蛇なのだ。
「ええっと……堕川の刀捌きは凄いなって思ったの」
 堕川は縦長の鼻の穴を膨らませる。
「この刀は儂の牙からできておる。儂にとって剣術とは、己が牙を振るうこと」
 そう言ってくるくると刀を回し、無造作に一閃。落ちてきた紅葉を空中で切り裂いた。
 感嘆の声をあげる2人に、堕川はますます得意そうにする。
「私もいつかあんな風にできるかしら」
 莉凛香の言葉に、堕川は不思議そうにした。

「教えられぬ訳ではないし、対価も要らぬ。だが、そなたが剣術を覚える理由はないであろ。大抵のモノからは、儂が守ってやれるというのに」
「駄目なの? 私、きちんと戦えるようになりたいの」
「儂がそなたを見捨てるとでも思っておるのか? 人の子の一生など我ら妖怪にとっては短き時間故、その程度の義理は果たそうぞ」
「貴方には、封魔刀が使えないじゃない! 」
「無くとも大抵の妖怪には引けを取らぬ」
 「だってっ……」
 莉凛香の声が滲む。堕川は眉ひとつ動かさない。見かねた守羅が割って入る。
「ちょっと、堕川……」
「そろそろ日が暮れる、人の子は休む時間だ。守羅、そなたは食い物でも採ってこい」
 守羅は顔をしかめたが、今にも泣き出しそうな莉凛香を見て、堕川を鋭く睨みつけて道を逸れた。今は秋。そう険しくはないとはいえ、一行は再び山道に踏み込んでいる。獲物には困るまい。
「それで、小娘? そなたに儂が剣術を教える必要は本当にあるのか? 」
 莉凛香はしばらく目を潤ませて震えていたが、やがてものを詰め込みすぎた袋が裂けるするように言う。
「それが、いや、なの」
 言葉を零した拍子に、その翠玉の瞳から、真珠が零れる。
「私は、私が弱かったから、お姉ちゃん、に、助けられるだったの! 今度こそ、私が、力にならないといけないの……」
「うん、そうか。まずは、落ち着くが良い……」
 堕川は狼狽うろたえる。これまで数多の人間の里村を転々として来たが、自分が子どもを泣かせてしまうのは初めてだった。それで、幼子に親兄姉がするように、華奢な身体を抱き上げる。
「離してよ! 」
 莉凛香は抵抗して手足を振り回したが、その衝撃は軽い。こんなにも小さい生き物が、戦うなんて無謀だ。
 堕川は莉凛香を下ろした。金の髪が乱れ、目にかかっている。直してやろうとした。莉凛香は堕川の手を払い除け、自らの髪を手櫛で梳く。
「すまぬ。泣いて頼む程の事情があるとは知らなんだ。話してみるがよい」
 莉凛香のつむじを見下ろして、堕川はなるべく優しく言う。それにようやく落ち着いて、莉凛香はこくりとうなずく。
 自分は元は暗闇の国で隠れ住んでいた事。一族は度重なる妖魔の襲撃に散り散りになり、姉も無事かわからないこと。姉を助け、魑魅魍魎に逆襲しなくてはならないこと。
 舞台設定が珍しいのを除けば、さして珍しくもない話だ。人の命は脆く、情は堅いのだから。
「封魔刀はね、ユズリハの家宝なの。家宝にして最大の武器。昔話では、昔私達がいた場所では、封魔刀を持つことが最も名誉なことで、沢山の人を助けた証拠だったの。だから、お姉ちゃんに助けて貰った分まで、恥ずかしくないようにやりたいの」
 金の髪の少女は、片手に持った刀の柄を撫でる。その瞳に、堕川は強い光を見た。古来より、度々見るまなざしだ。
 堕川わたしなら、この娘の敵を滅ぼせるのに。この娘が自ら戦わねばならない理由なんて見当たらないのに。いつもそう思う。
 しかし、ある種の人間は、義理とか人情とかに固執して、驚くほど簡単に命を捨てる。こういう人間は、説得しても意味がないことを、これまで出会った何人かの人間から学んでいる。
 はぁ、と大きく息を吐いた。本物の人間のような吐息に、莉凛香が驚く。
「……よかろう。だが、儂がそなたを守らぬ理由にはならぬぞ」
「ありがとう、堕川! 」
 莉凛香の表情がぱっと華やぐ。翠玉の瞳には熱っぽい輝きが宿った。
「言われた通り、食材を採ってきた。……って、何泣かせてる」
 普段は腰に巻いている上着を結んで作った袋を一杯にした守羅おやが帰ってきた。その表情は、厳しく、額の宝珠は赤く燃えている。
「何、もう解決した」
 莉凛香も首を縦に振って同意する。守羅に命じて食事の用意をさせる。私が、と莉凛香が手を出そうとするのを引き止めた。
 立ち上がる途中で固まった少女の身体を動かし、刀を持たせる。
「素振り100回。朝と晩とだ。まずは刀を振るうための膂力と、基本の型を覚えねばな」
 莉凛香は素直に頷く。堕川は腰掛けてそれを見守り、型が崩れてきたら直してやる。
 莉凛香は、堕川が剣を教えてくれるので、やる気に満ち満ちた。少女の体には厳しすぎる訓練にも、音をあげない。初日から弱音を吐くのは、ちょっと情けなさすぎるから。
 とはいえやっぱり、腕が鉛のようになってきた時点で堕川が夕餉にしようと言ってくれたのにはほっとした。堕川に抱えられて、山の間を抉るように流れる川のそばに降りる。守羅は食べ物を焼いた石の上にほったらして、藁で何かを編んでいた。
「遅い。先に河原に降りてくれば良かったのに」
 守羅は文句を言って、藁を置く。
「何を編んでおったのだ? 」
 堕川が問う。
「……藁笠」
「今の時期は雨は降らぬぞ」
 守羅はちょっと背を丸めた。耳も背中も伏せているのに、毛量豊かな尾だけが、石を叩き、小石をひっくり返している。
「別にいいだろ。早く食べろよ」
 話はこれきり、と言わんばかりに、箸で石焼きがつつかれる。
 夕餉の間、しばしの沈黙が流れた。とはいえ気まずい訳ではなく、一日の終わりに湯に浸かるような、肩の力が抜けたような感じだ。
 守羅は早々に夕餉を終わらせると、編みかけの藁笠を手に取る。
「守羅がそういうのしてるのって珍しいわね。私に任せきりだったのに。やってあげようか?」
 莉凛香が伸ばした手から、守羅は藁を遠ざける。
「別にいい」
「でも、私の方が上手じゃない? 」
「自分でやることに意味がある。自分の事なんだから」
 守羅はそう言ったっきり、すっかり集中してしまった。莉凛香も頷いて素振りに戻る。
 自分でやることに意味がある。
 堕川は言葉を反芻する。そうか、と思った。一匹で生きる獣だから忘れていた。周りは皆、庇護すべき者だから忘れていた。
 生き物は一人で獲物を狩るものだ。それができる力を持って初めて、自由を得る。
 自由を得て、己の力で人生を歩む人間の営みを、堕川は気に入っていたのだ。時に助け合い、時にいがみ合いながらも懸命に生きる、その小さな力の瞬きを。
 人の傍に居て、堕川も庇護の対価としては余りあるものを得ていたのだ。
「堕川、終わったわ」 
 息を切らし、頬を紅く染めた莉凛香が封魔刀に凭れかかっていた。そうか、とひとつ頷く。
「莉凛香よ、術を習う気はないか? 」
 焚き火で額が橙に染まっている娘は、首を傾げた。
「そう不思議そうにするな。そなたが己の手で成し遂げたい事があるのなら、手助けしてやりたいと思っておるだけよ。人の傍に居れば、何かと術の類も見るのでな。教えられることがないでもない」
 つまり、莉凛香の求める退魔の術も基礎ぐらいなら教えられるということだ。
 少女は、花が咲くように笑った。己の意思でを実現するために。
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