爺ちゃんの時計

北川 悠

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不快な意識

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 翌朝、相良の目覚めと同時に新一の意識は目覚めた。青い空と海、そして蝉の鳴き声が聞こえる。
 ここは何処だ? だが、その現状を把握するまで数秒とかからなかった。
『新一、いるのか?』
 相良少尉の呼びかけだ。
『おはよう。やっぱり夢じゃなかったんだね……』
 夢じゃなかった。こうして相良少尉の意識の中で、再び新一の意識が覚醒したという事が現実なのだ。現世に戻れるかもしれないという可能性は期待できそうにない。だが、不思議と絶望感は感じなかった。いや、感じていないと言えば嘘になるが、どうすることもできないのだ。そもそも、現世で自分の肉体は死んでいるのかもしれない。せっかく秀美ちゃんと仲良くなれたのに。それについては心残り甚だしいが、しょうがない。持前の諦めの良さが絶望感を薄れさせてくれた。どうせもう帰れない。この意識も相良少尉の死と同時に消えて無くなるのだろう。それもまた運命だ。運命には逆らえない。そう思うと気分は少し落ち着いた。だが、そう思った時だった『うう……』急に……なんだこの感じは。新一は今まで感じた事の無い不吉な感覚に意識を覆われた。
 意識がうまく保てない程の不快感。暗く深い闇に引きずり込まれるような不快な感覚。もしや現世に戻れるのか? いや違う。全てが、自分に関わる全てが破壊される。そんな感じの不快感だ。それがどんどん増してくる。感じるというよりは、宣告された。という表現が一番近い。何が、何が起きた? 歴史? そうだ、歴史が変わる……歴史の大筋は変わらない……だが、新一の歴史は変わる……いや、消滅する……新一の家族も……親父も、母さんも、爺ちゃんも……何故そんな事がわかるのか? 意識だ。意識がそう言っている。説明はできないが意識が、何か別の意識が……その意識が新一の意識の中に語りかけてくるのだ。まだ間に合うかもしれない? どういう事だ……不快感が増していく。意識がうまく保てない……
『新一、いるのか? 新一』
 相良君が呼び掛けている。
『相良君……僕、消滅しそうだ。上手く説明できないけど何かが、何かが変わったんだ。もしかしたら、もしかしたら爺ちゃんが死ぬのかも……僕がこの時代に来た事によって、爺ちゃん死ぬのかも……それで、僕も、母さんも、親父も、みんな消滅する。意識が、意識がそう……』
『何? どういう事だ!』
『ごめんね……相良君……意識をうまく保てない……』
「くそ!」相良は声に出して叫んだ『考えろ、何があった? 昨日、歴史を、貴様の歴史を大きく変えてしまうような出来事があったか? あったとすれば柳原一飛層との接見か?』 
『わからない……何かが歴史を変えてしまうんだ……爺ちゃん……かな……』
『ばかな! 戦争の終結はおろか貴様の事だって伝える事は出来なかった。昨夜、柳原一飛層との会話の中で、何か歴史を変える程の大きな出来事を言ったか?』
「くそ! わからない!」
『相良君、声、声でてるよ』
『貴様、大丈夫なのか?』
『うん、不吉……というか、不快な感じはあるけれど、相良君との会話はできるよ。うん……この感じに慣れて来た』
 不快感は相変わらずだったが、何とかコントロールできそうだ。
 もうすぐ朝食の時間か。相良は衣嚢から取り出した懐中時計を見て呟いた。朝食どころではないな……
 えっ? その時計……それ、そうだ爺ちゃんの時計。相良君の時計だ。何故、時計の事を思い出さなかったのだろう。そもそも、この時計を貰ってから事は始まったのだ。
『相良君、その懐中時計。爺ちゃんが相良君に貰って、それを僕が貰って、あの時、転んだ時にその時計を持っていたんだ。だから……そうだよ、だから相良君の意識の中に僕が……』
『なに? この時計を貴様が持っているのか?』
『そうか! そうだよ相良君! 相良君がその時計を爺ちゃんに渡さなければいいんだ。爺ちゃんに話す事は出来なくても、相良君がその時計を爺ちゃんに渡さなければいい。それは可能だろ? そうしたら、僕は君の意識に飛んでくる事は無いんだ。このタイムスリップはその時計が引き起こしたんだ。うんそうだ。絶対そうだよ』
 新一は一気にまくし立てた。だが良く考えてみると、それで全て解決するのかわからない。頭を打って死ぬ事に変わりはないかもしれない。でも、自分がこの時代に来て、何らかの影響を及ぼして爺ちゃんは死ぬ事になったのだ。自分さえこの時代に来なければ、歴史は一ミリも変わらないはずだ。歴史にとってもそのほうがいいはず。確証はないが、自分と相良少尉を繋ぐものはその時計に違いない。 
『貴様の時代で、柳原一飛層がこの時計を持っていたのか?』
『うん』
『まさか……どういう経緯で? この時計を柳原に? という事は……俺は奴の生還を確信していたということか? ありえない』
『でも、それは爺ちゃんが七十年以上大切にしてきた時計だよ。相良少尉に頂いた大切な時計だって言ってた。だから僕は相良君の事を知っていたんだよ。自分の死期が近づいたと悟った爺ちゃんは、つい最近その時計を僕に譲ってくれた。その時計、裏に志って文字が彫ってあって、その脇に大きな傷があるよね?』
『確かに。驚いたな……この時計、今は貴様が持っているのか。不思議な事もあるものだ』
 相良は時計の文字盤を凝視したまま何度も何度も頷いた『だが傷など無い。入隊時に親父から貰ったものだ。貴様にとっては七十年以上前の骨董品でも、今はまだ新品同様の時計だ。その大きな傷とやらは、俺の死後に付いたものだろう』
 そう言って相良は懐中時計を裏返した―『何!』
『ほら、やっぱり。その志の文字も傷も、僕が爺ちゃんに貰った時計と同じだよ。そんなに綺麗じゃないけど』
 志と彫られた文字の脇に大きな傷が付いている。
『そうか、わかったぞ! この傷は昨日ついたのだ!』
『えっ?』
『昨日も話した通り、俺は上田と走っていて地獄段を上った後、ふらついて倒れた。貴様が転んだ場所だ。たぶんその時に付いたものだろう。しかし……』
『相良君?』
『でも、どういう事だ? 俺がこの時計を柳原一飛層に渡しただと? という事は、その時点で俺は柳原一飛層が死なないという未来を知っていた事になる。それは何故だ? 貴様の意識が俺の意識の中に入ってきたからだ』
『そういう事になるよね』
『俺はこの時計と共に海の藻屑と消える覚悟を決めているんだ。家族を失った今、この時計に遺品としての価値は無い。つまり貴様が来なければこの時計を柳原一飛層に渡すという歴史は無いはずだ。だが柳原一飛層はこの時計、傷のついたこの時計を持っていた。という事は貴様のタイムスリップとやらは歴史に織り込み済みだったという訳じゃないのか?』 
『そんなこと、わからないよ……』
『新一、柳原一飛層が死んで自分が消滅してしまうという感じに変わりはないか?』
『うん。説明できないけれど、だんだんと強くなってきている。でも、意識は保てるようになったよ。どうしよう……爺ちゃん……爺ちゃんは助かるはずなのに……』
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