爺ちゃんの時計

北川 悠

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お父さん

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 坂道を上り、途中、兵士達が訓練に使った地獄の石段という階段の横を通り、記念館に行った。
 回天記念館も見学者は新一達だけだった。戦後七十八年も経てば致し方無いのだろう。でも、今日は大勢の自衛隊員がここを訪れたはずだ。
 二人は兵士達の遺品や遺書を見て泣いた。そう言えば親父も母さんも泣くよと言っていた。
 壁には死んでいった回天隊員の顔写真が飾られていて、その中には相良少尉の写真もあった。階級特進で中尉になっている。一歩間違えば爺ちゃんの写真もここにあったのだ。そうなら勿論、自分はこの世に生まれていない。
 爺ちゃん。生きてくれてありがとう。
 正直、爺ちゃんの話を聞き、回天について調べ、前知識があったからそう思うのかもしれない。特になんの思いも無くここを訪れていたら、果たして泣いただろうか? 以前の新一だったら、馬鹿な時代だと言い、ろくに見る事などしなかっただろう。それを思うと床枝さんは本当に優しい人なのだと思う。
 記念館を出ると二人は木陰に腰を下ろした。
「ねえ、新ちゃん。フェリーの時間まで、まだだいぶあるから、ちょっとわたしの話してもいい?」
 床枝さんの表情は少し悲しげだ。あんな展示物を見た後で、明るい表情ってのも何だかと思うが、悲しげな彼女の表情も素敵だ。
「うん。もちろん」
「この前ね、お婆ちゃんといろいろ話したの。ほら、新ちゃんにホームまで送ってもらった雨の日。あの前の晩にね、久しぶりにお婆ちゃんのお家に泊まったの。せっかく山口まで行くんだから、昔の事聞いておこうと思って。お婆ちゃんは戦後生まれだけど、その時代の事聞いてみたかったから」
「それで蘇我駅にいたんだね」
「うん。それでね、わたしのお爺ちゃん。わたしが小さい頃に亡くなったし、一緒に住んでなかったから、あまり覚えていないんだけど、ハーフだったの。時代が時代だったから苦労した事もあったって、お婆ちゃん言ってた」
「その時代にハーフって、なんか凄いね」
 床枝さんはハーフにはみえないが、少なからず外国人の血が混じっているのだろう。だからこんなに可愛いのか。なんとなく納得した。
「お爺ちゃんのお父さん。つまりひいお爺さんって人はお婆さんのお母さんのお友達で、戦争に行ったけど生きて帰ってきた人だって聞いた。なんだかややこしいわね」
「そしたら、床枝さんのお母さんはクウォーター? て事だよね」
「うん、悔しいけれど、母は色濃くアメリカ人の血を受け継いでいて、ぱっと見ハーフ。正直、見た目だけは綺麗なの。頭にきちゃう」
 床枝さんが羨むほど綺麗な女性ってどんなだ? がぜん彼女の母親に興味を持ってしまう。
「でも、お婆さんの旦那さんがハーフで、そのお父さんは戦争帰りの軍人でしょ? その人は戦争中って事はないだろうから、戦前か戦後にアメリカ人の女の人と結婚したって事かな?」
 無い話ではないと思うが、時代背景を考えると、かなり稀なケースだろう。
「ううん、そうじゃないの。結構ハードな話だった。長くなるから、その話はまた今度するね。えっと……わたしが言いたいのは、その流れから、いつの間にかあたしのお父さんの話になったの。回りくどくなっちゃってごめんね」
「お父さんの事、何かわかったの?」
 この前、床枝さんは自分の父親がだれなのか知らない。お母さんにもわからないって言っていたのを思い出した。
「ねえ、新ちゃん。憲法九条の改正ってどう思う?」
「えっ、どうしたの? 急に」
「ごめんなさい。わたし、右派とか左派とか、そんなんじゃなくて……えっと、お婆ちゃんとちょっとそんな事、話したから」
「ん? お父さんの話じゃなかった?」
「そうなんだけど、その前に新ちゃんの意見を聞いてみたいの。わたし、よく分からなくて」
 床枝さんが、そんな事に興味を持つのは意外だった。あのお婆さんと話したからだろうか?
「まず基本的に僕は戦争反対論者だからね」
「うん、知ってる」
「でも九条の改正は必要かなって思う」
「お婆ちゃんと一緒だ」                       
 お婆さんと? あの時代の人は反対が多いはずだ。戦争の傷跡が大きすぎたのだろう。戦争を経験した人、また戦後の激動期を経験した人は自衛隊の存在そのものを否定する人が少なくない。気持ちはわかる。
「お婆ちゃんは、自衛隊が存在している以上、憲法でちゃんと認めてあげないといけないって」
「僕もそう思うよ。そもそも九条は戦争しません。武力による威嚇も行使もしません。その為の軍隊も戦力も持ちません。てやつだからね。じゃあ自衛隊って何なの? て議論は常にある。だけど、九条が改正されても、その矛盾を正すだけだから、自衛隊はあくまで自衛隊であって、戦争をしないって事に変わりはないよ」
「お婆ちゃんも同じこと言ってた」
「うん。でも、他の国から攻められたら自衛はさせてもらう。その為の実力組織が自衛隊って解釈」
「軍隊じゃなくて自衛隊って事ね」
「そう。矛盾を正す為に、憲法に自衛隊の事をちゃんと明記しましょうって事だから、明記すればいいんじゃない。て僕は思うけど」
「そうだね。うん、ありがとう」
 やっぱり新ちゃんは、ちゃんとそういう事知ってるんだ。
「ねえ新ちゃん。新ちゃんは選挙とか行く人? この前、知事選とかあったよね」
「えっ、選挙?」
「うん」
「行かないよ」
 嘘をついてもしょうがない。
「そうなの? そういうのには行くのかと思った。さくらホームで新ちゃん、お年寄りと一緒に歴史や政治の話をしているの聞いたことがあったから……」
「床枝さんは行くの?」
「ううん。行った事ない。よく分からないし」
「政治家は選挙の時、自分に投票してもらう為、できるだけ多くの有権者にとって、都合のいい事を言う。そうでない事は言わない。でないと当選できないからね」
「そっか、うん」
「例えば、インフラを整備します。保証を厚くします。減税もします。とかね。じゃあそのお金はどうすんの? て思うけど、その事はあまり言わない」
「なるほど」
「あの人達は頭がいいからちゃんと分かっている。言っていい事と言ってはいけない事をわきまえているんだよ」
「それって、有権者にも問題があるわよね?」
「そうだよ。国の事を考えて。というよりは、自分にとって都合のいい事を言う人に投票するケースが多いからね」
「確かにそうかも。わたしも多分そうすると思う。でもそれじゃ意味ないから行かないの?」
「ううん、選挙ってそういうものだと思う。行かないのは単純に面倒くさいから。あまり興味も無いし」
 そう言えば大学のゼミで、政党とか選挙について討論をした事があった。でも、内容はほとんど覚えていない。
「新ちゃんってなんか不思議」
「えっ、何が?」
「う~ん。わたしの周りにはいなかった人って感じ」
 床枝さんの周りにはどんな人がいたの? と聞きたかったが止めておいた。
「で、この話と床枝さんのお父さんとどんな関係があるの?」
「だから、秀美でいいですよ」
 何だか、照れてしまって、どうしても秀美ちゃんとは呼びづらい。
「わたしのお父さん、矢野川徹って人だって。この前お婆ちゃんに聞いたの」
「じゃあ、お母さんも、お婆さんも知ってたの?」
「うん。わたしには隠してたって……新ちゃんその人知ってる?」
「えっ……僕が知ってるはず無いと思うけど」
「そっか、そうだよね。なんかちょっと有名な政治家だって」
「えっ?」
 新一はスマホを取り出して検索してみた。
 矢野川徹。衆議院議員、民自未来党所属、六十四歳。憲法九条改正派、現行の少子化対策及び医療費制度に異を唱える改革派。Y大学医学部卒。
「マジか……ってか、凄い人だね。俺、何にも知らないでなんか偉そうな事……いや、メッチャ失礼な事言っちゃった……」
 やっちまった。調子に乗って要らない事を……先を読むべきだった。冷静に考えれば、少しは予想できたはずだ。だがいまさら後悔してももう遅い。
「ううん。そんな事ないよ。新ちゃんって、いろいろ知ってて凄いと思う」
 言ってしまった事はしょうがない。取りあえず床枝さんは気にしていないみたいなので安心した。
「全然凄くないよ。てか、その人は秀美ちゃんの事知ってるの?」
「あっ、やっと秀美って言ってくれましたね」
「あっ……うん」
 やはり照れてしまう「そんな事より、その人……お父さんと何かあったの?」なんとか話を繋げなければ……
「何にもないですよ」
「そうなの?」
「メチャメチャ暑くないですか?フェリー乗り場まで戻って何か飲みません?」
「うん。そうだね、たしか自販があったよね」
 二人は立ちあがって歩き始めた。
「矢野川さんは、わたしの事、知りません。お母さんが彼に内緒であたしを産んだんだって。まあ、お母さんらしいと言えば、らしいけどね」
 彼女の話はいつもヘビーだ。何て言ったらいいだろう。
「新ちゃんごめんなさい。新ちゃんに気を使わせる気はないの。お婆ちゃんから、どうするか自分で決めなさいって言われて……」
「決める?」
「うん。お母さんは反対したみたいだけど、お婆ちゃんは、もう二十三歳だから、本当の事を知ってもいいって。そして、お父さんに会ってもバチは当たらないって」
「そうだったんだね。でも、その矢野川って人、家族はいるの?」
「うん、奥さんと子供が一人。まだ高校生だって」
「お母さんとは、何で別れたの? 不倫?」
 口が滑った。そんな事聞いちゃダメだ。俺を信じて彼女は話してくれたのに、彼女を傷付けてしまう。
「ごめん。そういうつもりじゃなくて……」
「ううん、いいの。そう思うよね、わたしもそう聞いたもん。でも不倫じゃないって。付き合っていたのは、矢野川さんが今の奥さんと結婚する何年も前なの。将来ある人だからって、お母さんが勝手に身を引いたんだって」
「ほんと、ごめん……」
「だから気にしないで。お母さんその頃、風俗みたいな事していて相当荒んでたみたい。で、別れた後に妊娠に気づいたの。それ以降、彼とは一度も会ってないし、連絡もしてないって。なんかあの人らしくない……」
「素直に会ってくれるかな? 二十四年前の事でしょ。なんかハードル高そうだね。その人、認めるかな?秀美ちゃんが傷つくかも」
「わたし、矢野川さんに認めてほしいとか、何か言いたい、とかは何も無いの。ただ、どんな人か一回だけ会いたいの。一回だけでいいの。本当にそれだけなの。信じて」
 彼女はいつになく強い口調だった。
「矢野川さんの家族に言うつもりもないし、困らせるつもりもないの。だって、あのお母さんが、あんなに男にだらしのない人が、自ら身を引いて二十四年間も黙ってきた事だから、わたしがそれを台無しにする事なんて絶対しない。そう誓える。それでも……会わない方がいいのかな……」
 そう言って彼女は新一の胸に顔を埋めた。いい匂いがする。心臓の鼓動が早くなっていく。新  一は思い切って彼女を抱きしめた。抱きしめずにはいられなかった。
「ごめんね……新ちゃん。こんな事聞いたって困っちゃうよね。ごめんね……」
「会ってみようよ。秀美ちゃんが不安だったら、一緒に行ってあげる。もし僕だったら、絶対に会いたいって思う」
 新一が手を差し出すと彼女は頷いて、しっかりとその手を握った。二人はそのまま手をつないで歩いた。
「お母さん、無理して自分から好きな人と別れたから、その後、あんな荒んだ生活していたのかな……だからと言って許してはあげないけど。でも、ほんの少しだけお母さんの気持ちわかるかも……」
「お母さんも辛かったんだね」
「お婆ちゃんもハーフの夫を持って苦労したの。それに、ひいお婆ちゃんも未婚の母だったし……うちの家系の女はみんな男で苦労するのかなあ……」
 少なくとも、今の俺では秀美ちゃんを幸せにする事は出来ない。新一は何も答えず、彼女の手を握り返す事しか出来なかった。
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