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登紀子の手紙
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薄紅色の蕾と白い花。林檎の花がこんなに綺麗だとは知らなかった。
青く高い空、雪を頂いたアルプス山脈、新緑に映える山々。こんな綺麗な景色は見た事がない。
昭和二十一年五月初旬。美代子が長野に来て二カ月が経過していた。戦後の食糧難は相変わらずで、貧しい暮らしだが、宮島家が所有する僅かな田畑のおかげで、なんとか食うには困らない。それに優しい叔父と叔母、親切な近所の人達に囲まれて幸せな毎日を過ごす事ができている。
「美代ちゃん、だいぶお腹が目立ってきたわね。無理しちゃだめよ」
「登紀子叔母さん、まだまだ大丈夫よ。わたし、西のお宅の、林檎の花摘みに行ってきますね」
「そんなの、進さんに頼んだから大丈夫よ」
「ううん、私が行きたいの」
「それじゃ仕方ないけれど、高い処には登ったらだめよ」
「はい。心得ています」
母、和子の妹である登紀子とその夫の進は、姪である美代子を快く受け入れてくれた。
戦後間もないこの時代、地元だと未婚の母は何かと生きづらい。当時、未婚の母子はさげすまされ、不当な差別を受ける事も多かった。中にはそれを苦に、子供を道ずれにして命を絶つ母親もいたのである。そんな事を気遣った祖父母が娘の嫁ぎ先に相談したところ、宮島の家は二つ返事で美代子を引き受けてくれたのだ。
宮島家は子宝に恵まれなかった。登紀子は何度も流産を繰り返し、やっと男の子が一人生まれたのだが、その子も五歳の誕生日を迎える前に病気で亡くなってしまった。そういう事もあったからだろうか、美代子を本当の子供のように大切に想ってくれている。そして産まれてくる子供を、自分の孫のように楽しみにしているのだ。
美代子は翌月、女の子を出産した。ここ長野の地でも、差別が無かった訳ではないが、誰も美代子の過去は知らないのだ。美代子は、その後も宮島の家で百姓をしながら子を育て、裕福ではないが充実した時を過ごしていた。
終戦から七年が経った昭和二十七年。千葉で暮らす祖父が亡くなり、その二年後には祖母も亡くなった。
そして終戦から十年後の昭和三十年。母、和子が病に臥したという便りが美代子の元に届いた。
川島家では祖父の死後、美代子の母、松野和子と、戦死した和子の兄の妻である川島絹子の二人で、まつのやを再建し、やっと商売も軌道に乗り始めたところだった。
絹子の娘、節子は昨年嫁に行ったが、息子の博はまだ大学生。美代子の弟、進も愛知の大学に入学したばかりである。子供達の為に必死に働き、なんとか頑張ってきた和子と絹子だったが、ここにきて和子が倒れてしまったのである。
美代子は散々悩んだ末、千葉に帰る事を決めた。後ろ髪を引かれる想いだった。十年もの間、苦楽を共にし、優しく接してくれた叔父と叔母の元を離れるのは辛かった。だが、帰りなさいと言ってくれたのは叔母の登紀子だった。
東京に向かう汽車の中で、美代子は叔母の登紀子から渡された手紙を読んだ。
美代ちゃんへ
美代ちゃんと、まっちゃんと、共に暮らした日々を私は一生忘れる事はありません。
幸せな時をありがとう。進さんも喜んでいました。実は進さん、昨夜はずっと泣いていたのですよ。美代ちゃんには幸せになって欲しいって。
姉さんをよろしくお願いします。でも、貴女は頑張り屋さんだから、あまり無理をしてはいけませんよ。身体が第一です。元気でいれば、またいつでも会えるのですからね。
美代ちゃん。貴女にお話しておきたい事があります。叔母のたわごとだと思って聞いてください。
私は、進さんと結婚する前、好きな人がいました。大好きで、大好きでどうしようもなく大好きで、必ずその人と結婚するのだと夢に見ていました。そして、その人はある日、私に求婚してくれました。天にも昇る想いでした。
正式に婚約した訳ではありません。口約束でした。彼は軍人として中国への出兵が決まっていました。自分が帰ってきた時に、私の気持ちが変わっていなかったら結婚してくれと言われました。私は今ではだめなのですか、と聞きました。彼はだめだと言った。もし、自分が死ぬような事があったらお前は未亡人になってしまう。だから、帰ってくるまで待って欲しい。万が一、戦死するような事があったら、自分の事は忘れて欲しいと言われました。だが、今の中国で死ぬ事はない。だから心変わらずにいて欲しい。でも、自分が帰った時、私の心が変わってしまっていても、それを責めるつもりはないと言いました。
私は毎日、指折り数えて彼を待ちました。でも昭和六年、満州事変が起きました。彼は帰らぬ人となってしまったのです。
その時、彼には黙っていたのですが、私は彼の子供を身ごもっていました。長くなるので割愛しますが、その子の出産前に、父、隆三の友人の息子であった進さんと私は結婚しました。
結果としては、その子供は流産してしまったけれど、進さんはとても優しかった。ただただ、なんの見返りも求めずに私を愛してくれました。私は何時しか満州で亡くなった彼の事を忘れ、進さんを愛するようになりました。
美代ちゃん。貴女に彼の事を忘れろと言っているのではありません。前を向いて歩いてください。心から貴女の幸せを祈っています。
登紀子
追伸 辛かったら、何時でも帰って来ていいのよ。ここは貴方のお家です。
叔母さん……ありがとう……
青く高い空、雪を頂いたアルプス山脈、新緑に映える山々。こんな綺麗な景色は見た事がない。
昭和二十一年五月初旬。美代子が長野に来て二カ月が経過していた。戦後の食糧難は相変わらずで、貧しい暮らしだが、宮島家が所有する僅かな田畑のおかげで、なんとか食うには困らない。それに優しい叔父と叔母、親切な近所の人達に囲まれて幸せな毎日を過ごす事ができている。
「美代ちゃん、だいぶお腹が目立ってきたわね。無理しちゃだめよ」
「登紀子叔母さん、まだまだ大丈夫よ。わたし、西のお宅の、林檎の花摘みに行ってきますね」
「そんなの、進さんに頼んだから大丈夫よ」
「ううん、私が行きたいの」
「それじゃ仕方ないけれど、高い処には登ったらだめよ」
「はい。心得ています」
母、和子の妹である登紀子とその夫の進は、姪である美代子を快く受け入れてくれた。
戦後間もないこの時代、地元だと未婚の母は何かと生きづらい。当時、未婚の母子はさげすまされ、不当な差別を受ける事も多かった。中にはそれを苦に、子供を道ずれにして命を絶つ母親もいたのである。そんな事を気遣った祖父母が娘の嫁ぎ先に相談したところ、宮島の家は二つ返事で美代子を引き受けてくれたのだ。
宮島家は子宝に恵まれなかった。登紀子は何度も流産を繰り返し、やっと男の子が一人生まれたのだが、その子も五歳の誕生日を迎える前に病気で亡くなってしまった。そういう事もあったからだろうか、美代子を本当の子供のように大切に想ってくれている。そして産まれてくる子供を、自分の孫のように楽しみにしているのだ。
美代子は翌月、女の子を出産した。ここ長野の地でも、差別が無かった訳ではないが、誰も美代子の過去は知らないのだ。美代子は、その後も宮島の家で百姓をしながら子を育て、裕福ではないが充実した時を過ごしていた。
終戦から七年が経った昭和二十七年。千葉で暮らす祖父が亡くなり、その二年後には祖母も亡くなった。
そして終戦から十年後の昭和三十年。母、和子が病に臥したという便りが美代子の元に届いた。
川島家では祖父の死後、美代子の母、松野和子と、戦死した和子の兄の妻である川島絹子の二人で、まつのやを再建し、やっと商売も軌道に乗り始めたところだった。
絹子の娘、節子は昨年嫁に行ったが、息子の博はまだ大学生。美代子の弟、進も愛知の大学に入学したばかりである。子供達の為に必死に働き、なんとか頑張ってきた和子と絹子だったが、ここにきて和子が倒れてしまったのである。
美代子は散々悩んだ末、千葉に帰る事を決めた。後ろ髪を引かれる想いだった。十年もの間、苦楽を共にし、優しく接してくれた叔父と叔母の元を離れるのは辛かった。だが、帰りなさいと言ってくれたのは叔母の登紀子だった。
東京に向かう汽車の中で、美代子は叔母の登紀子から渡された手紙を読んだ。
美代ちゃんへ
美代ちゃんと、まっちゃんと、共に暮らした日々を私は一生忘れる事はありません。
幸せな時をありがとう。進さんも喜んでいました。実は進さん、昨夜はずっと泣いていたのですよ。美代ちゃんには幸せになって欲しいって。
姉さんをよろしくお願いします。でも、貴女は頑張り屋さんだから、あまり無理をしてはいけませんよ。身体が第一です。元気でいれば、またいつでも会えるのですからね。
美代ちゃん。貴女にお話しておきたい事があります。叔母のたわごとだと思って聞いてください。
私は、進さんと結婚する前、好きな人がいました。大好きで、大好きでどうしようもなく大好きで、必ずその人と結婚するのだと夢に見ていました。そして、その人はある日、私に求婚してくれました。天にも昇る想いでした。
正式に婚約した訳ではありません。口約束でした。彼は軍人として中国への出兵が決まっていました。自分が帰ってきた時に、私の気持ちが変わっていなかったら結婚してくれと言われました。私は今ではだめなのですか、と聞きました。彼はだめだと言った。もし、自分が死ぬような事があったらお前は未亡人になってしまう。だから、帰ってくるまで待って欲しい。万が一、戦死するような事があったら、自分の事は忘れて欲しいと言われました。だが、今の中国で死ぬ事はない。だから心変わらずにいて欲しい。でも、自分が帰った時、私の心が変わってしまっていても、それを責めるつもりはないと言いました。
私は毎日、指折り数えて彼を待ちました。でも昭和六年、満州事変が起きました。彼は帰らぬ人となってしまったのです。
その時、彼には黙っていたのですが、私は彼の子供を身ごもっていました。長くなるので割愛しますが、その子の出産前に、父、隆三の友人の息子であった進さんと私は結婚しました。
結果としては、その子供は流産してしまったけれど、進さんはとても優しかった。ただただ、なんの見返りも求めずに私を愛してくれました。私は何時しか満州で亡くなった彼の事を忘れ、進さんを愛するようになりました。
美代ちゃん。貴女に彼の事を忘れろと言っているのではありません。前を向いて歩いてください。心から貴女の幸せを祈っています。
登紀子
追伸 辛かったら、何時でも帰って来ていいのよ。ここは貴方のお家です。
叔母さん……ありがとう……
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