爺ちゃんの時計

北川 悠

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回天訓練基地跡 2

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 トンネルを抜けると眩しい空と青い海が広がっていた。
そのまま洋上に向かって道は続き、その先に当時のままの回天訓練基地が静かに佇んでいた。七十八年前と変わらぬ景色がここにある。出口の右側にパネルがあった。そこには魚雷発射試験場(回天訓練基地)のあらましが、やはり先程のパネルと同じように日本語と英語の二重表記で解説されていた。
 二人がその前に立つとスピーカーから解説を読む声が流れ始めた。どうやら感知センサーがあるらしい。
 人間魚雷(回天)は太平洋戦争末期、航空機による神風特別攻撃隊とほぼ同時期に登場し、昭和十九年九月一日、大津島に回天基地が開隊された。そして訓練は終戦の日、昭和二十年八月十五日まで続けられたという事だった。
 この場所で猛訓練に励み、そして出撃して行った若者達がいる。戦後、この島に慰霊碑と記念館が建てられ、この発射試験場は保存された。
 勝利を信じ、国の為に自らの命を犠牲にして戦った者たちは、今何を思うだろう。どんな理由があろうと、命を粗末にしていい事などあってはならない。そんな事は分かっている。洗脳されていたのだと言えばそれまでかも知れない。だが、そんな簡単な言葉では説明する事など出来ない何かを感じるのは、身内に戦争体験者がいるからだろうか。爺ちゃんの話を聞いたからだろうか。日本人に限らず、家族の為、恋人の為に自分の命を犠牲に出来る人は決して少なくは無いだろう。しかし、他人の為、国の為となると話は違ってくる。
『国と国が殺し合いの喧嘩を始めた』
 爺ちゃんがそう言っていた。そうなる前に何とか出来なかったのだろうか? イヤ、出来なかったから戦争になったのだろう。人類の歴史は戦争の歴史である。誰か偉い人がそう言っていた気がする。
 戦争は悪だ。だが、この戦争で国の為に戦って死んでいった兵士達。回天に限らず、自ら爆弾を抱えて特攻した若者達は、少なくとも自己犠牲の精神によって突き進んでいったのだ。それは間違っていた。だが、戦争を知らない人間が、薄っぺらな言葉でただ否定するだけでは彼等が報われない。

「新ちゃん大丈夫?」
「あ、うん大丈夫。爺ちゃんの事考えたら少し感傷的になって……」
「凄いですよね。わたしもお婆ちゃんの話を聞いたの。お婆ちゃんは戦後の生まれなんだけど、お婆ちゃんのお母さん。わたしの、ひいお婆ちゃんは戦争で恋人を亡くしたって聞いてます。辛いよね……」

 魚雷発射試験場はほぼ当時のままの姿でそこにあった。
レールの跡、回天を吊り上げたクレーンの跡もハッキリと残っていた。海を覗くとキラキラと小魚が群れをなして泳いでいる。試験場の桟橋では、釣りをしている人の姿も見える。
「七十八年前も今も、この綺麗な海は変わりないよね。賢一先生もここにいたんですね」
「うん、爺ちゃんもこの景色を見ていたんだ」
 トンネルを引き返す途中、フェリーに乗っていた老夫婦に出会った。お互いに軽く会釈をしてから通り過ぎた。戦後の激動の時代を生きて来たあの年代の人には、この場所はどういう風に映るのだろう。
 次は回天記念館に向かったが、途中、自衛官の一行とすれ違った。白いシャツに紺のパンツ、いで立ちから一目見て自衛官だと分かる。
 女性? 女性自衛官だ。それもまだ十代であろう。百人以上はいるだろうか? 新一達が道を開けて一行が通り過ぎるのを待っていると、彼女達は口々に「こんにちは」と挨拶をしていく。こんなに大勢の女性自衛官を見たのは初めてだ。時代は変わったのだ。
 自衛隊は軍隊ではない。だが憲法の解釈は別として、一般人からみたら軍隊にしか見えないだろう。フェリー乗り場のお婆さんは彼女達の事を兵隊さんと言っていた。
 戦争の無い日本。いや戦争をしない日本で、自衛官は少なくとも昔のように他国と殺し合いをする事は無いだろう。それに愛国心旺盛な人ばかりとは限らない。公務員は安定しているから、ただで資格が沢山取れるから、そんな理由から入隊する人もいると聞く。だが、新一の目に彼女達は凛々しく映った。こんな若者達もいるのだ。日本も捨てたものじゃない。
「彼女達、格好いいね」
 全員が女性だった事に床枝さんも驚いたようだ。
「うん。なんだか自分が情けなくなる……」
「前から思っていたんですけど、新一さん。じゃなくて新ちゃんって、けっこうネガティブですよね」
 そう言って首をかしげた彼女の仕草がまた可愛い。
 床枝さんと一緒にいる事は嬉しいが、やはり自分のダメさ加減が身に染みる。自分一人だけならば、ニートほど気楽なものはない。だが誰か、それも好きな人が傍にいるとなると、やはり無職というのは後ろめたい。
「無職のこの状況でポジティブだったら、それはそれでどうかと思うけど……」
「何かやりたい事ってないんですか?」
「無いんだよね……取りあえず、就活はしてるけど」
「趣味は? 自転車?」
「ううん、自転車は好きだけど、趣味って程じゃないし……そもそもスポーツとかもあまり興味ないし」
「じゃあ何が好きなんですか? 例えば読書とか、パソコンとか?」
「そうだね。ラノベとかアニメとかオンラインゲーム……」
 最低だ。無職のオタク野郎……でも、本当の事だ。嘘をついたって母さんからバレるのだ「最低だよね。わかってるよ……」
「だから、それがネガティブだっていうんですよ。わたしなんて高校中退の元ヤンですよ」
「でも……」
 看護師VS無職のオタク。誰がどう見たって床枝さんの方が偉い。
「新ちゃんって稲毛北高ですよね? メチャメチャ頭いいじゃないですか」
「母さんから聞いたの? 勉強ができたのは中学までだよ。その後は全然ダメ。大学も三流だし」
 やっぱ、大学なんて行かなきゃよかったな……
「わたし、バカだから大学は分からないけれど、稲毛北高が凄いって事はわかりますよ。高校生の時はもう別世界の人達。あたしたちの様な底辺校に通う者から見たら、将来有望な人達。的な」
「そんな事ないよ。僕みたいのもいるし」
「新ちゃんって欲が無いんですね」
「そんなんじゃなくて怠け者なだけだよ」
「ほら、またネガティブ」
「床枝さんは欲があるの?」
 理想の人を聞いた限りでは、欲なんてなさそうだと思った。
「ありますよ」
「どんな?」
「内緒です」
 彼女はにっこり微笑むと先に立って歩きはじめた。
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