爺ちゃんの時計

北川 悠

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回天訓練基地跡 1

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 小さな船着き場には【ようこそ回天の島 大津島へ】という看板が掲げられていた。
 人通りはなく閑散としている。青い空と透きとおった海、とても綺麗だ。
「ねえ新ちゃん、魚がいっぱいいる。ほらそこ。綺麗な海ね」
 床枝さんはスマホを取り出して盛んにシャッターを切っている。爺ちゃんも七十年以上前、この場所でこの景色を見ていたのだろう。
「今日は兵隊さんが沢山来ているよ」
 船着き場にある小さな売店のお婆さんがそう言った。
「兵隊さん?」
「若い自衛官が何十人も、ちょっと前に記念館の方に行ったから、見学なら、あんたら先に基地跡に行った方がええよ」
 そう言ったのは釣り竿とクーラーボックスを持った中年の男性だった。
 自衛官か、そうだよな。彼等が戦争の歴史を知るって事は重要な事だろう。
「そうですか、なら先そっちに行ってみます」
 船着き場の向かいにはまだ新しそうな慰霊碑があった。立派な石造りで、回天供養と彫られた観音菩薩像も建てられている。近くにいってよく見ると、回天の母 人間魚雷 という歌が彫られていた。歌の終わりに、平成十九年八月建立とあった。
 現在この島は平和そのものである。しかし太平洋戦争末期、自然豊かで美しいこの地から、多くの若者が死を覚悟して出撃していったのである。

 訓練基地に通じるトンネルに入ると少しひんやりとした。
夏休み前の平日という事もあるだろうが、新一達以外、人影は無い。トンネル内には小さな蛍光灯が設けられているが、これは後から設置されたもので、当時、明かりは着けられていなかったという。
 床には回天を運んだレールの跡が出口に向かって続いている。何となく通り過ぎてしまえばそれまでだが、その昔、多くの若者がこのレールに回天を乗せて運んだのだ。そう思いながらトンネルを進むと、何とも言えない気持ちになった。
 しばらく行くと両側に、幾つもの写真が掲げられていた。当時この地で訓練を重ねていた兵士達の姿、潜水艦の甲板で日本刀を高々と振りかざし、出撃していく姿などがパネルにされ、日本語と英語の解説つきで展示されている。
「わたし、この時代の男性って凄く格好いいと思います。戦争がいいとか悪いとかじゃなくて、単純に男らしいっていうか……」
 床枝さんの言った通りだと思った。爺ちゃんに見せてもらった写真に写っていた六人の若者も、とても凛々しかった。
「そうだね。これから死ぬ為に出撃するっていうのに、みんな曇りのない表情だね。格好いいと思う」
 別に戦争を肯定するつもりはない。というより全否定だ。だがここに写っている人達は皆、本当に格好いいと思った。
「この時代は女性も素敵。ただひたすらに尽くす。ひたすら待ち続ける。そういう女らしい女って今の時代は否定されるけど憧れます。わたしってMなのかな」
「古風なんだね。男からみたら、そんな理想的な女性は今の時代、絶滅種だよ。国の為に命を捨てる事ができる男もそういないけどね」
「今流行りの女っぽい綺麗な男の人とか、わたし苦手なんです」
「床枝さんはどんな人が理想なの?」
 気恥ずかしくて秀美ちゃんとは言えなかった。それに、そんな事も聞きたくは無かった。でも、言ってしまったのでしょうがない。
「特に理想っていうのはないですよ」
「僕に気を使った?」
「そんな事ないですよ。あたし、ビジュアル系っていうか、前見えてんの? みたいな髪型でお洒落して、フリーターのくせにバンドやってます。ていうような男性が大の苦手です。やたらエステとかに行く男の人も無理」
「そうだよね……ちゃんと働いてないのは最悪だよね……」
「ごめんなさい。そういう意味じゃなくて……」
 ヤバい、空気読めよ。新一は心の中で自分を殴った。
「誰が見てもイケメンでスマートな人より、坊主頭で草むしりしている野球部の万年補欠って感じの人のほうが好きです。わかります?」
「何となくわかるけど、そうなの?」
「あっ、イメージですよ、イメージ。あくまでも」
「うん、わかるけど、変わってるって言われない?」
 床枝さんって本当にいい子だな……
「言われます」
そう言って彼女は笑った。
「例えば……誰も見ていないのに、他人が捨てた吸い殻を拾ったり、困っている人にさりげなく手を差し伸べる事ができる人って素敵だと思います」
「実際はそういう事ってなかなか出来ないよね。でも、そういう事を無意識に出来る人っていうのはスマートって言わない?」
「えっ……あ、そうですね……」
「俺はダメダメだな。取りあえずちゃんと働かないと……人助け以前の問題だよ。スタートラインにも立ててない」
「新一さん……」
「何?」
「あっ、新一さんじゃなくて新ちゃんでしたね。ううん何でもないです」

 二人はパネルにされた写真を見ながら、一つ一つ解説を読んで行った。
 鉢巻きをして潜水艦の甲板に立ち、手を振って出撃していく兵士達の写真を見ると、自然に涙が流れた。

 大津島、回天の島。ネットで調べて前知識は入れて来たつもりだった。だが違うのだ。新一は想像していた以上の衝撃を受けた。
 太平洋戦争末期、大勢の兵士がこの地で暮らしていた。その誰もが、この戦争に負けるという事など考えてはいなかっただろう。
 その時代、この場所に爺ちゃんもいたのだ。まだ一九歳の爺ちゃんもここで猛訓練を受け、そして皆に見送られて出撃して行った。それは紛れもない事実なのだ。額に日の丸の鉢巻きをし、袱紗入りの短刀を抱き、死を覚悟して潜水艦に搭乗したのだ。
 爺ちゃん。ごめん……ごめんな。もっと早くに、ちゃんと爺ちゃんの話を聞いてあげなきゃいけなかった。先日、爺ちゃんに戦争の話を聞かなければ、この場所に来ることさえ無かっただろう。
 今の若者が、いや若者以外でも、この地を訪れる人は決して多くは無さそうだ。仮に訪れたとしても、ふーん、と流し見て、おしまいにしてしまう人は多いだろう。自分には、たまたま身内に戦争体験者がいたから、そしてその話を聞いたから、この地を訪れたのである。
「ごめんな……爺ちゃん。俺、何も知らないくせに、ただ戦争なんか良くないって、馬鹿な事だって……俺、何にも知らなかったくせに……」
当時の若者や爺ちゃんの気持ちを想うと泣けてきた。
「新ちゃん……」
 秀美はそっと新一の肩を抱いた。
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