白陽の残骸

iroha

文字の大きさ
上 下
10 / 20

10

しおりを挟む
「ごめんなさい、紅玉さん……」
「何を謝る?」 
 要は意を決して男に話しかけてみたものの、壁に背を預け、無表情のまま立っていた男は、要の声掛けに微かに面倒そうな表情をした。炎に似た紅を宿す眼差しは、何度見ても少年の胸底を騒がせる。

 翡翠が一緒にいる時は平気なのに、翡翠が傍にいない時は、何度となくこの黒い髪と紅い瞳を持った青年のことが、要は怖く思うことがあった。
 要をこの世界に呼んだというこの国の王――琥珀も、最初のうちは何を考えているのか分からず、怖い存在だった。
 けれど、その手の感情には少々疎い要にもようやく分かってきたほどに、琥珀は要の心に添おうと努力をしてくれていることが分かる。この国の王は冷静で英知に富んでいるのに、優しさとかそういう感情を表現をすることには、とても不器用だった。
 自分を必要としてくれていること。それだけは要にも十分に伝わったし、それが伝わってからは要は琥珀を怖く思うことはなくなったけれど、今、要の目の前にいる男は――別だ。

 男は要に対し、威圧的なわけではない。むしろ礼儀正しく接してくれて、心強い人物だと思う。いつも笑っているように見えるのだが、男の目は笑わずに冷酷な様を呈しているのを垣間見る時がある。
 しかし、この世界で琥珀と同じかそれ以上に要が頼りにしている、翡翠という少年の傍に来ると、変わるのだ。驚くほどの正確さで青年はあの冷酷さを隠し切ってしまう。
 何度も男が他の兵士たちや城の者たちと笑いあう姿を見ているのに、それが彼の本性ではないと感じていた。あえて言うなら、同族嫌悪、なのかもしれない。

「……紅玉、要が怯えている。少しはその禍々しい気を抑えてくれ」
「怯えている? そんな風には見えないけどな」
 無言であることが多い琥珀と、派手でどんな人間でも引きつけてしまうような紅玉。正反対としか思えない彼らの関係がただの主従には思えなくて、要は助けを求めるように琥珀へと視線を向けた。一方、琥珀も彼らに近づくと、今まで寒々しいほどに開いていた彼らの距離を埋めるように真ん中へと立つ。

 数人の神官たちと、王や神子を世話するために特別に選ばれた者たち以外には余計な者がいない神殿では、朝と晩に行われる禊が済めば後は大抵自由にできる。この儀式が、伴侶となる者とゆっくり語らう時間もない王のために設けられた休暇のための口実であるとは、要はここに来るまで知らなかった。
 だからこそ、警護のために駆り出された紅玉に申し訳ない気持ちで謝ったのだが、琥珀と要の前での男は、空虚だった。

「陛下、王宮より急ぎの報せが参りましたが」
「通せ」
 王や貴族たちは、急ぎの手紙のやり取りには鳥を使う。愛らしい姿の鳥が飛び込んでくると、真っ先に琥珀の腕に止まった。今までの空気を知らないとばかりに、銜えていた封書を床に落とすと暢気にさえずり始める。琥珀が飼っているこの鳥がただの鳥ではないことを知ったのもつい最近のことだ。

 無表情なままで封書を拾い上げた琥珀は、報せを読み始めてすぐに、軽く眉根を寄せた。それから、急ぎの用件が書かれた紙を紅玉へと手渡す。主であるはずの琥珀に向かって鋭い一瞥を投げてから、紅玉は面倒だと言わんばかりの緩慢な仕草で、手紙を受け取った。

「翡翠が、内廷を離れて街に向かったそうだ。城を出ようとしていたらしい」
「……何?」
 紅玉の態度が一変した。受け取った手紙を流し読みしてから、俊敏な動作で石造りの窓辺に一気に駆け寄り、ここからは遠い王宮や王都の方へと注意を向け始めた。そうして、青年は何かを探り当てたのだろうか。

 急に、琥珀が要の手を引いてきた。それにつられて要も後退ったところで、強烈な突風が突如として窓から吹き込んできた。

「……紅玉さん、危ない!」
 思わぬ突風に目をとじてしまった要が、目を開いた次の瞬間に見たのは、黒い髪の青年が窓枠に足をかけているところだった。いくら武官として優秀な彼であっても、ここは地上から数十メートルはあるだろう高い崖の上に造られているのだ。そんなところから飛び降りてしまったら、どんな超人でもただでは済まない。そう思って手を差し伸べようとした要の肩を、琥珀が強く引きとめた。

「琥珀さん! 紅玉さんが……!」
「大丈夫だ」
 次には目を覆いたくなる光景が待っているのだろうと思っていた要の前で、異変は起きた。再び襲ってきた風が、まるで黒髪の青年の全てを――男の、人としての"皮"すらも剥がすように、姿を変えていく。

「……トラ?」
 真っ白な毛並みに刻まれた、要にも元の世界で見慣れた動物の紋様。

 大きな体躯を、音もなく窓から外へと向かって滑らせたその生き物の背には、要がもといた世界の彼らにはない、大きな双翼がついていた。必死な表情で見上げてきた要に、琥珀が苦笑を返してきた。
「行くしかあるまいな。翡翠に万が一のことがあってあれが暴れたら、世界の一端が壊れてしまう」
 先ほど紅玉が変じた時とは違い、要の頬を優しい風が吹きすぎていくと、たった今までこの国の王が立っていたところには琥珀色の瞳をした、黒いたてがみを持つ獅子がいた。その背にも、先ほどの白虎に勝るとも劣らない立派な対翼が生えている。
 要より一歩か二歩、先に獅子が歩き出したところで要はその背に縋りついていた。

「僕も、行きます」
 琥珀色の瞳は了解と言わんばかりに瞬き、背中に乗るよう少年に示してくる。そうして飛び出した獅子の背中から見下ろした世界は、要が知るどの景色よりもずっと、美しかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

とろとろ【R18短編集】

ちまこ。
BL
ねっとり、じっくりと。 とろとろにされてます。 喘ぎ声は可愛いめ。 乳首責め多めの作品集です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

R18、最初から終わってるオレとヤンデレ兄弟

あおい夜
BL
注意! エロです! 男同士のエロです! 主人公は『一応』転生者ですが、ヤバい時に記憶を思い出します。 容赦なく、エロです。 何故か完結してからもお気に入り登録してくれてる人が沢山いたので番外編も作りました。 良かったら読んで下さい。

五人の調教師と一人の豚(僕) それぞれのイケメンに調教されまくる

天災
BL
 ゲイポルノビデオをこっそり兄の名義で借りていた僕。  ところが、ある日にとある男に見つかってしまい、「店員にチクらない変わりに言うことを聞け」と脅される。  そして、その男についていくと、そこにはその男を含めた5人のイケメンが。  僕は、これからその5人に調教されることに!?  調教系BL長編小説!!!

生贄として捧げられたら人外にぐちゃぐちゃにされた

キルキ
BL
生贄になった主人公が、正体不明の何かにめちゃくちゃにされ挙げ句、いっぱい愛してもらう話。こんなタイトルですがハピエンです。 人外✕人間 ♡喘ぎな分、いつもより過激です。 以下注意 ♡喘ぎ/淫語/直腸責め/快楽墜ち/輪姦/異種姦/複数プレイ/フェラ/二輪挿し/無理矢理要素あり 2024/01/31追記  本作品はキルキのオリジナル小説です。

【完結】ハードな甘とろ調教でイチャラブ洗脳されたいから悪役貴族にはなりたくないが勇者と戦おうと思う

R-13
BL
甘S令息×流され貴族が織りなす 結構ハードなラブコメディ&痛快逆転劇 2度目の人生、異世界転生。 そこは生前自分が読んでいた物語の世界。 しかし自分の配役は悪役令息で? それでもめげずに真面目に生きて35歳。 せっかく民に慕われる立派な伯爵になったのに。 気付けば自分が侯爵家三男を監禁して洗脳していると思われかねない状況に! このままじゃ物語通りになってしまう! 早くこいつを家に帰さないと! しかし彼は帰るどころか屋敷に居着いてしまって。 「シャルル様は僕に虐められることだけ考えてたら良いんだよ?」 帰るどころか毎晩毎晩誘惑してくる三男。 エロ耐性が無さ過ぎて断るどころかどハマりする伯爵。 逆に毎日甘々に調教されてどんどん大好き洗脳されていく。 このままじゃ真面目に生きているのに、悪役貴族として討伐される運命が待っているが、大好きな三男は渡せないから仕方なく勇者と戦おうと思う。 これはそんな流され系主人公が運命と戦う物語。 「アルフィ、ずっとここに居てくれ」 「うん!そんなこと言ってくれると凄く嬉しいけど、出来たら2人きりで言って欲しかったし酒の勢いで言われるのも癪だしそもそも急だし昨日までと言ってること真逆だしそもそもなんでちょっと泣きそうなのかわかんないし手握ってなくても逃げないしてかもう泣いてるし怖いんだけど大丈夫?」 媚薬、緊縛、露出、催眠、時間停止などなど。 徐々に怪しげな薬や、秘密な魔道具、エロいことに特化した魔法なども出てきます。基本的に激しく痛みを伴うプレイはなく、快楽系の甘やかし調教や、羞恥系のプレイがメインです。 全8章128話、11月27日に完結します。 なおエロ描写がある話には♡を付けています。 ※ややハードな内容のプレイもございます。誤って見てしまった方は、すぐに1〜2杯の牛乳または水、あるいは生卵を飲んで、かかりつけ医にご相談する前に落ち着いて下さい。 感想やご指摘、叱咤激励、有給休暇等貰えると嬉しいです!ノシ

犯されないよう逃げるけど結局はヤラれる可哀想な受けの話

ダルるる
BL
ある日目が覚めると前世の記憶が戻っていた。 これは所謂異世界転生!?(ちょっと違うね) いやっほーい、となるはずだったのに…… 周りに男しかいないししかも色んなイケメンに狙われる!! なんで俺なんだぁぁぁ…… ーーーーーーー うまくにげても結局はヤられてしまう可哀想な受けの話 題名についた※ はR18です ストーリーが上手くまとまらず、ずっと続きが書けてません。すみません。 【注】アホエロ 考えたら負けです。 設定?ストーリー?ナニソレオイシイノ?状態です。 ただただ作者の欲望を描いてるだけ。 文才ないので読みにくかったらすみません┏○┓ 作者は単純なので感想くれたらめちゃくちゃやる気でます。(感想くださいお願いしやす“〇| ̄|_)

召喚されない神子と不機嫌な騎士

拓海のり
BL
気が付いたら異世界で、エルヴェという少年の身体に入っていたオレ。 神殿の神官見習いの身分はなかなかにハードだし、オレ付きの筈の護衛は素っ気ないけれど、チート能力で乗り切れるのか? ご都合主義、よくある話、軽めのゆるゆる設定です。なんちゃってファンタジー。他サイト様にも投稿しています。 男性だけの世界です。男性妊娠の表現があります。

処理中です...