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「風邪の心配はもうありませんね。ぐっすり寝て、体調も万全でありましょう」
翌朝。優しい笑みを浮かべて、要の体調について告げた医師の言葉に、翡翠は安堵した。要が上体を起こしている寝台の傍に座っていた王も、心なしか表情がいつもよりも和らいで見える。
昨日。翡翠から離れた後の要のことを紅玉から聞かされたが、『紅玉や王が抑えなければ収まらない程の興奮状態』だったらしい。王護部隊を見つけるや否や、隊員の携帯する剣を奪って、翡翠のところに駆け戻ろうとしたと聞いて、さすがに翡翠は冗談だろうと思った。
翡翠の左手に現れた黒い痣は、翌朝目が覚めても、消えることはなかった。火傷をしたことにして、グルグルと包帯をきつく巻いてはいるが、もし言い伝えの通り、醜い痣に全身を喰われるとしたら――こうやってごまかせるのも、時間の問題だろう。
要が翡翠のことをずっと心配していたことを王からも聞かされて、心配してもらえる資格のない己に、翡翠は内心悄然としていた。
「もうじき、儀式のために陛下と神子殿は神殿に入られます。体調は万全にしておきませんと」
「昨日の神子殿の様子では、神殿をも破壊しかねなかったからな。落ち着いて良かった」
医師に続いて、揶揄する口調で話しかけてきたのは紅玉だ。いつもとは違い、壁に背をもたれてひっそりと立っていたのに、急に口を出してきた。王は男を窘めることなく、小さく笑って頷いてみせた。
「まったくだ。要は翡翠のこととなると、俄然勇ましくなる。さて、話を聞かせてもらえるか、翡翠」
王の持つ、琥珀色の瞳が翡翠を見てくる。その強い眼差しを受け、翡翠は頷いて椅子から下りると、深々と王や要――神子に向かって床に額づいた。
「琥珀さん! 翡翠は本当に、悪くないんだ!」
翡翠が口を開くよりも先に、昨日と同じように強い口調で要が声を出した。己の主人を、翡翠は勝手にか弱いと思い込んでいた。しかし、本当の彼は、必要な時にはちゃんと戦える、戦おうとする人なのだ。昨日今日でそれを実感させられた。それに比べて、己は自分の保身のために、あの小間使いたちのことを、強く糾弾することもしていなかった。自分が要から離れたら、主人を守れなくなると言い訳をして、その実、守られているのは翡翠の方だった。
「陛下、申し訳ありません。今までずっと、報告を悩んでいたことがありました」
王護部隊に捕らえられた小間使いたちは、一度檻の中に入った後、現在は自邸で謹慎しつつ、沙汰を待っているという。このままでは、罪が重いだのなんだのと彼らの庇護者たちが喚きたてて、あの男たちが再びこの内廷に戻ってくる可能性がある。
翡翠、と。要が翡翠に視線を送ってくるのをあえて見ることなく、翡翠は顔をしっかりと王に向けて、今までのこと――小間使いたちの所業を、自分の思いを挟まずに話した。翡翠に絡んできたことは置いておいても、職分を果たしていなかったことは伝えなければならない。
「今まで、彼らの有り様をしっかりと諌めることができなかったのは私の責です」
「……なるほど」
腕を組み、翡翠の話を最後まで聞き終えてから、王が要へと視線を向ける。翡翠もできれば要のいないところで報告をしたかったが、要が落ち着いて聞いている様子に、力を得る。王がいるこの場所で、言わなくてはならないことだと思った。もう、翡翠には時間がない。
「白の神子を軽んじることは、陛下を軽んじることと同じと私は思います。今まで、あの小間使いたちを管理しきれなかった責は、私の身で負います。だから、どうか神子の小間使いには、陛下自身が選ばれた者たちを傍に置いて頂けますように。……白の神子に、この世界を好きになってもらえますよう」
翡翠がそう言い終え、訪れた束の間の沈黙を破ったのは、よりにもよってまた紅玉だった。
「あの馬鹿な連中の親どもも、ここまでしておいて、また小間使いをやらせてくれなんて言わないだろう。俺も何度か様子を見ていたが、あいつらは本当に能がない。駄目な奴を炙り出せて、逆に良かったんじゃないのか? 誤算だったのは、俺の考えていた以上にあの連中が愚かだったところだな。あんなの、獣に喰わせても、獣の方が腹病みしそうだ」
今までの緊張感が見事に崩れ落ちていく。そこに低い笑い声が起こった。笑っているのは――王だ。
「あの者たちの出廷は生涯に渡り禁じることにしたが、要の小間使いに外の者を入れるのは止めさせる。翡翠にも余計な苦労をかけたな」
そう告げると、王が翡翠の頭に手のひらを乗せた。それから立ち上がり、要の右手――彼が己のものである証が刻まれているそこに口づけてから、部屋から出ていった。
(俺は、これからどうすればいいのだろう)
とりあえず、あの男たちがここに戻ってこないのは、分かった。これからは、要と相性の良い人間が小間使いに選ばれるに違いない。だが、責任を問われるはずの翡翠には、誰も、何も言及しなかった。
要を危険な目に遭わせた責任を、翡翠も取らなければならないと、自分なりに覚悟していたというのに。悶々と悩み始めると、胃だけではなく今度は頭がどんどんと痛くなってきた。
「翡翠。その手、どうしたの?」
「これ……は、火傷を、してしまって……」
要に声をかけられた。まだ床に座りこんでいる翡翠を、助け起こそうと要が寝台から降りてくる。しかし、立ち上がろうとすると余計に頭痛が酷くなり、要を見上げることができない。
「翡翠!? すごい熱だ!!」
翡翠、と。要の声よりも大きく、翡翠が大好きな男の声が、自分の名前を呼んだ気がしたけれど。翡翠は返事をすることもできず、そのまま床に倒れこんだ。
翌朝。優しい笑みを浮かべて、要の体調について告げた医師の言葉に、翡翠は安堵した。要が上体を起こしている寝台の傍に座っていた王も、心なしか表情がいつもよりも和らいで見える。
昨日。翡翠から離れた後の要のことを紅玉から聞かされたが、『紅玉や王が抑えなければ収まらない程の興奮状態』だったらしい。王護部隊を見つけるや否や、隊員の携帯する剣を奪って、翡翠のところに駆け戻ろうとしたと聞いて、さすがに翡翠は冗談だろうと思った。
翡翠の左手に現れた黒い痣は、翌朝目が覚めても、消えることはなかった。火傷をしたことにして、グルグルと包帯をきつく巻いてはいるが、もし言い伝えの通り、醜い痣に全身を喰われるとしたら――こうやってごまかせるのも、時間の問題だろう。
要が翡翠のことをずっと心配していたことを王からも聞かされて、心配してもらえる資格のない己に、翡翠は内心悄然としていた。
「もうじき、儀式のために陛下と神子殿は神殿に入られます。体調は万全にしておきませんと」
「昨日の神子殿の様子では、神殿をも破壊しかねなかったからな。落ち着いて良かった」
医師に続いて、揶揄する口調で話しかけてきたのは紅玉だ。いつもとは違い、壁に背をもたれてひっそりと立っていたのに、急に口を出してきた。王は男を窘めることなく、小さく笑って頷いてみせた。
「まったくだ。要は翡翠のこととなると、俄然勇ましくなる。さて、話を聞かせてもらえるか、翡翠」
王の持つ、琥珀色の瞳が翡翠を見てくる。その強い眼差しを受け、翡翠は頷いて椅子から下りると、深々と王や要――神子に向かって床に額づいた。
「琥珀さん! 翡翠は本当に、悪くないんだ!」
翡翠が口を開くよりも先に、昨日と同じように強い口調で要が声を出した。己の主人を、翡翠は勝手にか弱いと思い込んでいた。しかし、本当の彼は、必要な時にはちゃんと戦える、戦おうとする人なのだ。昨日今日でそれを実感させられた。それに比べて、己は自分の保身のために、あの小間使いたちのことを、強く糾弾することもしていなかった。自分が要から離れたら、主人を守れなくなると言い訳をして、その実、守られているのは翡翠の方だった。
「陛下、申し訳ありません。今までずっと、報告を悩んでいたことがありました」
王護部隊に捕らえられた小間使いたちは、一度檻の中に入った後、現在は自邸で謹慎しつつ、沙汰を待っているという。このままでは、罪が重いだのなんだのと彼らの庇護者たちが喚きたてて、あの男たちが再びこの内廷に戻ってくる可能性がある。
翡翠、と。要が翡翠に視線を送ってくるのをあえて見ることなく、翡翠は顔をしっかりと王に向けて、今までのこと――小間使いたちの所業を、自分の思いを挟まずに話した。翡翠に絡んできたことは置いておいても、職分を果たしていなかったことは伝えなければならない。
「今まで、彼らの有り様をしっかりと諌めることができなかったのは私の責です」
「……なるほど」
腕を組み、翡翠の話を最後まで聞き終えてから、王が要へと視線を向ける。翡翠もできれば要のいないところで報告をしたかったが、要が落ち着いて聞いている様子に、力を得る。王がいるこの場所で、言わなくてはならないことだと思った。もう、翡翠には時間がない。
「白の神子を軽んじることは、陛下を軽んじることと同じと私は思います。今まで、あの小間使いたちを管理しきれなかった責は、私の身で負います。だから、どうか神子の小間使いには、陛下自身が選ばれた者たちを傍に置いて頂けますように。……白の神子に、この世界を好きになってもらえますよう」
翡翠がそう言い終え、訪れた束の間の沈黙を破ったのは、よりにもよってまた紅玉だった。
「あの馬鹿な連中の親どもも、ここまでしておいて、また小間使いをやらせてくれなんて言わないだろう。俺も何度か様子を見ていたが、あいつらは本当に能がない。駄目な奴を炙り出せて、逆に良かったんじゃないのか? 誤算だったのは、俺の考えていた以上にあの連中が愚かだったところだな。あんなの、獣に喰わせても、獣の方が腹病みしそうだ」
今までの緊張感が見事に崩れ落ちていく。そこに低い笑い声が起こった。笑っているのは――王だ。
「あの者たちの出廷は生涯に渡り禁じることにしたが、要の小間使いに外の者を入れるのは止めさせる。翡翠にも余計な苦労をかけたな」
そう告げると、王が翡翠の頭に手のひらを乗せた。それから立ち上がり、要の右手――彼が己のものである証が刻まれているそこに口づけてから、部屋から出ていった。
(俺は、これからどうすればいいのだろう)
とりあえず、あの男たちがここに戻ってこないのは、分かった。これからは、要と相性の良い人間が小間使いに選ばれるに違いない。だが、責任を問われるはずの翡翠には、誰も、何も言及しなかった。
要を危険な目に遭わせた責任を、翡翠も取らなければならないと、自分なりに覚悟していたというのに。悶々と悩み始めると、胃だけではなく今度は頭がどんどんと痛くなってきた。
「翡翠。その手、どうしたの?」
「これ……は、火傷を、してしまって……」
要に声をかけられた。まだ床に座りこんでいる翡翠を、助け起こそうと要が寝台から降りてくる。しかし、立ち上がろうとすると余計に頭痛が酷くなり、要を見上げることができない。
「翡翠!? すごい熱だ!!」
翡翠、と。要の声よりも大きく、翡翠が大好きな男の声が、自分の名前を呼んだ気がしたけれど。翡翠は返事をすることもできず、そのまま床に倒れこんだ。
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