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第7章 【川辺の母親】

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 カーナビの指示に従い、しばらく国道113号線を道なりに走ると、やがて丁字路で右折をするようにカーナビが指示を出してきた。

 先ほどの一件があったせいか、助手席のみちるは外の景色を見たまま黙りこくっている。
 自分が死神である事の宿命とは言え、小さい子に怖がられ、拒絶されたのは相当こたえたらしい。
 ましてや彼女にとってはこれが死神としての初仕事なのだから、無理もないのかもしれない。
 俺はみちるに声を掛けようとしたが、すんでのところで口をつぐんだ。
 果たしてそれが彼女へのフォローになるのかどうか自分でも分からなくなってしまったからだ。
 車内の気まずい空気を余所に、空は雲一つなく晴れ渡っている。
 角田市の中心部に入り角田警察署の前で再び右折をする。
 カーナビの画面を見ると丸森町までは、まだ7~8kmあるようだ。
 ラジオから流れてきたGReeeeNの『相思相愛』以外、車内では何の音もしない。

 やがて阿武隈あぶくま川に架かる丸森大橋を渡り終えた所で、カーナビからの無機質な女性の声が300m先で右折をするように告げた。
 それから数分、指示通りに車を走らせると4階建てのモダンな建物が見えてきた。どうやらここが丸森町役場らしい。
 役場の建物に隣接して2階建ての建物があり、ナビの画面によればここが丸森町町づくりセンターという建物で、この中に図書館が併設されているようだ。
 町づくりセンターの駐車場に車を停め、腕時計を見ると時刻は午後3時30分を少し過ぎたところだった。

「みちる。着いたぞ」

 みちるは小さく「はい」と答えると、俺に続いて車を降りた。

 町づくりセンターの窓には、A4コピー用紙1枚に1文字を大きくプリントし、文字数の分だけ貼り付けたものがメッセージとなって来訪者を迎えていた。

『皆 様 ご 支 援 あ り が と う ご ざ い ま す 。』

 昨年の豪雨災害から既に1年が経過しているとはいえ、ここが紛れもなく被災地であるのだという事を改めて思い知らされる。
 ……恐らくはここと役場の庁舎が住民の避難所として使われたのだろう。
 俺は町づくりセンターの庁舎に入ると入口横の壁に掲示されている案内板で図書館の場所を確認し、みちると共に図書館に向かった。

 図書館と書かれた小さな札が付いた部屋に入る。
 図書館というよりは図書室と言った方がしっくりくるかもしれない。
 学校の図書室を彷彿ほうふつとさせるこの部屋はどこか懐かしい感じがした。
 部屋に入ってすぐのところにはカウンターがあり、カウンターの中ではエプロンをした司書らしき中年の女性が何やら文庫本を読んでいた。
 女性は俺達が入って来た事に気付くと顔を上げ、とっさに笑顔で会釈をした。
俺も女性に会釈をする。
 本が並んだ書架しょかの手前にマガジンラックがあり、週刊誌がいくつか並べられている。
 その横には銀色の鈍い光沢を放つ新聞掛けがあり、数紙の新聞が掛けてあった。
 俺はカウンターの中の女性に、去年の豪雨災害の時の新聞を読みたい旨を伝えた。

「あー……、去年の新聞ですか。豪雨災害の時の」

「はい、ちょっと確認したいことがあって……」

「申し訳ないのですが、去年の新聞は豪雨災害の時に水に浸かってしまって、廃棄してしまったんですよ」

「え、そうなんですか?」

「はい。……ここも浸水してしまいまして。図書館の蔵書の一部なんかも水に浸かって廃棄せざるを得なくなってしまったんです。それに残った新聞も古新聞として避難者の為にほとんど使ってしまったんです」

 女性は申し訳なさそうにそう話すと、俺に頭を下げた。

「そうですか、……すいません。お手間を取らせまして」

 俺は女性にそう告げて頭を下げると図書館から出た。
 そうか、ここも避難所として使われた上に1階が浸水してしまったのか……。
 また振り出しに戻ってしまった。どうやって母親の幽霊の居場所を探そうか……?
 仙台市の図書館に行けば過去の新聞を見る事は出来るだろう。でも仙台まで戻るのは時間がもったいない。
 みちるの方を見ると彼女もまた心配そうな表情をして俺を見つめていた。
 時刻は既に午後3時30分を優に過ぎている。
 今から仙台市図書館に向かうとして1時間半はかかる。それから司書にお願いして過去の新聞を引っ張り出してもらって……、みちると2人で新聞を調べる……。
 仙台市図書館の閉館時刻の午後7時には間に合うか……。
 いや車での移動とは言え、ここまで結構な距離を移動してきたんだ。今からそんな事をする気力は正直無いな……。それにこれ以上みちるを連れ回すのも申し訳ない。
  ……今日は丸森町に宿を取って、みちると2人作戦会議をして明日また動いた方がいいのかもしれない。

 俺はみちるに、今日は丸森町で宿を取る事、そして宿で作戦会議をして、明日改めて仕切り直しをすることを告げた。
 駐車場で車に乗り込んだところで、みちるが尋ねてきた。

「小野寺さん、宿の心当たりはあるんですか?」

「いや、無いよ。でも、駅まで行けば駅前に旅館か何かがあるんじゃないか? ……それか、観光案内所みたいな所があるはずだと思うから、そこでどこか宿を紹介してもらおうと思う」

 俺の提案に、みちるはコクリと頷くと、窓の外に視線を向けてしまった。口にこそ出さないが、やはり彼女も疲れているようだ。
 かく言う俺も疲れから、スマホで宿泊施設の検索をするのが面倒くさく感じられた。
 宿の事は誰かに聞けばいいじゃないか。とりあえずひとっ風呂浴びて、そして布団でぐっすりと眠りたい。

 この投げやりな姿勢が閉塞した事態の打開につながる事になるとは、この時点では全く思いもしなかった。

 俺はカーナビの画面で最寄りの鉄道の駅を確認し、目的地にセットすると車を発進させた。
 先ほど角田市から来た道とは反対方向の県道45号線に出て、阿武隈急行の丸森駅へ向かう。
 やがて道は阿武隈ライン船下り乗り場の手前で右にカーブしており、その先は阿武隈川に架かる橋となっていた。

「あっ! あーっ!! ちょ! ちょっと、小野寺さん」

 助手席で窓の外を眺めていたみちるが突然大きな声を出した。
 俺は彼女の突然の大声に驚いたが、ルームミラーで後続車が居ないことを確認して橋の上で車を停めた。

「ど、どうした? みちる、何があった?」

 俺がそう言い終える前に、みちるが興奮した様子で俺の方に振り返った。

「橋のたもと! 橋の袂の川岸に女の人が居ます! あれ、さっきの女の子のお母さんじゃないですか? きっと、そうだと思います」

 みちるがそう言って指指す方を見ると、確かに川岸に女性らしき人物が立っていて、何をするでもなく川面かわもを眺めている。

 そして俺には直感で、その女性が生きている人間ではないということが分かった。

「全く、霊感なんて……」

 そうぼやきかけた所で、突然後ろから大きなクラクションの音が鳴り響き、同時にルームミラーが眩しく光った。
 驚いて振り返ると、俺たちの車の後ろにはいつしか大型ダンプカーが停まっていて、大音量のクラクションを鳴らしながらヘッドライトをパッシングさせていた。
 俺たちは片側1車線の狭い橋の上で車を停車させ、後続車を通せんぼ●●●●している形なのだから、後ろの大型ダンプの運転手が怒ってクラクションを鳴らすのも無理はない。

 俺は慌てて車を発進させると、橋を渡り切ったところの右前方にある寂れた商店の前に車を停めた。
 後続の大型ダンプカーがかなりのスピードで走り去っていくのを見届け、車を後退させて今来た道にUターンをした。

「す、すいません……。私が急に大声を出したせいで……」

 助手席のみちるが申し訳なさそうに俺に謝った。

「いや、橋の上で車を停めたのは俺だしな、みちるが謝る事じゃないよ。そんな事よりもでかしたぞ! 一気に事態が好転したじゃないか!」

 俺にそう褒められたみちるが嬉しそうに、はにかんだ。
 やはりみちるは笑顔の方がいい。

 俺は再び橋を渡ると、今度は来た道とは逆方向の阿武隈ライン船下りの乗り場へ向けて車を右折させた。
 右折してすぐの左手にある潰れたラーメン屋の前に車を停めると、俺とみちるの2人は慌てて車から降り、川岸に向けて走り出した。

  川岸で一人佇み、何をするでもなく黙って川面を見つめている女性がそこには居た。
 そして俺の第六感……、みちるに出会った事で芽生えた霊感が、この女性が死者であることを俺に告げる。

「ハァ、ハァ……。あ、あの! あなたは美咲ちゃんの……、美咲ちゃんのお母さんですよね?」

 車から降りて急いで走ってきたせいか、息切れ気味で上手く話せない。
それでも、俺に話しかけられた女性は驚いた表情でこちらに振り返ると、俺とみちるの顔をまじまじと見つめた。

「はい……。私は確かに美咲の母親ですが、あなた方は……? それに私が見えるという事は霊感があるのですね?
 それと……、そちらのお嬢さんは……、私をあの世に連れて行く為に来たのですか?」

 やはり死者からすると死神独特の雰囲気のようなものが感じ取れるのだろうか? 女性はみちるの方を凝視すると怪訝そうな表情でそう言った。

「ハァ、ハァ……。わ、私は確かに死神ですが、あなたを連れ去りに来た訳ではありません。こ、こちらの、小野寺さんを霊界にご案内する為に現世に来ました」

 俺と一緒に車から降りて走って来たみちるが息切れしながらそう言った。
 俺とみちるは、女性に自己紹介と事の成り行きを説明して、協力をしてくれるようにお願いをした。女性は美咲ちゃんの母親で、名前を友梨絵ゆりえさんといった。

「娘の美咲を探していただけるのはとてもありがたいのですが……、私自身もまるで手がかりが無くて、途方に暮れてこうして今でも成仏できずに立ち尽くしている始末なんです……」

 彼女はそう言うと、悲しそうな表情をして再び川面を見つめた。

 そうか……、友梨絵さん自身も美咲ちゃんの行方が心配で、こうして幽霊となって現世に留まっているのか……。
 俺の隣に立っているみちるも同じこと思っているのか、やるせなさそうな表情をして黙っている。

「だ……、大丈夫です! 必ず! 必ず俺達で美咲ちゃんを探して見せます!」

 なぜこんな大見得を切ったのか? 自分でも分からないが、気が付いたら俺の口からこんなセリフが出ていた。

 みちるが「驚いた!」とでも言いたげな表情で俺を見上げている。

 俺は咄嗟とっさに、みちるに余計な事を言わないように目配めくばせをした。

「……そうですか! 美咲を……、見つけてください! 是非……、お願いします」

 俺たちの方に振り返った友梨絵さんは嬉しそうな表情をしてそう言うと、感情を押さえられなくなったのか、顔をクシャクシャにして泣き出してしまった。

「う……うぅ……。す、すいません。娘の事が心配で……。それで私、あの日以来ずーっとここに一人で……」

 彼女は幽霊とは言え、やはり母親なのだ。自分の子供が行方不明のままで平気で居られるはずがないのだろう。
 俺たちは友梨絵さんから、あの日、去年の豪雨災害の日の状況、つまりは車ごと川に流された時の状況などを聞き取った。

 友梨絵さん自身の遺体は、豪雨災害から一週間後くらいに捜索隊の手によって車と一緒に発見されたが、美咲ちゃんについては全く手掛かりがないとの事だった。
 服装などは先ほど俺達が目撃したのと同じ、幼稚園の制服を着て、お気に入りのマイメロディのぬいぐるみを持っていたそうだ。
 彼女は俺たちに深々と頭を下げて「どうか……、どうか、美咲を見つけてください。お願いします!」と静かに言って深々と頭を下げた。

 俺は友梨絵さんに手を振りながら、みちると2人、車の方に戻って行った。

 車に乗り込むと、みちるが助手席から身を乗り出して俺の顔を見つめながら言った。

「小野寺さん、あんな大見得を切って……。何か見込みでもあるんですか?」

「……い、いや……。つい、言っちまったんだ。」

 俺が頭を掻きながらそう言うと、みちるは鼻息を荒くして目を大きく見開いた。

「ちょ、ちょっと! どうしてそういう無責任な事を言うんですかー! 友梨絵さん、完全に小野寺さんの事頼りにしてますよー!?」

「ち、ちょっと、顔が近いって……。ま、まあ、見つかる確証はないけどよ。人手は集められるかもしれないからさ……」

 俺に顔を近づけて興奮しているみちるをなだめる仕草をしながらそう言うと、すぐさまみちるが俺に聞き返してきた。

「え? 何かアテがあるんですか?」

 みちるの希望に輝いた目が俺をまっすぐに見つめている。

「ま、まぁ……、アテっつーかさ、その……、振り込め詐欺のケツ持ちをしてくれてたヤクザの親分のところに頭を下げてお願いしてみるかなーってさ……」

 振り込め詐欺などの組織犯罪の場合、多くは『ケツ持ち』と言って地元の暴力団などに話を付けて筋を通しておく必要がある。
 場合によっては暴力団から人材や金銭などを供給してもらい、詐欺で稼いだ分から上納金として暴力団に収めたりもする。
 テレビのニュースなどで報じられている、捕まった振り込め詐欺犯の多くはそう言った筋を通さなかった為に、警察に密告をされたり、商売の邪魔をされたりして捕まっている事が多い。

「ヤクザ屋さんが総動員で手伝ってくれたら、大助かりですね!」

 みちるが嬉しそうに言った。

「……いや、その……、基本的は組事務所には来るなって言われてるんだよな……。下手したら、俺……、殺されるかもしれねーわ……」

 みちるの嬉しそうな表情が一瞬にして消え去った。

「でも、他にアテが無いし……。黙っててもどうせ死ぬんだから、ダメ元で頼んでみるしかねーだろ?」

「ちょ……。ちょっと、それ●●大丈夫なんですか?」

 先ほどとは打って変わって不安げな表情なをしたみちるが俺の顔を覗き込んでいる。

 再び気まずい沈黙が車内を支配したまま、俺は車を発進させ丸森駅へと向かった。
 三度みたび、阿武隈川に架かる橋を渡ると、ものの5分もしなうちに阿武隈急行 丸森駅に着いた。

 ……それにしても、駅前にはビジネスホテルはおろか、旅館らしきものが見当たらない。
 そればかりか観光案内所っぽいものもまるで見当たらなかった。

「あぁ……」

 俺が思わずため息をついたのを見てか、助手席のみちるが不安そうな顔をして俺の様子を伺っている。
 やはり、ちょっとスマホで下調べをするべきだった。
 ……いや、下調べをしなかったおかげで友梨絵さんと会う事ができたのだから、ここは『損して得を取った』とでもポジティブに考えておくべきか。

「あの……、旅館、……無さそうですね」

 みちるが気まずそうにそう言った。

 その時、俺たちの車の横を地元住民らしき年配の男性が通り過ぎようとした。
 俺は慌てて運転席のウィンドウを開けて年配の男性を呼び止めた。

「あのー! すいません! ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが!」

 年配の男性は俺たちの方に振り返ると、途端に怪訝けげんそうな表情に変わり「なんですか?」と返答をした。
 怪訝そうな表情をするのは無理もない。平日の日中に金髪で顎鬚あごひげを蓄えた、一見してチンピラ風情の若者に呼び止められたのだ。

「あの……、ここら辺に旅館とか……、それに観光案内所みたいな所はありますか?」

 俺に問いかけられた男性は、すぐに「コイツ、何言ってんだ?」とでも言いたげな表情に変わると、まるで諭すようにゆっくりと俺に話しかけた。

「こんなところに旅館なんてありませんよ、都会じゃないんだから。それに観光案内所もね。
 町役場の近く……ホラ、あっちの方! 阿武隈川を渡った方だよ。あっちに行けば旅館も観光案内所もあるから」

 そう言って、つい先ほど俺たちがやって来た方角を指さした。

「あー……、そうですか。どうもありがとうございます」

 俺は年配の男性にそう言って礼を告げるとウィンドウを閉じた。
 センターコンソールに置いて、充電ケーブルを刺しておいたスマホを手に取り、『丸森町 旅館』『丸森町 観光案内所』などのキーワードで検索をかける。
 スマホの画面には旅館や観光案内所の位置などが表示されている。
 最初から、こうすればよかったのだ。……でも、こうしていたら友梨絵さんには会えなかっただろう。
 なんだか自分自身に対して腑に落ちない。そんなモヤモヤした感情が残ってしまったが、今はとりあえず宿泊先の確保が優先事項だ。
 俺はスマホの画面から、適当に旅館の画面をタッチしてリンク先を開くと立て続けに電話番号をタッチして旅館に電話をかけた。
 3回目のコールで電話がつながり、感じの良い女性の声が聞こえてきた。

「はい、山雀屋やまがらや旅館でございます」

「あの、今日泊まりたいんですが、……えーっと、2名なんですけど。1泊」

「ご宿泊ですね。ちょうど1部屋空きがございますよ」

 俺は思わず助手席のみちるに向かって右手の親指を立てて見せた。
 それを見て、ついさっきまで不安そうな様子だった彼女の表情が笑顔に変わった。

「あ、あと、夕食と翌日の朝食もお願いしたいんですが。……大丈夫ですか?」

「季節の料理はご予約が必要ですけど、それ以外でしたら大丈夫だと思いますよ。 具体的にはどんなお料理がご希望ですか?」

「あ……、えーっと、ラーメンとか……、かつ丼とか……、定食みたいなものとか」

「あ、でしたら大丈夫です。ご用意できますよ。ウチは食堂も営んでおりますので」

 もう一度助手席のみちるに向けて右手の親指を立てて見せた。
 彼女がゴクリとツバを飲み込む音が聞こえた。

「じゃあ、これからそちらに向かいますんで。あ、今丸森駅に居ますんですぐに着くと思います」

 宿泊先と夕食の確保が一度に出来たせいか、つい興奮して早口で声が大きくなってしまった。

「はい、あの、お名前を頂戴してもよろしいですか?」

「え? あ、あぁ、すいません。申し遅れました。私は小野寺と申します」

「それでは小野寺様、2名様でのご宿泊でよろしいですね? お待ちしておりますので、お気をつけてお越しくださいませ」

 俺は山雀屋旅館の女将さんらしき女性に丁重にお礼を伝え、電話を切った。

「やったぞ、みちる! 1部屋空いてるってよ! それに夕食も大丈夫みたいだぞ!」

 俺の言葉を聞いて、みちるは急に顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「お? どうした、急に?」

「……お、同じ部屋で、ね、寝るなんて……、エッチ……」

 まったく、ウブな女子中学生じゃあるまいし。それに同じ部屋なのは旅館の都合であって、別に俺が同じ部屋にしてくれと頼んだ訳じゃない。

 ……なんだか、こちらまで恥ずかしくなってきた。急に心臓の鼓動が早まるのを感じる。
 2人とも無言のまま、俺は山雀屋旅館へ向けて車を発進させた。

 ついさっき渡ったばかりの阿武隈川を再び渡る。
 対岸の橋の袂の川岸を見ると、先ほどと変わらず立ち尽くしたまま黙って川面を見つめる友梨絵さんの姿があった。

 ……友梨絵さん、必ず……、必ず、美咲ちゃんを見つけてみせます!
 ハンドルを握る手に思わず力が入った。

 丸森駅を出てから10分もせずに旅館に着いた。
 なるほど、確かに役場の近くにある。見たところそれほど大きな旅館ではなく大きな家といった感じだが、スマホの情報によれば創業から100年以上の老舗旅館らしい。
 建物自体は築10~20年といった感じなので、きっと建て直したのだろう。
 俺は旅館の横にある駐車場に車を停めると、みちると二人荷物を持って歩いた。
 『旅館 山雀屋』と金文字で書かれたガラス戸を開けて玄関に入るとチャイムの音が鳴り、程なくして女将さんらしき女性が出てきた。

「先ほどお電話しました小野寺です」

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。お部屋にご案内します」

 俺とみちるは荷物を持って女将さんの後を付いて2階に上がっていった。

「お部屋はこちらになります」

 案内された和室に荷物を置いていると、女将さんがみちるに話しかけた。

「奥様、お食事を先になさいますか? それとも先にお風呂に入られますか?」

 そう言われたみちるの顔がみるみるうちに紅潮していく。

「お、お、お、奥様!?」

 みちるはそう言うと直立不動のまま固まってしまった。。
 ヤレヤレ、随分とウブな死神だこと……。しょうがねぇな、助け船を出してやるか……。

 すっかり硬直してしまったみちるを見て、不思議そうな顔をしている女将さんに、みちるに変わって俺が弁解をする。

「あ、あの、俺達夫婦じゃないんですよ。彼女は仕事のパートナーでして……、丸森町へは仕事で来たんです。 ちょっと急な仕事でしてね……」

 そう言われた女将さんが口に手を当てて笑いながら答えた。

「あら、ウフフフ、私ったら勘違いしちゃって……。ごめんなさいね。でもお二人ともお似合いなんで、てっきりご夫婦なのかと……」

 みちるの方を見ると、今にも爆発するんじゃないかと思えるほどに顔が真っ赤になっている。
 かく言う俺も、改めてそう言われると、ちょっと気恥しい……。

「でも、ごめんなさいね。今日は部屋がここの1部屋しか空いてないんですよ」

「あ、いえ、大丈夫です。こちらこそ急に電話して宿泊させていただく事になって、すいません」

 女将さんがにこやかな表情で手を顔の前で振り「いえいえ、どういたしまして」と答えた。

「とりあえず、先に晩メシにしたいんですが」

「では、落ち着きましたら1階の食堂までお越しください」

 そう言って女将さんは部屋から出て行った。
 部屋の戸が閉まったのを確認して、俺はみちるの方に顔を向けた。

「みちるー。大丈夫かー?」

 俺の問いかけに、幾分か我に返ったみちるが、頭を縦にコクコクと振った。
 俺はテーブルの上に置かれたお茶のセットで、2人分の緑茶を淹れる。

「さ、お茶でも飲んで少し落ち着けよ。な?」

 俺にそう言われ、彼女は黙って座布団に座ると、お茶をすすった。

 一息ついた俺達2人は部屋を出て1階の食堂に向かった。
 食堂には俺たちの他には客が居なかった。それもそのはず、まだ午後5時までは数分あるのだから、夕食の時間にはちょっと早い。
 しかし、明日の修羅場●●●を考えると、早々に夕食を済ませて風呂に入り、床について身体を休めたい……。きっとみちるもそう思っているに違いない。
 テーブルについて、2人でメニューを眺める。

「俺は、……豚の生姜焼き定食にするかな」

 それを聞いて、みちるが「あっ」と声を上げた。どうやら、自分が頼もうと思っていたメニューとカブったらしい。

「みちるも生姜焼き頼もうと思ってたのか? ……いいじゃん、同じもの食おうぜ」

「はい、じゃあ私も生姜焼き定食にします」

 カウンターの中にいる調理師らしき男性に声を掛ける。

「すいませーん! 生姜焼き定食を2つ、お願いします」

「あいよ! 生姜焼き定食2つねー!」

 少し間を置いて威勢の良い返事が返って来た。

「小野寺さん……、あの……」

 みちるがいつになく真剣そうな表情でまっすぐ俺を見て、問いかけてきた。

「ん? どうしたみちる?」

 俺は平静を装い、テーブルの上に置かれたコップを口元に運び水を飲んだ。
 つい先ほど部屋でお茶を飲んだばかりなので、別に喉は乾いていない。

「明日。 知り合いのヤクザ屋さんの所に行くんですよね? ……その、だ……、大丈夫なんですか?」

 やはりだ。やはりこの質問が来た。
 できればこの質問はしてほしくない。そう思っていたが、明日仙台の組事務所に行けば嫌でも現実を目の当たりにすることになる。
 見通しは決して明るくはない。……明るくはないが、話はしておかねばなるまい。

「まあ、大丈夫かと聞かれれば、……正直ヤバイかもしれない。いや、……間違いなくヤバイ。
 俺は組員じゃないし、組にはケツ持ちしてもらってるだけだからな。
 ……それに基本的には事務所には来るなって言われてる。ましてや今は一仕事●●●終えて、ほとぼりが冷めるまでジッとしてなきゃいけない期間だしな」

「やっぱり明日仙台に行くのは止めましょうよ!」

 みちるが今にも泣き出しそうな表情でそう言った。

「落ち着け、みちる。俺には時間が無い。それはみちるが俺以上によく分かってる事だろう?
 ダメで元々、人間死ぬ気●●●になれば何だってできるんじゃないか?
 それに誰かに協力してもらって人海戦術でやらなきゃ、俺達2人じゃ到底無理な仕事だろ」

「そ、それはそうですけど……」

 そう言うとみちるはテーブルに視線を落とし俯いてしまった。

 沈黙が2人の間を支配して数分。先ほどまでカウンターの中でいそいそとせわしなく動いていた男性が2人分の生姜焼き定食を持って俺たちのテーブルにやって来た。

「はい、生姜焼き定食2つねー! ご飯はお替り自由だから、遠慮なく言ってねー!」

2人の目前に置かれた定食からは湯気と一緒に生姜と醤油の芳香が立ち昇っている。

「さ、みちる! まずはメシ食おうぜ。腹が減っちゃ戦は出来ねーぞ。まあ、そんなに空腹でもねーけどな」

 俺に促されて、彼女にいつもの笑顔が戻った。

「はい。そうですね! 食べましょう!」

 テーブルの隅に置かれたマヨネーズのチューブを手に取り、生姜焼きの付け合わせの千切りキャベツにかける。
甘辛タレが良く絡んだ豚ロース肉を頬張ると、ふと昔の事を思い出した。
 そういや、昔母さんがパートの給料日によく生姜焼きを作ってくれたっけな……。
 初めて組長に会って、飯をご馳走になった時も「なんでも好きなモノ食わせてやる」って言われて、「豚の生姜焼きが食べたいです」って言ったら「なんだ、そんなもんでいいのか?」そう言われて、笑われたんだっけ……。
 何故だか急にそんな事が思い出されたのと同時に、物事はそんなに悪い方向にはいかない、なるようになるさ……、そう思えてきた。

「美味しい~。小野寺さん、この生姜焼きおいしいですぅ~」

 みちるが左手を頬に当てて満面の笑みで俺にそう言った。

「そうだな、この生姜焼きは美味いな」

 この世で食べる最後の生姜焼きになるかもしれない。
 俺はそう思って、噛みしめるように味わいながら定食を食べた。

 食事を終えた俺たちは部屋に戻りテレビを見ながら少し休憩を取った。
 テレビではお笑い芸人がひな壇に座り、くだらない話を延々としていたが、気が付けば危うくテーブルに突っ伏して寝てしまうところだった。
 みちるの方を見ると、彼女は既に睡魔に取り付かれたらしく、見事にテーブルに突っ伏して小さな寝息を立てているところだった。
 無理もない、今日一日でイロイロありすぎたからな……。
 みちるの後ろから、両肩を揺さぶって控えめな声で話しかける。

「みちる。風呂に入ってから寝るぞ。ここでこのまま寝るなよ」

「うーん……。お風呂―?? 小野寺さんまたエッチな事考えてるんですかー?」

「考えてねーよ。ほら寝ぼけてないで、寝るならひとっ風呂浴びてからにしろよ」

 俺はみちるの腕を引っ張って立たせ、風呂に入るように促した。
 彼女はあくびをしながらピンクのキャリーケースを開け、ボディソープやメイク道具などが入ったポーチなどを取り出し風呂に入る準備をしている。

「じゃ、風呂から上がったらビールでも飲もうぜ」

「あ、あたし、ビールよりもカシスオレンジがいいですー。アサヒのカクテルパートナーの350ml缶のヤツー」

「へいへい、了解しましたよっと」

 ……全く、注文の多い死神だ。贅沢言いやがって。
 でも、みちるは俺の担当の死神とはいえ、ここまでイロイロ連れ回したわけだし、明日は一緒に組事務所に行ってくれるのだから、感謝の意味も込めてカシスオレンジを買ってきてやるか……。

 旅館の風呂は小ぢんまりとしていたが清潔感があり、何より少し熱めの湯舟が疲れた体にはとても心地が良いものだった。
 首をゆっくりと左右にかしげてコキコキと関節の音を鳴らすと、思わず「あー……」というため息にも似た吐息が漏れた。

 このまま湯船の中で寝てしまいそうだな……。ついウトウトしてしまい、ハッと我に返る。
 湯船で寝て溺死しちまったら、霊界でみちるにこっぴどく叱られるに違いない。

 俺は風呂から上がり、そのままフロント奥の部屋にいる女将さんに、少し外出してくる旨を告げた。
 旅館のすぐ近くにあるドラッグストアで自分が飲むビールと、みちるのリクエストのスクリュードライバーの缶を買ってくるためだ。
 みちるはまだ入浴中だし、俺が買い物を終えて戻ってくる頃には彼女に冷えた飲み物をプレゼントできる。うん、我ながら完璧だ。

 薬王堂やくおうどうという東北地方ではよく見かけるドラッグストアでサンリー プレミアムモルツ350ml缶とアサヒ カクテルパートナー スクリュードライバー350ml缶を買いその2つが入ったビニール袋を右手にぶら下げて店を出た。
 いつもなら値段を気にしてもう少し安いビールを買うところだが、あと数日で死ぬんだし……、何より明日は修羅場だからな。ちょっと奮発しておこう。

 それにしても暑い。……風呂上りという事もあるが、7月下旬……、正に夏の真っただ中なのだから、当然と言えば当然か。
 辺りはちらほらと住宅があるものの、まだ田んぼが多く見受けられ、カエルたちが大合唱をして夏の夜を謳歌おうかしている。

 想えばカエルの鳴き声を聞いて、季節に思いを馳せたり、旅館でのんびりしたり……、今までそんな事をした記憶は無いな……。
 俺は一体何のために血眼になって振り込め詐欺なんぞやって、むさぼるように金を稼いで来たのか? まるで意味が分からない。

 そんな人生もあと数日で終わりかよ……。

 でも最後に……、人生の最後に人の役に立つことが出来たのなら――。
 美咲ちゃんを友梨絵さんや家族に合わせる事が出来たら……、俺の糞みたいな人生も少しは報われるってもんだよなぁ。

 旅館に戻った俺は、フロントの奥の和室に居る女将さんに一言「ただいま戻りました」と告げ、みちるが居るであろう2階の部屋に向かった。

 部屋に入ると、みちるはナイキのロゴが入ったピンク色のスゥエット上下を着ていて、髪をヘアゴムでポニーテールの様に束ねていた。
 仙台で朝の散歩をしていて地縛霊に襲われた俺を助けてくれた時と同じ格好をしている。

「おう、みちる! 酒買ってきたぞ! ほら」

 そう言って、みちるにスクリュードライバーの缶を手渡すと、みちるが缶をマジマジと見つめて、何やら不満そうな顔をしている。

「……あたし、カシスオレンジがいいって言ったのに……」

 彼女はそうつぶやくと、ふくれっ面をして見せた。

「え? あぁ、そうだったか? わりぃ、スクリュードライバーだと思ってた……」

「……うん、許す。……てか、ありがとうございます」

 彼女は俺から目を逸らしてそう言うと、缶を俺の方に突き出して「……カンパイ」とつぶやいた。

「あぁ、今日一日お疲れ! カンパイ」

 軽く缶と缶をぶつけ、プルタブを押し込んで開ける。プシュっと音がすると同時に、缶から出てきたビールの芳香が鼻腔をくすぐる。
 そのままグイっと1/3ほどビールを飲み込むと、炭酸が喉を刺激して思わず「プハァー」と声が漏れた。

「小野寺さん、オッサンくさいですよー」

 みちるはそう言って、スクリュードライバーをちびちびと飲んだ。

「みちるはやっぱり可愛いな。その恰好ほんと可愛いぞ」

 俺の一言に、みちるがゴホッと大きく咳をして缶をテーブルに置き、続けて激しく咳き込んだ。

「おい、大丈夫か? みちる」

 そう言って彼女の背中をさすってやる。こうして後ろから背中をさすっていると、改めてみちるは小柄なんだなと実感をする。

「ゲホゲホ……。もう、そうやってからかうの止めて下さいよ!」

 みちるは頬を赤らめながら、そう言って俺に抗議した。
 顔が赤いのは酒を飲んでいるからという訳でもなく、単純に照れているのだろう。

「……いや、からかっているというか……、割と本気で言ってるんだけどな」

 しまった……。つい、本音が口から漏れ出てしまった。

 2人の間になんとも微妙な沈黙が訪れる。

 みちるはテーブルの上に置いたスクリュードライバーの缶を手に取ると、一気にグイっと飲み干した。

「……もう、寝ます!」

 彼女はふくれっ面で俺から目を逸らしてそう言うと、既に畳の上に敷いてある2人分の布団の窓側の方に潜りこみ、こちらに背を向けてしまった。

 やれやれ、今どきの若い女の子……、の死神は気難しいもんだ。
 俺もそろそろ寝るとするか、なにせ今日は一日でいろんなことがありすぎた。

「みちるー。電気消すぞー?」

 布団に潜り込んでいる彼女に向けてそう問いかけたが、返事は無かった。
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