表裏一体

驟雨

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五話目

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 昨日はひどい夢を見た。サクがこちらに背を向けて遠ざかって行く夢だ。右手を腰あたりで振り、一切こっちを振り返らない。私が何度待って、と叫んでも気に留める様子はなく淡々と離れていく。私はその場から一切動けず、ただ叫ぶしかできない。

 起きてすぐに酷い汗をかいていることに気がついた。嫌な夢と汗に憂鬱になり、風呂場に向かいシャワーを浴びる。

 シャワーを浴びてさっぱりし、お腹が空いていることに気づいた。誰もいないことを確認しながら忍足でリビングを目指す。リビングのテーブルには、おばさんが毎朝作ってくれる朝食があり今日はホットケーキが置いてあった。

 二皿に分けてあると言うことは、私と夏樹の分だろう。有り難く一皿貰い、部屋に持って帰る。Dメガネをつけて、適当にゼットチューブを開く。おすすめを適当に漁るが何も見る気がせず、そのままDメガネを閉じてしまった。

 何もすることがなくなり、手元にあるホットケーキを見つめる。音がない自室に一人でいると、世界から孤立したように思える。深海の奥底に、砂漠の真ん中に、誰も知らない惑星の隅っこに、ドアを開けたらそんな世界が広がっているのではないかと妄想してしまう。

 そのまま数十分ほど物思いに耽っていたようだ。私は世界中否、宇宙中の孤独を探し回った。しかし、終点はこの部屋だったようで、宇宙に探しに行っても何の意味もなかったようだ。

 手元を見ると、無意識にホットケーキを粉々に切り裂いていた。残すのはもったいないと思い皿を持ち上げ、ホットケーキを口に流し込む。

 皿を台所に持っていき部屋に帰った後は特に何もしなかった。ゼットチューブもウイッターも開く気が起きず、ベットの上でただ横たわって寝返りを繰り返す。

 何もしていないのに時が経つのは早く、気づいた時には午後5時を回っていた。そろそろシャワーを浴びようと起き上がると頭痛がした。

 頭に手を当てながら風呂場まで行き、シャワーを浴びても一向に良くならない。何もやる気が起きず、そのままベットに入っていつのまにか寝てしまった。

 ここ数日はずっとこんな調子だった。頭痛からか何もやる気が起きず、寝ては起きてご飯を食べて寝るの繰り返しだ。変わったことがあるとすれば、おじさんからの暴力が酷くなったことくらいだ。

 あざも増え、疲労も溜まり、何もしていないはずなのに疲れが取れない。頭は重くなる一方でついには体も重くなっていく。だんだん気分も重くなり、嫌なことばかり考えてしまう。

 そんな中、今日トロードが今月をもって解散することが、ウイッターにて発表された。
 
 今回の騒動について、から始まり会社としてライバーの管理ができていなかったことへの謝罪、遺族の申し立てと経営が難しくなったことから会社が倒産することの報告。そして最後に各ライバーには最後の配信を明日の19時から順次ゼットチューブで行うと発表があった。

 運営からのメッセージで私の順番は明後日の午後6時からときていた。私はなんの配信をしようかと一瞬迷ったが、1時間しかないのなら雑談しかないと思い立ちサムネを作り始めた。

 サムネ作りはすぐに終わった。今回は派手なサムネは使えないし、タイトルは何にしたらいいか分からず『今までありがとうございました』にした。

 久しぶりに椅子に座ったせいで腰が痛くなった。しかし、頭痛は少し良くなり歩く分には問題なくなっていた。気分転換に何かしようと少し考えて家の周りを散歩することにした。

 久しぶりに出したジャージを着て外に出る。ようやく寒さが収まり秋空が心地いい。日差しが目に痛いが帽子をかぶっているお陰で、上を向かなければ全く気にならない。

 どこに行こうか迷いながらDメガネから音楽を流す。軽快な音楽が耳元で流れ調子が良くなり、公園に行くことにした。

 家を出てしばらく真っ直ぐ行き、右に2回曲がるとコンビニがある。その裏手に中々広い公園があり、昔はよく遊びに行っていた。

 公園に着く前に、コンビニでお気に入りのチョコレートとカフェオレを買い公園のベンチに座った。公園には誰もおらず、まるで私が公園の王様になったようだ。

 カフェオレを飲みながらあたりを見渡す。少し錆びているけれど、昔から変わってないブランコに滑り台。知らないうちに追加されていた雲梯にシーソー。いつの間にかなくなっているサッカーゴールにボール置き場。私が知らないうちにこの公園も新しくなっていて、なんだか心の表面を潮風にさらされているような気持ちになる。

 お日様が気持ちよく、天然の毛布に優しく包み込まれているみたいだ。ダメだとわかっているけれど、どうやら眠気に勝てないらしい。ベンチもたれかかるようになり、そのまま寝てしまった。

 肩が叩かれる感覚としゃがれた声が聞こえて目が覚めた。目の前には白髪の優しそうなおじいさんがしゃがんでいた。

「お嬢ちゃん大丈夫かい?こんなところで寝てたら風邪引いちまうぞ」

 朦朧としていた意識がはっきりとし始め、辺りが暗いことがわかった。

「お嬢ちゃん?お嬢ちゃん!大丈夫かい?」

「あ…だ…大丈夫です。ありがとうございます」

 とりあえず目の前のおじいさんにお礼を言い立ち上がった。

「一人で帰れるか?タクシー呼ぶか?」

 おじいさんは優しく語りかけてくれた。

「大丈夫です。ここから家近いので、ありがとうございます」

「そうかそうかまた寝らんようにな」

 おじいさんはそう言い残し、去っていった。私はありがとうございます、とおじいさんの背中にお礼を言った。

 おじいさんの背中が見えなくなってから、時間を確認する。20時23分今日なら確実におじさんが帰ってきている時間だ。Dメガネを確認すると、おばさんからもおじさんからも着信が来ている。

 私はまたベンチに座り込んだ。終わった、完全に終わった。帰ったら絶対に殴られるだろう。ベンチに座り込み頭を抱える。そんなことをしても何もならないことはわかっているけれどしばらくこうしていたかった。

 覚悟が決まりそうになく一人おどおどしているとおばさんから電話が掛かってきた。

「もしもし?空?どこにいるの?今すぐに帰ってこれる?」

 おばさんはかなり焦った声で言いたいことをたたみ込んでくる。私はひどく冷静だった。

「今家の近くの公園にいます。今すぐ帰ります」

「わかったわ、早く帰ってきてください」

 おばさんが言い終わらないうちに、おじさんの声が聞こえてきた。

「早く帰ってきなさい。女の子がこんな時間に外にいたら危ないだろう」

 近くに誰かいるのを警戒してかおじさんは怒気のこもった声で静かにいう。

「わかりました。すぐに家に帰ります」

 思わず敬語になってしまった。しばらく無言が続いて、気をつけろよ、と忠告があり乱暴に通話が切られた。

 気をつけないといけないのは、帰り道より帰った後の方だ。私は勇気を持って歩き出した。公園が遠ざかって行く度に不安と恐怖で、心臓が跳ね上がるように鼓動する。

 一歩一歩進むたびに鼓動が強くなった。五歩歩くたびに息が上がり歩けなくなる。急いで帰らなきゃ、そう思っているのに全然前に進まない。

 行きは十分くらいで公園に着いたのに、今は十五分経っても半分しか進んでない。もう殴られることは確定している。私は観念して、その場にしゃがみ込んだ。

 行きで買ったコンビニの袋からカフェオレを出し喉を潤す。ゴクゴク、喉を通る音を聞いていると妙に冷静になれた。ふう、いったん一息ついてから、一気に走り出した。

 一息ついたところで、おじさんへの恐怖心は拭えなかった。家までの直線、これまでにないくらい息が上がる。

 家の前まで着き、肩で息を整える。半分くらい息が整ったところでドアを開けるとおじさんが立っていた。

「おかえり、遅かったね」

 おじさんが優しい声で言った。ゆっくりと玄関のドアが閉まり、おじさんの平手打ちが飛んできた。

「何やってたんだこのやろう!ふざけんじゃねーぞ!外出禁止だって言ってんだろ!こんな簡単なことも守れねーのか!」

 おじさんは平手打ちをしながら叫ぶ。痛いとうるさいで体が縮こまる。

「逃げるんじゃねーぞ!ふざけんなこのやろう!」

 おじさんは叫びながら私をドアに打ち付ける。背中の感覚がなくなり、痛みすら感じなくなる。

「なんとか言ったらどうなんだ!」

 またドアに打ち付けられ、今度は頭を打ってしまった。頭の中でゴンッと鈍い音が響き反響する。反響から少し遅れ痛みが後頭部を徐々に支配していく。

 おじさんが何か叫んでいるが、もう私には伝わらない。感覚が内側になりおじさんの声と、私の痛みがテレビであっているお祭りのような気がしてくる。

 おじさんの後ろにある電球に目が止まる。私はその電球の中にいる、そんな気すらしてきた。あの中にはこの世のものとは思えないほど醜悪な妖精と小さな私がいて、私が殴られているのを黙って見ているんだ。

 早く助けてよ、妖精に訴えかけると妖精は小さな私を連れてどこかへ行ってしまった。直後、おじさんは私の肩を掴み、半回転し廊下に投げ飛ばした。

 私は世界が色々な方向に回転したように思えた。頭が混乱して動けないでいると、おじさんが大股で近づいてきた。おじさんは何も言わずに、私の胸ぐらを掴み私を持ち上げる。

 おじさんが大きく手を振りかぶった。これは痛いだろうな。なんとなくそう思い目を閉じるが、私の頬に痛みが来ることはなかった。

 おずおずと目を開けると、おじさんの腕をおばさんが必死に掴んでいた。

「もうやめて、もう許してあげて。空ちゃんもうボロボロよ」

 おばさんが泣きながら懇願する。おじさんはしゃがみ込むおばさんを驚きを隠せない表情で見つめる。お願い、おばさんが叫ぶとおじさんの顔はみるみるうちに真っ赤に変わっていった。

「うるせえ!もともとお前がちゃんとしていればこんなことにはならなかったんだよ!なんのためにいつも家にいるんだよ!」

 おじさんの怒りがおばさんに向いてしまった。おじさんは怒り狂い、おばさんに馬乗りになりタコ殴りにし始める。

 私は居た堪れない気持ちになった。どうしておばさんが殴られているのだろう。本来私が殴られるべきなのに、私はここに突っ立ているだけで何もしていない。

 呆然と立っているだけの自分が恥ずかしくなると同時に、殴られているおばさんに申し訳なくなる。先ほどまで麻痺していた感情が半力で爆発し涙が出る。私は子供のように泣き喚き、私はその場に土下座した。

「お願いしますお父さん。殴るなら私だけにしてください。お母さんは関係ないんです。お願いします!お願いします!」

 泣き声にかき消されないように大声で叫ぶ。おじさんは私を一瞥して、振り向いたかと思うと私の横っ腹に蹴りを入れた。

 息ができなくなりその場で悶絶する。その間にもおばさんは殴られ続けた。思い通りにいかない体を必死に動かし、おじさんを止めようとしておじさんに近づく。しかし、振り向きざまに一蹴された私は意識が遠のいていった。
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