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第93話 1556年(弘治二年)4月〜 若狭、近江
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小浜には武田信実が休みなく働いた結果、新しく居館が建てられた。転生前の世界で小浜城があった場所に父上、俺、妻たちが過ごす事ができるように余裕をもって造られている。四月になって母上と桜がやって来た。二人とも八雲を出るのは初めてなので、とても嬉しそうだ。菊と通は八雲で留守番だ。
八雲城には城代として三刀屋久扶を置いた。城を創るときから携わっているので三刀屋が適任だ。父上も俺も八雲を留守にすることが多くなった。八雲でのんびりできる日はいつ来るのかな。
四月二十八日。後瀬山城にて評定を行う。議題は比叡山延暦寺から届いた書状に対する対策と返答だ。
立原源太兵衛久綱、米原綱寛、横道兵庫介、真木上野介朝新、岸左馬之進、吾郷伊賀守勝久、吾郷美濃守勝秀、山中甚次郎、そして行教(京極高延)、茂吉。後で武田信実も参加する予定だ。今の後瀬山城は俺の実質的な本城になっている。いずれ山城か近江に城を建て本拠地を移すつもりだ。くーっ、内政担当がもっと欲しいな。
書状に書かれていた内容は次の通り。
・下京に置かれた『山城屋』を同じ下京内の五条通に面する延暦寺の所領に移築すること。地子銭を収め寺の指示に従い商いを行うこと。(具体的にはその都度指示を伝える)
・商品の運搬を日吉大社の神人に一任すること。
上記二点の成立をもって堅田にある尼子の荷と菅浦水軍を引き渡す。
いやこれは恫喝だね。ちょっと戦に勝ったからって田舎侍の分際で調子に乗るなよ、ということだ。
俺も忘れていた。出雲で戦国大名として生きていこうと決めたあと、最初にぶつかった壁が鰐淵寺だ。新宮党とつながり、領内の反尼子勢力を結集させ政権転覆を企てた者共。それだけでなく経済活動を一手に握り社会を動かしているシステムが寺社。その力と利権を崩していきながら出雲という国を作っていったはず。日の本の中心、首都である京に上ってきたことで、まして初戦で勝利したせいで浮かれていたんだな俺は。
六角より先にお山だったか。
鰐淵寺は天台宗、本山は比叡山延暦寺だ。これもなにかの縁なのかもしれない。
「御屋形様、延暦寺が分かりやすい警告を出してきましたが、ちょうど良い機会かと。尼子が真に天下を治めていく意志と力があることを畿内に示すことを進言いたします」
立原の進言を久しぶりに直に聞いたな。そして米原が続く。
「御屋形様の目標は堺の獲得。ならばここらで寺社の権益を尼子が認めないことを表明する必要があります。それが会合衆に対する威圧になるでしょう」
米原も好戦的だな。
「横道、お前はどうなんだ」
今や家中随一の強者と言ってもいいだろう。横道の意見を聞いてみる。
「そうですね。現状の武力を比較すると負ける相手ではありません。懸念点は兵の増員があるのか、戦意を著しく高揚させる要素があるのかというものです」
「増員?なんだそれ」
「全国の寺に激を飛ばせば、最低五千の兵は集まるでしょう。雇兵も募れば合わせて一万の増員は可能です。それが死兵になればやっかいです」
なるほど。
「でもいくら兵が多くても簡単に烏合の衆になるなら問題はないですね。お山には兵を率いる武将に当たる僧兵が決定的に少ないと思います。実戦が足りませんよ。あいつら」
甚治郎が相変わらずサラッと言ってのける。
「御屋形様、周りの動向を気にかけるのが必要かと。六角、浅井、朝倉、三好、美濃の斎藤。何かしら動きがあるかもしれません」
おおー。舅殿。こんな人だったの。メッチャ助かるやん。
その後論議は続いた。昼食をはさみ申の刻(16時)頃になり。評定は終わった。
「皆のもの、今日はご苦労だった。いい評定だった。改めて俺の基本が何なのか、思い出させてくれた。ありがとう。よし、今日決まったことを確実に実行していくぞ!」
「ははっ」
五月十三日。吾郷伊賀守勝久、吾郷美濃守勝秀、山中甚次郎の三人は坂本にある延暦寺の里坊にいた。延暦寺から渡された書状の返答をするためである。天台宗十三階級のうち上から五番目にあたる大僧都が三人を迎えた。このときの天台座主は応胤入道親王。
「して尼子殿。返答はいかなるや」
穏やかな笑みを浮かべながら大僧都は返答を促した。
「若狭国内の延暦寺の荘園を尼子が接収することが決まり、昨日から仕置を始めています。直に若狭から荘園に携わっていた僧が戻ることでしょう。尼子はお山の意に従うつもりはありません。明日には抑留されている船と菅浦衆を堅田に迎えに行きます。むやみに騒ぎが大きくならぬよう慎重に事を運びますゆえ、お山もそのあたりよしなにお願い申し上げます」
そう言って吾郷勝久が平伏し、吾郷勝秀、山中甚次郎がそれに続く。
大僧都は口を軽く開けポカンとしていたが、我に返った。
「今なんと?!若狭の荘園を取り上げるだと」
「はい。若狭は尼子の国。尼子に異を唱え、公然と反旗を翻す寺社はいりませぬ。もとより尼子は守護不入を認めておりません。これは寺社も例外ではありません」
「ば、馬鹿な。仏罰が下るぞ!」
「尼子は大国主大神を祀る国。仏罰など下りません。まして御屋形様は大国主大神のお告げを受けた者。なんの問題もありません。返答は告げましたのでこれにて御免」
そう言い終わると三人は立ち上がり部屋を出ていった。
「なな、何と罰当たりな。直ぐに天台座主様にお伝えせねば」
大僧都は慌てて延暦寺に駆け上っていった。
同じ日の昼時、堅田の慈敬寺で米原綱寛と全人衆の代表たちとの会談が密かに行われていた。今の堅田は堅田衆が治める自治都市だ。その堅田衆は地侍の殿原衆と商工業者・農民たちの全人衆でできている。突っ込んて見ると堅田には二つの自治組織があることになる。そして殿原は延暦寺、全人は本願寺の信者たちだ。
「…では尼子様は我らの自治を認めてくださるのか」
「簡単な裁判権は認めます。あと漁業権は菅浦と境界を定め各々が持つ、ということでどうでしょう。関所については直ぐに全廃していただきたい。街道整備は尼子が行う。そして検地と戸籍の整理、楽市開設を行っていただきたい。売り上げに応じて税を徴収します。楽市の準備期間として一年設けましょう」
「堅田の守りはどうするので」
「尼子が堅田を守る。全人衆は商い、もの作り、畑仕事、魚取りに励んでいただければよろしいかと。そして十年後、今回の約定を見直すということでよろしいですかな」
代表たちは考える。特に商工業者は楽市について懸念がある。我らの商いはどうなるのかと。
「尼子は京の都で商いを始めました。我らは武家でありながら商いも手がけます。全人衆も堅田でいいものを作り、京に売りに来ればよい、そのときは優遇しますよ。そのことも約定に含めましょう。よく考えてください。三好に勝ち、上様を京にお連れしたのは尼子ですぞ。ここらで誰と結ぶか見誤らないようにしてほしいですね」
代表たちは少し時間が欲しいと申し出た。
「分かりました。でもあまり時間の余裕はないかと思います」
「それはどういうことで…」
「ご存知と思いますが、お山が尼子の邪魔をしています。このまま尼子が引き下がると思いますか?」
「そんな、では尼子様とお山が戦うのですか」
「堅田に類は及ばないようにします。心配はいりません」
最後の最後に爆弾が落ちてきた。お山と尼子が戦だと。
「なので今日皆さんと話がしたかったのです。尼子は堅田の味方です。お忘れなきよう。では返答をお待ちします」
米原が去ったあと、代表らは話し合いを続けた。お山と尼子が戦をして堅田が無事な訳が無い。堅田には尼子の船が抑留されている。それは堅田の意志ではなく、お山の行いだ。尼子の使者はすぐにでも戦が始まるような口ぶりだった。遠く出雲から来た佐々木道誉の末裔に連なるものは先達と同じく婆娑羅ものなのか。代表たちは堅田が否応なしに争いの中心地になってしまったことに今更ながら気付いた。そして…どうする!
結論は『事の成り行きを見守る』だった。実質的な結論は出なかったし、下せなかった。会合を終えて散っていく面々は今から堅田を逃げ出す方法を考えている。また堅田大責が起きるなど考えたこともなかった。本当に尼子とお山が戦をするのか、信じられない。恐れを抱きながら帰路につく。しかし彼らの恐れは寝て起きると、現実として眼の前に広がっていた。
次の日、堅田は尼子の軍勢に包囲された。尼子の船が菅浦に戻っていくのを確認し、殿原衆を武装解除した尼子軍はそのまま堅田にとどまった。全人衆は慌てて尼子の将の下に駆けつけ、尼子と約定を結んだ。
尼子軍は堅田で乱取り、乱暴、狼藉などを一切行わず静かに黙々と行動していた。堅田の民は息を潜めて尼子軍の振る舞いを注視していた。
次の日、尼子軍は南に向かって進軍を始めた。
八雲城には城代として三刀屋久扶を置いた。城を創るときから携わっているので三刀屋が適任だ。父上も俺も八雲を留守にすることが多くなった。八雲でのんびりできる日はいつ来るのかな。
四月二十八日。後瀬山城にて評定を行う。議題は比叡山延暦寺から届いた書状に対する対策と返答だ。
立原源太兵衛久綱、米原綱寛、横道兵庫介、真木上野介朝新、岸左馬之進、吾郷伊賀守勝久、吾郷美濃守勝秀、山中甚次郎、そして行教(京極高延)、茂吉。後で武田信実も参加する予定だ。今の後瀬山城は俺の実質的な本城になっている。いずれ山城か近江に城を建て本拠地を移すつもりだ。くーっ、内政担当がもっと欲しいな。
書状に書かれていた内容は次の通り。
・下京に置かれた『山城屋』を同じ下京内の五条通に面する延暦寺の所領に移築すること。地子銭を収め寺の指示に従い商いを行うこと。(具体的にはその都度指示を伝える)
・商品の運搬を日吉大社の神人に一任すること。
上記二点の成立をもって堅田にある尼子の荷と菅浦水軍を引き渡す。
いやこれは恫喝だね。ちょっと戦に勝ったからって田舎侍の分際で調子に乗るなよ、ということだ。
俺も忘れていた。出雲で戦国大名として生きていこうと決めたあと、最初にぶつかった壁が鰐淵寺だ。新宮党とつながり、領内の反尼子勢力を結集させ政権転覆を企てた者共。それだけでなく経済活動を一手に握り社会を動かしているシステムが寺社。その力と利権を崩していきながら出雲という国を作っていったはず。日の本の中心、首都である京に上ってきたことで、まして初戦で勝利したせいで浮かれていたんだな俺は。
六角より先にお山だったか。
鰐淵寺は天台宗、本山は比叡山延暦寺だ。これもなにかの縁なのかもしれない。
「御屋形様、延暦寺が分かりやすい警告を出してきましたが、ちょうど良い機会かと。尼子が真に天下を治めていく意志と力があることを畿内に示すことを進言いたします」
立原の進言を久しぶりに直に聞いたな。そして米原が続く。
「御屋形様の目標は堺の獲得。ならばここらで寺社の権益を尼子が認めないことを表明する必要があります。それが会合衆に対する威圧になるでしょう」
米原も好戦的だな。
「横道、お前はどうなんだ」
今や家中随一の強者と言ってもいいだろう。横道の意見を聞いてみる。
「そうですね。現状の武力を比較すると負ける相手ではありません。懸念点は兵の増員があるのか、戦意を著しく高揚させる要素があるのかというものです」
「増員?なんだそれ」
「全国の寺に激を飛ばせば、最低五千の兵は集まるでしょう。雇兵も募れば合わせて一万の増員は可能です。それが死兵になればやっかいです」
なるほど。
「でもいくら兵が多くても簡単に烏合の衆になるなら問題はないですね。お山には兵を率いる武将に当たる僧兵が決定的に少ないと思います。実戦が足りませんよ。あいつら」
甚治郎が相変わらずサラッと言ってのける。
「御屋形様、周りの動向を気にかけるのが必要かと。六角、浅井、朝倉、三好、美濃の斎藤。何かしら動きがあるかもしれません」
おおー。舅殿。こんな人だったの。メッチャ助かるやん。
その後論議は続いた。昼食をはさみ申の刻(16時)頃になり。評定は終わった。
「皆のもの、今日はご苦労だった。いい評定だった。改めて俺の基本が何なのか、思い出させてくれた。ありがとう。よし、今日決まったことを確実に実行していくぞ!」
「ははっ」
五月十三日。吾郷伊賀守勝久、吾郷美濃守勝秀、山中甚次郎の三人は坂本にある延暦寺の里坊にいた。延暦寺から渡された書状の返答をするためである。天台宗十三階級のうち上から五番目にあたる大僧都が三人を迎えた。このときの天台座主は応胤入道親王。
「して尼子殿。返答はいかなるや」
穏やかな笑みを浮かべながら大僧都は返答を促した。
「若狭国内の延暦寺の荘園を尼子が接収することが決まり、昨日から仕置を始めています。直に若狭から荘園に携わっていた僧が戻ることでしょう。尼子はお山の意に従うつもりはありません。明日には抑留されている船と菅浦衆を堅田に迎えに行きます。むやみに騒ぎが大きくならぬよう慎重に事を運びますゆえ、お山もそのあたりよしなにお願い申し上げます」
そう言って吾郷勝久が平伏し、吾郷勝秀、山中甚次郎がそれに続く。
大僧都は口を軽く開けポカンとしていたが、我に返った。
「今なんと?!若狭の荘園を取り上げるだと」
「はい。若狭は尼子の国。尼子に異を唱え、公然と反旗を翻す寺社はいりませぬ。もとより尼子は守護不入を認めておりません。これは寺社も例外ではありません」
「ば、馬鹿な。仏罰が下るぞ!」
「尼子は大国主大神を祀る国。仏罰など下りません。まして御屋形様は大国主大神のお告げを受けた者。なんの問題もありません。返答は告げましたのでこれにて御免」
そう言い終わると三人は立ち上がり部屋を出ていった。
「なな、何と罰当たりな。直ぐに天台座主様にお伝えせねば」
大僧都は慌てて延暦寺に駆け上っていった。
同じ日の昼時、堅田の慈敬寺で米原綱寛と全人衆の代表たちとの会談が密かに行われていた。今の堅田は堅田衆が治める自治都市だ。その堅田衆は地侍の殿原衆と商工業者・農民たちの全人衆でできている。突っ込んて見ると堅田には二つの自治組織があることになる。そして殿原は延暦寺、全人は本願寺の信者たちだ。
「…では尼子様は我らの自治を認めてくださるのか」
「簡単な裁判権は認めます。あと漁業権は菅浦と境界を定め各々が持つ、ということでどうでしょう。関所については直ぐに全廃していただきたい。街道整備は尼子が行う。そして検地と戸籍の整理、楽市開設を行っていただきたい。売り上げに応じて税を徴収します。楽市の準備期間として一年設けましょう」
「堅田の守りはどうするので」
「尼子が堅田を守る。全人衆は商い、もの作り、畑仕事、魚取りに励んでいただければよろしいかと。そして十年後、今回の約定を見直すということでよろしいですかな」
代表たちは考える。特に商工業者は楽市について懸念がある。我らの商いはどうなるのかと。
「尼子は京の都で商いを始めました。我らは武家でありながら商いも手がけます。全人衆も堅田でいいものを作り、京に売りに来ればよい、そのときは優遇しますよ。そのことも約定に含めましょう。よく考えてください。三好に勝ち、上様を京にお連れしたのは尼子ですぞ。ここらで誰と結ぶか見誤らないようにしてほしいですね」
代表たちは少し時間が欲しいと申し出た。
「分かりました。でもあまり時間の余裕はないかと思います」
「それはどういうことで…」
「ご存知と思いますが、お山が尼子の邪魔をしています。このまま尼子が引き下がると思いますか?」
「そんな、では尼子様とお山が戦うのですか」
「堅田に類は及ばないようにします。心配はいりません」
最後の最後に爆弾が落ちてきた。お山と尼子が戦だと。
「なので今日皆さんと話がしたかったのです。尼子は堅田の味方です。お忘れなきよう。では返答をお待ちします」
米原が去ったあと、代表らは話し合いを続けた。お山と尼子が戦をして堅田が無事な訳が無い。堅田には尼子の船が抑留されている。それは堅田の意志ではなく、お山の行いだ。尼子の使者はすぐにでも戦が始まるような口ぶりだった。遠く出雲から来た佐々木道誉の末裔に連なるものは先達と同じく婆娑羅ものなのか。代表たちは堅田が否応なしに争いの中心地になってしまったことに今更ながら気付いた。そして…どうする!
結論は『事の成り行きを見守る』だった。実質的な結論は出なかったし、下せなかった。会合を終えて散っていく面々は今から堅田を逃げ出す方法を考えている。また堅田大責が起きるなど考えたこともなかった。本当に尼子とお山が戦をするのか、信じられない。恐れを抱きながら帰路につく。しかし彼らの恐れは寝て起きると、現実として眼の前に広がっていた。
次の日、堅田は尼子の軍勢に包囲された。尼子の船が菅浦に戻っていくのを確認し、殿原衆を武装解除した尼子軍はそのまま堅田にとどまった。全人衆は慌てて尼子の将の下に駆けつけ、尼子と約定を結んだ。
尼子軍は堅田で乱取り、乱暴、狼藉などを一切行わず静かに黙々と行動していた。堅田の民は息を潜めて尼子軍の振る舞いを注視していた。
次の日、尼子軍は南に向かって進軍を始めた。
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