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第64話 1552年(天文二十一年)5月から6月 備後、備中
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布野への進軍を中止し、旗返山城攻略のため反転、南進した毛利軍は、城についた途端有無を言わさず遮二無二攻め込んだ。
江田隆連は驚いた。毛利は布野の尼子軍と決戦を行うと思っていたので、張り詰めていた気を緩めて休んでいたからだ。しかも毛利の攻めは容赦ない力攻めだった。
「ばかな、これほどの毛利は見たことがない」
一日で旗返山城は落城し、隆連はなんとか出雲に落ち延びて行った。
布野に布陣していた尼子軍は、毛利が南に向かったのを見るとさっさと陣を引き払い帰っていった。
毛利軍一千は休む間もなく甲山城に向かい、山内隆通と毛利隆元が会談を行った。隆通は誓紙を隆元に提出し、以後尼子との関係を完全に断ち毛利家に服従することを誓った。
残り三千の毛利軍と一千の大内軍は一旦吉田郡山城にもどり軍備を整える。
月が明けて六月三日。毛利軍五千と大内軍一千、合わせて六千の軍勢は備中に向けて進行を開始する。目指すは庄為資が籠もる備中松山城。三村家親とともに庄為資の討伐にむかう。
出陣しようとした元就に伝令が走り込んでくる。
「申し上げます。因幡山名家の本城、布勢天神山城および久松城が落城。山名祐豊が率いる山名軍と尼子軍が久松城下で交戦。山名は総崩れ、但馬に引き返したのこと」
立ち並ぶ毛利の諸将は声を失った。
「もう因幡を征したのか」
口を開いたのは隆元だった。
「皆のもの出陣じゃ!」
元就の喝に皆は我を取り戻す。今はただ庄為資を討つことだけを考えるのだ。
吉田郡山城を立った軍勢は三十四と四分一里を風のように走り抜け、五日半で備中松山城に到着した。三村家親の二千とともに松山城を囲む。兵一千ほどを小早川隆景に預け石蟹山城に向かわせる。尼子への控えだ。
庄為資の抵抗は思った以上に強くさすが松山城は備中随一の城と呼ばれるだけのことはある。元就は城の包囲を続けたまま、吉川元春を猿掛城攻略に向かわせた。猿掛城は元春が程なく落城させ為資の士気をくじく。元春が戻ると同時に尼子に控えていた隆景を呼び戻した。
尼子は動かん。この数日の動きを見て元就は確信した。
毛利、大内、三村連合軍は総攻撃をかけ、ついに備中松山城を落とし庄為資を討ち取った。一族は根切りになり備中に名を馳せた有力国人、庄氏は滅んだ。六月二十九日のことである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
毛利隆元は備中遠征には行かず安芸、備後の国人たちを、束ねる任についていた。備中平定に行きたかったが、今は領内から尼子の影響を完全に払拭し、毛利の地盤を盤石にする必要があると判断し、自ら残ることを選択したのだ。特に備後の国衆たちの掌握に努め三吉、山名、久代宮などを使い国衆たちを固めていった。江田氏を滅ぼしたのは毛利の力を誇示するいい機会になった。
隆元は世鬼と修験者を使い出雲を調べさせていた。尼子の草刈りは一段落したのか最近尼子の忍びの動きが緩んだと世鬼から報告があった。隆元はすぐに修験者を増やし出雲に放った。数が減った世鬼も少し送った。尼子領内は関所が少ない。特に八雲城はどんどん民を呼び込んでいるので城下に入るのは簡単だ。
鰐淵寺もいまや親尼子寺院の筆頭となり、引き続き山陰地方における修験場として機能している。修験者たちも随分戻ってきた。よほど変な動きをしない限り尼子領内を動くのは難しくない。一部管制が厳しい場所を覗いては。
戻ってきた修験者や世鬼の報告は主に尼子領内における商いの拡大、民の暮らしぶりの変化についてであった。宇龍、温泉津、杵築、鷺浦、美保関に多くの唐船が入り明、朝鮮からいろんな物が入ってくる。最近は南蛮人も増えてきた。杵築の坪内という御師であり商人である者を筆頭に財を蓄えている商人がたくさん出ている。街道が整備され関所では銭を取らず、関所自体が少ない。よって民百姓が領内を自由に移動できる。野盗の類も見つけ次第討伐される。米もよく取れる。年貢も四公六民だ。海の幸もたくさん取れる。堺からきた漁師が手ほどきしたそうだ。温泉津はすごい宿場になっており女郎たちがどんどんやってくるという。
八雲城はそびえるような天守をもち城下町には人が住み着き、町がどんどん大きくなっているという。『瓦版』なる読み物が飛ぶように売れ、出雲や他国の出来事が書いてあるという。それを読みたくて出雲の民百姓は字を習いだしたそうだ。武家の娘が率先して新しい服を着て町を練り歩き、武家の女も平民の女もがこぞって同じ服を買って着るという。そのうち富田や米子などにもおおきな町ができるとの噂が流れている。
聞くにつれて隆元は出雲の国に対する興味が膨らんでいく。若かりし頃、山口にて人質生活を送っていたが大内で暮らした数年はとても豊かで、心躍る日々だった。その時の暮らしが、豊かで強かった大内が今の尼子とダブってきたのだ。安芸に帰った頃、よく大内かぶれと文句を言われた。軟弱になって帰ってきたとも言われた。その後自分なりに山口のことは話さないようにし、素振りも改めた。武士たるもの質実剛健が全て。公家のような振る舞いは以ての外と。
だが、今の尼子はかつて御屋形様(大内義隆)がいた頃のように豊かで、それでいてとても強い。新見で相見えたときその強さを感じたが更に強くなっている。あっという間に因幡を落としたではないか。
隆元は尼子の強さの秘密が知りたかった。
毛利領内でも元就、隆元が毛利家中心の体制を構築するため諸法度を布告している。五奉行制をひき、家臣たちに軍事動員の義務を課す具足注文の法度、軍律を定める軍法書五ヶ条など井上一族粛清後、権力の集約を進めているのだ。国衆からの信頼も厚くなってきている。
だが足りない。まったく追いつけていない。父と違って戦や謀は苦手だが領内の開発、差配はそれなりにできると自信があった。だがここに来て出雲があまりにも豊かであり、その様が自分の理解を超えているということを隆元は知ることになった。
尼子はよくわからない国に変わりつつある。恐ろしさを感じながら、だからどうする!
隆元は吉田郡山城で考えにふける。良いか悪いか父上も、戦上手な次男も、頭が切れる三男もここにはいない。静かに、深く、隆元は考え続けるのであった。
江田隆連は驚いた。毛利は布野の尼子軍と決戦を行うと思っていたので、張り詰めていた気を緩めて休んでいたからだ。しかも毛利の攻めは容赦ない力攻めだった。
「ばかな、これほどの毛利は見たことがない」
一日で旗返山城は落城し、隆連はなんとか出雲に落ち延びて行った。
布野に布陣していた尼子軍は、毛利が南に向かったのを見るとさっさと陣を引き払い帰っていった。
毛利軍一千は休む間もなく甲山城に向かい、山内隆通と毛利隆元が会談を行った。隆通は誓紙を隆元に提出し、以後尼子との関係を完全に断ち毛利家に服従することを誓った。
残り三千の毛利軍と一千の大内軍は一旦吉田郡山城にもどり軍備を整える。
月が明けて六月三日。毛利軍五千と大内軍一千、合わせて六千の軍勢は備中に向けて進行を開始する。目指すは庄為資が籠もる備中松山城。三村家親とともに庄為資の討伐にむかう。
出陣しようとした元就に伝令が走り込んでくる。
「申し上げます。因幡山名家の本城、布勢天神山城および久松城が落城。山名祐豊が率いる山名軍と尼子軍が久松城下で交戦。山名は総崩れ、但馬に引き返したのこと」
立ち並ぶ毛利の諸将は声を失った。
「もう因幡を征したのか」
口を開いたのは隆元だった。
「皆のもの出陣じゃ!」
元就の喝に皆は我を取り戻す。今はただ庄為資を討つことだけを考えるのだ。
吉田郡山城を立った軍勢は三十四と四分一里を風のように走り抜け、五日半で備中松山城に到着した。三村家親の二千とともに松山城を囲む。兵一千ほどを小早川隆景に預け石蟹山城に向かわせる。尼子への控えだ。
庄為資の抵抗は思った以上に強くさすが松山城は備中随一の城と呼ばれるだけのことはある。元就は城の包囲を続けたまま、吉川元春を猿掛城攻略に向かわせた。猿掛城は元春が程なく落城させ為資の士気をくじく。元春が戻ると同時に尼子に控えていた隆景を呼び戻した。
尼子は動かん。この数日の動きを見て元就は確信した。
毛利、大内、三村連合軍は総攻撃をかけ、ついに備中松山城を落とし庄為資を討ち取った。一族は根切りになり備中に名を馳せた有力国人、庄氏は滅んだ。六月二十九日のことである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
毛利隆元は備中遠征には行かず安芸、備後の国人たちを、束ねる任についていた。備中平定に行きたかったが、今は領内から尼子の影響を完全に払拭し、毛利の地盤を盤石にする必要があると判断し、自ら残ることを選択したのだ。特に備後の国衆たちの掌握に努め三吉、山名、久代宮などを使い国衆たちを固めていった。江田氏を滅ぼしたのは毛利の力を誇示するいい機会になった。
隆元は世鬼と修験者を使い出雲を調べさせていた。尼子の草刈りは一段落したのか最近尼子の忍びの動きが緩んだと世鬼から報告があった。隆元はすぐに修験者を増やし出雲に放った。数が減った世鬼も少し送った。尼子領内は関所が少ない。特に八雲城はどんどん民を呼び込んでいるので城下に入るのは簡単だ。
鰐淵寺もいまや親尼子寺院の筆頭となり、引き続き山陰地方における修験場として機能している。修験者たちも随分戻ってきた。よほど変な動きをしない限り尼子領内を動くのは難しくない。一部管制が厳しい場所を覗いては。
戻ってきた修験者や世鬼の報告は主に尼子領内における商いの拡大、民の暮らしぶりの変化についてであった。宇龍、温泉津、杵築、鷺浦、美保関に多くの唐船が入り明、朝鮮からいろんな物が入ってくる。最近は南蛮人も増えてきた。杵築の坪内という御師であり商人である者を筆頭に財を蓄えている商人がたくさん出ている。街道が整備され関所では銭を取らず、関所自体が少ない。よって民百姓が領内を自由に移動できる。野盗の類も見つけ次第討伐される。米もよく取れる。年貢も四公六民だ。海の幸もたくさん取れる。堺からきた漁師が手ほどきしたそうだ。温泉津はすごい宿場になっており女郎たちがどんどんやってくるという。
八雲城はそびえるような天守をもち城下町には人が住み着き、町がどんどん大きくなっているという。『瓦版』なる読み物が飛ぶように売れ、出雲や他国の出来事が書いてあるという。それを読みたくて出雲の民百姓は字を習いだしたそうだ。武家の娘が率先して新しい服を着て町を練り歩き、武家の女も平民の女もがこぞって同じ服を買って着るという。そのうち富田や米子などにもおおきな町ができるとの噂が流れている。
聞くにつれて隆元は出雲の国に対する興味が膨らんでいく。若かりし頃、山口にて人質生活を送っていたが大内で暮らした数年はとても豊かで、心躍る日々だった。その時の暮らしが、豊かで強かった大内が今の尼子とダブってきたのだ。安芸に帰った頃、よく大内かぶれと文句を言われた。軟弱になって帰ってきたとも言われた。その後自分なりに山口のことは話さないようにし、素振りも改めた。武士たるもの質実剛健が全て。公家のような振る舞いは以ての外と。
だが、今の尼子はかつて御屋形様(大内義隆)がいた頃のように豊かで、それでいてとても強い。新見で相見えたときその強さを感じたが更に強くなっている。あっという間に因幡を落としたではないか。
隆元は尼子の強さの秘密が知りたかった。
毛利領内でも元就、隆元が毛利家中心の体制を構築するため諸法度を布告している。五奉行制をひき、家臣たちに軍事動員の義務を課す具足注文の法度、軍律を定める軍法書五ヶ条など井上一族粛清後、権力の集約を進めているのだ。国衆からの信頼も厚くなってきている。
だが足りない。まったく追いつけていない。父と違って戦や謀は苦手だが領内の開発、差配はそれなりにできると自信があった。だがここに来て出雲があまりにも豊かであり、その様が自分の理解を超えているということを隆元は知ることになった。
尼子はよくわからない国に変わりつつある。恐ろしさを感じながら、だからどうする!
隆元は吉田郡山城で考えにふける。良いか悪いか父上も、戦上手な次男も、頭が切れる三男もここにはいない。静かに、深く、隆元は考え続けるのであった。
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