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第18話 1546年(天文十五年)9月 月山富田城
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尼子晴久は黙々と書類に花押を書き込んでいた。六月に起こった橋津川の戦いに尼子は勝利し武田国信と伯耆国人たちを退けた。尼子国久の嫡男尼子豊久の戦死という不幸な出来事はあったが、晴久からすればそんなに痛手ではない。むしろ新宮党が弱まって良かったのでは、と思うほどだ。実際弱体化すればそれはそれで困ったことになる。そこが新宮党の面倒くさいところだ。なんとも扱いにくい。
今のところ今年は善き年になりそうだと晴久は思っている。なんといっても三郎だ。六月から横田荘を三郎に任せてみた。三郎の変わり様が余りにも際立ったので、半信半疑で領地を与えてみたところ、見事に納めているどころか鉄の生産量が跳ねあがった。去年からその兆しはあったが今や宇龍の湊に横田からの鉄が届かない日はないのだ。それも日に日に増えている。杵築から職人が多く横田に入り鉄を使った道具を作り始めた。雲州鍬といったか、鉄を贅沢に使った鍬を作り田畑を耕している。民百性が大喜びしているという。このままいけば米もたくさん採れる。武具もどんどん作っている。まさに尼子の力が増しているのを目にすることができるのだ。家臣たちも三郎に対して見る目が変わってきている。
その三朗が久しぶりに相談したい事があるとやってくる。なにやら気持ちが軽い。前にこんな気持ちになったのはいつだったか…播磨に攻め入り赤松晴政を打ち破ったとき以来か。随分と昔のことだ。晴久は苦笑いを浮かべた。
近習が三郎の到来を告げる。三郎は供を二人連れ晴久の前にやって来た。
「殿、お忙しい中お目通りがかない誠にありがとうございます。本日は殿に相談したき出来事が多々あって参りました。是非ともお力添えをお頼みもうしまする」
相も変わらず畏まった口上だ。臣下としての振るまい揺るがぬか。ふっと小さく笑った晴久の顔がみるみる変わっていったのは息子が顔を上げたあとだった。三郎のこんな顔は見たことがなかった。今から勝ち負けが全くわからぬ戦場に赴くかのような悲壮感が滲んでいた。何があった。
「…三郎如何した。何ぞ不都合でもおこったのか」
三朗はそれでも真っすぐ晴久を見つめて声を出した。
「まずは楽しき事柄より申し上げます」
楽市を設けること。純度の高い銅を精錬できるようになったこと、その技で今まで取り出せなかった銀を銅から分離できること。この技を用いて大森銀山に対する支配力を強めること。宍道領において横田と同じく米の収穫量が増えること。鉄の増産が軌道に乗ってきたので横田以外のたたら場にもフイゴを導入すること等を三郎が報告した。
今後の方策として亀井を交易、三郎をたたら、本田を楽市の責任者としこの者たちを尼子奉行職に任ずることで尼子宗家中心の権力基盤を作る試みを始め、直轄領において検地を行い今後国人衆の領地でも実施し、彼らを積極的に直臣化することが提案された。
晴久は我が意を得たりと大いに頷き、次の評定にて詮議すると明言し三郎の評定参加を決めた。
「ではこれから面白くない話をいたします」
三郎の話を聞き終わった晴久は腕をくみ、目を閉じ、うつ向いていた。
「三郎、杵築を助けると答えたのだな」
「…申し訳ございません。答えてしまいました」
「富田にわざわざやって来て尼子に助力すると言ったのだ。杵築は本気なのだな。お前が大国主命様の啓示を受けたとの話しもなにやら関わりがあるのかもしれん。こうなった以上引き返すことはできぬ。だが三郎よ。鍔淵寺が真に強訴を起こせばそれだけで出雲が揺れる。輪をかけて叔父上の動きいかんでは何が起こるかわからん。絵面は描けておるのか」
「まだでございます。そのためにも殿にお聞きしたき事がございます。紀伊守様と栄芸は繋がっています。栄芸は毛利と繋がっている。確たる証がまだございませんが間違い無いと思います。紀伊守様がどこまで栄芸と毛利の関係をご存知なのかは分かりません。殿、紀伊守様をいかがなさるおつもりでしょうか」
塩冶の乱が起きたあと、偉大なる祖父尼子経久は尼子一族の結束を強めるため次期当主である孫の晴久に従姉妹に当たる国久の娘を嫁がせた。しかし月日が経つにつれ晴久と国久の仲は悪くなって行く。思えば塩冶領を国久に任せたのは失敗だったかもしれない。尼子の中に二つの頭が出来てしまった。そのときはまだ晴久が若く当主として研鑽を積んでいる最中であったし、経久が生きていたのだ。
しかし今となってはせんなきこと。頭は一つでなくてはならない。
晴久は目を瞑り暫し考えに沈んだ。方策や損得ではない。覚悟を求めて意志の中を泳ぐ。
永いような短いような時間を経て晴久は瞳を開いた。
「わが叔父上、紀伊守殿は生かしておけぬ。その一族も同じく生かすわけにはいかん。新宮党は尼子宗家直轄の軍とする」
「…わかりました。そのように絵図を描きましょう。暫くお時間をいただきとうございます。相手の動きも知る必要がありますので」
晴久は目をしっかりと開け三郎を見た。
「できるのか。お前に」
「殿、尼子の滅びを避けるためなら何でもいたします。そのように心に決めました」
「…まことお前は神仏の生まれ変わりじゃな。よかろう描いて見せよ。儂も腹をくくった」
晴久の顔に迷いはなく、我が子に対する信頼からか満足げな笑みが浮かんでいた。
今のところ今年は善き年になりそうだと晴久は思っている。なんといっても三郎だ。六月から横田荘を三郎に任せてみた。三郎の変わり様が余りにも際立ったので、半信半疑で領地を与えてみたところ、見事に納めているどころか鉄の生産量が跳ねあがった。去年からその兆しはあったが今や宇龍の湊に横田からの鉄が届かない日はないのだ。それも日に日に増えている。杵築から職人が多く横田に入り鉄を使った道具を作り始めた。雲州鍬といったか、鉄を贅沢に使った鍬を作り田畑を耕している。民百性が大喜びしているという。このままいけば米もたくさん採れる。武具もどんどん作っている。まさに尼子の力が増しているのを目にすることができるのだ。家臣たちも三郎に対して見る目が変わってきている。
その三朗が久しぶりに相談したい事があるとやってくる。なにやら気持ちが軽い。前にこんな気持ちになったのはいつだったか…播磨に攻め入り赤松晴政を打ち破ったとき以来か。随分と昔のことだ。晴久は苦笑いを浮かべた。
近習が三郎の到来を告げる。三郎は供を二人連れ晴久の前にやって来た。
「殿、お忙しい中お目通りがかない誠にありがとうございます。本日は殿に相談したき出来事が多々あって参りました。是非ともお力添えをお頼みもうしまする」
相も変わらず畏まった口上だ。臣下としての振るまい揺るがぬか。ふっと小さく笑った晴久の顔がみるみる変わっていったのは息子が顔を上げたあとだった。三郎のこんな顔は見たことがなかった。今から勝ち負けが全くわからぬ戦場に赴くかのような悲壮感が滲んでいた。何があった。
「…三郎如何した。何ぞ不都合でもおこったのか」
三朗はそれでも真っすぐ晴久を見つめて声を出した。
「まずは楽しき事柄より申し上げます」
楽市を設けること。純度の高い銅を精錬できるようになったこと、その技で今まで取り出せなかった銀を銅から分離できること。この技を用いて大森銀山に対する支配力を強めること。宍道領において横田と同じく米の収穫量が増えること。鉄の増産が軌道に乗ってきたので横田以外のたたら場にもフイゴを導入すること等を三郎が報告した。
今後の方策として亀井を交易、三郎をたたら、本田を楽市の責任者としこの者たちを尼子奉行職に任ずることで尼子宗家中心の権力基盤を作る試みを始め、直轄領において検地を行い今後国人衆の領地でも実施し、彼らを積極的に直臣化することが提案された。
晴久は我が意を得たりと大いに頷き、次の評定にて詮議すると明言し三郎の評定参加を決めた。
「ではこれから面白くない話をいたします」
三郎の話を聞き終わった晴久は腕をくみ、目を閉じ、うつ向いていた。
「三郎、杵築を助けると答えたのだな」
「…申し訳ございません。答えてしまいました」
「富田にわざわざやって来て尼子に助力すると言ったのだ。杵築は本気なのだな。お前が大国主命様の啓示を受けたとの話しもなにやら関わりがあるのかもしれん。こうなった以上引き返すことはできぬ。だが三郎よ。鍔淵寺が真に強訴を起こせばそれだけで出雲が揺れる。輪をかけて叔父上の動きいかんでは何が起こるかわからん。絵面は描けておるのか」
「まだでございます。そのためにも殿にお聞きしたき事がございます。紀伊守様と栄芸は繋がっています。栄芸は毛利と繋がっている。確たる証がまだございませんが間違い無いと思います。紀伊守様がどこまで栄芸と毛利の関係をご存知なのかは分かりません。殿、紀伊守様をいかがなさるおつもりでしょうか」
塩冶の乱が起きたあと、偉大なる祖父尼子経久は尼子一族の結束を強めるため次期当主である孫の晴久に従姉妹に当たる国久の娘を嫁がせた。しかし月日が経つにつれ晴久と国久の仲は悪くなって行く。思えば塩冶領を国久に任せたのは失敗だったかもしれない。尼子の中に二つの頭が出来てしまった。そのときはまだ晴久が若く当主として研鑽を積んでいる最中であったし、経久が生きていたのだ。
しかし今となってはせんなきこと。頭は一つでなくてはならない。
晴久は目を瞑り暫し考えに沈んだ。方策や損得ではない。覚悟を求めて意志の中を泳ぐ。
永いような短いような時間を経て晴久は瞳を開いた。
「わが叔父上、紀伊守殿は生かしておけぬ。その一族も同じく生かすわけにはいかん。新宮党は尼子宗家直轄の軍とする」
「…わかりました。そのように絵図を描きましょう。暫くお時間をいただきとうございます。相手の動きも知る必要がありますので」
晴久は目をしっかりと開け三郎を見た。
「できるのか。お前に」
「殿、尼子の滅びを避けるためなら何でもいたします。そのように心に決めました」
「…まことお前は神仏の生まれ変わりじゃな。よかろう描いて見せよ。儂も腹をくくった」
晴久の顔に迷いはなく、我が子に対する信頼からか満足げな笑みが浮かんでいた。
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