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第15話 1546年(天文十五年)9月 鰐淵寺(がくえんじ)
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杵築より山を隔てて北東に修験行場として名高い鰐淵寺がある。武蔵坊弁慶が修業した名高い古刹である。出雲における天台宗の左座を占め、多くの修験者を常に抱える。出雲で最も権勢がある寺だ。しかし鰐淵寺の地位を脅かさんとする勢力もある。富田の清水寺。同じく天台宗に属し鰐淵寺に匹敵する歴史を持つ。
大内と尼子の合戦時、清水寺は焼き討ちをうけた。復興を尼子が行ったので両者は接近している。鰐淵寺は大内を特に毛利を支持した。和尚の和多坊栄芸は表立って清水寺を罵ることはしない。しかし腹の底では苦々しさをたたえている。武士風情に何を阿っているのかと、天台宗の面汚しめ、仏罰が下るぞ。まして尼子なぞ京極の一家臣に過ぎぬ。我らとは格が違う。あの様な輩を頼みにするとは清水も先がないのう…
木々が色づくにはまだ少し早い。気持ちを落ち着かせようと紅葉を見ていると、声がかかった。
「和尚様、角都殿が参られました」
満足気に首を縦に振り栄芸は振り返った。
「和尚様、お久しぶりでごさいます。ご健勝の折、喜ばしく思います」
修験道者の出で立ちで現れた角都は丁寧に頭を下げた。
「角都殿も息災か」
「はい、御心使いありがとうございます」
「うむ。して多治比殿はいかにしておられる」
「はい。富田での痛手も殆ど癒えました。ご自身も領国もこれからますます伸びてゆくことでしょう。手始めに竹原小早川家に三男の徳寿丸殿を養子に出されました。これで水軍衆を手に入れられました」
「おお、瀬戸内を覗まれたか。流石ご慧眼、海は利を運んでくる。良きかな」
「ご尤もでございます。して、昨今の富田の様子は如何でしょうか」
「伯耆での戦、上手くいっておるようじゃ。武田も南條もつまらんの」
「伯耆は落ち着いたと」
「うむ。他に特に目立ったことはないのう…嫡男の話ぐらいか」
「尼子の嫡男は流行り病で亡くなったとか」
「その弟の話よ。麒麟児だと噂が立っとる。どうせ出来の悪い跡取りを何とかしようとしておるのじゃろ」
「ほう、どのような噂でございますか」
「武士のくせにたたら場に行ったり、田に出たり。およそ嫡男とは思えぬ振舞をしておるようじゃ。苦し紛れの言い訳が麒麟児とは、尼子の先は暗いのう」
角都は初めて尼子の跡取りの話を聞いた。内容はともかく、調べて主に報告する必要はある。仕事を一つ頭に追加し、次の案件に移った。
「尼子も難儀でございます…和尚様、お一つお頼みしたいことがございます」
「おう。何なりと」
「では。少しお待ちを」
角都は部屋から出ていき一人の僧を連れて戻ってきた。
「この者、長海と申します。清水に送っていただきたく、連れてきました」
「ほう、なにを望まれるかな」
「富田の中に置きたいかと」
「…分かった。お任せあれ」
「ありがとうございます。おって主より品が届きます。では拙者はこれにて」
「道中気をつけなされ」
角頭は席を立った。
仁王門まで角頭を見送ったあと坊に戻った栄芸は塩冶からの手紙を取り出した。手紙を見るのは二度めだ。届いたときどの様にするべきか判断がつかなかった。ゆえに角頭が来るのを待っていた。手紙を開き中身を再び吟味する。
(…杵築がのう。何があった?)
鎌倉時代に進んだ神仏習合により鍔淵寺は杵築大社の別当寺になった。この流れに守護である塩冶もからみ出雲において比類なき権勢をこの三者は得ることになった。塩冶の乱で敗れたものの滅んだのは武家の塩冶のみ。杵築と鍔淵寺は滅ぶことなく、塩冶の後を継いだ尼子国久を取り込んで行く。何百年にわたって続いてきた地縁、血縁、その他色んなしがらみは簡単には無くならない。国久が取り込まれるのも必然であった。まして国久には尼子を父の代から支えてきた誇りと矜持があり、おまけに利に汚かった。甥っ子である晴久の下知に従いこそすれ利を損なわれると思えば従わない。無謀な吉田郡山城攻めで敗北し富田にてなんとか勝ちはしたものの、尼子の威信は大きく傷ついた。甥に任せてはおけん、この思いは国久の胸の中で少しずつ膨らんでいる。
(紀伊守さまは杵築の真意を問うておる。国造に会わねばならん。多治比殿も動かれておる。ワシもそろそろ動き出す時じゃな)
杵築を使い、国久を使い、毛利に通じる。身仏の加護がある寺社が滅ぶことはない。だからこそ全ての日の本に生きる者たちは寺社を敬い身も心も寄せねばならない。朝廷も公家も武家も寺社の下で生きていくのだ。もちろん神社も例外ではない。八百万の神々は仏の仮の姿なのだから。
栄芸は手紙から目を離した。優しく穏やかな笑みが顔を覆っていた。
大内と尼子の合戦時、清水寺は焼き討ちをうけた。復興を尼子が行ったので両者は接近している。鰐淵寺は大内を特に毛利を支持した。和尚の和多坊栄芸は表立って清水寺を罵ることはしない。しかし腹の底では苦々しさをたたえている。武士風情に何を阿っているのかと、天台宗の面汚しめ、仏罰が下るぞ。まして尼子なぞ京極の一家臣に過ぎぬ。我らとは格が違う。あの様な輩を頼みにするとは清水も先がないのう…
木々が色づくにはまだ少し早い。気持ちを落ち着かせようと紅葉を見ていると、声がかかった。
「和尚様、角都殿が参られました」
満足気に首を縦に振り栄芸は振り返った。
「和尚様、お久しぶりでごさいます。ご健勝の折、喜ばしく思います」
修験道者の出で立ちで現れた角都は丁寧に頭を下げた。
「角都殿も息災か」
「はい、御心使いありがとうございます」
「うむ。して多治比殿はいかにしておられる」
「はい。富田での痛手も殆ど癒えました。ご自身も領国もこれからますます伸びてゆくことでしょう。手始めに竹原小早川家に三男の徳寿丸殿を養子に出されました。これで水軍衆を手に入れられました」
「おお、瀬戸内を覗まれたか。流石ご慧眼、海は利を運んでくる。良きかな」
「ご尤もでございます。して、昨今の富田の様子は如何でしょうか」
「伯耆での戦、上手くいっておるようじゃ。武田も南條もつまらんの」
「伯耆は落ち着いたと」
「うむ。他に特に目立ったことはないのう…嫡男の話ぐらいか」
「尼子の嫡男は流行り病で亡くなったとか」
「その弟の話よ。麒麟児だと噂が立っとる。どうせ出来の悪い跡取りを何とかしようとしておるのじゃろ」
「ほう、どのような噂でございますか」
「武士のくせにたたら場に行ったり、田に出たり。およそ嫡男とは思えぬ振舞をしておるようじゃ。苦し紛れの言い訳が麒麟児とは、尼子の先は暗いのう」
角都は初めて尼子の跡取りの話を聞いた。内容はともかく、調べて主に報告する必要はある。仕事を一つ頭に追加し、次の案件に移った。
「尼子も難儀でございます…和尚様、お一つお頼みしたいことがございます」
「おう。何なりと」
「では。少しお待ちを」
角都は部屋から出ていき一人の僧を連れて戻ってきた。
「この者、長海と申します。清水に送っていただきたく、連れてきました」
「ほう、なにを望まれるかな」
「富田の中に置きたいかと」
「…分かった。お任せあれ」
「ありがとうございます。おって主より品が届きます。では拙者はこれにて」
「道中気をつけなされ」
角頭は席を立った。
仁王門まで角頭を見送ったあと坊に戻った栄芸は塩冶からの手紙を取り出した。手紙を見るのは二度めだ。届いたときどの様にするべきか判断がつかなかった。ゆえに角頭が来るのを待っていた。手紙を開き中身を再び吟味する。
(…杵築がのう。何があった?)
鎌倉時代に進んだ神仏習合により鍔淵寺は杵築大社の別当寺になった。この流れに守護である塩冶もからみ出雲において比類なき権勢をこの三者は得ることになった。塩冶の乱で敗れたものの滅んだのは武家の塩冶のみ。杵築と鍔淵寺は滅ぶことなく、塩冶の後を継いだ尼子国久を取り込んで行く。何百年にわたって続いてきた地縁、血縁、その他色んなしがらみは簡単には無くならない。国久が取り込まれるのも必然であった。まして国久には尼子を父の代から支えてきた誇りと矜持があり、おまけに利に汚かった。甥っ子である晴久の下知に従いこそすれ利を損なわれると思えば従わない。無謀な吉田郡山城攻めで敗北し富田にてなんとか勝ちはしたものの、尼子の威信は大きく傷ついた。甥に任せてはおけん、この思いは国久の胸の中で少しずつ膨らんでいる。
(紀伊守さまは杵築の真意を問うておる。国造に会わねばならん。多治比殿も動かれておる。ワシもそろそろ動き出す時じゃな)
杵築を使い、国久を使い、毛利に通じる。身仏の加護がある寺社が滅ぶことはない。だからこそ全ての日の本に生きる者たちは寺社を敬い身も心も寄せねばならない。朝廷も公家も武家も寺社の下で生きていくのだ。もちろん神社も例外ではない。八百万の神々は仏の仮の姿なのだから。
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