背中越しの温度、溺愛。

夏緒

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36話 心酔。1

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side I

「樹さんそれは最低だわ」
「分かってる……」
 コンビニ弁当をつつきながらピシャリと涼平に切り捨てられ、まったく否定出来なかった。
 まだ暑さの残る秋口の夜。エアコンのない涼平の部屋では、相変わらず扇風機が首を振りながら働いている。もう夏場のような蒸し暑さはないが、やはりそれなりに冷気は欲しい。
 機械で綺麗に切断された、冷えた柔らかい卵焼きを頬張りつつ、ほんの数日前の出来事を涼平に打ち明けていた。つけっぱなしのテレビでは、さして面白くもないバラエティー番組から派手な笑い声が溢れてくる。
「まぁ別に俺が知った事じゃないですけど。流石に二回目を期待するのはどうかと思いますよ、付き合いたてなのに彼氏可哀相すぎるだろ」
「期待したところで次なんてないよ。こっちは相手の名前しか知らないし、向こうはおれの名前すら聞きもしなかったんだから。……暇つぶし、とか、そんなんだよ、きっと」
「しかもまさか違う名前を呼ぶとはねぇ」
 涼平が煮物の椎茸を黙ってこっちの弁当の隅に置く。別にいいけど、と思いつつ代わりに自分の脂っこい唐揚げを涼平の弁当に二つ投げ入れた。
「あれはおれも驚いたな」
「俺としてる時は一度もなかったのに、余程似てたんですかね、ヤリ方」
「うーん」
 食事中にも関わらず恥ずかし気もなくその時の行為を思い起こしてみる。何かが似ていると確かに思ったのだけれど、時が経って考えるといまひとつピンとこない。
「よく分からないんだよなあ」
「ふうん。でもその藤城 光昭って名前、どっかで聞いた気がするんだよなぁ」
 行儀悪く箸を口に挟んだまま、涼平は何とか思い出そうとするかのように頭を抱えた。
「なに、名前知ってんの」
「何かで見かけたような……」
 もしかしたら涼平が彼を知っているかもしれないなんて。また会えるかも。有り得ない期待が少しだけ胸の奥で膨らんだ。
「駄目だー、思い出せない」
「なんだ……」
 明らかに落胆した声が零れてしまって、それを聞き逃さなかった涼平が眉根を寄せた。

「会いたいんですか」

「……いや、うーん、」
 どんな反応が正解に近いのか判断がつかなくて、なんにも言葉が出てこない。別に彼に会いたい訳ではない。でも、会いたくない、訳でもない。
 そんなおれに、涼平は見透かしたように呟いた。

「会うなら本物にするべきだろ」

「……それが出来れば、」
 こんなに考え込んだりしない。





 ピンポーン

 深夜に部屋のインターホンが鳴る。
 明日は土曜日だ。豪くんと会う約束をしているからと、涼平の家から早めに帰って風呂に入っていた。丁度身体を拭いて服を着込んだ時に聞こえたその音。早いといっても日付が変わっていないだけで、夜中には違いない。
 こんな時間に訪れる客など碌なものではない。
 訝しんで、インターホンの受話器を取る事はせず、濡れた髪のままそっと玄関に近付いてからドアスコープを覗いた。
「……えっ」
 慌てて目を離して、躊躇う事なく玄関を開ける。
「何だその顔は」
「なんで……」
 驚いてそれ以上声も出なかった。
 黒いかっちりとしたスーツを身に纏って、無表情なその人は立っていた。

「会いたかったんだろう、俺に」
「藤城さん……」
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