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1話

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 そら豆くんは立腹だった。
 秋の夕暮れの駅で声を掛けてきた知らない男がファミレスまで着いてきたからだ。自分とはまるっきり縁の無さそうなチャラチャラチャラッチャラした見た目と態度で、
「ねえねえ俺、君のこと好きだからお話しようよ」
なあんて言われても、誰が相手にするものか。
 そんな頭のおかしそうな出で立ちでぼくの傍に近寄らないでもらいたい。そら豆くんは相手にするのが嫌だったので、
「いえ結構です」
と一言だけ断ってフルシカトを決め込むことにした。
 ところが件のそいつはどうやら話を聞かないタイプなのか、
「ねえねえ俺は枝豆っていうんだけどさ、君はなんて名前なの? なんて呼んだらいい?」
などとあれこれ詮索しようとしながらどこまでも着いてくる。どこまでもどこまでも着いてくる。
 そら豆くんは家に帰るつもりで歩いていたのだけれども、こんな半ストーカー的変質者に家など特定されては敵わない。なんで僕がこんな目に遭わねばならんのだと憤慨しながら、そら豆くんは枝豆と名乗ったその半ストーカー的変質者が諦めて居なくなるまで無駄にそこいら辺を歩き回り続けることにした。
 ところがいくら歩いても着いてくる。
「家はこの辺なの?」
「何歳なの?」
「何してる人なの?」
「学生なの?社会人なの?」
「好きな食べ物なに?」
「音楽好き?どんなの好き?」
「兄弟いる?」
「芸能人なら誰が好き?」
 しかも煩い。
 ずーっと喋っている。
 走って逃げてみようかとも思ったのだけど、見ればこっちは革靴、向こうはスニーカー。体力的に考えても恐らくは無駄骨であろうと、撒いて逃げるの選択肢は早々に諦めた。
 とすれば向かう先はひとつしかない。
 交番。
 お巡りさんにこの半ストーカー的変質者を押し付けてなんとかしてもらうしかあるまい。そう決意してそら豆くんは交番を目指した。そして同時に思い出した。
 自分が極度の方向音痴であることを。
 いつもは決まったルートしか歩かない。何故なら一度間違えてしまえば二度と元のルートまで戻って来られないからである。そら豆くんははっとした。
 苛々に任せて結構うろうろしてしまったが、果たしてここは、何処なのだ。交番の前にまず自分の現在地が分からない。地図? そんなもの理解できるなら生まれてこの方こんな苦労はしていない。なんてことだ。
 だが隣でべらべら喋りながら何故かずーっと着いてきている半ストーカー的変質者には頼りたくない。
 嫌だ。
 ここ何処ですかとか聞くのは絶対嫌だ。
 辺りをぐるりと見渡すと目立つのは入ったことのないファミレス。
 そら豆くんは思った。
 おなかすいた……。
 そらそうだ、夕飯時に宛てもなくふらふら歩き続けているのだ。おなかすいた。
 仮にこのあと運良く交番が見つかったとして、お巡りさんに事の成り行きから説明していると時間がかかるのではないか。この枝豆とかいう男の出方によっては揉めたりするのかもしれない。
 これは、先に飯を食うべきだ。そら豆くんはそう決意した。
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