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クリームパン1つ
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『幸せ太り』と言う言葉がある。
奥さんの手料理が美味しすぎて太ってしまった――などのように、結婚して次第に太り出す現象のことである。
結婚して5年が経ち、ミリンの体重は10キロほど増加した。
元々の体重がものすごく細かった――というわけではない。
高校生からずっと標準体重付近をキープしていたのだが、結婚して以降、日々体重の最大記録を更新し続けている。
ミリンの夫の料理が美味しすぎて太ったのであればよかったのだが、そんなことはない。
理由は1つ。
ストレスである。
ミリンはストレスを感じると食べてしまう派である。
結婚前から継続している仕事でのストレスに加え、家庭内でのストレスがミリンを暴食に走らせた。
(幸せ太りしてる人もいるだろうけど、半数は結婚後のストレス太りなんじゃないだろうか)
と、ミリンは常々そう思っている。
2年程一人暮らしをしたことはあるが、それ以外はずっと実家暮らしだったというミリンの夫は、家事の面で頼りなかった。
『わからないから』『失敗するから』と理由を付けて避けようとするのだ。
夫に食器を洗ってもらうと、油汚れが落ちておらずギトギトしており、後でミリンが洗い直すハメになる。
洗濯物を干す時、丸まった袖口は伸ばさないし、ズボンやタオルをピンと伸ばさず弛んだまま洗濯ばさみでとめるので、重なった部分の布地が乾きにくくなる。
洗濯物を取り込むときも、厚手のトレーナーの脇や袖口、ズボンの股の部分を触って確認しないため、濡れていることがある。
確認せずにホイホイと取り込んだ洗濯物を一緒くたにまとめるので、せっかく乾いた服がしっとりしてしまう。
食器も洗濯物も、ミリンは何度となく注意とお願いをした。
だが一向に改善されない。
夫にとっては『どうでもいいこと』なのだろう。
覚える価値はないことだし、ミリンがやれば良いと思っているのだ。
これを職場に置き換えるなら、新人が
『わからないです』
『先輩がやった方が早いから』
『別にこれでもよくないですか?死ぬわけじゃないし』
などと言うようなものだ。
そんなこと言われたら心底むかつくだろう。
そう、ミリンは夫にムカついているのである。
婚活中に読んだコラムで『実家暮らしはNG』という条件を出す人がいたが、今になってその理由は充分に理解した。
とにかく他人と暮らすのは大変なのだ。
生活してるだけでストレスがたまる。
ブランド品やファッションに興味の無いミリンは、ストレス発散のために食料品を購入することが増えた。
スーパーでの買い物だけではなく、ちょっといいお店の、いいお値段の美味しい商品を購入するようになっていた。
夫には内緒である。
自宅から徒歩5分のところにパン屋があると知ったのは、先週のことだ。
テレビの特集を見ていて焼きたてのパンが食べくなったミリンは、そのことを夫に話した。
すると夫が近所にあるパン屋の話をしてくれたのだ。
「駅とは反対方向なんだけど、ここから西に行ったところに公園あるじゃない?そこの十字路を右の方にずーっといくと、ちっちゃいパン屋があるんだよ」
「へー、知らなかったわ」
「結構美味しくて、よくうちの親が買ってきてたなぁ。見た目はボロいんだけど、味はいいんだよ」
「おお、それはちょっと期待しちゃう。散歩がてら行ってみようかな」
「ぜひぜひ。もし行ったらソーセージ入った固めのパンも買ってきて欲しいです。
――あ、そうだ、パン屋で思い出したわ。なんかその店の『クリームパンを食べられたらラッキー』っていう…なんていうの…ジンクス?みたいなのがあるんだよ」
「へー。何でまた?」
「なかなか買えないらしいんだよね。うちの親は甘いパンは買わないし、俺も買いに行かないから、なんでそうなのかはあんまよく知らないんだけど」
「ほーん」
(なかなか買えないってことは、美味しくて大人気ってことかな。これはちょっと気になるなぁ)
興味を持ったミリンは、次の休日に行ってみようと思った。
『パン屋 スワン』。
オレンジ色の軒には掠れた文字でそう書かれていた。
曇りガラスの引き戸の左隣には大きい窓があり、そこから店内の様子がうかがえる。
その窓がなかったら、現在も営業しているパン屋だとはわからないかもしれない。
初めての店は入りにくい。
特に個人店は『一見さんお断りな』雰囲気がある――と、ミリンは思う。
(店に入る勇気!)
ミリンは若干の入りにくさを感じながらも、勇気を出して営業中の札がかかっている引き戸を開けた。
チリン、と扉の上部に付いたベルが鳴った。
それを聞いたのか店の奥から「いらっしゃいませー」と言う声が聞こえた。
パンの良い香りがする店内は、6畳ほどの広さしかない。
入り口から見て右手がレジになっており、レジの奥にはさらに奥へと続く出入り口がある。出入り口に扉はなく、暖簾が掛かって見えにくいようになっている。
入ってすぐ左にパンを取るトングとトレーが置かれた台があり、壁際に沿ってコの字型になるようにパンの陳列棚が設置されていた。
スペースが無いためか、店の中央には何も置いていない。
それでも客が3人も入ったらちょっと窮屈に感じられる。
ミリンがトングとトレーを手に取ったところで、店の奥から店主が暖簾をくぐってやってきた。
「いらっしゃいませー。…どっこいしょっと…」
店主はレジ裏にあるらしい椅子に腰を下ろした。
元は白かったであろう帽子とコックコートを身につけた高齢の店主は、レジ裏の棚に置いてあるラジオのスイッチを入れた。
店内BGMとして、FMラジオが流れる。
手持ち無沙汰の店主は、手近に置いてあった新聞紙に目を通しはじめた。
無音で、さらに店主に見つめられながら買い物するのは緊張するので、ミリンにとってラジオの音声はありがたかった。
(えーっと、何にしようかなー。あ、コーンマヨあるじゃん、これ好きなんだよね。――あっ!パンプキンドーナツがある!これは買わなきゃ!)
目に付いた美味しそうなパンを、ミリンなりに厳選しながらトレーに載せていく。
(こういうところのあんパンは美味しそうだけど――今日はあんパンの気分じゃないから…ごめんね)
(あ、ショーちゃんが言ってたソーセージのパンってこれかな。しょうがない、買ってってやるか)
夫 が食べたいと言っていたパンは、なるほど確かに美味しそうである。
後で半分貰おうと思いながら、トレーに載せる。
「あっ、これか…」
ソーセージパンの2つ右隣のトレーにあるパンを見て、ミリンは思わず声を出した。
トレーにはグローブ型のクリームパンが1つあった。
(クリームパン一個残ってるじゃん。これはラッキーなのでは?)
パンプキンドーナツがあるので他に甘いパンを買うつもりはなかったが、せっかくなので買ってみよう。
ミリンはクリームパンをトレーに載せた。
トレーにはコーンとマヨネーズのパン、パンプキンドーナツ、クルミパン、ソーセージパン、クリームパンが載っている。
(パン屋さんで選ぶの楽しいからついいっぱい買いたくなるけど…。食べる人が2人しかいないからこれ以上買うと余っちゃうよね…)
他にも気になるパンがあったが、次回にしようと諦めレジ台にトレーを置く。
「お願いします」
「はーい」
店主はパンプキンドーナツをトングで掴むとポリ袋に入れる。そしてレジを打つとビニール袋にドーナツを入れた。
『ポリ袋に入れる、レジを打つ、袋に入れる』を手際はあまりよくないが、繰り返す。
(ドーナツ…コーンマヨ…クルミ…ソーセージ…あれ?)
おや、とミリンが思った時には、パンはすべて袋詰めされていた。
「520円です」
「あ、はい…」
(――あれ、今クリームパンあった…?)
レジスターに表示されている金額は、パンを選ぶときに暗算していた金額よりも安い。
その差額は、クリームパンの代金分ちょうどだ。
(…あれぇ…?)
戸惑いながらも財布からお金を出す。
「――はい、ちょうどですね。ありがとうございましたー」
受け取ったレシートを財布にしまい、ビニール袋を手にする。
(いや私、絶対クリームパン取ったよね…)
店を出ようとしたがでもやはり腑に落ちなくて、ミリンは足を止めクリームパンがあった棚を見た。
クリームパンのトレーは空だった。
(幻覚でも見たんか…?)
立ち止まったミリンの視線の先を追った店主は、何かに気づくと声を掛けてきた。
「ああー、もしかしてお客さん、クリームパン買おうとしたの?」
「あ、はい…。トレーに載せたと思ったんですけど…」
「あぁ、そう」
店主は申し訳なさそうに言った。
「うちね、お客さんが買おうとするとクリームパンが消えちゃうんですよ」
ミリンは理解するのに数秒かかった。
「は? ――え、消える…んですか?」
「そうなんだよ…」
店主は何かを諦めたような顔をしていた。
「焼いたパンをそこに並べてる間はあるんだよ。けど、お客さんが取ってこっち持ってくる間に消えちゃうんだよね…。ほんと、まいっちゃうよ…」
「は、はぁ…」
「いや、買える人もいるんだよ。たまぁにね。ただ、ほっとんどの人がレジに持ってくる間に消えちゃうの」
「…」
「最初はそれで気味悪ぃからーってお客さんが来なくなったんで、クリームパン作るのやめたんだけどさ。少ししたら噂を聞いて面白がった別のお客さんがどんどこ来るようになって、クリームパン取らせてくれっていうもんだから。また作るようになったんよ。
作っても売れずに消えるからね。材料費が無駄になるだけだから最近は3個しか作らないの」
店主は今までに何人もの客に説明してきたのだろう。
唖然とするミリンに、慣れたように事情を話してくれた。
「最近じゃ若ぇ子がカメラもって撮影さしてくれーって来るんだけど、カメラで撮ってるとパンは消えねえんだいな。不思議だいなぁ~」
「そう、なんですか…」
もしクリームパンが突然消える映像が撮れたとしても、最近の動画編集技術を考えると、誰かに見せても100%加工だと思われるだろう。
「クリームパン以外のはちゃんと買えるから、また来てよ」
「あ、はい」
にしゃっと笑う店主に見送られて、ミリンは店を後にした。
自宅に帰るまでの間、何度かビニール袋の中を覗いては、パンが消えていないか確認した。
奥さんの手料理が美味しすぎて太ってしまった――などのように、結婚して次第に太り出す現象のことである。
結婚して5年が経ち、ミリンの体重は10キロほど増加した。
元々の体重がものすごく細かった――というわけではない。
高校生からずっと標準体重付近をキープしていたのだが、結婚して以降、日々体重の最大記録を更新し続けている。
ミリンの夫の料理が美味しすぎて太ったのであればよかったのだが、そんなことはない。
理由は1つ。
ストレスである。
ミリンはストレスを感じると食べてしまう派である。
結婚前から継続している仕事でのストレスに加え、家庭内でのストレスがミリンを暴食に走らせた。
(幸せ太りしてる人もいるだろうけど、半数は結婚後のストレス太りなんじゃないだろうか)
と、ミリンは常々そう思っている。
2年程一人暮らしをしたことはあるが、それ以外はずっと実家暮らしだったというミリンの夫は、家事の面で頼りなかった。
『わからないから』『失敗するから』と理由を付けて避けようとするのだ。
夫に食器を洗ってもらうと、油汚れが落ちておらずギトギトしており、後でミリンが洗い直すハメになる。
洗濯物を干す時、丸まった袖口は伸ばさないし、ズボンやタオルをピンと伸ばさず弛んだまま洗濯ばさみでとめるので、重なった部分の布地が乾きにくくなる。
洗濯物を取り込むときも、厚手のトレーナーの脇や袖口、ズボンの股の部分を触って確認しないため、濡れていることがある。
確認せずにホイホイと取り込んだ洗濯物を一緒くたにまとめるので、せっかく乾いた服がしっとりしてしまう。
食器も洗濯物も、ミリンは何度となく注意とお願いをした。
だが一向に改善されない。
夫にとっては『どうでもいいこと』なのだろう。
覚える価値はないことだし、ミリンがやれば良いと思っているのだ。
これを職場に置き換えるなら、新人が
『わからないです』
『先輩がやった方が早いから』
『別にこれでもよくないですか?死ぬわけじゃないし』
などと言うようなものだ。
そんなこと言われたら心底むかつくだろう。
そう、ミリンは夫にムカついているのである。
婚活中に読んだコラムで『実家暮らしはNG』という条件を出す人がいたが、今になってその理由は充分に理解した。
とにかく他人と暮らすのは大変なのだ。
生活してるだけでストレスがたまる。
ブランド品やファッションに興味の無いミリンは、ストレス発散のために食料品を購入することが増えた。
スーパーでの買い物だけではなく、ちょっといいお店の、いいお値段の美味しい商品を購入するようになっていた。
夫には内緒である。
自宅から徒歩5分のところにパン屋があると知ったのは、先週のことだ。
テレビの特集を見ていて焼きたてのパンが食べくなったミリンは、そのことを夫に話した。
すると夫が近所にあるパン屋の話をしてくれたのだ。
「駅とは反対方向なんだけど、ここから西に行ったところに公園あるじゃない?そこの十字路を右の方にずーっといくと、ちっちゃいパン屋があるんだよ」
「へー、知らなかったわ」
「結構美味しくて、よくうちの親が買ってきてたなぁ。見た目はボロいんだけど、味はいいんだよ」
「おお、それはちょっと期待しちゃう。散歩がてら行ってみようかな」
「ぜひぜひ。もし行ったらソーセージ入った固めのパンも買ってきて欲しいです。
――あ、そうだ、パン屋で思い出したわ。なんかその店の『クリームパンを食べられたらラッキー』っていう…なんていうの…ジンクス?みたいなのがあるんだよ」
「へー。何でまた?」
「なかなか買えないらしいんだよね。うちの親は甘いパンは買わないし、俺も買いに行かないから、なんでそうなのかはあんまよく知らないんだけど」
「ほーん」
(なかなか買えないってことは、美味しくて大人気ってことかな。これはちょっと気になるなぁ)
興味を持ったミリンは、次の休日に行ってみようと思った。
『パン屋 スワン』。
オレンジ色の軒には掠れた文字でそう書かれていた。
曇りガラスの引き戸の左隣には大きい窓があり、そこから店内の様子がうかがえる。
その窓がなかったら、現在も営業しているパン屋だとはわからないかもしれない。
初めての店は入りにくい。
特に個人店は『一見さんお断りな』雰囲気がある――と、ミリンは思う。
(店に入る勇気!)
ミリンは若干の入りにくさを感じながらも、勇気を出して営業中の札がかかっている引き戸を開けた。
チリン、と扉の上部に付いたベルが鳴った。
それを聞いたのか店の奥から「いらっしゃいませー」と言う声が聞こえた。
パンの良い香りがする店内は、6畳ほどの広さしかない。
入り口から見て右手がレジになっており、レジの奥にはさらに奥へと続く出入り口がある。出入り口に扉はなく、暖簾が掛かって見えにくいようになっている。
入ってすぐ左にパンを取るトングとトレーが置かれた台があり、壁際に沿ってコの字型になるようにパンの陳列棚が設置されていた。
スペースが無いためか、店の中央には何も置いていない。
それでも客が3人も入ったらちょっと窮屈に感じられる。
ミリンがトングとトレーを手に取ったところで、店の奥から店主が暖簾をくぐってやってきた。
「いらっしゃいませー。…どっこいしょっと…」
店主はレジ裏にあるらしい椅子に腰を下ろした。
元は白かったであろう帽子とコックコートを身につけた高齢の店主は、レジ裏の棚に置いてあるラジオのスイッチを入れた。
店内BGMとして、FMラジオが流れる。
手持ち無沙汰の店主は、手近に置いてあった新聞紙に目を通しはじめた。
無音で、さらに店主に見つめられながら買い物するのは緊張するので、ミリンにとってラジオの音声はありがたかった。
(えーっと、何にしようかなー。あ、コーンマヨあるじゃん、これ好きなんだよね。――あっ!パンプキンドーナツがある!これは買わなきゃ!)
目に付いた美味しそうなパンを、ミリンなりに厳選しながらトレーに載せていく。
(こういうところのあんパンは美味しそうだけど――今日はあんパンの気分じゃないから…ごめんね)
(あ、ショーちゃんが言ってたソーセージのパンってこれかな。しょうがない、買ってってやるか)
夫 が食べたいと言っていたパンは、なるほど確かに美味しそうである。
後で半分貰おうと思いながら、トレーに載せる。
「あっ、これか…」
ソーセージパンの2つ右隣のトレーにあるパンを見て、ミリンは思わず声を出した。
トレーにはグローブ型のクリームパンが1つあった。
(クリームパン一個残ってるじゃん。これはラッキーなのでは?)
パンプキンドーナツがあるので他に甘いパンを買うつもりはなかったが、せっかくなので買ってみよう。
ミリンはクリームパンをトレーに載せた。
トレーにはコーンとマヨネーズのパン、パンプキンドーナツ、クルミパン、ソーセージパン、クリームパンが載っている。
(パン屋さんで選ぶの楽しいからついいっぱい買いたくなるけど…。食べる人が2人しかいないからこれ以上買うと余っちゃうよね…)
他にも気になるパンがあったが、次回にしようと諦めレジ台にトレーを置く。
「お願いします」
「はーい」
店主はパンプキンドーナツをトングで掴むとポリ袋に入れる。そしてレジを打つとビニール袋にドーナツを入れた。
『ポリ袋に入れる、レジを打つ、袋に入れる』を手際はあまりよくないが、繰り返す。
(ドーナツ…コーンマヨ…クルミ…ソーセージ…あれ?)
おや、とミリンが思った時には、パンはすべて袋詰めされていた。
「520円です」
「あ、はい…」
(――あれ、今クリームパンあった…?)
レジスターに表示されている金額は、パンを選ぶときに暗算していた金額よりも安い。
その差額は、クリームパンの代金分ちょうどだ。
(…あれぇ…?)
戸惑いながらも財布からお金を出す。
「――はい、ちょうどですね。ありがとうございましたー」
受け取ったレシートを財布にしまい、ビニール袋を手にする。
(いや私、絶対クリームパン取ったよね…)
店を出ようとしたがでもやはり腑に落ちなくて、ミリンは足を止めクリームパンがあった棚を見た。
クリームパンのトレーは空だった。
(幻覚でも見たんか…?)
立ち止まったミリンの視線の先を追った店主は、何かに気づくと声を掛けてきた。
「ああー、もしかしてお客さん、クリームパン買おうとしたの?」
「あ、はい…。トレーに載せたと思ったんですけど…」
「あぁ、そう」
店主は申し訳なさそうに言った。
「うちね、お客さんが買おうとするとクリームパンが消えちゃうんですよ」
ミリンは理解するのに数秒かかった。
「は? ――え、消える…んですか?」
「そうなんだよ…」
店主は何かを諦めたような顔をしていた。
「焼いたパンをそこに並べてる間はあるんだよ。けど、お客さんが取ってこっち持ってくる間に消えちゃうんだよね…。ほんと、まいっちゃうよ…」
「は、はぁ…」
「いや、買える人もいるんだよ。たまぁにね。ただ、ほっとんどの人がレジに持ってくる間に消えちゃうの」
「…」
「最初はそれで気味悪ぃからーってお客さんが来なくなったんで、クリームパン作るのやめたんだけどさ。少ししたら噂を聞いて面白がった別のお客さんがどんどこ来るようになって、クリームパン取らせてくれっていうもんだから。また作るようになったんよ。
作っても売れずに消えるからね。材料費が無駄になるだけだから最近は3個しか作らないの」
店主は今までに何人もの客に説明してきたのだろう。
唖然とするミリンに、慣れたように事情を話してくれた。
「最近じゃ若ぇ子がカメラもって撮影さしてくれーって来るんだけど、カメラで撮ってるとパンは消えねえんだいな。不思議だいなぁ~」
「そう、なんですか…」
もしクリームパンが突然消える映像が撮れたとしても、最近の動画編集技術を考えると、誰かに見せても100%加工だと思われるだろう。
「クリームパン以外のはちゃんと買えるから、また来てよ」
「あ、はい」
にしゃっと笑う店主に見送られて、ミリンは店を後にした。
自宅に帰るまでの間、何度かビニール袋の中を覗いては、パンが消えていないか確認した。
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