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人間らしい生活(アッシュ視点)
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リンリーがアッシュの世話を焼いてくれるようになってから、三ヶ月が過ぎたある朝。
いつも通りに朝食を運んできてくれた彼女から、正式にアッシュの侍女として雇用されたことを告げられた。
「前任のセオは異動となり、アッシュ様の侍女は私のみとなりました。何かございましたら、すべて私にお申し付けください」
「…これからも…リンリーが…ごはんを持ってきてくれる…ということ?」
「はい。さようでございます」
相変わらずの無表情である。
肯定され、アッシュは嬉しかった。
彼女が来てから、毎日三食も食べられるようになったのだ。
メニューだって非常に良くなった。
清潔な服と寝具が用意され、体を洗って貰えるようになってから、体中の痒みに悩まされることが無くなってきた。
アッシュが体調を崩せば見捨てずに看病をしてくれた。
何よりも、アッシュが話しかけると応えてくれることが嬉しかった。
リンリーは無表情で言葉少なだが、アッシュの問いには必ず言葉を返してくれる。
舌打ちを返されることもない。
乱暴にドアを開閉するようなこともないし、持ってきた食事をわざと床に落とすようなこともしない。
髪の毛を掴んで揺さぶってくるようなことも、足蹴にするようなこともしない。
アッシュにとって、リンリーは救世主に等しい。
閉じ込められ冷遇されていた少年の心は、既に闇に染まり始めていた。
もう少ししたら彼が感じる人恋しさと寂しさと悲しみは、すべて憎しみへと変化し攻撃的な性格になっていたかもしれない。
そんな崖から落ちる直前の彼をつなぎ止めたのは、無表情な侍女だった。
(ずっとリンリーがいてくれたらいいな)
(リンリーだけがいてくれればいいのに)
(他に誰もいらない…。リンリーだけがいればいい…)
(リンリーともっと仲良くなりたい…)
人間らしい扱いをしてくれた彼女に、彼が執着し始めるのは自然なことだった。
「…ねえ、リンリー」
「はい」
「これからも…よろしく、ね?」
「かしこまりました」
リンリーは無表情で一礼する。
アッシュは数年ぶりに微笑んだ。
一日中窓の外を眺める生活が、突如終わりを告げた。
「アッシュ様には本日よりお勉強をして頂きます」
「え…?」
「執事長から許可を頂いて参りました」
昼食後の片付けて終えて戻ってきたリンリーは、両手に本を数冊抱え、小脇に木版を挟んでいた。
困惑するアッシュをよそに彼女は机の上にそれらを置いた後、トイレで小瓶に水を入れてくると、机の上に置きペン代わりの木の棒を瓶に差した。
「さあ、アッシュ様。こちらにお掛けになってくださいませ」
「…うん」
促されてアッシュは素直に椅子に座る。
「お勉強を進めるにあたっての確認なのですが、アッシュ様はご自分のお名前を書くことが出来ますか?」
「…なまえを…かく…?」
己の名前が『アッシュ』であることは理解している。
アッシュ・ブラウンロード。
伯爵家の子供だ。
本来なら6歳から受けるはずの教育を、アッシュは一切受けていない。
(…どうやるんだろう…)
「…書いたこと…ない…」
「さようでございますか。でしたらまずは、お名前が書けるように練習いたしましょう」
リンリーは一冊の本をめくり、そこに挟んでおいた紙を取り出すと机の上に広げた。
(なんだろうこれ。黒い変な線が描いてある…)
じっと見つめるアッシュの疑問を読み取ったのか、リンリーは言う。
「こちらがアッシュ様のお名前です。アッシュ・ブラウンロードと書いてあります。使用人達の中でも特に字が綺麗な家政婦長のアンナに書いて頂きました」
(これが、僕の名前…)
紙に書かれた黒い文字は、アッシュにはとても素敵なものに思えた。
「ご自分のお名前を書けるようになりましたら、他の文字も勉強していきましょう。こちらの絵本は文字と単語を覚えるのに最適ですので、空いた時間に目を通してみてください。――こちらの厚い本は教養本ですので、学習するのはもっと後になりますが、ご興味がおありでしたらご覧になってください」
「わかった…」
リンリーの指導の下、『アッシュ』の文字を練習し始めた。
アッシュは木版を触るのは初めてだった。
水で濡らしたところの色が変わり、文字が書けるとわかって驚いたし、とても興味深かった。
乾くと文字が消えることも面白い。
(すごい…すごい!)
木版で文字を書くのが面白く、アッシュは夢中になった。
用意して貰った絵本も夢中で眺めた。
(なんて書いてあるのかはわからないけど、これはドラゴンとお姫様かな? …昔、お母様に読んで貰った本に似てるかも…)
それから毎日、朝起きてから陽が完全に沈み手元が見えなくなるまでの間、アッシュは木版と絵本に夢中になった。
リンリーの想像以上のスピードで、文字を習得していった。
食事の時間にも変化があった。
朝は今までと変わりないが、昼食――時折夕食時にも、リンリーが2人分の食事を持ってくるようになったのだ。
机の上に2人分の食事を載せて、彼女は言った。
「食事マナーのお勉強をいたしましょう」
アッシュを椅子に座らせ、リンリーは立ったまま指導した。
パンのちぎり方。
スプーンやフォークの使い方。
スープは音をたてて飲まないこと。
手本を見せるために、リンリーは己の分の食事も用意したのだった。
アッシュにとって、誰かと一緒に食事を取るのは数年ぶりである。
とても、とても嬉しかった。
いつも通りに朝食を運んできてくれた彼女から、正式にアッシュの侍女として雇用されたことを告げられた。
「前任のセオは異動となり、アッシュ様の侍女は私のみとなりました。何かございましたら、すべて私にお申し付けください」
「…これからも…リンリーが…ごはんを持ってきてくれる…ということ?」
「はい。さようでございます」
相変わらずの無表情である。
肯定され、アッシュは嬉しかった。
彼女が来てから、毎日三食も食べられるようになったのだ。
メニューだって非常に良くなった。
清潔な服と寝具が用意され、体を洗って貰えるようになってから、体中の痒みに悩まされることが無くなってきた。
アッシュが体調を崩せば見捨てずに看病をしてくれた。
何よりも、アッシュが話しかけると応えてくれることが嬉しかった。
リンリーは無表情で言葉少なだが、アッシュの問いには必ず言葉を返してくれる。
舌打ちを返されることもない。
乱暴にドアを開閉するようなこともないし、持ってきた食事をわざと床に落とすようなこともしない。
髪の毛を掴んで揺さぶってくるようなことも、足蹴にするようなこともしない。
アッシュにとって、リンリーは救世主に等しい。
閉じ込められ冷遇されていた少年の心は、既に闇に染まり始めていた。
もう少ししたら彼が感じる人恋しさと寂しさと悲しみは、すべて憎しみへと変化し攻撃的な性格になっていたかもしれない。
そんな崖から落ちる直前の彼をつなぎ止めたのは、無表情な侍女だった。
(ずっとリンリーがいてくれたらいいな)
(リンリーだけがいてくれればいいのに)
(他に誰もいらない…。リンリーだけがいればいい…)
(リンリーともっと仲良くなりたい…)
人間らしい扱いをしてくれた彼女に、彼が執着し始めるのは自然なことだった。
「…ねえ、リンリー」
「はい」
「これからも…よろしく、ね?」
「かしこまりました」
リンリーは無表情で一礼する。
アッシュは数年ぶりに微笑んだ。
一日中窓の外を眺める生活が、突如終わりを告げた。
「アッシュ様には本日よりお勉強をして頂きます」
「え…?」
「執事長から許可を頂いて参りました」
昼食後の片付けて終えて戻ってきたリンリーは、両手に本を数冊抱え、小脇に木版を挟んでいた。
困惑するアッシュをよそに彼女は机の上にそれらを置いた後、トイレで小瓶に水を入れてくると、机の上に置きペン代わりの木の棒を瓶に差した。
「さあ、アッシュ様。こちらにお掛けになってくださいませ」
「…うん」
促されてアッシュは素直に椅子に座る。
「お勉強を進めるにあたっての確認なのですが、アッシュ様はご自分のお名前を書くことが出来ますか?」
「…なまえを…かく…?」
己の名前が『アッシュ』であることは理解している。
アッシュ・ブラウンロード。
伯爵家の子供だ。
本来なら6歳から受けるはずの教育を、アッシュは一切受けていない。
(…どうやるんだろう…)
「…書いたこと…ない…」
「さようでございますか。でしたらまずは、お名前が書けるように練習いたしましょう」
リンリーは一冊の本をめくり、そこに挟んでおいた紙を取り出すと机の上に広げた。
(なんだろうこれ。黒い変な線が描いてある…)
じっと見つめるアッシュの疑問を読み取ったのか、リンリーは言う。
「こちらがアッシュ様のお名前です。アッシュ・ブラウンロードと書いてあります。使用人達の中でも特に字が綺麗な家政婦長のアンナに書いて頂きました」
(これが、僕の名前…)
紙に書かれた黒い文字は、アッシュにはとても素敵なものに思えた。
「ご自分のお名前を書けるようになりましたら、他の文字も勉強していきましょう。こちらの絵本は文字と単語を覚えるのに最適ですので、空いた時間に目を通してみてください。――こちらの厚い本は教養本ですので、学習するのはもっと後になりますが、ご興味がおありでしたらご覧になってください」
「わかった…」
リンリーの指導の下、『アッシュ』の文字を練習し始めた。
アッシュは木版を触るのは初めてだった。
水で濡らしたところの色が変わり、文字が書けるとわかって驚いたし、とても興味深かった。
乾くと文字が消えることも面白い。
(すごい…すごい!)
木版で文字を書くのが面白く、アッシュは夢中になった。
用意して貰った絵本も夢中で眺めた。
(なんて書いてあるのかはわからないけど、これはドラゴンとお姫様かな? …昔、お母様に読んで貰った本に似てるかも…)
それから毎日、朝起きてから陽が完全に沈み手元が見えなくなるまでの間、アッシュは木版と絵本に夢中になった。
リンリーの想像以上のスピードで、文字を習得していった。
食事の時間にも変化があった。
朝は今までと変わりないが、昼食――時折夕食時にも、リンリーが2人分の食事を持ってくるようになったのだ。
机の上に2人分の食事を載せて、彼女は言った。
「食事マナーのお勉強をいたしましょう」
アッシュを椅子に座らせ、リンリーは立ったまま指導した。
パンのちぎり方。
スプーンやフォークの使い方。
スープは音をたてて飲まないこと。
手本を見せるために、リンリーは己の分の食事も用意したのだった。
アッシュにとって、誰かと一緒に食事を取るのは数年ぶりである。
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