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後編
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二週間後に、レジスから呼び出しを受けた。
場所は前回と同じホテルのラウンジである。
「よろしくお願いいたします」
ノミエが出した答えは、レジスの愛人となることだった。
彼女の瞳は澄んでいた。
愛人になる選択肢を選んだのはレジスに強要されたわけではなく、自らが決意し導き出した回答なのだろう。
彼女の様子を見て、ロラは微笑んだ。
そして、安堵した。
ロラはノミエを不幸にしたいわけではないのだ。
――また、己が不幸になるつもりもない。
双方が納得し、お互いにメリットが無ければだめなのだ。
「契約書を仮作成いたしました。
現時点では過不足があるかと思いますので、ご要望があれば遠慮無く仰ってください。
ここにいる三人が納得できる契約といたしましょう」
「…感謝する」
差し出された契約書を受け取り、レジスは目を通す。
概要はこうだ。
・レジスとロラが書類上の夫婦となること
・レジスとロラは互いに性的な接触を行ってはならないこと
・ノミエをレジスの愛人と認め、ハウスメイドとして終身雇用すること
・レジスとノミエの第一子を、書類上はレジスとロラの子とすること
第二子以降は、第一子との年齢差が1歳未満であればレジスとロラの子とし、それ以外はノミエの私生子として衣食住を保障すること
・ロラはジョーンヌ家の夫人として恥じない振る舞いをすること
・レジスが望むのなら、ロラはヴェール家の情報を惜しみなく提供すること
・ロラはジョーンヌ家の情報を、生家も含め外部に漏らしてはならないこと
追加したい細々とした要望はあるが、概ね納得できる内容であった。
「…だがこれでは、私達に都合が良すぎないだろうか?」
「そうよね…。これでは、貴女に自由がないのじゃないかしら?」
契約書にはロラの益となるような項目が見当たらないのだ。
「いいえ。私にとって、十分すぎるほどのメリットがありますわ」
ロラが言い切るのに、レジス達は困惑した顔を見せる。
彼女はふっと笑うと、二人に説明した。
いち。ロラは右手の人差し指を立てる。
「結婚をし、ヴェール家の…父の支配下から抜け出すこと」
に。二本指を立てる。
「夫となる者と性的な接触を行わずに済む――子を産まなくてよいこと…。
私にとって、この2つが大きなメリットなのです。
此度の契約は、私にとって渡りに船。棚からぼた餅。ええ、もう願ってもいないことなのです」
「その…君の父上はいったい…」
「何者なのか、ですか? そうですわね、人の皮を被った悪魔ですわ」
「悪魔…」
「あんなものが人間であるはずがありません」
ロラはきっぱりと言い切った。
「えっと…それはそれとして…。貴女が他の誰かと一緒になりたい場合に、レジスがそれを認めることも項目としてあったほうが良いのではないかしら」
余計なお世話かも知れないけど、とノミエは呟く。
結婚するつもりはないと言っていたが、この先何があるかわからない。
ロラだって、誰かと恋する可能性はあるだろう。
ノミエはそう思ったのだが、彼女の提案に対し、ロラは緩く首を振った。
「良いのです。私は例えこの先レジス様と離縁しましても、誰かと再婚するつもりはありませんから。
それに…お二人が共に生きていけることは、私の勝手な願いでもあるのです。
――親の勝手で恋人と引き裂かれる者の気持ちは、痛いほどわかりますから…」
その言葉でレジス達は気づいた。
ロラは愛する者と結ばれることが出来なかったのだ。
「貴女も…なの…?」
「…えぇ」
「そんな…。あ、相手の方はどうなったの?
もしその方も独り身だったら、私と同様に使用人として雇い入れれば…」
「父が切り捨てましたわ」
「え…」
「文字通りに」と、ロラはしれっと言った。
ノミエは何かを言おうと口をはくはくさせたが、結局言葉にならず口を閉じた。
その横でレジスも呆然としている。
ロラ・ヴェールには将来を誓い合った相手がいた。
だが父にとって『不要』と判断されたため、認められなかった。
駆け落ちを試みたのだがどこからか情報が父に漏れ、相手はロラの目の前で無残にも切り捨てられた。
彼女が愛を向ける相手は、もうこの世にいないのだ。
ノミエはロラの婚約者の冥福を祈るとともに、彼女がレジスの婚約者となった偶然を感謝し、深く頭を下げた。
レジスはこの時、恩人であるロラが不自由なく過ごせるように配慮し、ビジネスパートナーとして大切にすることを密かに誓った。
レジス・ジョーンヌとロラ・ヴェールが結婚して10年の月日が経った。
彼らは結婚して程なく双子の男児を授かり、子供達はハウスメイドの手を借りてすくすくと成長している。
レジス・ジョーンヌが家督を継いでからも、ジョーンヌ家の業績は下がることは無かった。
それどころか夫人の働きもありジョーンヌ家はより一層勢力を増している。
…それに対して夫人の生家は数年前から傾き始めているようだ。
ロラ夫人の父親が、何度かジョーンヌ家に金の無心に訪れるようになったのは、つい最近のことだ。
しかし、夫人の顔を見ることもできずに追い払われていた。
ロラの父を追い払うことはもちろん、彼の会社が窮地に陥るように時間をかけて裏から手を回していったのは、他でもないレジスだった。
ロラ、レジス、ノミエの3人は、契約を交わしたあの日から現在まで、同じ屋根の下で仲良く暮らしている。
子供達は、両親とハウスメイドの関係性に何か察するところがあるのかもしれないが、それを口にすることは無かった。
少し歪な関係でありながら、彼らは今日も穏やかに暮らしている。
場所は前回と同じホテルのラウンジである。
「よろしくお願いいたします」
ノミエが出した答えは、レジスの愛人となることだった。
彼女の瞳は澄んでいた。
愛人になる選択肢を選んだのはレジスに強要されたわけではなく、自らが決意し導き出した回答なのだろう。
彼女の様子を見て、ロラは微笑んだ。
そして、安堵した。
ロラはノミエを不幸にしたいわけではないのだ。
――また、己が不幸になるつもりもない。
双方が納得し、お互いにメリットが無ければだめなのだ。
「契約書を仮作成いたしました。
現時点では過不足があるかと思いますので、ご要望があれば遠慮無く仰ってください。
ここにいる三人が納得できる契約といたしましょう」
「…感謝する」
差し出された契約書を受け取り、レジスは目を通す。
概要はこうだ。
・レジスとロラが書類上の夫婦となること
・レジスとロラは互いに性的な接触を行ってはならないこと
・ノミエをレジスの愛人と認め、ハウスメイドとして終身雇用すること
・レジスとノミエの第一子を、書類上はレジスとロラの子とすること
第二子以降は、第一子との年齢差が1歳未満であればレジスとロラの子とし、それ以外はノミエの私生子として衣食住を保障すること
・ロラはジョーンヌ家の夫人として恥じない振る舞いをすること
・レジスが望むのなら、ロラはヴェール家の情報を惜しみなく提供すること
・ロラはジョーンヌ家の情報を、生家も含め外部に漏らしてはならないこと
追加したい細々とした要望はあるが、概ね納得できる内容であった。
「…だがこれでは、私達に都合が良すぎないだろうか?」
「そうよね…。これでは、貴女に自由がないのじゃないかしら?」
契約書にはロラの益となるような項目が見当たらないのだ。
「いいえ。私にとって、十分すぎるほどのメリットがありますわ」
ロラが言い切るのに、レジス達は困惑した顔を見せる。
彼女はふっと笑うと、二人に説明した。
いち。ロラは右手の人差し指を立てる。
「結婚をし、ヴェール家の…父の支配下から抜け出すこと」
に。二本指を立てる。
「夫となる者と性的な接触を行わずに済む――子を産まなくてよいこと…。
私にとって、この2つが大きなメリットなのです。
此度の契約は、私にとって渡りに船。棚からぼた餅。ええ、もう願ってもいないことなのです」
「その…君の父上はいったい…」
「何者なのか、ですか? そうですわね、人の皮を被った悪魔ですわ」
「悪魔…」
「あんなものが人間であるはずがありません」
ロラはきっぱりと言い切った。
「えっと…それはそれとして…。貴女が他の誰かと一緒になりたい場合に、レジスがそれを認めることも項目としてあったほうが良いのではないかしら」
余計なお世話かも知れないけど、とノミエは呟く。
結婚するつもりはないと言っていたが、この先何があるかわからない。
ロラだって、誰かと恋する可能性はあるだろう。
ノミエはそう思ったのだが、彼女の提案に対し、ロラは緩く首を振った。
「良いのです。私は例えこの先レジス様と離縁しましても、誰かと再婚するつもりはありませんから。
それに…お二人が共に生きていけることは、私の勝手な願いでもあるのです。
――親の勝手で恋人と引き裂かれる者の気持ちは、痛いほどわかりますから…」
その言葉でレジス達は気づいた。
ロラは愛する者と結ばれることが出来なかったのだ。
「貴女も…なの…?」
「…えぇ」
「そんな…。あ、相手の方はどうなったの?
もしその方も独り身だったら、私と同様に使用人として雇い入れれば…」
「父が切り捨てましたわ」
「え…」
「文字通りに」と、ロラはしれっと言った。
ノミエは何かを言おうと口をはくはくさせたが、結局言葉にならず口を閉じた。
その横でレジスも呆然としている。
ロラ・ヴェールには将来を誓い合った相手がいた。
だが父にとって『不要』と判断されたため、認められなかった。
駆け落ちを試みたのだがどこからか情報が父に漏れ、相手はロラの目の前で無残にも切り捨てられた。
彼女が愛を向ける相手は、もうこの世にいないのだ。
ノミエはロラの婚約者の冥福を祈るとともに、彼女がレジスの婚約者となった偶然を感謝し、深く頭を下げた。
レジスはこの時、恩人であるロラが不自由なく過ごせるように配慮し、ビジネスパートナーとして大切にすることを密かに誓った。
レジス・ジョーンヌとロラ・ヴェールが結婚して10年の月日が経った。
彼らは結婚して程なく双子の男児を授かり、子供達はハウスメイドの手を借りてすくすくと成長している。
レジス・ジョーンヌが家督を継いでからも、ジョーンヌ家の業績は下がることは無かった。
それどころか夫人の働きもありジョーンヌ家はより一層勢力を増している。
…それに対して夫人の生家は数年前から傾き始めているようだ。
ロラ夫人の父親が、何度かジョーンヌ家に金の無心に訪れるようになったのは、つい最近のことだ。
しかし、夫人の顔を見ることもできずに追い払われていた。
ロラの父を追い払うことはもちろん、彼の会社が窮地に陥るように時間をかけて裏から手を回していったのは、他でもないレジスだった。
ロラ、レジス、ノミエの3人は、契約を交わしたあの日から現在まで、同じ屋根の下で仲良く暮らしている。
子供達は、両親とハウスメイドの関係性に何か察するところがあるのかもしれないが、それを口にすることは無かった。
少し歪な関係でありながら、彼らは今日も穏やかに暮らしている。
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