上 下
3 / 3

後編

しおりを挟む
二週間後に、レジスから呼び出しを受けた。
場所は前回と同じホテルのラウンジである。



「よろしくお願いいたします」


ノミエが出した答えは、レジスの愛人となることだった。
彼女の瞳は澄んでいた。
愛人になる選択肢を選んだのはレジスに強要されたわけではなく、自らが決意し導き出した回答なのだろう。

彼女の様子を見て、ロラは微笑んだ。
そして、安堵した。
ロラはノミエを不幸にしたいわけではないのだ。
――また、己が不幸になるつもりもない。

双方が納得し、お互いにメリットが無ければだめなのだ。


「契約書を仮作成いたしました。
 現時点では過不足があるかと思いますので、ご要望があれば遠慮無く仰ってください。
 ここにいる三人が納得できる契約といたしましょう」
「…感謝する」


差し出された契約書を受け取り、レジスは目を通す。


概要はこうだ。

・レジスとロラが書類上の夫婦となること

・レジスとロラは互いに性的な接触を行ってはならないこと

・ノミエをレジスの愛人と認め、ハウスメイドとして終身雇用すること

・レジスとノミエの第一子を、書類上はレジスとロラの子とすること
 第二子以降は、第一子との年齢差が1歳未満であればレジスとロラの子とし、それ以外はノミエの私生子として衣食住を保障すること

・ロラはジョーンヌ家の夫人として恥じない振る舞いをすること

・レジスが望むのなら、ロラはヴェール家の情報を惜しみなく提供すること

・ロラはジョーンヌ家の情報を、生家も含め外部に漏らしてはならないこと



追加したい細々とした要望はあるが、概ね納得できる内容であった。


「…だがこれでは、私達に都合が良すぎないだろうか?」
「そうよね…。これでは、貴女に自由がないのじゃないかしら?」


契約書にはロラの益となるような項目が見当たらないのだ。


「いいえ。私にとって、十分すぎるほどのメリットがありますわ」


ロラが言い切るのに、レジス達は困惑した顔を見せる。
彼女はふっと笑うと、二人に説明した。


いち。ロラは右手の人差し指を立てる。


「結婚をし、ヴェール家の…父の支配下から抜け出すこと」


に。二本指を立てる。


「夫となる者と性的な接触を行わずに済む――子を産まなくてよいこと…。
 私にとって、この2つが大きなメリットなのです。
 此度の契約は、私にとって渡りに船。棚からぼた餅。ええ、もう願ってもいないことなのです」

「その…君の父上はいったい…」
「何者なのか、ですか? そうですわね、人の皮を被った悪魔ですわ」
「悪魔…」
が人間であるはずがありません」


ロラはきっぱりと言い切った。


「えっと…それはそれとして…。貴女が他の誰かと一緒になりたい場合に、レジスがそれを認めることも項目としてあったほうが良いのではないかしら」


余計なお世話かも知れないけど、とノミエは呟く。

結婚するつもりはないと言っていたが、この先何があるかわからない。
ロラだって、誰かと恋する可能性はあるだろう。
ノミエはそう思ったのだが、彼女の提案に対し、ロラは緩く首を振った。


「良いのです。私は例えこの先レジス様と離縁しましても、誰かと再婚するつもりはありませんから。
 それに…お二人が共に生きていけることは、私の勝手な願いでもあるのです。
 ――親の勝手で恋人と引き裂かれる者の気持ちは、痛いほどわかりますから…」


その言葉でレジス達は気づいた。
ロラは愛する者と結ばれることが出来なかったのだ。


「貴女も…なの…?」
「…えぇ」
「そんな…。あ、相手の方はどうなったの?
 もしその方も独り身だったら、私と同様に使用人として雇い入れれば…」
「父が切り捨てましたわ」
「え…」


「文字通りに」と、ロラはしれっと言った。


ノミエは何かを言おうと口をはくはくさせたが、結局言葉にならず口を閉じた。
その横でレジスも呆然としている。



ロラ・ヴェールには将来を誓い合った相手がいた。
だが父にとって『不要』と判断されたため、認められなかった。
駆け落ちを試みたのだがどこからか情報が父に漏れ、相手はロラの目の前で無残にも切り捨てられた。


彼女が愛を向ける相手は、もうこの世にいないのだ。



ノミエはロラの婚約者の冥福を祈るとともに、彼女がレジスの婚約者となった偶然を感謝し、深く頭を下げた。
レジスはこの時、恩人であるロラが不自由なく過ごせるように配慮し、大切にすることを密かに誓った。










レジス・ジョーンヌとロラ・ヴェールが結婚して10年の月日が経った。
彼らは結婚して程なく双子の男児を授かり、子供達はハウスメイドの手を借りてすくすくと成長している。

レジス・ジョーンヌが家督を継いでからも、ジョーンヌ家の業績は下がることは無かった。
それどころか夫人の働きもありジョーンヌ家はより一層勢力を増している。

…それに対して夫人の生家は数年前から傾き始めているようだ。


ロラ夫人の父親が、何度かジョーンヌ家に金の無心に訪れるようになったのは、つい最近のことだ。
しかし、夫人の顔を見ることもできずに追い払われていた。

ロラの父を追い払うことはもちろん、彼の会社が窮地に陥るように時間をかけて裏から手を回していったのは、他でもないレジスだった。



ロラ、レジス、ノミエの3人は、契約を交わしたあの日から現在まで、同じ屋根の下で仲良く暮らしている。
子供達は、両親とハウスメイドの関係性に何か察するところがあるのかもしれないが、それを口にすることは無かった。


少し歪な関係でありながら、彼らは今日も穏やかに暮らしている。
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

【完結】やってしまいましたわね、あの方たち

玲羅
恋愛
グランディエネ・フラントールはかつてないほど怒っていた。理由は目の前で繰り広げられている、この国の第3王女による従兄への婚約破棄。 蒼氷の魔女と噂されるグランディエネの足元からピキピキと音を立てて豪奢な王宮の夜会会場が凍りついていく。 王家の夜会で繰り広げられた、婚約破棄の傍観者のカップルの会話です。主人公が婚約破棄に関わることはありません。

【完結】君を愛する事はない?でしょうね

玲羅
恋愛
「君を愛する事はない」初夜の寝室でそう言った(書類上の)だんな様。えぇ、えぇ。分かっておりますわ。わたくしもあなた様のようなお方は願い下げです。

王子と王女の不倫を密告してやったら、二人に処分が下った。

ほったげな
恋愛
王子と従姉の王女は凄く仲が良く、私はよく仲間外れにされていた。そんな二人が惹かれ合っていることを知ってしまい、王に密告すると……?!

一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。

木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」 結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。 彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。 身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。 こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。 マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。 「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」 一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。 それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。 それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。 夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。

覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―

Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。

やめてくれないか?ですって?それは私のセリフです。

あおくん
恋愛
公爵令嬢のエリザベートはとても優秀な女性だった。 そして彼女の婚約者も真面目な性格の王子だった。だけど王子の初めての恋に2人の関係は崩れ去る。 貴族意識高めの主人公による、詰問ストーリーです。 設定に関しては、ゆるゆる設定でふわっと進みます。

塩対応彼氏

詩織
恋愛
私から告白して付き合って1年。 彼はいつも寡黙、デートはいつも後ろからついていく。本当に恋人なんだろうか?

(完)イケメン侯爵嫡男様は、妹と間違えて私に告白したらしいー婚約解消ですか?嬉しいです!

青空一夏
恋愛
私は学園でも女生徒に憧れられているアール・シュトン候爵嫡男様に告白されました。 図書館でいきなり『愛している』と言われた私ですが、妹と勘違いされたようです? 全5話。ゆるふわ。

処理中です...