愛人契約は双方にメリットを

しがついつか

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「私を書類上の妻として迎え入れ、ブル様を愛人になさるおつもりはございませんか?」


「何だと?!」
「何ですって!?」


これにはノミエも声を上げた。
だがすぐにハッとして口を閉じた。

ラウンジには他にも客の姿がある。
店内ではピアノの演奏が行われているためレジス達の声が響き渡ることは避けられたが、このような場で声を荒げるのは恥ずべき行いだ。



「…愛人…ノミエを、愛人にしろと…?」


徐々に怒りがわいてきたのだろう。
レジスが絞り出すように言う。


「愛人だなんて…そんな…嫌よ…」


ノミエの目に涙が浮かんだ。
彼女にとって『愛人』という立場は決して良いイメージを持たない。

二人が素直に受け入れないだろうことは、ロラの想定内だ。



「ところでジョーンヌ様は、具体的にいつ頃、ブル様と結婚出来るようになるのですか?
 お父上に認めていただけるほどの功績は、いつ頃あげられるのでしょうか。
 もちろん、目処は立っていらっしゃるのですよね。
 ですから私との婚約を早々に破棄して、功績を挙げてブル様を正式な妻に迎えるおつもりなのですよね?」
「…それは…」
「おそらくですが、ブル様――ブル様のご実家もあわせてですが、彼女を妻にすることは、ジョーンヌ家にとってメリットがないのだと拝察いたします。
 そうなりますと私との婚約を無事に破棄できたとしても、また新たな女性との婚約が結ばれる可能性があるのではないでしょうか。その都度、破棄を繰り返しますか?」
「…」
「ブル様も、ジョーンヌ様との結婚が叶うまで待つつもりなのですよね?
 例え、ジョーンヌ様のお父上が認めてくださるのが20年後だったとしても」
「そ、そんなには…」


愛人呼ばわりされたことに憤った彼らだったが、ロラの問いによって徐々に勢いが削がれていく。


「ブル様は『妻公認の愛人という立場になり、衣食住がすべて保証され、愛する人の子を授かることも許された生活』と、『本妻になるために独身のまま、いつまでも待ち続ける不安定な生活』のどちらを選びますか?
 ジョーンヌ様も、ブル様に後者を選ぶことを強いるのですか?
 結婚が許される日は明日かもしれないし、1年後かもしれない…。もしかしたら、10年、20年先か…。
 ――最悪、そんな日が来ないかもしれない」
「…」



レジスとノミエは初めてその可能性に思い至ったのだろう。

特にノミエにとっては、独身のまま待ち続けるのはリスクが大きい。
実家暮らしの彼女は近くのカフェに勤めており、給金はさほど良くない。
カフェでの仕事は意外と体力を使うため、この先20年以上続けていけるかというと厳しいだろう。

もしレジスと結婚出来なかった場合、彼女には何も残らない。



「…レジスのことは愛しているけれど…20年は待てないわ…」


ノミエが零した言葉に、レジスは『そうだろうな』と納得してしまった。
レジス自身、ノミエに20年間も待ってくれとは言えない。
――もちろん、20年というのは仮定の話だ。



「それから――私とブル様を入れ替える、という案もございますが、こちらは現実的ではありません」
「…入れ替える?」
「はい。
 私がノミエ・ブルとなり、ブル様がロラ・ヴェールとなるのです。
 そうすれば、ブル様はジョーンヌ様の妻として振る舞うことが出来るでしょう」
「いや…それは無理だろうな…」


一瞬だけ良い案に思えたが、すぐに無理があるとわかる。


「貴女が私になるためには、知り合いのいない土地に引っ越せばいいけど…。私が貴女になるのは無理よね…」
「仕事の都合上、夫婦で出席しなくてはならない催しがあるはずだ。そこで知り合いにでも会えば、すぐに事が露見してしまうだろう。…最悪の場合、私達が彼女を亡きものにしたと思われるかもしれない」
「そうですね。特に私の父が黙ってはいないでしょうね。
 これを機に、嬉々としてジョーンヌ家の事業を吸収しようとするかもしれませんわ。もしくは破格の条件で取引を締結させるかもしれないですね」


ノミエはロラの言葉が少し引っかかった。


「…娘が酷い目に遭ったから怒って、ジョーンヌ家を潰そうとするのではないの?」
「ふふっ。にそんな親らしい心があるわけありませんわ。
 もしかしたら、攻め入る隙を与えたことに『よくやった』と褒めてくれるかもしれませんけどね。
 あの男の興味関心は、あくまでも財産を増やし権力を手に入れることですから」


ロラはフッと笑う。
嫁ぎ先で娘が虐げられることに憤るような心があるなら、娘の意思を無視した婚約などしないだろう。


「今回私たちが婚約することになったのは、父がジョーンヌ家との繋がりを欲したためです。
 それ以上でも以下でもありません。
 間違っても、私がジョーンヌ様に懸想した等という事実はございませんわ」
「そう…なのね。貴女は、ジョーンヌが好きだから無理やり婚約者になったわけではないのね…」
「はい。今までお会いしたこともありませんでしたから」
「…ごめんなさい」


ノミエは頭を下げた。
彼女にとってロラは、突然やってきて幸せな生活を壊す悪魔のような存在だと思っていた。
ロラの事情を知らず、初対面だというのに嫌な態度をとったことを謝った。


「ブル様が謝る必要はありませんよ。逆の立場ならきっと、私も同じ事をしましたわ」
「…」
「いや、私からも謝罪する。私の今までの態度は大変失礼なものだった。申し訳ない…」


座したままではあるが、ジョーンヌも深く頭を下げた。


「…謝罪を受け入れますわ。ですのでお二人とも、顔を上げてください」


ゆっくりと顔を上げた二人に、ロラは「さて!」と勤めて明るい声を出した。


「ここでご提案なのですが、どうですブル様、ジョーンヌ様の愛人となりませんか?
 対外的にはハウスメイドとして私達が雇うことにしますので、そうすれば同じ屋敷にブル様が住んでいても不自然ではありません。
 実際に家事もお任せしたいと考えておりますので、申し訳ありませんが、悠々自適な生活とはほど遠いかと思います。
 もちろん、メイドとして働いた分のお給金はキチンとお支払いいたしますわ。
 ジョーンヌ様とのお子を設けることも自由です。
 ――ただブル様の第一子は、ジョーンヌ家の後継とせねばなりませんので、書類上は私とジョーンヌ様の子にさせていただくことになります。残酷なお願いになりますが、愛人となるにはこれをご了承いただかねばなりません」

「…私は、その子の母と名乗ることが出来ないのね…」
「はい。どこかで知られてしまう可能性はあるかもしれませんが、ブル様自らが母だと名乗り出ることはなりません」
「――だけど…、だけどメイドとして働くことで、子供の成長を間近で見守ることが出来るのね…」
「はい。、『育ての親』として愛情を持って接することが可能です」



ノミエは目を閉じ考える。
彼女は知っていた。レジスの父――いや、父だけではなくジョーンヌ家は皆、ノミエ・ブルを認めていないことを。
ジョーンヌ家の一員として迎え入れるつもりがないことを。

たとえレジスが素晴らしい功績をあげたとしても、『素晴らしい功績を上げたレジスに相応しい、高い能力を持つ女性を伴侶とするべきだ』とでも言って、結局はノミエを受け入れないだろう。

レジスが家を捨てて駆け落ちをする気が無いことは知っているし、ノミエ自身もそれを望んでいない。
駆け落ちが成立するのは小説の中だけだ。
現実は甘くない。





「――少し、考える時間を貰えないかしら…」
「もちろんです。どうぞ、ジョーンヌ様とお二人で話し合ってください」


ロラはカップのコーヒーを飲み干す。


「――では私はこれで失礼しますわ。答えが出ましたら、ご連絡くださいまし。
 もし承諾いただけるのであれば、契約書を用意いたしますので、双方に益のある契約を交わしましょう」


ロラはさっさと立ち上がると一礼し、その場を後にした。
コーヒー代くらい、レジスに出して貰ってもいいだろう。


颯爽と立ち去るロラを、レジスとノミエは頭を下げて見送った。




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