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9章「贈り物、受け取ってくれました?」
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しおりを挟む銀賞を取れたのも不思議なくらいの完成度なのに、俺はこれを描き上げたとき、たぶん人生でいちばん満足した。
心の底から、ようやく描きたいものが描けたと思った。
「……なんで、なのかな。描きたかったから、描かないと後悔すると思ったからとしか言いようがない。描きたくて描きたくて、衝動が抑えきれずに描いた絵なんだ」
これは、俺に見えていた鈴の姿だ。
──タイトルは『モノクロに君が咲く』。
「馬鹿だよなぁ、なんか。あんたも姉ちゃんもお互いのことを描いてるのにさ。それで優劣を決めちゃう絵画コンクールに出すんだから」
「……それは」
「わかってるよ。絵を描く人間同士だからだろ」
ようやく弟くんはこちらを向いた。その目はすでに赤く充血しているように見えた。
俺も人のことは言えないな、と思いながら、いまだ止まらない涙を拭う。
俺の方に歩いてきた弟くんは、今度は鈴の絵を見上げながら切なげに微笑んだ。
「ようやく、姉ちゃんの夢が叶ったんだ」
「……夢?」
「あんたを追い越して、金賞を獲るって夢」
俺は、え、と目を瞠る。
「それが鈴の夢だったの?」
「うん。姉ちゃんが病名宣告をされた年──あんたが初めて、絵画コンクールに作品を出した年。ほんとにたまたま展示会に来てさ。そこで姉ちゃんは、あんたの絵と出逢ったんだ」
中一。つまり、俺の世界が色を失って灰を被った直後だ。
「運命の出逢いだって言ってたよ。絶対にこの絵を超えてみせる。絶対に私が金賞を獲るって、病気のことなんか忘れたみたいに言ってた」
「運命、の」
ふいに脳裏に過った鈴の言葉。
『私にとっての運命の出逢いは、ぜーんぶ先輩ですって』
俺は唇を震わせた。あれはそういう意味だったのか。そんなに前から鈴は俺のことを認識してくれていたのだと、いっそ頭痛すら覚えながら実感する。
「それが姉ちゃんの生きる意味だったんだ。寝ても醒めても絵を描いて、毎年『また負けちゃった』って悔しがって笑って。いつもいつも、すごく楽しそうにあんたを追いかけてたよ」
「……っ」
「あんたと出逢ってからは、とくに毎日幸せそうだった。……去年のコンクール、姉ちゃんは最後だと思ってたんだ。結果を見て『結局最後の最後まで追い抜けなかったなぁ』って泣いてたよ。たぶん、コンクールで泣いたのは初めてだったね」
その声は俺と変わらないくらいに頼りなくて、ひどく震え交じりだ。
「けど、やっぱり、すごく幸せそうにも見えてさぁ……っ」
弟くんはゆっくりと俺を振り仰ぐと、頬に涙を流しながらへらりと笑った。
「──ありがとう、春永先輩。あんたのおかげで、姉ちゃんはずっと幸せだったよ」
「っ……!」
ああ、もう、だめだ。
「俺、だって……幸せだった……っ!」
とめどない涙を噛み締めるように拳を握りしめて、鈴の絵を見上げた。
やっと、今やっと、鈴の言っていた言葉の意味がわかった。
技術や独創性などを超越して人生を変えてしまうような力を持った絵。
鈴の絵は、まさしくそれだった。
こんなにも感情に満ち溢れた優しい絵があるなんて、俺は知らなかった。
「……なんで……なんで、鈴だったのかな」
どうしようもないとわかっている。
現実逃避だと、また鈴は仕方なさそうに笑うだろう。
それでも、どうしても、思ってしまうのだ。
どうして鈴が死ななければならなかったのかと。
鈴じゃなくたって、よかったじゃないかと。
「……もっと、一緒にいたかったよ……鈴……っ」
耐えきれない思いがこぼれて、こぼれ落ちて、俺は思わずその場に崩れ落ちた。
弟くんが焦ったように俺の背を支えてくるけれど、そんな彼もまた、俺と変わらないくらい泣いていた。
「そんなん、おれもそうだよ! 姉ちゃんと、もっと一緒にいたかった……っ! 今さら後悔したって遅いんだからなっ!」
「……後悔、なんて、してない……っ」
たしかに深い傷は俺の心に刻まれた。
でも、それでもなお、鈴と過ごした時間を後悔したことは一度もないのだ。
きっとこれからも、鈴と付き合わなければよかったなんて思うことはない。
俺にとって鈴と過ごした時間は、かけがえのないものだった。
鈴と出会っていなければ、俺はずっと灰色の世界でしか生きられなかっただろう。
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