67 / 76
8章「答え合わせをしましょうか」
67
しおりを挟む「でも、他でもない鈴の言葉だからかな。もうね、すごく響いたよ。毎日精一杯生きて、他愛のないことで笑って。そんな鈴がなんだか俺には眩しくて。見ていられなくて。だからこそ、触れてみたくなったんだと思う」
「触れて……?」
「うん。──鈴の、心に」
ユイ先輩は名残惜しそうに私から離れて、た、た、と数歩うしろに下がる。
そうして、枯れがかった色を重ねつつある桜の木を振り仰いだ。
「まだわからないことばかりだけど、俺がわからないことは大抵、鈴が答えを教えてくれるんだ。鈴は俺にとっての道標──羅針盤みたいなもので、いつでも、どんなときも俺の歩く道を照らしてくれる。きっとそんな鈴だから、俺は好きになった」
ユイ先輩が微笑んだ。この世のなによりも綺麗だと、そう思える笑みで。
当たり前に目を奪われて、私はただじっと先輩を見つめるしかできなくなる。
「……それとね。もうひとつ、やっとわかったことある」
「わかったこと、ですか?」
「うん。鈴が初対面で、俺の名前を間違わずに呼んだ理由」
ユイ先輩の名前。頭のなかでその言葉をゆっくりと咀嚼してみるけれど、いまいち意味を汲み取りきれなくて、私は首を傾げる。
「初対面で俺の名前を間違わずに呼べる人って、なかなかいないんだよ。ほら、結生って、字が少し特殊だから。──鈴、ずっと前から俺のこと知ってたんだね」
ああ、なるほどそういうことか。ようやく理解して、私はこくこくとうなずいた。
──春永結生。
たしかに初めてこの字を見たときは、私もべつの読み方をしてしまった。
おそらくユイ先輩は、私がこれまでのコンクールに出していたことに気づいたのだろう。今さら、と思わないでもないけれど、そこは先輩だから致し方ない。
「ユウキとかユウセイとかね。ユイって女の子みたいだし仕方ないことだって思ってたけど、意外とそれが俺にとっては衝撃だったんだ。初めてだったから」
「……ふふ。知らず知らずのうちに先輩のはじめてもらっちゃったんですね。私」
「うん。でも、俺にとっては、全部がはじめて。名前だけじゃない。キスだって、こんなふうに誰かを好きになるのだって、全部、鈴がはじめてだよ」
紡がれる言葉が、あまりにも喉の奥が絞られるようにきゅっと詰まった。
どうしてユイ先輩は、こうも心臓に悪いことばかり言ってくるのだろうか。
先輩と一緒にいると、身体中の生命力がまだ死にたくないと訴えかけてくる。この世界で生きていたい。先輩とまだ一緒にいたいと、そう強く願ってしまう。
たとえ叶いようのないことだとしても、この時間が一分一秒でも長く続けばいいのにと、そう願い乞わずにはいられないのだ。
「先輩は、ずるいですね」
「ずるい?」
「どれだけ先輩を好きにさせたら気が済むんですか」
ユイ先輩の世界が色づいた。
そのきっかけが私との出逢いだというのなら、それほど嬉しいことはない。
だって、この世界でいちばん、私が心を向けた相手だ。
今までもこれからも、未来永劫、ずっと変わらず想い続ける相手だ。
「──はなまるです、ユイ先輩」
先輩がそのことに気づいたと同時、私もこの一ヶ月で気づきがたくさんあった。
けれどそれは、きっと今、伝えるべきことではない。
そう判断して、私はユイ先輩へと満面の笑みで両手を伸ばした。
「ご褒美です。私のこと、抱っこしてください」
思いもよらない提案だったのか、ユイ先輩はきょとんとした。
しかし、すぐにおかしそうに苦笑しながら私の方へ戻ってくると、いとも簡単に私のことを抱き上げる。非力そうな見た目のわりに、やっぱり先輩も男の人だ。
そのままぎゅうっと腕のなかに閉じ込めて、ユイ先輩は優しく目元を緩めた。
少し痩せすぎた体は、女性としての魅力はないかもしれない。けれど、こうして先輩に抱き上げてもらえるのなら悪くないとも思う。何事もやはり捉えようだ。
「これ、俺のご褒美なの?」
「だって先輩、前に甘えてほしいって言ったじゃないですか」
「言ったね。覚えてたんだ、鈴」
──先輩のことならなんでも覚えていたいから。
心のなかでそう応えて、私はお返しのつもりでユイ先輩にぎゅっと抱きついた。
「これがご褒美じゃ、嫌ですか?」
「いや、まったく。むしろ最上級のご褒美だね」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
1ヶ月限定の恋人を買ってみた結果
こてこて
ライト文芸
「キレイさっぱり消えて、粉になる。粉は普通ごみで捨てられるから心配いらない」
俺の自慢の彼女、それは“ハニーパウダー”であった。
落ちこぼれ大学生の俺に対し、とことん冷たかった彼女。それでも俺たちは距離を縮めていき、恋心は深まっていく。
しかし、俺たちに待ち受けているものは、1ヶ月というタイムリミットだった。
そして彼女が辿った悲痛な運命を聞かされ、俺は立ち上がる。
これは1ヶ月限定の恋人と向き合う、落ちこぼれ大学生の物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる