64 / 76
7章「描けるような気がした」
64
しおりを挟む「身近で誰かを失うってさ、たぶん誰もが経験することだろうけど、それを深く考えたりはしないだろ。友だちも家族もいて当たり前。自分にも相手にもフツーに明日は来ると思ってて、毎朝変わらずおはよって言えるもんだと勘違いしてんだよ」
隼も俺に倣って立ち上がり、こちらへゆっくりと歩いてくる。隣に並んで桜の木を見上げながら、その奥に見える夕日に目を遣り、眩しそうに睫毛を震わせた。
「でも、そうじゃないんだよな。おまえはお母さんのことがあるからとっくに気づいてんのかもしれないけど、どんな瞬間だって別れの可能性はあってさ」
「……うん」
「別れを恐れて関わらないのは簡単なんだ。だけど、そうやって仮に俺がおまえと関わってこなかったら、って考えると……正直そっちのが怖いね、俺は」
隼はぽつりと独り言のように落として、視線だけ俺の方を向いた。
「俺には病気のことなんて想像もできないし、わかったふりもするつもりはねえ。結局それは知ったかぶりにしかならないしな。だけど、そのうえで言わせてもらうなら、もうおまえのなかでは答え出てんじゃね? ってことくらいだな」
「答えが、もう出てる……? 俺の?」
「おう。だって描きたいって思える世界に、小鳥遊さんがしてくれたんだろ」
心臓のいちばん深いところを、ぐさりと容赦なく貫かれたような気がした。
形容しがたい衝撃と戸惑いが同時に胸を走る。視界がぐらぐら揺れた。
「そんな世界を、結生は今生きてるんだ。どう見えてんのかは知らねえけど、生きて、描きたいって思ってる。生きてる意味なんて、そんなんで充分じゃないの?」
「……俺、は……」
ああそうか。やっぱり俺は、描きたいのだ。色づいたこの世界を、鈴が色づけてくれたこの世界を、どうしようもなく描き残しておきたいのだ。
そして──……彼女が生きた証明を、したい。
「っ、ありがとう。隼」
「お、おう?」
思い立つが否や、俺はばっと踵を返した。
いまだ空白だった日常使いのキャンバスを見て、これじゃない、と思う。
俺が描きたいのは、描き残したいのは、このサイズでは到底収まらない。
ああ、どうして今さら。どうして俺は、いつもいつも、たったひとつの事実に気づくだけで長い時間がかかってしまうのだろう。本当にだめなやつだ。
でも……そうだ。そうだった。他でもない鈴が言ってくれたんじゃないか。
俺には絵しかないんじゃない。
絵があるんだって。それはすごく特別なことなんだって。
できることがある。今この瞬間を生きる意味がある。それが未来へ繋がっていくかどうかはわからないけれど、きっとこれは──俺の、答えだ。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
1ヶ月限定の恋人を買ってみた結果
こてこて
ライト文芸
「キレイさっぱり消えて、粉になる。粉は普通ごみで捨てられるから心配いらない」
俺の自慢の彼女、それは“ハニーパウダー”であった。
落ちこぼれ大学生の俺に対し、とことん冷たかった彼女。それでも俺たちは距離を縮めていき、恋心は深まっていく。
しかし、俺たちに待ち受けているものは、1ヶ月というタイムリミットだった。
そして彼女が辿った悲痛な運命を聞かされ、俺は立ち上がる。
これは1ヶ月限定の恋人と向き合う、落ちこぼれ大学生の物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる