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6章「先輩は、私がいないと寂しいですか」
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しおりを挟む私の声を容赦なく遮り、ピリリと棘のように鋭さを持った声が空気を切る。その矛先は間違いなく榊原さんのはずなのに、なぜか私にも向けられている気がした。
自然と喉の浅い部分で引っかかっていた言葉を、こくりと飲み込んでしまう。
「べつにさ、俺がどの道に進もうが勝手でしょ。うちの親は放任主義だし、家を継がないなら好きに生きろって言われてるんだよ」
「っ、でも」
「どちらにしても、榊原さんにいろいろ指図される筋合いはないと思うんだけど」
ユイ先輩、と声をかけようにも、なんだかいつもの先輩ではないみたいだ。
受験生は往々にしてピリピリとしていると相場が決まっている。
だが、それがユイ先輩となれば話はべつだ。
彼は普段から、感情の起伏が少ない人だ。とりわけ〝怒り〟に関しては顕著で、人前で露わにするようなことは滅多にない。
「あ、あなたが進路のことを考えないのは、小鳥遊さんのことがあるからでしょっ!」
どくん、と──心臓が、とてつもなく嫌な音を立てた。
「未来のことなんかどうでもいい? そんなわけないじゃない! 自分がこの先どの道を歩いていくのか、なにをして生きていくのか、それを考えずにいられるほど、あたしたちはもう子どもじゃないのよ! あなたはただ、逃げてるだけ!!」
──私も薄々気づいていたことを、沙那先輩が激情に乗せて言い放つ。
それは涙声だけれど、慟哭に近いものだった。
ひりひりと、いつもと同じはずの病室の空気がやけに冷たく打ち震えた。
「小鳥遊さんの存在が大事なのはわかる。でも、彼女を言い訳にしてあなたがまた人形に戻るのは見てらんないの。そんなの、小鳥遊さんが気の毒だわ!」
「……はあ? 鈴を、言い訳に? 俺が?」
「そうでしょ? こんなこと言いたくはなかったけど、あなたは小鳥遊さんがいない未来のことを少しも考えてないのよ。だから、そんなに悠長にしていられるんだわ」
シン、と水を打ったように静まり返った。
ユイ先輩の顔からいっさいの表情が抜け落ちるのがわかる。あまりにも冷えきった鋭い双眸が、本当に人形のそれみたいで、背筋がぞくりと震える。
「──……もう、出ていってくんない」
「っ……」
「俺がどんな未来を歩もうが、あんたには微塵の関係もない」
……先輩が本気で怒っているところを、私は初めて見たかもしれない。
「どんなときも、なにがあっても、俺の未来には鈴がいる。それはこれからさき、なにがあってもずっとだ。次同じこと言ったら、俺は君を一生許さない」
沙那先輩は今にも泣きそうだった。
くしゃりと顔を歪めて、けれど泣きださないのは高いプライドゆえだろうか。
しばし強く唇を噛みしめた後、彼女は深く息をついて、私の方を向いた。
ごめんね、と言われた気がして、私は思わず首を横に振った。
「目先のことに囚われすぎて恥も外聞も捨てているあなたには、なにを言っても無駄ね。恋は盲目っていうけど……それにしたって、救えない馬鹿だわ」
半ば諦めたようにそう捨て置くと、沙那先輩は静かに病室を出ていった。
まさか久しぶりに再会した直後にこんな状況になるなんて、誰が予想しただろう。
とりあえず、ここに愁がいなくてよかった。困惑しすぎてそんな見当違いなことを安堵しながら、私はおろおろとユイ先輩を見上げる。
ユイ先輩とふたりきりの空間で、こんなにも気まずくなったことなど、これまで一度もない。どう声をかけるべきなのかもわからずにいると、
「──……ごめん、鈴」
やがて、ユイ先輩がこちらに背を向けたままぽつりとつぶやいた。
さきほどの気迫はどこへやら、今にも消え入りそうな声だった。ユイ先輩の纏う空気が、だんだんといつものものへ戻っていく。私は心底ほっとした。
「鈴の前ではああいうの、見せたくなかったんだけど。……ほんと、ごめん」
私の前では、という言葉が妙に引っかかった。
「先輩、もしかして結構怒りっぽいんですか?」
「そんなことは……いや、どうかな。あまり他人に対して逆上したりすることはないけど、人並みに苛立つことはあるよ。とくに、最近はね」
ユイ先輩が右手で乱雑に前髪をかきあげながら、なにかを振り払うように息を吐く。
「うちの親はなにも言わないけど。そのぶん、兄がうるさいんだ」
「先輩、お兄さんいらっしゃるんですか」
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