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5章「生きてくださいね」
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しおりを挟むさすがにそのさきは聞きかねて、俺はなかば被せるように否定した。
「……生半可な気持ちなんかじゃないよ、弟くん」
彼が、俺と鈴を想って忠告してくれているのはわかっている。
この状況下では姉のことを第一に考えたいだろうに、俺のことをこうして気にしてくれるあたり、とても大人だとも思う。
大人過ぎて心配になるくらいだ。
……昔の俺と、どこか似ているような気がする。
「鈴にはもう話したけど──六年前、俺は母親を亡くしてるんだ」
「えっ……」
「俺が小学六年生のとき。時期的にはたぶん、鈴が病名宣告を受ける一年前あたりかな。枯桜病ではないけど、末期の癌を患ってね」
まさかそう返されるとは思わなかったのだろう。
弟くんはひゅっと息を呑み、わかりやすく狼狽えた。
その様子がなんとも幼くて、ああやっぱりまだ中学生なんだな、と思う。
子どもらしくない大人びた雰囲気を纏っていても、大人にならなくてはならない状況で成長していたとしても、やっぱりまだこの子は子どもなのだ。
「病名が発覚して入院して……そうだな。たしか、だいたい半年ちょっとで亡くなったんだけど。俺はね、母の葬式まで母が癌だったことを知らなかったんだ」
「……え?」
「教えられなかったんだよ。癌ってことも、余命のことも」
鈴とそっくりの瞳がひどく震えるのを見つめながら、当時のことを思い出す。
「母には少し体調が悪いから入院するけど、ちゃんと帰ってくるからって言われてさ。家族だってなにも言わなかったし、俺はその言葉を鵜呑みにしたんだよね。帰ってくると信じて疑わなかった。……けど」
結局、母さんは帰ってこなかった。
まだ子どもだから。余命宣告を受けたと知ったらショックを受けるから。
そんな余計な配慮から、俺はまともにお別れもできないまま、母さんは最期を迎えてしまったのだ。
父も、兄たちも知っていたのに、俺だけが隠されていた。
葬式でもう二度と目を覚まさない母親を前にして、俺がどれほどこの世界への信用をなくしたか、あの人たちは今でも考えたことすらないのだろうけれど。
「……ねえ、弟くん。人はね、誰しも必ず死ぬんだ」
だからこそ、俺はあのとき思ったのだ。
「鈴の未来は、たしかに逃れられないものなのかもしれない。けど俺だって、弟くんだって、いつ死ぬかなんてわからないんだよ。だったら手遅れになる前に、手が届かなくなる前に、向き合っておかないといけないって、俺はそう思う」
もう二度とあんな思いはしたくない。
死んでしまったら、もうなにもかも遅いのだ。
いくら後悔を募らせたって取り戻せない。もう二度と戻ってはこない。
ありがとうも、ごめんなさいも、たったの一言すらも伝えられなくなる。
それがいちばん、残酷だ。
「死を受け入れるって、君はさっき言ったね。けど、そんなの無理。現に俺は六年経つ今も、母さんの死を受け入れられていないから」
「……だっ、て、じゃあ、他にどうしたら……っ」
「さあね。それはわからないけど、わからないなりに考えた結果が、今だ」
初めから結末がわかっているのなら、なおのこと避けなければならないこと。
いくら傷つこうが、いくらつらかろうが、譲れない。
その後に控える死を越えたさきに待つ痛みや後悔は、きっと手遅れによって生まれたものではないと、俺はたとえ綺麗事でもそう思いたいのだ。
「──母さんは、それほど強く俺の心に棲みついてたんだろうね。日常の些細なことに母さんの面影を感じてさ、忘れたくても忘れられない。今もどこかで、笑って生きてるような気がしてしまう」
ただ、俺が見つけられていないだけなのではないかと、そう思ってしまう。
きっと、誰しもが経験することだ。長い時の流れで風化された思い出に悲しまなくなることを──それを受け入れたというのならば、またべつだけれど。
時間の経過とともに、たしかに痛みは減っていく。忘れていく。
それでもはっきりと心に残った傷は決して癒えることはないと、俺は知っている。
「……俺はね、もう二度と同じ過ちは犯したくないんだよ」
「っ……」
「鈴が好きだから。彼女が大切だからこそ、最期までそばにいたい。時間を無駄にしたくない。今を……鈴と一緒にいれる今を、精一杯、大事にしたい」
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