モノクロに君が咲く

琴織ゆき

文字の大きさ
上 下
52 / 76
5章「生きてくださいね」

52

しおりを挟む

 ふいに背後からかけられた声に、俺は驚きながら振り返った。
 弟くんがいた。手には花瓶を持っている。その顔はいつにも増して不機嫌そうな仏頂面だが、真っ直ぐにこちらを見据えてくる辺り、俺になにか用があるのだろうか。

「ちょっと、話したいんだけど」

「……俺と?」

「他に誰がいるんだよ。あんたとに決まってんだろ」

 まあそりゃあ、たしかに。
 つかつかと俺の方に歩いてきた弟くんは、そのまま俺の横を通り過ぎて歩いていく。
 彼の足が向く先には、面会者用のフリースペースがあった。
 なるほど、あそこで話すつもりらしい。話の内容は予測もつかないが。
 疑問を浮かべながら付いていくと、彼は向かいあわせのソファに座って待っていた。
 俺がすごすごと向かい側に座れば、ドン、と花瓶を間に挟んだ机の上に置かれる。
 超絶不機嫌だ。もしや俺は、これから怒られるのだろうか。

「あんた、姉ちゃんと付き合ってるんだろ」

 そして開口いちばん、弟くんは突き放すような口調で言った。あれ怒られない、と拍子抜けしながらも、視線の置き場を探しながら首肯する。

「付き合ってる、けど」

 鈴が弟には話したと言っていた。
 だから知っているのだろうが、それにしては声音があまりにも不穏だ。俺はどういう反応をするべきなのか迷いつつ、ひとまず様子を窺うことにした。
 弟くんはしばし黙り込んだかと思うと、はあ、と深いため息を吐き出した。

「……あんま口出しはしたくないんだけどさ。姉ちゃんには、幸せならいいんじゃないって言っちまったし。でも、やっぱ気になるから聞きたい」

「ん、なに」

「あんた、そういう覚悟はあんの?」

 そういう、とは。やは、り鈴の『余命』についての話だろうか。

「おれは……おれたち家族はさ。この五年、ずっと覚悟を積み重ねてきたんだ。姉ちゃんとは比べものにならないと思うけど、それでも覚悟してきたんだ。姉ちゃんが死ぬってことを、ずっと心に留めて、受け入れられるように努力してきたんだよ」

「受け入れる? 死、を?」

「そうだよ。いついなくなってもおかしくないからこそ、一緒にいられる時間の限りを尽くして姉ちゃんを一秒でも長く感じておこうって。覚悟ってそういうもんだろ」

「そう……なの、かな」

 どんな手を尽くしても逃れようのない、定められた未来だからこそ、なのか。
 彼のなかの覚悟が、はたしてどんなものを指すのかがわからない以上、俺は現在進行形でその答えを持っていない。
 だから、そういうものだろと言われれば、うなずくしか選択肢がなかった。
 だって俺よりも、彼の方が圧倒的に鈴の命に向き合ってきた期間が長いのだから。
 否定でも肯定でもなく、一意見として受け入れるしかないのだ。弟くんにとっての覚悟がそういうものなら、またそれもひとつの形でしかない。

「で? 覚悟、あんの?」

 絵と同じで、考え方まで共有するのは不可能だ。
 きっと鈴なら、こういう場面でも臆さず自分の意見を伝えるのだろうけど。

「君は、おれに覚悟を持っていてほしいってことでいいのかな」

「持っているのかいないのかを聞いてんだよ。ほしいとかじゃなくて」

「ああ……でも、うん、ごめんね。君と同じ覚悟とやらの話はちょっと……」

 ──俺にはとても真似できないな、と思う。
 そんな未来に待ち受ける『死』なんかよりも、今を見ていたい俺には、あまりに理解が及ばない。

「あんたはわかってないんだろ。もうすぐ死んじゃう姉ちゃんの彼氏になんかなって、そのあとどんだけつらいか。どんだけ、この現実が残酷なのか」

「…………」

「ここはさ、現実だから。アニメやドラマとかみたいに、奇跡が起こって命が救われるなんてことはないんだよ。有り得ないんだ」

 そうだろうな、となにも答えないまま静かに目を伏せた。
 奇跡が起きれば、と願う気持ちはもちろんある。けれども、それが起きると信じているほど俺も馬鹿ではない。現実は、いつだってそこにあるままが現実なのだ。
 枯桜病は、そんなに甘い病気ではない。

「──姉ちゃんには気の毒だけど。申し訳ないと思うけど。でも、これからも生きていかなきゃいけないのは、あんたの方なんだ。つらい思いをするのが嫌なら、生半可な気持ちで……」

「そんなんじゃない」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

演じる家族

ことは
ライト文芸
永野未来(ながのみらい)、14歳。 大好きだったおばあちゃんが突然、いや、徐々に消えていった。 だが、彼女は甦った。 未来の双子の姉、春子として。 未来には、おばあちゃんがいない。 それが永野家の、ルールだ。 【表紙イラスト】ノーコピーライトガール様からお借りしました。 https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと -   

設樂理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡ やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡ ――――― まただ、胸が締め付けられるような・・ そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ――――― ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。 絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、 遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、 わたしにだけ意地悪で・・なのに、 気がつけば、一番近くにいたYO。 幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい           ◇ ◇ ◇ ◇ 💛画像はAI生成画像 自作

処理中です...