49 / 76
5章「生きてくださいね」
49
しおりを挟む「あら、鈴ちゃん。彼氏くんも、こんにちは」
「こんにちは。……すみません、少し散歩に出てきます」
「はいはい、了解。今日は朝から調子よさそうだし大丈夫だと思うけど、なにかあったらすぐにナースコール押してね。もしくは近くの先生に声をかけて」
「大丈夫だよ、先生。今日は本当に元気なんです」
普段は気づかないが、鈴が入院しているこの大学病院には、通路の至るところにナースコールが設置されている。それだけ多くの患者が入院しているのだ。
もちろんそのなかには、鈴のような難病を抱えた人も少なくない。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
先生に柔和な笑みに見送られて、俺は再度車椅子を押していく。
しかし、途中通りかかったプレイルームから複数の「鈴ちゃーん!」という子どもの声が聞こえてきて、俺はふたたび立ち止まることとなった。
「あ、やっほーみんな」
「やっほー鈴ちゃん! どこ行くのー?」
「お散歩お散歩。このお兄ちゃんに連れていってもらうんだー」
まだ小学校低学年くらいの子たちが、パタパタと駆け寄ってくる。
鈴が入院しているのは小児科だ。曰く、子どもの頃からここに罹っているから、高校生になった今でも入院病棟は変わらず小児科のままらしい。
長年罹っていることもあり、鈴は顔見知りの子どもたちも多いようだった。
「いいなあ、あたしも行きたーい」
「ふふん、看護師さんに頼みましょう」
「ずるーい! かっこいい彼氏ずるいー!」
「ふふん、いいでしょ~? 先輩はあげませんよーだ」
さすが子どもの相手が上手いな、と素直に感心する。
さらりと放たれた『あげない』という言葉が、まるで私のものだと言われている気がして無性に嬉しくなった。俺も大概、この子に惚れ込んでいるらしい。
「じゃあ行ってくるね。みんなも楽しんで」
「はぁい。デート楽しんでね、鈴ちゃん」
「でっ……もう! 大人をからかわないの!」
デート、という言葉に、瞬く間に鈴の顔が真っ赤に染まった。
たしかに見様によってはデートだ。ふたりきりで散歩、というのも悪くはない。
あどけない子どもの口車に難なく乗せられて気分が高揚する。きっと今の場面を隼が目撃していたら単純馬鹿だと詰られるのだろうが、それがどうした。
「ねえ、鈴」
車椅子を押しながら名前を呼べば、鈴は覆った指の隙間からこちらを見上げてくる。
「なかなか的を射たことを言ってくる子たちだね」
「ませてるんですよ、最近の子は」
出会い頭に告白してくる謎の度胸はあるくせに、なかなかどうしてそういうところは恥ずかしいのか。やっぱり、鈴はときどき不思議だ。
好きという気持ちは少しも隠さず伝えてくるのに、いざ自分が言われたら照れる。
少しでもカップルらしいことをすると、すぐにキャパオーバーを起こす。これまでもさんざんふたりきりの場面はあったのに、こんな一面を俺は知らなかった。
「まあ、俺は嬉しいよ。鈴とのデート」
「せ、先輩まで……」
「鈴と一緒にいられるなら、どこだって楽しいからね」
そう言うと、鈴は一瞬だけ戸惑ったように押し黙った。しかしすぐに首だけこちらを振り返って、拗ねたようにぷくっと頬を膨らませる。
「ユイ先輩。最近、私のセリフ取りすぎじゃないですか?」
「なにそれ」
「ずーっと、私が伝える側だったのにー」
声音こそ軽いものの、雨空に似た色をしっとりと滲ませた瞳はひどく切なげに見えた。それに気づかないふりをして、俺は前を向きながら小さく笑ってみせる。
「今度は、俺の番だからね」
悩ませたくはない、と思う。
だが、俺と鈴が今こうして共に過ごしている時間は、溢れんばかりの幸せと裏返しに『死』という名の絶望が待ち構えている。
だからこそ鈴は、きっと葛藤しているのだ。
優しいから。
鈴はとても優しい子だから、残される側の俺をずっと心配している。
──……ならばいっそ。
そう思ってしまうのは、そんなに悪いことなのだろうか。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
1ヶ月限定の恋人を買ってみた結果
こてこて
ライト文芸
「キレイさっぱり消えて、粉になる。粉は普通ごみで捨てられるから心配いらない」
俺の自慢の彼女、それは“ハニーパウダー”であった。
落ちこぼれ大学生の俺に対し、とことん冷たかった彼女。それでも俺たちは距離を縮めていき、恋心は深まっていく。
しかし、俺たちに待ち受けているものは、1ヶ月というタイムリミットだった。
そして彼女が辿った悲痛な運命を聞かされ、俺は立ち上がる。
これは1ヶ月限定の恋人と向き合う、落ちこぼれ大学生の物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる