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5章「生きてくださいね」
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しおりを挟む「っ、それは嬉しいですけど……そういうことじゃなくて」
うううぅ、と鈴が顔を赤らめながら呻く。
付き合ってからもうすぐ三週間。二日に一度は顔を見せているうちに、あっという間に夏が過ぎ去っていった。来週からは学校も再開してしまう。
まだ外は度し難い蒸し暑さが延々と蔓延っているが、それもあと一ヶ月もすれば気温も下がり始めるだろう。どうしたって、そうして季節は廻るのだ。
「今日の体調はどう?」
「大丈夫ですよ、見ての通り元気です」
ふふ、と鈴が得意げな顔をする。
一見して変わりはないように見えるが、実際は入院してからだいぶ変わった。
というより、鈴が隠してきたことを知ったから、そう思うのかもしれない。
思い返してみれば、これまでも食生活や普段の言動など、ほんの些細な日常のなかに不可解な部分は多々あった。その違和感に気づくことすらできなかった俺は、いったい好きな人のなにを見てきたのか、ひどく不甲斐なくなる。
「そっか。ならよかった」
どうやら自力で歩く体力も衰えてきているらしく、最近の鈴は基本的にベッドの上から動かず、移動は車椅子で行うようになっていた。
これが、枯桜病の恐ろしさだ。
一度進行が早まってしまえば、それはもう留まることを知らない。年を越せないということは、ここから急激に身体が衰退してゆくのだろう。ついこの間、一緒に水族館へ行ったばかりなのに、あれがもうずいぶんと昔のことのように感じられる。
「先輩が来る日はとくに元気な日が多いんですよね。気持ちの問題かなぁ」
「病は気からって言うしね。なんだったら毎日来るけど」
「そ、それはだめです。むしろ週一とかでいいんですよ。先輩、受験生だし」
もごもごと口籠りながら、こちらの様子を窺うようにして鈴が肩をすくめる。
「……大学、行くんですよね?」
たしかに俺は受験生、ではある。
最近どこに行ってもその言葉が付いて回って、心底うんざりしていたところだが、鈴に聞かれると不思議と嫌な気持ちにはならない。
「いや、まだ決めてない。一応、俺の経歴に興味があるらしい都内の某美大からうちに来てくれないかってスカウトはされてるけど」
「えっ!? すごい!」
「すごくないよ。世のなかには俺以上に才能のある画家なんて山ほどいるんだから」
それに、と俺は行き場をなくした目を逸らしながら心中でつぶやく。
──鈴がいない学校なんて、行っても仕方ないでしょ。
「先輩て、謙虚ですよねぇ」
「謙虚?」
「五年連続でコンクール金賞取ってる人なんて他にいませんよ」
まったく、と鈴が拗ねたように唇を尖らせる。
五年、というのは、中学のときから換算されているのか。
前々から思っていたけれど、本当に鈴は俺のことをよく知っている。若干そこに混ざりこむ嫉妬や羨望が気になるが。
「まあ、そうは言っても地方コンだし……」
「でも激戦区の関東です」
「まあ、そうだけど。そもそも、俺はあまり、ああいう他者が評価するタイプの結果は気にしないから。正直、絵に関しては優劣付けるもんじゃないと思ってるしね」
鈴が一瞬、ぴきりと固まって双眸を瞬かせる。
「……というと?」
「絵に正解なんてないでしょ。その人の描いたものがすべてだし、描いた本人がこれだって思えば、それはもう作品として成立してる。コンクールの評価は、おおかた技術的な面や独創性、あとは大衆に受けるかどうかで審査されてるわけだから」
「ええとつまり、誰かに見せるために描くものと、自分のために描くものでは違うってことですか? コンクール用の絵は、しょせんコンクール向けってこと?」
「簡単に言えばね」
ふうん、と鈴は考えこむように腕を組んで曖昧に相槌を打った。
「たしかにそれも一理あるんですけど……。でも私、そのうえで響くものってあると思うんですよね。自分がそれを描けているかはべつとして」
「響くもの?」
鈴がほんの少し遠慮がちにうなずいた。
こういうとき、俺の意見に流されることなく、芯のある自分の考えを相手にぶつけられるのは鈴のいいところだな、と思う。
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