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4章「臆病だね、君は」
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しおりを挟むいつもはなにかと世話を焼かれている印象があるのに、ああ見えて意外と庇護欲があったりするのかもしれない。それは些か、気恥ずかしいのだけれど。
呆然と立ち尽くしながらユイ先輩の背中を見送って、私は両手で顔を覆った。
ああ、まずい。これはよろしくない傾向だ。
先輩がとてつもなく甘やかしモードに突入してしまったような気がする。
「……愁」
「…………」
「ごめん。終わりにできなかった……」
「だろうね!」
はぁあ、と聞いたこともない全力のため息と共に、愁が頭をがしがしと掻き乱す。
「……しかも付き合うことになっちゃった……」
「朝の言葉はなんだったんだよ!? 一日気にしてたおれの気苦労返せ、バカ!」
「ほんっと、うん、なんかよくわかんないけどごめん……」
だって、まさか先輩があんな方向で攻めてくるとは思わなかったのだ。
病気のことを知ってまで私のことを好きでいてくれて、あろうことか死ぬ未来がわかっていても共に居たいと──そんな危ういことを言われてしまったら、突き返すこともできなかった。当然だろう。私はユイ先輩が好きなのだから。
私がずるずるとその場にしゃがみこむと、愁が一瞬たじろいだ気配がした。
「……ちょ、大丈夫? また具合悪くなったとか言わないよね?」
「うん、そうじゃなくて。なんかいろいろ、いっぱいいっぱいで……」
はあ、とふたたび頭上で愁の嘆息が落ちた。
そりゃそうだ。愁が安心できるようにユイ先輩から離れようと決意したはずが、むしろ状況をややこしくしてしまっている。
しかも、わりと、取り返しのつかない方向へ。
呆れられるか、はたまた怒られるか。なんにせよ降り注ぐだろう罵倒を覚悟していると、愁はなぜか私の前に視線を合わせるようにしゃがみ込んできた。
「……あのさ。おれはべつに、姉ちゃんから自由を奪おうとは思ってないんだよ」
「っ、え?」
「高校に通うのも、入院しないのも、たしかに反対したけど。でも、それで姉ちゃんが幸せになれるならそっちの方がいいのかなって……最近は思ってる」
言いにくそうに言葉を濁らせる愁は、けれどもやっぱりつらそうで、まだどこか迷っているようにも見えた。
言葉にして告げることで、自らを説得しているような響きすら孕んでいる。
「正直、正解がわからない。おれも、きっと母さんや父さんも、姉ちゃんがやりたいことはできる限りやらせてやりたいって思ってるんだ。でも、それと同じくらい心配で、少しでも長生きできるなら治療に専念してほしいとも思ってる」
「っ、うん。わかってるよ」
「けどさ。それで姉ちゃんから笑顔が消えるのは、また本末転倒なんだよ」
自嘲に似た笑みを滲ませながら、私の視界の端で拳を握った。
「……私から、笑顔が?」
「うん。だって姉ちゃん、高校入ってからの二年がいちばんいい顔してんだもん。そんな姉ちゃん見てたらさ、なにがどう正しいのか、わからなくなるっていうか」
ぐっと前髪をかきあげながら、愁はおもむろに立ち上がる。
「正確には、あの先輩と一緒にいるようになってから、かな。毎日楽しそうで、めちゃくちゃ幸せそうで……そんな姉ちゃん見てると、おれは弟のくせになにもできてないなって悔しくなってさ。それで先輩に当たった。ごめん」
「な、なにもできてないなんて、そんなこと……っ」
「ま、そりゃ、最大限サポートはしてるつもりだけど。そうじゃなくて、なんつーのかな。姉ちゃんを本当の意味で幸せにできんのは、結局のところ家族じゃないんだって実感したっていうか」
──私を、幸せにする。
幸せ、という言葉に直結して真っ先に頭に浮かぶのは、ユイ先輩だ。
つまり、そういうことか。
私が心の底から幸せだと感じて、心の底から笑顔になれるのはユイ先輩がいるからだと、自他共に認めるほど赤裸々になってしまったのか。
「家族には、またべつの役割があんのかもな。姉ちゃんが安心して帰って来れる場所として、姉ちゃんの幸せを見守る役割みたいなのがさ」
「っ……愁」
「だから、いいよ。おれのことは気にしなくて。たとえどう転がったとしても、姉ちゃんが幸せになれるなら、それが正解なんだ。あの先輩も、姉ちゃんの病気のこと知ったうえで姉ちゃんと付き合うって言ったんだろ?」
私は一瞬の間の後、こくりと顎を引いた。
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