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4章「臆病だね、君は」
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しおりを挟むいや? と、ユイ先輩はくすりといたずらに笑った。
さらさらと凪ぐ白銀の下。いつになく強い意思の籠った先輩の瞳が私をなぞる。
「大丈夫。一緒にいよう、鈴」
「っ……先輩」
ユイ先輩の言葉はやけに力強く、ともすればらしくないほど頼りがいがあるものなのに、どこか危うげに感じられた。
目を離したら消えてしまいそうな儚さを孕んでいるのは相変わらずだけれど、そのさきには言いようのない仄暗さを纏っているようにも見える。
怖い、と思うのはどうしてか。
──……ああそうか、と私はようやく気づく。
私がユイ先輩に病気のことを打ち明けられなかったのは、他でもなく、そこに一抹の恐怖を覚えていたからだと。
いずれやってくるそのとき、先輩が私と一緒に消えてしまいそうで。
命の灯を消したクラゲのように溶けて消えてしまいそうで。
私はそんな先輩を道連れにしてしまいそうで、とても恐ろしかったのだ。
◇
「……あ、愁」
最寄り駅まで帰り着くと、そこに電信柱に寄りかかる弟を見つけた。事前に帰ることを連絡していたとはいえ、なんと姉思いな弟だろうか。
まだ夕方とも取れない時間帯だ。駅周辺も朝より人の数が飽和しており、当然、愁もなかなかこちらに気づく様子はない。
声をかければいいのだろうけど、正直、愁とは顔を合わせづらかった。
出かけにあんなことを宣言してしまったのに、まさかユイ先輩と恋人になって帰ってくるなんて自分でも驚くほかない。想定外も甚だしい。
「行くよ、鈴」
言い訳を必死に思案していると、見かねたらしいユイ先輩に手を引かれた。
ユイ先輩の声に気づき、弾かれるように顔を上げた愁。私の顔を見た瞬間、その顔に心底ほっとしたような表情が浮かんだ。ツクリ、と胸の芯が軋む。
「おかえり、姉ちゃん」
ぽつぽつといじっていたスマホを仕舞いがてら、愁が駆けてくる。私の頭の先から足の先までじっくり観察するように視線を走らされて、さすがに面食らった。
「体調、大丈夫?」
「う、うん。なんともないよ。途中で体調悪くなることもなかったし」
「そ。ならよかった」
素っ気ない返事にしては、あからさまな安堵を滲ませた声音。
この様子では、今日一日、本当に気を揉ませてしまっていたのだろう。
愁は昔から、心配性と過保護の度合いが強い傾向にある。ややもすれば両親より私の世話を焼きたがる節があり、自身の貴重な時間すら私に回してしまうことも多い。
まだ中学生。遊びたい盛りだろうに、愁はいつだって姉を優先するのだ。
「弟くん」
私のうしろからひょこりと顔を出したユイ先輩が、持っていた紙袋を愁へ手渡した。
「え、なにこれ……って重!」
「私と先輩からのお土産だよ。選んでたら、楽しくていっぱい買っちゃって」
「それにしても買いすぎだろ。なにこのサメ」
「あ、可愛いでしょ、コバンザメ。ジンベイザメもいたんだけど、こっちのが愁っぽくて。ちなみにキーホルダーバージョンも買ったよ」
「おれのどこにこれの要素を見つけたんだよ。……いやまぁ、嬉しいけどさ」
ありがと、と仏頂面で言いつつも、愁はしげしげとコバンザメの顔を眺めてなんとも微妙な反応をする。
私と愁の体格差を考えたらジンベイザメなのだけれど、私のなかの愁は、いつまでも可愛いコバンザメなのだ。そうであってほしい、という願望ありきで。
言ったら怒りそうだから、絶対に言わないけど。
「……春永先輩も。その、ありがとう、ございます」
「いや、俺も楽しかったし。今日は疲れただろうから、ゆっくり休ませてあげて」
「はあ。言われなくてもそうしますけど」
なにかを感じ取ったのか、訝しげにユイ先輩と私を交互に見る愁。その察しのよさに冷や汗をかきながら、私は慌てて「じゃあ!」と話に割って入った。
「そろそろ私たち行きますね。先輩、今日は本当にありがとうございました!」
「こちらこそ。また連絡するから」
「は、はい……!」
じゃあね、と私の頭をひと撫でしてから、ユイ先輩は私たちの帰り道とは反対方向へと歩いていく。
……今日一日で、何度撫でられただろうか。
もしかして癖なのか。あるいは、撫でるのが好きな人なのか。
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