モノクロに君が咲く

琴織ゆき

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4章「臆病だね、君は」

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「はい。先輩もですよ。ぼーっとしてたら、転んじゃいますからね」

「さすがに君の前では転ばないよ。俺、かっこよくいたいから」

 えー、なんて。先輩はいつでもカッコいいですよ、なんて。
 いつも通り他愛もない話をしながら、私たちは水族館行きの電車へ乗り込んだ。
 ──まだ、確信には触れないままで。



 広海水族館は、地元民に愛される小さな地域型水族館だ。
 外から観光に訪れるほどの魅力はなくとも、展示されている海生物はそれなりに充実しているし、園内には子どもが遊べるようなアトラクションエリアもある。
 地元割もあるため、気軽に立ち寄れる遊び場として親しまれていた。
 しかし数年前、隣町に大規模のエンターテインメント施設ができた影響で、一気に観覧客が激減してしまったらしい。この世知辛い情勢では、もう遠くない未来に閉館してしまうのではないかと風の噂で聞いていた。
 実際、夏休み期間にもかかわらず、広海水族館の人はまばらだった。
 外のアトラクションエリアの方からは、いくらか楽しそうな子どもの声が聞こえてくるものの、主役である館内はほぼ無人と言っても過言ではない。
 近頃は子どもの数も減っているし、閉館の噂もあながち嘘ではないのかもしれない。
 まあ個人的には、先輩とふたりきりになることができて嬉しいのだけれど。

「……疲れてない?」

「大丈夫です。ふふ、先輩もたいがい心配性ですね」

 あっけらかんと返しながらも、ついこの間倒れたばかりであることを考えると無理もないな、と思う。
 もし逆の立場だったら、たぶん私はまともに鑑賞もできなかっただろう。

「先輩。この水族館の生き物から描くものを決めるんですか?」

「そう。小鳥遊さん、基本的に水彩画でしょ。とくに水の表現が上手いから」

 思いがけない言葉に、私は目を丸くした。
 ユイ先輩が鉛筆画専門であるように、私の専門は水彩画だ。部活中も好んで水彩を用いるし、よほどのことがなければ油絵には手を出さない。

「私が水彩画好きって先輩が知っていたことに驚きです」

「そりゃあ……毎日のように隣で描いてればね。言っておくけど、美術部の部費管理してるの俺だよ。つまり、画材注文してるのも俺なの」

「あ、そっか。言われてみれば」

 水彩画に用いる水彩紙の在庫が切れたことは、一度もない。
 美術室に保管されている紙も素材も種類が豊富で、充実している印象にある。

「なるほど……。紙とか補充してくれてるの、先生だと思ってました」

 美術部の部員は、美術室にある画材を好きなだけ拝借が許可されている。
 その恩恵は意外と馬鹿にならない。毎日のように絵を描いていると、いくら画材があっても足りないし、私費でやりくりするには限界があるのだ。

「うち、ほとんど活動部員いないでしょ。だから、部費には多少余裕あってさ。俺と君が使う画材を中心に注文してるけど、俺は実質、鉛筆一本で事足りるし。小鳥遊さんも、もしなにか気になる画材があるなら、注文してあげるよ」

「ほわー。先輩、私の知らないところでちゃんと部長やってたんですね」

「えらいでしょ、俺」

 ユイ先輩は基本的に、絵を描く行為以外に関心がない。
 さらに、一度描き上げてしまえば、自分の絵でさえも興味を失う。それどころか、自分がなにを描いたのかすら覚えていないことも多いくらいだ。
 そんな先輩が、私の得意分野が水彩で、しかも好んで水を描いていることを知っていてくれたなんて。なんだか、とても胸の奥がこそばゆい。

「あの、でも……先輩はあんまり描きませんよね? 水とか」

 そわそわとする気持ちを誤魔化すように、話の方向性を変えてみる。

「ん、そうだね。俺はどちらかというと、日常的な風景とか、自然……とりわけ緑を描くことが多いから。水を絵に取り込むこともあるけど、相対的には少ないかな」

「ああ、たしかに。先輩の絵って、モノクロなのに緑が緑に見えるから不思議なんですよね。色の濃淡だけで木々を表現するのって、すごく難しいのに」

「まあでも、俺は人や動物は描かないし。メインに据えるものが生物でないぶん、むしろ表現域は広いと思ってるけどね」

「そういえば、先輩が生き物の絵を描いてるの見たことないかも。なにか理由があるんですか? こだわりとか?」
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