29 / 76
3章「いいよ、言わなくて」
29
しおりを挟む人の生死に対面する。そんなときに上手い言葉をかけられる人なんていない。それが身近な人間であればなおさら、現実感はますます遠のいてしまうものだ。
だからこそ、いつか訪れる別れのときまで、周囲とどう接するのが正解なのか、私はずっとわからずにいる。
「──先輩。定期テストが終わって夏休みに入ったらすぐ、絵を描きに行きませんか」
「……っ、え?」
「どこでもいいんです。ふたりで、課外活動をしませんか」
しっとりとした夜空の瞳を向けながら、ユイ先輩が唇を引き結んだ。
見つめ合う静寂が、なんだか初めて先輩と出会った日に似ているような気がした。
私に『誰?』と言ったときの先輩は、今と同じような顔をしていた。
困惑。衝撃。戸惑い。
そんないくつもの感情が綯い交ぜになった、私が描く水彩画のような色。
ああ描きたい、と。あのとき私は、強く、強く思った。だからなのか、不思議とあの日のことは忘れない。いつだって鮮明に脳裏に浮かんでくる。
「課外活動、ね」
ほんの数秒が何分、何十分の感覚で。やがてゆっくりとうなずいたユイ先輩は、絵を描いているときと同じ瞳の色をしていた。
「……いいよ。でも、場所は俺が決めていい?」
「はい、ありがとうございます。ふふ、楽しみだなあ」
──本当は、ずっと言わずにいたかった。
苦しみも悲しみもつらさも、現実の非道さも、なにもかも、いつもの笑顔の裏に隠したままでいたかった。
追いかけ続けてきた私の夢が、儚くも桜のように散っていったように。
それでも、きっと優しい先輩は、暗れ惑う私に言うのだろう。
たとえ自分の感情を押し殺しても、大丈夫だ、と。
◇
そうして翌日、私は退院した。
しかし、さすがに三日間は自宅療養で様子を見るように指示され、私はしぶしぶ家でテスト勉強に勤しむ羽目になった。
七月の下旬。
今年の夏は梅雨が短かったこともあり、湿気が少ない。風が爽やかに感じられるくらいカラリとした暑さで、体力減退中の私には幾分か過ごしやすい気候だった。
体調は、とりわけよくも悪くもない。
以前と変わったことといえば、体重は減っているはずなのに、体が重く感じられるようになったこと。それから、眠りがより深くなったくらいだ。
深く、深く、誰も到達したことがないような海底に沈んでいくように眠る。
きっとこうして水底に着いたとき、私は死ぬんだろうなと毎朝起きる度に考える。
眠っている間は夢もいっさい見ることなく熟睡しているから、不快感はない。
むしろ不思議なくらい心地がよくて、いっそこのまま眠ったままでもいっか、と思ってしまったりもする。
けれど、いざ目覚めたとき、生きていることを実感するとホッとしてしまうのだ。
そんな不安定さを、私は誰にも見せないようにしてきた。
家族にも、もちろん友だちや、ユイ先輩にも。
「やっほー、鈴。意外と元気そうじゃん?」
「よかったぁ。救急車で運ばれたって聞いたときは心臓止まるかと思ったよ」
自宅療養三日目。
夕間暮れになって家にやってきたのは、円香とかえちんだった。学校帰りで制服姿のふたりは、もう勝手知ったる様子で私の部屋に入ってくる。
「へへ、ごめんごめん。私も自分でびっくりしたよ」
部屋の中心に置いているテーブルを囲んで、三人で座った。
試験前のため、美術部は元より、円香の所属する料理部やかなちんのバレー部も休止期間に入っている。普段はなかなか学校以外で会う時間を作れないから、この機に三人で集まって試験勉強をしようという話になったのだ。
「ここ二日の授業ノートも持ってきたからね。わたしが文系科目、楓ちゃんが理系科目って分担して取っておいたんだ」
「選択授業だけは三人ともバラバラだから、ちょっとわかんないけどね」
「うわ、ふたりともホントありがと。わざわざごめんね」
ふたりとも高校からの友だちだ。高一のときにたまたま同じクラスになって、席が近かったことから一緒にいるようになった。
円香は見た目通りの、大人しくてほんわかとした女の子。
お菓子作りの腕前は一級品で、実家は洋菓子屋を営んでいるらしい。
かえちんはとにかくスポーツ万能で、バレー部のエースだったりする。
そんな彼女たちに私の病気のことを打ち明けたのは、去年の秋頃だった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
演じる家族
ことは
ライト文芸
永野未来(ながのみらい)、14歳。
大好きだったおばあちゃんが突然、いや、徐々に消えていった。
だが、彼女は甦った。
未来の双子の姉、春子として。
未来には、おばあちゃんがいない。
それが永野家の、ルールだ。
【表紙イラスト】ノーコピーライトガール様からお借りしました。
https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl
『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと -
設樂理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡
やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡
――――― まただ、胸が締め付けられるような・・
そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ―――――
ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。
絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、
遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、
わたしにだけ意地悪で・・なのに、
気がつけば、一番近くにいたYO。
幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい
◇ ◇ ◇ ◇
💛画像はAI生成画像 自作
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる