26 / 76
3章「いいよ、言わなくて」
26
しおりを挟む◇
ピコン、ピコン。
規則正しく鳴り続ける音に引き寄せられて目が覚めた。深い海の底から浮き上がった意識は、しばらく水面をゆらゆらと揺蕩ってから、ようやく光を浴びる。
「……小鳥遊さん?」
なによりも先に視界に映りこんだのは、銀。
ゆっくりと睫毛を伏せて、ふたたび開けてみる。そうして幻覚でないことを確認した私は、ひどく不思議な気持ちで、まだ痺れの後味を引きずる唇を動かす。
「……せん、ぱい?」
「うん。目、覚めたんだ。よかった」
「ここは……」
「病院だよ。君、学校で倒れて救急車で運ばれたの。そこまで時間は経ってないけど」
病院。倒れた。救急車。
ひとつひとつの単語をたっぷりと咀嚼し、やがて私は顔を青褪めさせた。なによりもここに、病院にユイ先輩がいるという事実が、私を動揺させる。
「あ、の……先輩……」
「さっきご両親が来られてね。今、先生と話してるよ。弟くんは……その、結構取り乱してて。でも、たぶん廊下にいるから、呼んでこようか」
「っ、待って、ください」
どうしてなにも聞かないのか。もう知ってしまったのか。尋ねたいことはたくさんあるのに、上手く声が出てこない。言葉もなにもかも、不安に押し流されそうだ。
すると先輩は、そんな私を落ち着かせるように頭をそっと撫でてくる。
「いいよ、言わなくて」
「っ、え……?」
「君が言いたくないなら、聞かない。君が俺に話したいって思ったときでいい」
「なん、で……」
「ああ、勘違いしないで。どうでもいいからじゃない。君が大切だから、泣いてほしくないから、そう言ってるだけ」
ユイ先輩が慈しむような優しさを孕んで、私の目尻を指先で拭う。
そこでやっと、自分が泣いているのだと気づいた。
「でも、これだけは言っておく。俺はね、小鳥遊さん。今こうして、君のそばにいれてよかったって、心の底から思ってるよ」
ユイ先輩の瞳の色は、相変わらず静かな夜の空のようで。けれど、そのなかには言い表しようのない切なさが滲んでおり、私は返す言葉を失ってしまう。
ユイ先輩の方が、泣きそうだ。
胸の奥深くを引っかかれたような痛みを覚えながら、くしゃりと顔を歪める。
こんな顔をさせたくないから、今まで黙っていたのに。
ああもう、本当に、私はいったい、なにをやっているんだろう。
「じゃあ、弟くん呼んでくるから」
「っ……は、い」
最後に小さく微笑んだユイ先輩は、そのまま静かに病室を出ていった。
ひとり残された私は、腕から伸びる点滴の管を見る。見慣れた光景のはずなのに、今すぐ引き抜きたい衝動に襲われた。嫌だ。こんなものがあるから、私は──。
「……っ」
こんなはずじゃなかった、なんて後悔したところで無意味だとわかっている。わかってはいるけれど、まだ、先輩の前ではただただ弱い私の姿を見せたくはなかった。
──私に残された時間は、もう、そう長くはない。
自分でそれが嫌というほど感じられるからこそ、どうしようもなく胸が痛かった。
泣きたくもないのに、涙が溢れ出してくる。
ああ、嫌だ。私は、死にたくない。
死にたくないのに。
「……っ、姉ちゃん!」
病室に飛び込んできた愁は、泣いている私を見て悲鳴じみた声を上げた。派手に足を縺れさせて、あやうく転びかけながら、ベッドに縋りついてくる。
「どうしたの、まだ、どっか痛いんじゃ……っ」
「ちが、ちがうの。ごめんね、愁」
弟は、私よりもよっぽど泣き腫らした目をしていた。
不意に小さい頃のことを思いだした。
いつ、どんなときも、私の後を追いかけてきていた愁。自分が一緒に行けないとわかると、こんなふうに目と鼻が真っ赤になるまで泣いていた。
いつまでも小さいままだと思っていた弟が、あっという間に私を追い越して、知らぬ間に大人になってゆく。それをずっと、寂しく感じていた。
でも、やっぱり、愁は愁だ。
どれだけ身体が大人になっても、たったひとりの弟であることに変わりはない。
「痛くない。平気だよ、愁」
そもそも私は、もうほぼ『痛覚』がなくなっている。どれだけ苦しくとも、そこに痛みは感じない。それをあえて伝えることはしないけれど。
「で、でも……っ」
「心配かけてごめんね。大丈夫、お姉ちゃんはちゃんと生きてるよ」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
演じる家族
ことは
ライト文芸
永野未来(ながのみらい)、14歳。
大好きだったおばあちゃんが突然、いや、徐々に消えていった。
だが、彼女は甦った。
未来の双子の姉、春子として。
未来には、おばあちゃんがいない。
それが永野家の、ルールだ。
【表紙イラスト】ノーコピーライトガール様からお借りしました。
https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる