モノクロに君が咲く

琴織ゆき

文字の大きさ
上 下
19 / 76
2章「わからなかったんだ」

19

しおりを挟む




 午後三番目の競技で行われた、地獄の徒競走。
 直前まで死んだ魚の目をしていた俺は、隼に臀を叩かれて嫌々ながら出場した。
 無論、大敗。
 カッコいいところを見せたいなんて、しょせんは願望だ。現実はそう甘くない。しかも最後の最後で思いきりずっこけて、小学生男子さながら典型的な膝怪我を拵えた。
 ここまでくると、もう羞恥どころの話ではない。他の誰に目撃されたところで気にやしないが、ただひとり、小鳥遊さんだけは見られたくなかった。
 さっきは理由なんて求めないと思っていたが、前言撤回しよう。こんなどうしようもないことで笑われるのは、さすがに堪える。

「……あの」

「は、はい? えっあっ、春永先輩……」

 ショックに打ちひしがれながらとぼとぼと救護室までやってきた俺は、そこにいた体育祭の運営スタッフらしき女子生徒に声をかけた。
 彼女は俺を見るなり、あからさまにぎょっとして後ずさる。

「あー、えっと」

 なぜか俺は、校内でも怖がられている節があった。無駄に名前を知られていることが追い打ちになっているのか、根も葉もない噂が常に飛び交っている。
 銀髪だからか。恐喝されるとでも思うのか。
 まあ小鳥遊さんは気にもしていないようだし、べつに、どうでもいいのだけど。
 ちらりと周囲を見回してみるが、近くに小鳥遊さんの姿は見当たらない。

「あ、け、怪我されたんですね!」

 ようやく俺の足の怪我に気がついたらしい彼女が、慌てたように立ち上がる。

「いや、それよりさ。小鳥遊さん、知らない?」

「へ? た、小鳥遊さん……?」

「背が小さくて、髪が長くて、色白な子。あと……明るくて、元気」

「ああ!」

 それで伝わってしまうのだから驚きだ。外見的特徴がありすぎるのか、はたまた小鳥遊さんの存在感が強いのか。少し考えて、どちらもだなと結論付ける。

「鈴先輩なら、さきほど保健室に……」

「保健室?」

「は、はい。なんだか具合が悪そうで、途中でお友だちの方が連れていかれました」

 それより足の怪我を、とおそるおそる手当てを施そうとする女子を制する。
 小鳥遊さんを先輩と呼んだからには、この子はきっと一年生だろう。
 なるべく怖がらせないように気をつけながら、穏やかな声音で「大丈夫」と諭した。

「保健室、行くから」

「え? で、でも、先生いませんよ?」

「平気。ありがとう。暑いけど、仕事頑張って」

 それ以上引き止められないように、俺はサッと踵を返した。
 ……具合が悪い、と彼女は言った。
 昼間は元気そうだったのに、午後をまわって熱中症にでもなったのだろうか。
 いつも明るく元気なイメージはあるが、小鳥遊さんはああ見えて、あまり体が強くないのだろう──と思う。憶測に過ぎないが、ときおり俺でも心配になるくらい顔色が悪いことがあるし、定期的に早退していたりもする。
 つねに笑顔を絶やさないから、なんとなく誤魔化されてしまいそうだけれど。
 保健室へ向かう足が、自然と早くなる。
 校舎を突っ切り、最短距離で保健室前まで辿り着く。
 気が急いてノックもなしに扉を開けようとした瞬間、俺の目の前で扉がガラッと勢いよく開いた。さすがに驚いて、俺は伸ばした手をそのままに硬直する。
 そこに立っていたのは小鳥遊さん、ではなく。

「……榊原さん?」

「結生……なんでここに」

「なんでって、小鳥遊さんが保健室にいるって聞いて。そっちこそなんで」

 あまりに予想外の人物だった。
 やや遅れながらも状況を?み込んで、俺は訝しく眉を顰める。
 すると、榊原さんはハッとしたように背後を気にした。その視線を追いかけようとした矢先、唐突に胸部に衝撃が走る。榊原さんにドンッと強く押されたのだ。
 数歩よろけながらも、なんとか転ばないように耐える。
 ほぼ同時に保健室から出てきた榊原さんが、俺を睨みつけながらうしろ手にピシャリと保健室の扉を閉めた。シン、と一瞬にして場の空気が凍りつく。

「……なんのつもり」

 自分でも驚くほど低い声が落ちる。

「っ……あなたをここに入れることはできないわ」

「なんで」

「なんでも。あの子のことを想うなら諦めて」

 あの子、とは小鳥遊さんのことか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

1ヶ月限定の恋人を買ってみた結果

こてこて
ライト文芸
「キレイさっぱり消えて、粉になる。粉は普通ごみで捨てられるから心配いらない」 俺の自慢の彼女、それは“ハニーパウダー”であった。 落ちこぼれ大学生の俺に対し、とことん冷たかった彼女。それでも俺たちは距離を縮めていき、恋心は深まっていく。 しかし、俺たちに待ち受けているものは、1ヶ月というタイムリミットだった。 そして彼女が辿った悲痛な運命を聞かされ、俺は立ち上がる。 これは1ヶ月限定の恋人と向き合う、落ちこぼれ大学生の物語。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ろくさよ短編集

sayoko
ライト文芸
ろくさよの短編集でーす。百合だったり、ラブコメだったり色々ごちゃ混ぜ。お暇な時にでもどうぞ。

処理中です...